真夏の島に咲く花は (講談社文庫)

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  • 講談社
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感想 : 89
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062765701

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  • 主人公は、両親とフィジーに移住し、帰化した日系フィジー人の良昭(ヨシ、日本食レストラン経営)、若者のリーダー的存在の先住系フィジー人のチョネ(ガソリンスタンドのアルバイト)、インド系フィジー人のサティー(親が経営する土産物屋の店員)、フィジーに魅せられ、ワーキング・ビザを取得して旅行会社の現地支店で働く日本人の茜(アコ)の4人。ヨシとサティー、チョネとアコはそれぞれカップルで、ヨシ、チョネ、サティーは高校の同級生。チョネとサティーは元恋人同士。

    のんびりとした楽園の国フィジー。その平穏な日々が、クーデター勃発により破壊されていく。経済が混乱し、世相が乱れていく中で荒波に翻弄される4人の日々を描いた力作。

    2000年にフィジーで実際に起こったクーデター。その背景には、先住民であるフィジー系住民と、イギリスが植民地時代に強制入植させたインド系住民の根深い対立があった。「百年ほど前、この国は実質的にイギリス領だった。平たく言えば植民地だ。サトウキビのプランテーションをやり始めたイギリス人が、まったく勤労意欲のないフィジー人に業を煮やし、同じ植民地だったインドから大量の労働者を半強制的に連れてきた」のだ。

    「思ったことをそのまま口にする。でも邪気はない。形は大きくても、まるっきり子どもだ」、「怠け者で約束事にもだらしなく、馬鹿力と陽気さだけが取り得のがフィジアン」、「骨の髄から陽気で人懐こい人種」、こんなフィジー人気質の源は、恵まれた自然環境と村落共同体(ヴィレッジ)の存在にある。

    フィジーでは、乞食(ケレケレ)でさえどっぷりと「太っている。単に仕事と住む家がないだけで、森に行けばバナナやマンゴーなどのフルーツが欲しいだけ採れるし、道ばたにはタロイモも椰子の実も自生している。川や海に釣り糸を一本垂れれば、魚も入れ食いの状態だ。おまけに生まれ故郷の村落共同体(ヴィレッジ)に戻れば、いくらでも周囲の人間から食べものをもらえる。飢えることはまずない。お金が欲しいのは、単に酒やタバコなどの嗜好品を買いたいからだ。」

    また、「村落共同体には、私有財産という概念はない。…土地と、土地に付随する畑や森やフルーツ、河川、沿岸部の漁業権を含め、すべてが各部族の共有財産となっている」。そして、「ヴィレッジの人間たちは半原始共同体の感覚を今も濃厚に引き摺って暮らしているので、他人のものと自分のものの区別が依然として明確ではない。ヴィレッジにもたらされたものは、すべてみんなのもの、という感覚」なのだという。

    こんな土地に生まれ育ったら、とてもあくせく働こうなんて気にならないし、経済感覚がゼロになってしまうのも当然だ。こんな先住民達を尻目に、商売上手なインド系住民はビジネスで財を成し、勢力を広げていった。そして、先住民ののんびりとした暮らしが徐々に脅かされていき、不満を燻らせる先住民の過激なグループがついにクーデターを起こしたのだ。

    本作を読んで、資本主義とは相容れない先住系フィジー人の気ままでおおらか、あくせく働かず、ルールに縛られない気風にそこはかとない魅力を感じた。縄文人もこんな感じだったのかなあ。これが人間本来の自然な営みなのかもしれない。

    観光産業が壊滅的な打撃を受け、世相が荒んでいく様は、コロナ禍の現在の日本の状況ともダブった。

    なかなか読み応えのある作品だった。唯一不満なのは、ヨシの恋愛観。自分の気持ちを犠牲にしてでも、(密かに引かれあっていた)先住系のチョネとインド系のサティーの中を取り持とうと奔走するって、屈折し過ぎじゃないかな。せっかくフィジーに棲んでいるんだから、もっと自分の気持ちに素直に自由に生きればいいのに!

  • 無邪気だけど、後先を考えない。
    色んなことにだらしないけど、憎めない。
    フィジー人の特徴をよく捉えた(私自身はフィジー人に会ったことがないので、本や聞いた話でしか知識がないけれど)描写がたくさんあり、フィジーが好きな人やフィジーについて知りたい人には楽しめる作品だろう。

    一方で、フィジー人の悪い部分に苛立ちを感じてしまう部分もあり、フィジーで暮らすインド人、日本人、中国人たちの考え方のほうが共感できる部分が多かった。
    色んな人種の登場人物が出てくるおかげでそれぞれの人種の立場がよくわかり面白いのだが、登場人物が多すぎて物語の内容が浅い印象も受けた。

  • 切ないなぁ。

    恐ろしく読みやすいので、一気に読んで
    読後、気持ち的にウツっぽくなった。

  • 南太平洋上の国、フィジーを舞台としたストーリー。
    日本から両親と移住してきたヨシ、ガソリンスタンドで働くフィジアン・チョネ、父のお土産物屋を手伝うインド人・サティー、ワーキング・ビザでフィジーに来た茜の4人の若者。
    ある日フィジー人によるクーデターが起き、首都から離れた4人の暮らす街でも影響が出始めた。
    そんな時、チョネの元恩師のトラブルが起き・・・。

    最初の100ページくらいは、主人公4人の日常風景が丁寧に描かれ、フィジー現地ののんびりとした雰囲気のように、物語はゆっくり進んでいきます。
    彼らの恋愛模様が描かれていく中で、価値観や性質の違うインド系移民と元々フィジーに住んでいた現地人の共存の様子や、フィジー人ののんびりすぎる気質や個人所有という概念の無さからくる二つの民族の葛藤などが織り込まれ、自然とフィジーの社会構造が頭に入ってきます。

    クーデターが起こってからも、首都とは離れているせいかゆったりとしたテンポでお話は進んでいきます。
    こういう場合、日本だともっと大騒ぎになると思うのですが、主人公たちの生活にじわじわ影響が出てからもテンポはあまり変わらないので、その感じが妙にリアルでした。

    他の垣根作品のような圧倒的なスピード感と緊迫感を求めていると肩透かしを食らうはめになりますが、人間の幸せについて熟考させられる良作だと思います。

    資本主義社会にどっぷりつかっている私たち日本人と、お金も所有概念もないフィジー人のどちらが幸せなんでしょうね。
    民族が異なると価値観も違うように、幸福のものさしは人それぞれなのかなあ。

    どれも正解で、今いる場所が楽園だと、ゆるく考えればいいんじゃないと垣根さんは言いたいのかもしれないですね。

  • この本、スゴイおもしろいです。
    生きるとは、自由とは、幸せとは、といったことを考えるきっかけを与えてくれます。


    --
    フィジーでは、先住民であるフィジー系住民と移民であるインド系住民との間で対立が深まっていた。

    村落共同体がほとんどの資源を共有財産として所有するフィジーでは、フィジー系住民は自由に家を建て、自生する食物を食べることができる一方、インド系住民はわずかに所有が認められる土地を借りて商売をしながら、共同体に借地料を払わなければならない。

    そんな中、クーデターが起きてしまう。

    51%を占める陽気でおおらかなフィジー人、44%を占める真面目で几帳面なインド人、マイノリティである日系と中国系の若者たちは何を思い、何を決断するのか。

  • 2011年9冊目

  • クーデターが起こったときのフィジーを舞台に繰り広げられる若者たちの群像劇.フィジー人,インド系フィジー人,日系フィジー人,日本人の4人の視点から構成されている.資本主義の浸透により失われつつあるものを浮き彫りにしている.

  • フィジーに行って愛すべきフィジー人達と会ってみたい

  • 全体的に、4人の恋愛が描きたかったのか、フィジーの文化や生活が描きたかったのか、なんだかはっきりしないまま終わった感じ。

    物語を終わり方から考えると恋愛小説だったのかな?

    ゆっくりとした時間が流れるフィジーが舞台だっただけに、物語自体にスピード感はないけれど、決して読みにくいわけでもなく、なんだか不思議な1冊でした。

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著者プロフィール

1966年長崎県生まれ。筑波大学卒業。2000年『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞。04年『ワイルド・ソウル』で、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の史上初となる3冠受賞。その後も05年『君たちに明日はない』で山本周五郎賞、16年『室町無頼』で「本屋が選ぶ時代小説大賞」を受賞。その他の著書に『ヒート アイランド』『ギャングスター・レッスン』『サウダージ』『クレイジーヘヴン』『ゆりかごで眠れ』『真夏の島に咲く花は』『光秀の定理』などがある。

「2020年 『信長の原理 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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