- 講談社 (2009年8月12日発売)
本棚登録 : 1851人
感想 : 122件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (152ページ) / ISBN・EAN: 9784062764483
作品紹介・あらすじ
人間は遊ぶために生きている!
学校なんか行かなくたっていい。うそをついてもいい。クジラは魚だ。地球は丸くない。……ぼくの家の猫のペネトレは、そんな普通じゃないことばかり言う。でも考えてみると、ペネトレの言うことの方が正しいんじゃないかって気がしてくる……。子どもも大人も考え方が変わる、ペネトレとぼくの40の対話。
※本書は1997年7月、小社より単行本として刊行されました。
感想・レビュー・書評
-
子どものためと言いながら、やはり哲学はむつかしい。
クラシック音楽の好きなひとの間では、モーツアルトが好きな人もいれば、ベートーベンが好きな人もいる。同じベートーベンが好きな人のなかでも、交響曲がこの人がいれば、ピアノソナタを好む人もいる。指揮でも、カラヤンが良いという人も、フルトベングラーが良いという人もいる。
でも、これって私がクラシックが好きなだけに違いは何となく分かります。でも哲学について、表面的にも興味が沸かないのは、私が哲学人間でない証拠、哲学的思考回路になてえいないということ。
恥ずかしながら、子供のための哲学書でありながら、思い知らされましたな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「子どものための〜」というタイトル通り難しい言葉は出てこないし易しい言葉で書かれているけれども、ホッブズの社会契約論の話やニーチェ、スピノザ、カント、、、などの考えがベースにある話で構成されていて、大人もちゃんと読めばなかなか読み応えがある!面白い!
-
薄いけど、ちゃんと哲学していた気がします。
クジラは魚か、哺乳類のくだり、どこかで似たようなくだりを見たな、と思って数秒考え、「あ!葬送のフリーレンだ!」と思い出せました。収斂進化。本筋とは関係ないけど、記憶力が仕事をしてくれた。
本筋に戻ると、記憶が人を人たらしめるのではないのかな、と思いました。 -
たいてい本はその大筋を掴む意味で後書きを先に読んでしまいます。が、読んで??? 本文も大まかに8割程度は理解できませんでした(泣)。こういう哲学的思考から離れてしまった哀しさを思いました。文中にあった(p127)“問いそのものを自分で立てて、自分のやりかたで、勝手に考えていく”そんな思考を自由に解放する余裕を持ちたいと思いました。ボーッとする時間自体も減ってしまった今。かと言って、最先端のツールを自由に使いこなせてもいない自分。なんとなく中途半端な孤独感を感じてしまいました。再読候補作です。
-
さまざまな問いが投げかけられているが、この本にその答えは書いていない。どのように考え、哲学するかを導いてくれる本。
-
善人か悪人かではなく、自分で自分を満足させられるか否かが重要?
神は「自分」という人間を作り出せない?
などなど、難解で深い問題を、子どもの「ぼく」に、ペネトレという名の飼い猫が教える哲学の本。
子どもが読めるよう簡単な言葉で書かれていて、対話形式で短いのですぐ読み終えられるが、議論が尽くされていないように見えるところはすべて、読者が自分自身で考えるように残されていて、何度も繰り返し読むことで真価がわかる本なのだと思う(なかなかそういう時間は取れませんが…哲学に対してそれではダメですね)。
-
子どものための本だけあって、分かりやすかった。猫のペネトレと僕との対話で話が進む。「クジラは魚か?」とか「地球は丸いか?」など、普段はあまり考えないことを深く考えることができて、楽しかった。
-
タイトルに「子供のため」とあり、対話形式で読みやすく書かれてはいますが、大人が読んでも正直よくわからない所は多いです。(自分だけ?)
明確に「著者が言いたいことはこれだ!」と掴めないと、すっきりしない人にはモヤモヤしてしまうかもしれません。
本文の一節に「ニュートンは新しい物を見つけたわけじゃないんだ。新しい物の見かたをしただけなんだよ。」とありますが、本書の魅力もそういった「新しい物の見かた」が詰まっている点にあると思います。
考えの収束点としての「答え」より、動的に「考え続けること」の面白さを学ぶには良いです。 -
あさイチで、川上未映子さんが紹介されてたのをきっかけに購入。
平易な文章で、ページ数も少ないんだけど、これを「読み終わった」と言える日はくるのか?
死ぬまでにある程度理解できたらいいな、と思うくらいあらゆることが詰め込まれていた。
・困ってる人を助けてはいけない?
体験してない苦しみに共感することは、それをエンタメ的に消費することと紙一重だと思うので、頷きながら読んだ。
当事者と自分との断絶を無視して、分かるよ同じだよ、と言えてしまう人は信用したくない。
・元気が出ないとき、どうしたらいいか?
楽しいことは、それ自体で満ち足りているから忘れても平気。
嫌なことは、忘れることで自分にとって重大な何かが失われてしまう気がするから、何度も反芻してしまう。
たしかに…。嫌な記憶に何年もこだわり続けてしまうのは、そこに自分の核だったり、譲れないものがあるからかも。
そう考えると、自分とは何かを考えるヒントがそこにある気がしてくる。
・「強さ」について
失敗を重ねてばかりでも大丈夫、ここぞというときに決められたらいい。って番組内で川上さんが仰っていたのは、この章からきてるのかなと思った。
ネアカとネクラ、上品と下品についての記述を読んで、昔何かのインタビューで、蒼井優さんが「自分の人生に集中してる人が好き」と言っていたのを思い出した。
人間として正しい姿はそれだ、と感じつつ、自分からは程遠いので印象に残っていたのだ。
ネクラで下品な人には、借り物でいいから理想を設定することが必要だと本には書かれていたが、悲しいかなそれが難しい。
満たされてるわけじゃないけど、ただ日々を過ごす以上のことができない。
折に触れてまた読み返しつつ考えたいと思う。 -
-
2015/04/21
-
>だいさん。中学生くらいを念頭においた執筆のようです。解説によると、ニーチェ・スピノザ・カント・ホッブス・ウィトゲンシュタインなどの考え方も...>だいさん。中学生くらいを念頭においた執筆のようです。解説によると、ニーチェ・スピノザ・カント・ホッブス・ウィトゲンシュタインなどの考え方も噛み砕いて触れているようです。抽象的でわかるようなわからないような…。子どもでも読める子には読める(読めない子も多そう)という感じでした(笑)2015/04/21 -
ありがとうございます。
哲学に「すぅ~と」入っていけるなら、いいですね。大人になると、難しく考えて、敷居が高くなっちゃうじゃないですか?
...ありがとうございます。
哲学に「すぅ~と」入っていけるなら、いいですね。大人になると、難しく考えて、敷居が高くなっちゃうじゃないですか?
純粋に、『考えること』が、年とともにできなっくなった、と思ってます。2015/04/22
-
-
-
今までわたしが読んできた中でも屈指の難解な本。子どものためとか嘘。本当に子どものために書いているのならあんなに高度なあとがきを付けない。
自分にまつわるすべてのことやものを疑うということに重きを置いていて、突き詰めるとガタガタと地面が崩れ落ちてしまう類の話だとおもった。わたしはこのひとの言葉はなにかの足しにはなるかとしれないけれど、その言葉すら必ずしも真実というわけではないのだから、という一歩引いた姿勢で読んでいました。
わたしはどうも自分の頭で考え続ける根気というものが足りていないようで、考えているうちに嫌になってきてしまった部分も多かったのですが、心に残ったこともいくつか。そのうちのひとつが、そのままの状態で満ち足りているということを人間はなかなか理解できない、ということ。それは他人からの理解を求めてしまうという引用した文章と密接に関わってくる箇所ですが、思い出したのは、日本でこうやって生きていると満ち足りるというのはひどく難しいように感じるけれども、わたしはインドにいた時に、そのままの状態で満ち足りるということを身をもって体感したのではないか、ということ。あの感覚なのかな。 -
子どものための本なので、難解な言葉は出てきません。絵や4コマ漫画も分かりやすくて楽しいです。 でも、内容は哲学なので、よくわからない項目もあります。禅問答みたいです。
中には、くるっと180°見え方が変わってくる項目もあります。
「こまっている人を助けてはいけない?」の4コマ漫画みたいにできるといいなあ、と思いました。
-
哲学の本だけど、子ども向けの本だからか、言い切り型の文章が続き、いい歳の大人としては、「世の中はそんなに単純に生きれないよ」とモヤっとしたのは正直な話。一つのテーマを深く追求することもない。でも、家事の合間にふと本のテーマが頭をよぎり考え込む。だからきっと子どもたちの心にも、考えるきっかけ、思考の種を植えてくれる、そんな本だと思う。
-
考え方次第で世界の見え方は変わる、ということを子どもはこれで学ぶのか。処世術を紹介しているとも読める。そのコツとかヒントが示されている。総じて言っているのは、自分の頭で考えなさい、ということ。
-
三年前、ぼくが小学五年生の時から家に住み着くようになったペネトレという猫はとても不思議な猫なんだ。
名前もへんだけど、なによりおかしいのは人間の言葉を話すってこと。
でも普通の人が言うようなことは絶対言わない。ペネトレは人間はなんのために生きているのか」とか「学校には行かなくちゃいけないのか」そういう問題について話すんだ。
ペネトレのいうことは普通の人とは全然違う。でもよく考えてみると、ひょっとしたらペネトレの考えが正しいんじゃないかって思えてくる。
そんなぼくとペネトレの対話の記録
前半はとても読みやすく、うーんなるほどな〜と思わず考えてしまいような内容で、子どもが物事の考え方を学ぶ本としてとてもいいと思った。
けれど、後半に進むにつれ難しくなってきて、大人の私でも理解できない部分があったり、言い分が断定的、固定的でちょっと怖いなとすら思えてきたりした。
こういう考え方もありますよという提示までであればぜひ薦めたい一冊だと思えたけれど、こうだ!と言い切られてしまうと、それを多感な時期の子どもには薦めにくいなと思った(自ら手にする分にはまた違うと思うが)。 -
「人はなんのために生きるの?」
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
「“遊ぶ”ってどういうこと?」
「右翼と左翼って?」「ネアカとネクラって?」
なんとなく通り過ぎてしまうさまざまなテーマについて考えるきっかけをくれる、頭を使う=哲学することの入門書のような本。ペネトレという名の人間の言葉をしゃべる理屈っぽいネコと、飼い主の少年との対話篇という設定が可愛らしい。字が大きく、一つのテーマが数ページと短いので、サクッと読める。そこでとっかかりを掴んだら、もっと自分で掘り下げてみようという気持ちになる。子どものための、というタイトルではあるけれど、大人にも読み応え十分。
印象的だった部分を引用。
---
ペネトレ: たとえばね、きみのクラスに、いやなやつがいりだろう。(中略)でもね、どんないやなやつだって、そうならざるをえなかった必然性というものがあるんだ。どうしようもなく、そうなっちゃってるんだよ。その人はね、自分がであってきたいろんな問題を自分の中でうまく処理するために、そういう人格をつくることがどうしても必要だったんだよ。そうでしかありえなかったんだよ。その人がそうでしかありえなかった理由が、ぜんぶすっかり理解できたら、その人に対してきみがいだいている感情は、消えてなくなるんだ。(p.61-62)
---
今わたしが最も興味を持っているテーマというか概念?である、岸政彦さんが提唱する「他者の合理性」。人には人の乳酸菌♪じゃなくて合理性、あるいは必然性があるのだということ。すなわち、人が何か言ったりやったりするとき、側から見ると不合理と思えたとしても、その本人にとっては「そうせざるをえなかった理由」が必ずあるはずだ、ということ。それを前提にして、人の話を聞いたり理解しようとしたりすることで、その人に抱いていたネガティヴな感情が徐々に消えていく。わたし自身、意識するようになってからこのことを身をもって実感している。岸政彦さんは社会学者で、この本の著者は哲学者。分野を跨いで似た内容が違った切り口から書かれているのを読んで、きっと物事の本質に近い考え方なんだろうなあと改めて感じた。 -
考えなくてもいい、どうでもいい、考えたってどうしようもない。
哲学はそういった感想が多い、というかそう思ってしまうのは仕方がない。
でも、いつからそう思うようになったのか?
なんで無駄と思うようになったのか?
「いつ」「誰に」そう「思うように」「させられたのか?」
そういったことを、尊敬する哲学の教授が言ってたのを思い出した。
この本は「問い」に対して答えている猫に、問いの「答え」を求めてはいけないと思った。
読む「姿勢」で、かなり受け取る側が変わってしまう恐れがあると思った。
一緒に考えながら、読んでいくのは「哲学」だし、あくまでも、ひとつの思考であって、そこから自分はどう思うかが大切なんだと思う。
なぜなら、それが正しい答えだと思い、考えることをやめる。この思考をとめるというのは、哲学の真反対を行ってるからだと感じるから。
だから、答えを求めちゃいけないんだなと。
本屋をみてみても、「自己肯定力を高めよう」とか、何かの答えを求めるために、自己啓発本を読んだりする人が多いと感じる。
もちろんそれも大切だけど、結局は自分がどうしていくか。それが大切にもかかわらず、「自分」を鍛えることを今までほとんどしてこなかった。(言い方をかえるなら、子どもの時は自然にできていても、歳をとるにつれてできなくなってしまった)
日本に住んで日本で教育を受けてきたから、答えばかりを与えられて、疑うことをしてこなかった。
自分が信じているものが、本当にそうなのか、本当に正しいのか、他の人に正しいといわれたからそう思ったのか、そうした今までの自分と向き合わせてくれて、本当の自分を見つけることができるのが「哲学」なんじゃないか。と思う。
結局何が正しくて、結局なんだったの?!
じゃなくて、答えのないものに対して考え続けることが大切だと思う。その行程が重要。
だって、この世界で生きていくには、ほとんど答えのない問題に対して向き合っていかなければならないんだから。
-
帰省中、母の本棚から発見。それってどうゆうこと?と考える余地を残してそれぞれの話題が終わる。考えることは楽しいよね。2020/1/7
-
小学生くらい?の「ぼく」と猫のペネトレの対話。
「ロダンのココロ」の内田カズヒロの挿絵もほっこりする。
が、どっちかというと、かえってモヤモヤしてしまった気がする。
無闇な懐疑は非生産的なのはわかる。
けれども、どうしてその問いが取り上げられているのかとか、なぜその考え方については疑われていないのか、どういう基準だかわからないのだ。
例えば、ただ存在しているだけで満ち足りている人は「上品」で、周りから認めてもらわないではいられない人は「下品」、これは生まれの問題だということ。
たしかにこの二つは対極にある存在だと思うけれど、どちらが上という価値判断の可否や、価値基準の「品」って何なのかがよくわからない。
「言葉の意味はだれが決める?」については、言葉の意味には本当の意味を知る「権威者」を認める一方で、権威者ではない多数派が間違った意味で使うようになりやがてそれが定着することにはそうなる必要があったから、とする。
矛盾だとまでは思わないけれど、すっきり整理できない感じがする。 -
「ぼく」とネコの「ペネトレ」の間で交わされる、哲学的なテーマについての対話40編を収録している本です。
著者の本の中では、『翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない』や『倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦』(ともにちくま学芸文庫)も、やはり哲学する猫との対話というかたちをとった哲学の入門書ですが、本書がもっとも読みやすいように思います。
一つひとつの対話は独立して読めるようになっていますが、永井がこれまでくり返し論じてきた〈私〉をめぐる問いへと収斂しているようにも思えます。そうした視点から本書で示されている問題をもう一度考えなおしてみるのも、おもしろいのではないかと思います。
著者プロフィール
永井均の作品
