名将がいて、愚者がいた (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062761321

感想・レビュー・書評

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  • 会津の保科正之に評価が高い。
    一般的に無名な武将や侍も紹介してくれていて中々面白いです。

  • そこそこ楽しめた。

  • 戦国から幕末にかけて、歴史の断片を集めた、雑多なエッセー集。新撰組の剣士、土方歳三、島田魁、斉藤一などが魅力的。

  • 第一部は対比による分析が分かりやすく、惹き付けられたが、それ以降は既出の記事の再掲載の寄せ集めであることから、繋がりに欠け、読みすすむのに時間がかかった。
    ただ、明治維新の闇の部分を多く知ることができ、これまで感じていた維新の胡散臭さの裏付けを得られたように感じられたのは良かった。

  • 〇読みやすく面白い、好著。
    ・「才気ある馬鹿ほど始末が悪い」
    ・「人に殴られた者は、その痛みをいつまでも忘れないが、殴った方は自分の行為など、まもなく忘れてしまう」
    ・かの有名な加藤清正公の孫光正は、一家臣に一杯食わせて笑いものにしようと思い<謀反ごっこ>を行なった。これが大問題に発展し幕府の峻烈な裁断から、結果54万石肥後加藤家は断絶となった。
    ・「売り家と唐様で書く三代目」。一代の英雄を出した名門も、孫あたりから大体ピントが外れてくる。
    ・煙草が原因で起こった、1657年1月の<明暦の大火>から、[知恵伊豆]と渾名された松平信綱は本邦初の禁煙ポスターを作成し、大きな効果を挙げた。
    ・「不惜身命」
    ・「これ(三軍)を亡地に投じて然る後に存じ、これを死地に陥れて然る後に生く」『孫子』(軍隊は滅亡すべき状況に投げ入れてこそ始めて滅亡を免れ、死すべき情況におとしいれてこそ始めて生き延びるのである)至関ヶ原戦における島津義弘。
    ・関ヶ原戦で有名な小早川秀秋は裏切りを気にして、頓死したと伝えられているが、実際は傷つけた相手に股間を蹴られ悶絶死した可能性が高い。
    ・福澤諭吉の『文明論之概略』の説から言うと江戸時代は「野蛮」に該当するらしい。しかし、「野蛮」な江戸時代は264年続き、「半開」から「文明」に達するはずだった明治以降の体制は77年で破産した。ここから「徳川の平和(パックス・トクガワーナ)」の持つ意味を改めて考える必要がある。
    ・明治直前の「倒幕の偽勅説」「考明天皇毒殺説」それぞれを検証してみると、明治維新を日本の夜明けと賛美する気にはなれない。
    ・幕末の江戸町奉行所の与力曰く「巨賊とか謀反人とには美男が多い」。
    ・幕末に新政府軍に立ち向かうために、自ら脱藩した藩主がいた。
    その名は、上総請西藩一万石の大名林昌之助(忠崇)。
    ・ただひとりの脱藩大名は、昭和(16年1月22日)まで生きた最後の大名でもあった。
    ・「義を見てせざるは勇無きなり」(論語)。
    ・徳川慶喜は明治以降も刺客の影に怯え続けたことは有名な話である。内側の敵に対してか。
    ・新撰組局長芹沢鴨は堂島において角力取を切り捨てたのは有名な話であるが、どうも真相は殴っただけのようである。これは、芹沢の日頃の評判や、そのときに一緒にいた永倉新八の晩年に記憶違いにより定説となったようだ。
    ・戊辰戦争の宇都宮戦争中に逃げようとした従者を司令官として決然と手討ちにした、土方歳三は、後日旧友と再会した際に目に涙と溜めて述懐した。
    「あの一兵卒は実に不憫である。どうかこれでこの日光へ墓石の一つも建ててくれ」。
    情義備えた人物のようだ。

  • 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

    保科正之が今の政治家だったら、今とは全く異なるいい社会になっていたんだろうなぁ。

    孝明天皇の毒殺説はよく聞くけど、確かにタイミングが良すぎる。明治維新は正しく伝わってないんだろうなぁ。

    松野主馬、大谷吉継、松平容保、新撰組の生き方は難しいことだけど、すごく共感できる。
    逆に関ヶ原の吉川広家や幕末の長州藩には全然いいイメージが湧かない。

  • 人物伝
    ただし有名人は少なめで
    歴史に詳しい人向けかなぁと思う。

    歴史を学べば学ぶほど、保守的な思考に陥りがちやけど
    一方で学ぶべきことは多いとは思う

    特に保科正之の項は読む価値あり。

  • 戦国時代から幕末維新まで、武士が武士らしく生きた時代を彩る人物群像を、資料の読み込みと偏見を排した視点から描く。 あまり知られていない人も含めて、範とすべき生き方をした人々、そしてダメな人もやはり多い。 歴史がもっと面白くなる論考集。 全体を貫いているテーマは、ひとはどのように生きれば美しいかを歴史に学ぶ、ということだと思う。

    第一部は、本のタイトルでもある、「名将がいて、愚者がいた」。 戦国から江戸期にかけての器量人と、それをとりまくダメだった人を取り上げる。 最初に俎上に載せるのは、織田信長と上杉謙信の先見性の比較。 「名奉行矢部定謙と「妖怪」鳥居耀蔵」に登場する矢部定謙など、地味だが高潔な一生を送った人を紹介し、一方で悪名を後世に残すことになった人物と対比する。

    第二部「乱世に生きる」では、歴史の謎や知られざる結末に光をあてる。 郡長正の短くも鮮烈な一生など、「名こそ惜しけれ」の価値観に殉じた人々を称揚する。 第三部は「新撰組の剣士たち」。芹沢鴨、土方歳三、斉藤一、島田魁が登場し、それぞれの個性に彩られたエピソードが語られる。

  • 日本史が面白くなる一冊です。有名な殿様、その下にいた有能・無能の家老たち。現代で見習いたい人たち、反面教師名人たち・・。いろいろです。

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著者プロフィール

中村彰彦

1949年、栃木県栃木市生まれ。東北大学文学部卒業後、文藝春秋に勤務。87年に『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。91年より執筆活動に専念し、93年に『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞、94年に『二つの山河』で第111回直木賞、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を受賞。また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞。小説に『鬼官兵衛烈風録』『名君の碑』『戦国はるかなれど』『疾風に折れぬ花あり』、評伝・歴史エッセイに『保科正之』『なぜ会津は希代の雄藩になったか』など多数。

「2020年 『その日なぜ信長は本能寺に泊まっていたのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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