下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 300
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062763998

作品紹介・あらすじ

なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか?「格差」の正体とは何か?目からウロコの教育論、ついに文庫化。「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。

感想・レビュー・書評

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  • 子供が教育の場で消費主体として自己確立している、という視点が新鮮だった。学生が消費者化しているという説は今では定着した感があるが、私は、それは本質的には「授業料」という対価を払う親が消費者化しているのであり、子供は「虎の威を借る狐」として威張っているだけだと思っていた。

    だが著者は、そうではなく、子供が消費「主体」として教育に臨んでいるのだと述べる。つまり、子供は自分を「狐」ではなく「虎」だと思っているわけだ。何故か。今の子供は、手伝いという労働より、買い物という消費活動を先に体験するからだという。大人が持っていても子供が持っていても、お金の価値は変わらない。消費者という立場を取る限り大人と同じ力を行使できると気づいた子供は、教室でも消費者という有利な立場を確立しようとする。彼らが支払うのは「不快」という対価である。「君の提供する教育サービスが気に入ったら我慢して聞いてあげる」という感覚で「勉強が何の役に立つの?」と聞いてくる。

    己の成長に必須の水を、養分を、その本来の価値からすれば殆ど無償で提供しようという人に向かって、その言い草は何事か。だが著者は、子供自身は大真面目なのだと強調する。賢明な消費者は、商品の購入の前にスペックを確認する。意味不明な商品を言い値で買ったりしない。個人は「自己責任」で自らの判断に基づいて「自己決定」する、それが健全な姿である。子供といえども一人の人間なのだから、教育を受けるかどうかは「自己責任」で自らの判断に基づいて「自己決定」しなければならない。意味不明な勉強はしない、それが賢明かつ健全な判断である。子供はそう考えているのではないかと著者は分析する。

    これは、「学び」を語る上で外せない「時間性」という性質を見落とした大人の誤算である、と著者は指摘する。曰く、学んだ後に初めて意味がわかるのが本当の学びなのだから。学びの前後で別人になる、価値観すなわち判断基準が変わる、その動的プロセスが学びの本質である。「何の役に立つの?」と問う、その事実こそ子供が学ばなければならない理由なのである。

    ところが、消費主体として自己確立した子供に、この論理は通用しない。自己決定する主体の判断基準は変化しない、というのが消費者としての大前提だからだ。然るべき時期に学ばなかったツケは自己責任として未来の自分に回ってくるのだが、無時間モデルを採用した子供に、この皮肉は理解できない。「賢い消費者」として、無限の可能性を自ら閉ざす自分に誇りさえ抱きながら、階層という坂を一直線に転げ落ちていく。

    このアイロニーを是正するには、著者のいう通り、市場原理で人生を語るのを止めるしかないのだろう。ありえない問いは断固として斥ける、私もこれが正解だと思う。それでもなお返答を迫られるとすれば、「何の役に立つの?」という問いの答えは、「何の役に立つと思う?」という問いの形をとるしかないのではないか。「学びとは何か?」という根源的な問いには、子供にも分かる形で一言で答えることなどできない。問いを発した者が自分で答えを見つけるしかないという類の問いも、この世にはあるのだ。その問いの答えを見つけるために学ぶのだと、時間変数を織り込んで学びへと誘導するしかないのだろう。言うは易しで、子供がそれで納得するとも思えないが、少なくとも「良い会社に入れる」のような答えで、子供から納得どころか軽蔑を引き出すよりマシだろう。

    私の学生時代の先生は「教育とは火をつけて燃やすことだ。教えを乞うとは燃やされることだ」と仰っていた(正確には私の先生の、そのまた先生の言葉である)。炎を次々リレーしていくこと、パスしていくことが教育なのだろうと私も思う。私の子供はまだ言葉を解せないほど幼いが、私が先達から託された炎をいつかちゃんとパスできるように、一人で世界と対峙しなければならないのではなく、過去から未来へ向かう流れの中に既に繋がっているのだと伝えられるように、切に願う。

  • 『学ばない子どもたち、働かない若者たち』
    の背景を かなり理解できた。
    その現象は 中国にもあるなぁ と感じた。
    私は 中国人のもつ向銭主義だと 
    理解していたが、どうも違うところがあると
    納得できない部分だった。

    『消費体験→消費主体』が先にあり、
    『労働体験→労働主体』が 後にあることで、
    『等価交換』という仕組みにならされることで、
    学ぶことを 『何のために必要ですか?』と
    問いかけてしまう ことから、学ぶことの無意味を
    理解してしまった。ということが、
    内田樹の『仮説』であり、今の状況を説明可能だと思った。

    家事労働の需要性、どんどんと家事労働がなくなったこと。
    父親の職場が 理解できないこと。
    そして、不機嫌がお互いの等価交換となっている。
    家族は 『不機嫌』であることを 競い合う。

    『知らないことを読み飛ばしていく』
    『知らないことを知ろうとしない』
    今まで、『無関心』ということがなぜ起こるのか?
    ということに対しての 氷解があった。
    確かに、知ろうとしない ところがあり、関心がないで終っている。
    情報の洪水の中で、自分の好きなことだけ、見ていると
    結局は『無関心』になるのだねと思った。
    なんにでも 食いついていく 私の好奇心とは違うようだ。
    『ニート•ひきこもり』が 省エネルギー生活だというのは、
    確かに、そうかもしれない。
    しかし、なぜか 恐ろしい時代が来ているような感じがする。

    ニートが 増殖するひとつの要因に 『自己責任 自己決定』ということがある。
    それを 「ニートになったやつは自己責任だから、勝手に飢え死にしろ」
    ということで、ますます 増殖する。
    一人では成り立たない社会である認識をつくれるようにする。
    内田樹は『ニートを孤立させてはならない』と言う。

    学ぶ意味をなくすことで、働く意味もなくしてしまうというのは、
    マイナススパイラルの 人生になっている。
    負担が大きくなったり、責任が重くなったりすれば、
    そこから、逃げていくというのも、ひとつの現象なのだ。
    それが、なぜなのか?と思っていたが、
    そんな根底的なところから、問いかけられていることに
    すこし、絶句しなければならない。

    中国における一人っ子政策において、
    子供への負担が多すぎる。かなりの詰め込み教育の中で、
    とにかく宿題が多い、落ちこぼれ現象が 生まれている。
    親は 熱心であるが、
    それが 更に子供へのプレッシャーになっている。
    これが 学ぶことへの逃亡をうみだすきっかけににもなる。

    確かに 学ばない学生がいて、働かない人がいる。
    その現実をどう変えるのか?
    とにかく、仮説を 実証することから始めなくては行けない。
    教育は、『等価交換』ではないという認識と実践。
    時間的視点でモノを見る ことの実証的な方法論が 必要だ。
    何れにしても 消費主体 であるものを 労働主体 にかえる。
    何か、雲をつかむような むつかしさが 横たわっている。 

  • 2014.10.20 ~P.59

    学校教育が何の役に立つか。この難問に対して己の回答を見つける過程の履歴こそが学歴の本質である。自分で勉学に対し前向きな目的根拠を持つ事。学びの中でしか人生は存在しない事が見えてくる筈だ。

    2015/06/27 読了

    現在、教育や労働から逃走中である社会的に弱者とみなされた集団に私自身も属している事もあって、本書に書かれた内容に予想外だが啓発された部分はかなり大きい。今やっている事に何の意味があるかと自問を繰り返し、やってる事に対する報酬が割に合わないとか、誰も俺を理解してくれようとしないと不満を募らせたり、結局、自分はユートピア主義だっただけなんだと見透かされているようで、天地が開闢するような視点の逆転を体験した。人との関わりは確かに煩わしいし、自分のやりたい事の障害にしか思われない部分もあるけれど、人と関わることで生き死にに関わる危険リスクをヘッジ(回避)できたり、思わぬ励ましやヘルプを差し出して貰える事も、大いにあるのではないか。助け助けられる相互扶助的な関係を作れるのは生活個人ではなく社会集団においてでしかない。

    尊敬できる人間を身近に持つ必要性と重なってくるが、等価交換を人間関係に適用したりすると全ての関係は破綻するし、何故に尊敬するかと云う基準さえ本当は必要ではなく、これまでの人間が歩んだ歴史に対して頭を下げるのであっても良い訳だ。自分の殻に閉じこもる事のリスクは、人から伝えられるものの素晴らしさを味わえない事が一番大きいのではないだろうか。どんなに引き籠もりをしようとしても、誰かが用意してくれた揺り籠の中でジッとしてる以外に居場所はなく、誰かに迷惑を掛けている自分を何処かで必ず認めなくてはならなくなる。勿論、人と関わることで嫌な経験を堪え忍ばねばならぬ時もあるだろうし、対外的な危険度はそれなりに高まる事はやむを得ない。それでも、人との中でしか、何かを作り上げたり、育てていく事ができないとすれば、自分自身を行動する主体として、世の中に対して立ち上げる意義は大きいのだと思われる。

    たった短い期間であれ社会の中で働ければ、働く者としての悩みや苦労も味わえるだろうし、そこで自分の声を上げる機会だって巡ってくるに違いない。ネットに文章をアップする事は誰にも阻害されない点でコミュニケーションとは呼べないのではないか。社会の只中に身を置いて、行動しながら発言していく事にこそ本物のコミュニケーションがある。勿論、組織の中に停滞する硬直した習慣の押し付けや有無を云わさぬ不条理な業務命令も横行しているし、現場の地獄を嫌ほど味わう事になるかもしれない。しかし、自分の真の声を、巡り巡ってきた何処かのチャンスで発信し、社会にまかり通っているおかしい何かを改善させる事に繋がれば、立派な社会行動だと認められるだろう。その意味でも、私も何らかの形で社会復帰して、様々に被ってきた恩を少しずつ返したいと思っている。

    決して、働いたり学んだりする事から自分を完全に切り離してしまってはならない。本書からは、そのような強いメッセージを受け取った。まだ、人生はこれから。希望や勇気を沢山この本から頂いた。だから、自分が弱っていると思っている方々には本書を紐解いてみて欲しい。そして、再び停滞した孤立状態から一歩でも歩み出せる事を期待している。弱い者同士は連携し合わねばならない。社会に立ち向かっていく為の基礎を共に築かなければならない、そのように私自身は考える。自分の殻に閉じこもるのは、本当に危険なのです。行動しながら幾らでも自分のことは考えられるし、次の一手を打たねばリスクは再び我らを襲うでしょう。連帯こそが社会の中で一番の武器になります。まずは、自分に出来る事で誰かを救ってあげましょう。その為には、日頃から必死に社会と自分自身の現状や問題点を考え続けなければなりません。冷静になって思考を重ねられる安全な環境をいち早く構築しましょう。まだ言い残している事は沢山あるだろうけれど、いま述べられる私の考えは、以上になります。

  • 自分の『無知』に頭の真がしびれるような感覚。頭のイイ人に合った時の衝撃と同じものを、この本から受けました。

    内田さんのツイートや、ブログは時々拝見してましたが著書を読んだ事が無く、たまたま平積だった本書を手に取りました。

    今の子供たち。学級崩壊やニートも問題について、内田さんなりの仮説を説いています。
    仮説ではありますが、裏付けられたデータがある。恥ずかしながら、驚くことが多かった。

    私達世代の常識としては、日本の子供は学力が高く先進国の中でも上位1~2位に位置と言う事。それが今では・・・
    数年前、GNPが中国に抜かれたと言うニュースを聞いて驚きましたが、そんなレベルの話じゃない。
     しかもそれが問題視されていない・・・知らないと言うのは怖い事です。

  • やや断定的な主張が目立つものの,初めて触れた考え方に「なるほど」と思ったところも多々あった。

    中でも,学びからの逃走・労働からの逃走が「等価交換」の意識からくるものだという主張は自分にとって新鮮だった。

    勉強をさせられる「苦役」を代価としてその教育サービスから得られるもの問う。
    「それは何の役に立つんですか?」

    仕事で得られる給料が自分の払った時間・作業量に見合わない,または,仕事内容が自分の持つ能力に見合っていないという文句。
    「給料が安いからここでは働きたくない」
    「よりクリエイティヴで,やりがいのある仕事をしたい」


    「学びというのは,(略)学び終えた時点ではじめて自分が何を学んだのかを理解するレベルに達する」

    何かを学んで,それが何の役に立つのかは実際に学んでみないと分からない。勉強の「苦役」に対して対価が支払われるのにはタイムラグが生じる。仕事にしても,実力が評価されて給料アップに繋がるまでには時間を有する。我々は消費主義における”無時間的な等価交換”に親しみすぎたのかもしれない。


    本書のもとになった講演がもう10年以上前だというにもかかわらず,
    今でも著者の主張に唸らされるのはどういうことだろうか。
    学び・労働という問題にタイムリーに直面している今の時期だからこそ,
    よく考えていきたいテーマである。

  • 最初の方は筆者の言っていることは正しいのかと思ったが…小学生が不快を貨幣と考えて授業を受けない、というのはまったく共感できない。殆どの小学生は教育を受けるのが権利か義務か?ということだって考えないでしょ。それで教育は権利だから勉強しないのはこちらの自由と考える小学生なんて本当にいるの?そんな小難しいこと考えないでしょ。ただ勉強が嫌いなだけ。それをビジネスモデルに当てはめてめちゃくちゃな分析をしている。てんで的外れな主張。この授業は10分しか聞く価値がないから残りの40分は授業を聞かないという小学生なんて絶対にいない。努力してサボっているとか本気で信じているのだろうか?さらに家族内でも誰が一番不快に耐えているのかを競っている、なんてバカバカしいにもほどがある。リスクヘッジとか贈与と交換とか納得できない話ばかり。理論ばかり先行して現状、生身の人間をまったく考えていない、考えられないという感じ。なんで何もかも経済に当てはめられると思うんだろうか。

  • 内田樹さんの著書は初めてだったが、とても多白かった。なぜ若者は勉強や仕事をしたがらないのか、ゆとり制度の弊害とか、親の経済的な理由とか、いろいろ言われている中で一つもピンと来なかったが、この解説は腹に落ちた。人間にはわからないことの先送りという能力が備わっているが、最近の若者はこの先送りを大量に行っていること、またそのことを無かったことにしていること。6ポケットで育った子供たちは、労働主体ではなく消費主体の人格が小さな頃から備わっているので、教育にしても労働にしても金銭価値に置き換えて考えるようになっている。ゆえに、なぜ勉強しなければならないのか(=それは何の価値があるのか。実は「価値がない」と思っているけどねの裏返し)、一生懸命労働したところで低賃金で苦しい生活が見えているのになぜ働くのか、という基準で判断する。同時に、親や社会の言いなりにならず、自分で判断できる人は自立した人であるとか、先のことはわからないから今を楽しもうという人はカッコイイという価値基準を持っているので、いくら努力を訴えたり、将来のリスクやリターンを語っても効果がない、など。

    自分を振り返り、乱読していて思うのは、自分が知らないことは価値がわからないということ。わからないのに「価値がない」などと判断することは恐ろしい。知らない人と話したり、知らない土地に出かけたり、異なる価値観に触れてみたり、芸術、スポーツ、歴史、ビジネス、なんでもそうだと思うんだけど、知ることで成長するし、同時にリスクをヘッジできることになる。これこそが学びだと思うなあ。

  • 下流志向

    内田樹14冊目

    今回は主に教育論・労働論。
    ・学び
    学びとはそれらのものが役に立つかまだ知らず、自分の度量衡では価値が図れないものを得ようとする、もしくは価値が分かるようになるということなのである。しかしながら、現在の子供は「これは何の役に立つんですか」という問いをはじめ、ビジネスマインデットに学びを考える。何の役に立つのかを知るために学ぶのだから、わかるはずないし、その答えは受け手の数だけある。そして、学びとは、母語の習得からわかるように、すでに遅れている状態からはじまり、何のことかわからないながらも聞いているうちに、あるパターンが導き出され、意味のある記号に変わり始めていくというものなのである。そもそもどうしてこのような子供が増えたかといえば、自らを労働主体としてではなく、消費主体として形成したからであるというのが内田の論旨である。つまりどういうことかというと、消費主体としての自己は、お金の透明性により、主体が何であれ一人の自己として認められる。つまり、買い手として、商品の価値を決める(知っている)という状態が骨身にしみついてしまい、自分の価値のわからないはずのものにも、あたかもわかるように接し、値踏みするようになる。消費は、自分が買う瞬間とそれを使うときの価値の変化を意図的に無化している活動なのであるという点で、無時間的な行動だが、子供はその習慣により、学び始めたときと学び終えたときの自分が変化しないというルールに自ら縛られている。
    ・共同体
    自立とは、属人的な性格ではなく、その人の判断や言動が適切であることが確証されたときに周りから補助や連帯を頼まれるということであり、集団的経験を通じて事後的に獲得されるものである。これに対し、今の日本は、だれにも頼られず、だれも頼らない自立した自己を美徳とする節があるが、これはリスクヘッジが全くなっていない。
    なぜリスクヘッジしないかと言われれば、損失が目に見えないからである。自分が何かすることで集団にプラスになり、自分にとってもプラスになることはやるが、誰かがやらないと集団にとって、ひいては自分にとってマイナスになることをやる人がいま、いない。プラスはわかりやすいが、マイナスは可視化しにくい。マイナスを可視化し、それを防ぎ、維持のためにコストをかけられる人が、集団の中で必要とされる自立した人間である。このように、マイナスを可視化できないのは、企業の評価において、30年間つぶれなかったことよりも、1年間で何%収益を上げたかということの方が評価される傾向があるからである。維持のためのコストと、リスクヘッジ。ビジネスマインデッドならわかるはずのことが消費主体として生きる人にはわからない。むろん、だれにとっても正しい選択をするに越したことはないが、それを決めるコストの方が高くつく場合が多い。最高の2時間の映画をゲオで探しているうちに2時間探し続けてしまったという本末転倒な事態が起こるのなら、初めからそれなりに面白い映画を借りて2時間見るほうがよい。今の日本には、「それなり」がなかなかできない。これはとてもうなずける。バレーでも、どのフォーメーションも完ぺきではない。グダグダ話さずに、欠点を認めつつそれなりでやっていくうちに、うまくまとまっていくものではないか。

    ・師
    師を持っている人が、師となれる。自分が師を超えたと思った瞬間に人の成長は止まる。逆に、自分はまだまだこの人には勝てないなと思っている間は何歳でも生き生きと成長できる。もともと、師弟関係でも、師は体力的に老いるし、弟子の方が強いということはかなりありうる話である。しかしながら、弟子は師を尊敬し、いうことを聞く。それが学ぶということで最も大事なことである。弟子がなぜ師を尊敬するかは単純な問題であり、それは師が自分の師を尊敬している姿を知っているからである。尊敬しているという行為を教えられなくても、師が身をもって行うことで、弟子はそれに倣う。数学者の藤原正彦さんの本に書いてあったが、数学者が育ちやすい地域の特徴に、宗教的でもなんでも何かを崇拝するということがあるという。絶対的なものに対し、ひれ伏し、自分はまだまだだと思っているうちは自分でも驚くほどに成長できるのである。ニュートンは神の存在を信じ、神の摂理を証明するために科学を研究したといわれるが、かつての西洋にもビジネスマインデッドではなく、何かをひたすらに尊敬して、謙虚でいる文化は十分にあった。

    少々拡大解釈したがこんなところ。

  • 論旨がはっきりしていて、非常に参考になった。
    子どもたちは消費者としてのアイデンティティを持ってしまったがために教育を等価交換で得ようとする。等価交換というのは無時間モデルであり、それを行っている過程では、消費主体は決して変化してはならない。教育や労働でのリターンはあとからやってくるのだが、その時間のズレに耐えられなくなっている。学びからの逃走、労働からの逃走とはおのれの無知に固着する欲望である。

  • 学びからの逃走、労働からの逃走というのが本書のテーマになっている。けれども、もちろん全ての子どもたちが学びから逃走しようとしているわけではない。「相対性理論てなに?」ときいてきた中3男子がいた。しばらくすると、今度は「いま相対性理論の本を読んでいる。お父さんが持っていた。」という。私もついつい付き合って、光速に近づくと・・・とか、太陽の重力で光が曲げられ・・・などという話になってしまった。(学生時代に一応半年間講義を受けたはずだけれども、いま話ができるのはこの程度のレベルだ。)あまり、勉強が好きそうでない中2女子。休み時間に本を読んでいるのでのぞきこむと、「変身」東野圭吾ではなくカフカだ。「へー、そんな本読むんだ。おもしろい?」「私こういう話好き。」それらは、ちょっと特殊なケースかもしれない。もっと、ふつうに一生懸命勉強をする生徒がいる。学校が休みの日など、早くから出てきてずっと自習している。ときどき質問に来る。一人はちょっとドキッとするような難しい問題、もう一人は「まだこれわかってないの・・・」というレベル。いずれにしても、どうも学ぶことが楽しいようだ。たまたま私のところに来ている生徒がそうだということではないだろう。もちろん、授業を苦痛としか感じていない子どももいるに違いない。けれど、決してそれで全てを語りつくしたことにはならない。最近の中学生も捨てたものではない。大部分で確かにそうだなあと納得しながら、一部分ではいやいやそんなこともないよ、などと感じながら本書を読みました。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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