千々にくだけて (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062761611

感想・レビュー・書評

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  • 万葉集を翻訳したときの衝撃はない。これぐらいの記述でなぜ大佛次郎賞をとれたのか疑問。

  • 「勿論、ドイツの言葉も歴史、文化も愛している。でもドイツには住めない。余りにも長く離れ過ぎた。」と、悲しそうな顔で、先生は在外独人教育の為、ボリビアへと去った。一方の私は生来のデラシネ気質故か、子供の頃から、国家とか宗教、アイデンティティが一体何を意味するのか理解できなかった。本を読み、頭では理解したつもりだが、未だに皮膚感覚としては分らない。越境作家と呼ばれる著者なら、何かを教えてくれるかと手に取る。誰でもない者として、どこでもない場所を彷徨歩く浮遊感は小説として素晴らしい。但、ここにも答えはなかった。


    『S大学を途中で退学して、翻訳家になって、両親の反対を押し切り、東京に定住した。定住してどれほど経っても、まわりからは「こちら」の人と見なされなかったが、アメリカにいる家族はいつの間にか「向う」の人となった。』  2012年07月16日

  • 表題を含む短編4作。9.11を日本に住居を構え日本語の作家として活躍する著者の目で語る自伝的作品として非常に稀有な内容。そこに秘められた想い、感じ方の表現は繊細であるため、恐らく一般的な日本人である自分には理解が出来なかった部分が相当にあると感じた。

  • 実験性と衝動の混じる作品だと思う。あとがきが事実を元にしているのであれば,「千々にくだけて」では9.11当時の心境を写生しようとした作品といえる。その時のエモーションを衝動として書き上げたノンフィクションを基調とするのだが,同時に日本語と英語を行き来する体験を文学世界に実験的に落とし込もうともしている。

  • 著者≒エドワードは、2000年9月11日にアメリカに向かっていた。しかし搭乗中の航空機で、機長がワールドトレードセンターへの攻撃を知らせる。

    The United has been a Victim.
    アメリカは被害者になりました

    カナダで足止めされた著者は、時間的にも存在的にも、宙に浮いたような数日間を送る。ホテルに設置されたテレビは、ニューヨークの惨状と嘆き悲しむ人々のすがたを伝える。

    Please Search my brother.
    あにきをさがしてください

    著者は、歴史的テロ事件について、英語と日本語の二つの言語で受け止める。二つの異なった衝撃を受け、二重の感想を持ち、主に日本語で考える。

    文章がのきれいな小説を読むと、真っ白い印象を受けることがある。「千々にくだけて」は特にそうだった。
    整理された文章が紙面を無駄なく感じさせるのに加えて、思想にナショナリズムが介在しない(できない)著者の立場的な空白が「白い」。

    このお話はテロ事件を中心としている。でもそれは一例でしかなく、多くの人々に対して、ある人には特別であり、ある人には特別でない事象がある。語り手のエドワードは、ニュースで流れる言葉を、まず英語で受け止め、次に日本語に書き換える。二層の意識を通し、9.11テロ事件はアメリカ人でも日本人でもない知覚に保管される。翻訳を通すことで言葉は減速され、その生々しいイメージはリアルタイムではエドワードの中に入ってこない。その変わりに、繰り返しや言い換えによる衝撃、驚きを受ける。読者はその文章を読むことで、英語と日本語の離れた二つの意識を寄り合わせる著者の追体験をする。

    この小説をどういうジャンルに分類するべきなのか、よくわからない。言語をテーマとした作品といえるのかもしれない。でも、なにより作者の意識に染み付いた乾いた哀しみが記憶に残る作品だった。

  • 千々にくだけてについて。
    主人公エドワードはヘビースモーカーのために、バンクーバー経由でニューヨークに帰ることにする。バンクーバー経由のほうが20分早く地上に降りることができるから。ニューヨークへ戻る岐路、少しずつ少しずつアメリカ人へと間隔をシフトしていた彼はバンクーバーの空港で足留めされる。アメリカが被害者になった。9.11だった。中途半端な場所で日本人でもない、アメリカ人でもない中途半端な存在になる。彼自身がつながることができたのは辛うじて電話線だけだ。電話の向こうにいるのはアメリカ人である母と妹。それから東京にいる静江。エドワードはどちらにもなりきれないままアイデンティティーは日本だと思う。

  • 9.11同時多発テロのとき、たまたまニューヨークに向かっていた作者は、中継地のカナダ・バンクーバーに足止めされたまま1週間ほどをすごすはめになる。その間の心象風景を坦々と静かな筆致で綴った作品。

    誰彼が発した、あるいは作者の心に浮かんだ英語のフレーズが頻繁に出てきて、その英語と日本語の差異を感じる著者のかすかな心の動きが何度も綴られている。あまりに非日常的な状況のなかで、おそらく著者が日常的に感じている言葉をめぐるかすかな違和感。カバージャケットに記されている英語は「broken, broken into thousands of pieces」。つまり「千々にくだけて」。崩落する世界貿易センタービルから破片や紙片が巻き散らされる模様を報じたテレビレポーターが発した言葉である。

    著者について
    1950年、アメリカ生まれ。ユダヤ系アメリカ人。父は東欧系ユダヤ人、母はポーランド人移民。母語ではない日本語で創作を続けている。現在、法政大学国際文化学部教授。”ヒデオ”は本名。父は外交官で、少年時代から台湾、香港、アメリカ、日本と移住を繰り返す。プリンストン大学東洋学専攻卒業、同大学院に学び、1978年、柿本人麻呂論で文学博士。プリンストン大学助教授ののち、スタンフォード大学准教授(テニュア付)を辞して、日本に渡る。『千々にくだけて』で大佛次郎賞。(Wikipediaより抜粋)

  • ある意味、とても厳密で正確な言葉と、言葉そのものの描写に衝撃を受けた。あらゆる細部の表現にいちいち関心してしまった。例えば、「千々にくだけて」におけるバンクーバーの描写などは、アメリカ人が日本語で書くのでなければありえないような感じがした。外国で長く暮らすと、感覚や感性や感情さえもが、母国語で母国に暮らすのとは違ってくる。これはそういう所にある文学なんだろう。
    日本語でこの本が読めて嬉しい。

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  • 2011/2/11購入

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著者プロフィール

リービ英雄(1950・11・29~)小説家。アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。少年時代を台湾、香港で過ごす。プリンストン大学とスタンフォード大学で日本文学の教鞭を執り、『万葉集』の英訳により全米図書賞を受賞。1989年から日本に定住。1987年、「群像」に「星条旗の聞えない部屋」を発表し小説家としてデビュー。1992年に作品集『星条旗の聞こえない部屋』で野間文芸新人賞を受賞し、西洋人で初の日本文学作家として注目を浴びる。2005年『千々にくだけて』で大佛次郎賞、2009年『仮の水』で伊藤整文学賞 、2016年『模範郷』で読売文学賞、2021年『天路』で野間文芸賞を受賞。法政大学名誉教授。

「2023年 『日本語の勝利/アイデンティティーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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