新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 2726
レビュー : 251
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062763479

感想・レビュー・書評

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  • タイトルから清々しい青春小説だと思って初めて読んだ高校時代。しかし、読み始めると青春なんてどこにもなかった。

    読んでいるだけで気持ち悪くなって、クスリに溺れているような感覚になったが、ページをめくる手は止まらなかった。今まで読んだ中で最も衝撃的だった本で、文章だけでこんな感覚が味わえるんだと感動した。退廃的な情景を生々しく浮かび上がらせる文章。読む側の心を蝕む毒のような文章。中毒になって何度も読み返すことになるだろう。

    私の純文学の入門書。そして、実は村上龍は私の高校のOBである。

  •  こないだ頭の上を戦闘機が3機飛んでいった。それでこの小説の感想を書いてないことをようやく思い出した。

     村上龍の作品は、毀誉褒貶が激しいものが多いようだ。デビュー作であるこの『限りなく透明に近いブルー』もそうだろう。暴力、ドラッグ、セックス、それらが生々しく、しかも冷静に描写され、読者は否応なしにそれらを追体験させられる。それをすごい文章力だと受け取る人と、ただ嫌悪感を示す人とに分かれるためだろうと思う。

     たしかに、この作品は一見悪趣味の見本市みたいな小説だ。
     ドラッグに溺れ、乱交を繰り返す若者たち。それは、彼ら自身が選んだ行為であるはずだ。
     若い人は、往々にして刹那的だ。「いまがよければ、それでいい」ということなのだろう。
     だけど、ここに描かれている若者たちは、どこか苦しそうで、誰も幸せそうにはみえない。
     なぜこんなに苦しそうなのだろう、と思う。
     そして、なぜこんなに苦しそうなのに、誰も死なないのだろう、と思う。

     ヨシヤマは手首を切って自殺を図る。
     リリーもリュウも、殺してくれと叫ぶ。
     しかし誰も死なない。死ねないし、殺せない。いみじくもヨシヤマを診察した医者は言った、「人間ってのは死なないように、からだがうまくできてんだもん」と。
     彼らは生きている。ときには人形みたいだ、と言われることもあるが、実際にはみんな人間で、生きているのだ。

     彼らが苦しいのは、生きているからだ。
     死ねたらどんなに楽か知れないが、ともかくそう簡単に人間は死なない。だから苦しまなければならない。
     だけど、生きているうちは、「世界はまだ俺の下にある」のだ。
     陳腐な言い方だけど、生きているからこそ、苦しみと絶望がある。そして、喜びと希望がある。
     「限りなく透明に近いブルー」は、その苦しみを苦しみぬいた人にだけ見ることができる、美しい色だ。その人とはリュウのことでもあり、最後まで読みきった読者のことでもある。
     結構な忍耐を強いられる作品だけど、この作品を手に取った人には、ぜひ最後まで読んでほしい。

  • この小説を完全に理解できたとは思えないが、印象に残る作品。ストーリーに魅せられているわけではないのに、ページを繰る手が止まらない。そういったものを、最近尊く感じる期間な気がする。
    退廃的な雰囲気の蔓延した、非常に狭い世界で、限られた人間たちが出口のないところを彷徨っている。主人公は、その世界の内部にいながらも、彼にだけは遠くの限りなく透明に近いブルーの救いが、チラチラと見えている。傷ついて傷ついて、ボロボロだからこそ見えるものだという描かれ方。あんなに美しいものが本当にあるのだろうか? ボロボロにならないと、見えない?

  • メスカリンドライブ。
    人は何故ジャンキーに魅了されるんだろう。
    オレの心の中のベタついたものがサッと気化され消えるように綺麗な菱形の一片となってポツとやさしく倒立して残ったネ。
    大学一年

  • 読み切るのに覚悟を要する作品だった。途中、どうしてこれが名著として選ばれているのだろう、ただ気持ち悪い、描写が気持ち悪いだけでなく登場人物達の生きている世界をこれ以上見ていたくないという嫌悪感に侵されて本を閉じた。それだけの強い感情を読者に想起させるのだから確かに優れた作品であるけど…、それに嫌悪しながらもこの世界観に魅力を感じている自分もいて、そこから目を背けたくなった。
    本を閉じてから半年、なんとなく手にとって続きを読んだ。以前読んだ時よりもずっと素直に文章が自分の中に入ってきて、読み終えて傑作だなぁと思った。痛みを痛みとしてごまかさずに受け取るとこんなふうになってしまうのかもしれない。目を背けずに描写を続ける、誇張もなくただそのまま。そこに希望はない。しかし限りなく透明に近いブルーはある。

    巻末の綿矢りささんの解説が秀逸です。

  • 気持ち悪かった。滅茶苦茶に気持ち悪かった。内容が暴力的で、卑猥で、汚らしくて、そしてそれが主人公の無機質なのに真に迫る独特の語り口でリアルに迫ってきて、それが何より気持ち悪かった。何度も途中でページを繰る指を止めさせられた。文章だけでこれだけ読み手を揺さぶる事が出来るのか、と言うのはある種の感動であり、少しだけ畏怖を含んでいたかもしれない。ぞっとするような、ゾクゾクとするような描写。自分では絶対に思いつかない、どうしてそんなにピッタリの表現を見つけられたのだろう?というような描写があった。絶対に思いつかないほど奇怪なのに、それが何よりしっくり来てしまうことがまた不気味だった。

  • リュウは底の底まで堕ちていってしまった。そこで彼が見た限りなく透明に近いブルーは、私の心にまで染みわたっている。言いようのない安心感に、なぜか包まれたような気がした。

  • 主人公リュウの傍観者としての視点は、しつこいまでの描写である。臭い、色、痛みがリアルに伝わってくる。

  • 何年かぶりに再読。何度読んでも面白い。
    ずっとラリってる感じ。

  •  とにかく「奇妙である」としか表現のしようがないという、絶望感のようなものに襲われる作品だ。
     何より、多くの文芸作品に見られるような起承転結や序破急のようなものが、ほとんど見えてこない。ページの切れ目という形式的・物理的な終幕によって、半ば唐突に話は途切れる。それはストーリーにさえなっていない。単なる描写に過ぎない、とまで思う。彼らが集う米軍ハウスやクラブなどで延々と繰り広げられる、ドラッグとセックス、暴力の応酬。「どこを切っても同じ味がする」と当時の選評委員の一人は評したようだが、その通りの読後感である。味のなくなったガムを、吐き出すタイミングも失い、延々と咀嚼し続けるようなものだ。全くおいしくはない(面白くはない)。
     もしストーリーがあるとしたら、それは主人公のリュウが次第に「鳥」の存在に捉われていく、その過程にあるといえるだろう。自分の都市をつくりあげたものの、それは巨大な黒い鳥によって破壊され、自分自身もその中に取り込まれてしまう。破片を自らの腕に突き刺して実感した生は、この鳥の中から逃れることはできない。一方で悲劇であるが、延々と続きかけた日常にさした、光明のようでもある。
     この作品、「不安定な世相にありながら物事を冷めた目線で見つめるのが、現代の青年なのだろう」と、初出当時は若者談義のタネにもなったようだ。世間が成人の日であるところでこの評を書いているが、「若者は内向きで、もっと世界や対人関係に開いていけ」と今年も何やら喧しい。若者が世間にとって絶対的にエイリアンであることは、やはりこの当時も今も変わってはいないようだ。しかし同時に、作品でのリュウの姿はあまりに脆く「透明に近い」ものであり、エイリアン仲間であったはずの私も既にそこから遠く離れてしまったように思う。それだけにリュウはやはり稀有な存在であり、一方で私の「原初」としていつでも回帰したい像である。

著者プロフィール

1952年長崎県生まれ。76年に『限りなく透明に近いブルー』(第75回芥川賞受賞)でデビュー。2003年には、514の職業を紹介した『13歳のハローワーク』が125万部を超えるベストセラーに。財政破綻した近未来日本を舞台にした『半島を出よ』(05年)では野間文芸賞を受賞。10年には『歌うクジラ』(毎日芸術賞)を電子書籍として刊行。 近著に『55歳からのハローライフ』、『オールドテロリスト』などがある。16年に『日本の伝統行事 Japanese Traditional Events』を刊行。

「2018年 『収録を終えて、こんなことを考えた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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