カシオペアの丘で(下) (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062766319

感想・レビュー・書評

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  • 深く重く悲しい物語ですが、不思議ときれいで自然です。名作

  • 泣いたなあ〜上下巻、分厚かったけどすぐ読めた

  • シュンのガンが段々と体を蝕んでいく。

    幼馴染み4人、そして4人に引き寄せられた、『ゆるされたい人』『ゆるしたい人』たち…


    息子の哲生に自分がガンであることを打ち明ける場面

    シュンの誕生日プレゼントを皆が渡す場面では、涙がじわっと出てきた。

    『ひるまは星はみえない
    でもあさもひるも雨の日もそこに星はある
    おとうさんも、会えないけどいるから。
    あかあさんとてつおのことをずっとみているから』



    上巻は序章だったのだと思わされるほど濃い一冊だった。

    幼馴染み、心の奥でずっと生き続けている思い出。
    大人になると一番遠い関係になる、そのリアルな関係の描かれ方が心にぐさっと来た。



  • 泣き所の多い作品だった。涙腺が弱いので外では読めなかっただろうと思う。
    炭鉱で起こった悲しい事故、炭鉱による繁栄と衰退を経験した北海道の小さな都市を舞台にした物語だった。人を傷つけてしまった者は、ゆるして欲しいと苦しみ続ける。傷つけられた方はゆるしたいけどゆるせない葛藤で同じように苦しむ
    。そしてゆるさずに生きていくことは寂しいことなのだ、と気づいている。取り返しの付かないことが起こった場合はそうして生きていくしかないんだと思った。
    肺がんと診断されてからのシュンの気持ちの変化や行動などはとても共感できた。今、自分だけが最期を迎えるっていうのはどれだけ受容できても辛いだろうなと思う。この物語でシュンが最も現実味があった。本作は実在する地域や出来事を題材にしているにも関わらず、全員がいい人に描かれていて、全体的にリアル感が薄くなったと思う。

  • 重たい話だけど暖かい話です。
    下巻の最後の方は電車では読めないと思い家で読みました。
    元気な頃は拒んでいたことも徐々に受け入れていく、死に近づくにつれて変わっていく心模様も自然で悲しい。

  • 心にずしっとくる
    読み応え十分

  • 上巻からよりも、さらに濃く怒涛の内容

    登場人物の様々な思いが上巻のストーリーも膨らませていく
    分かっていたのに、明け方の電話で私も泣いてしまった

    小説で泣けたの久しぶり
    やっぱり重松清、良い!

    私のどす黒いもやもやをデトックスしてくれる小説でした

  • とにかく泣いた。
    外で読まなくてよかった。
    涙なしでは読めない。

  • 「いままで誰にも語られなかった命を、夜空に置いてあげたい。わたしとシュンの、生まれなかった命を、忘れずにいてあげたい。」なくなってしまった命も、誰かが覚えていたり、懐かしんだりしているうちは消滅してからも星空に瞬く星のようにその命が消えることはないとこに気づいたミッチョ。誰にも語ることのできなかった命について、ミッチョが語ることができてよかった。その命が存在していたことについて愛おしく思うことができてよかった。

  • 北海道の謎の巨大宗教建造物の物語下巻。許されるために、生きる。しかし、死ぬことによる「許し」には敵わない。ものすごいカタルシスだな。そう思った。人間失うものがなくなると何でもできるっていう背水の陣の便利さ。
     人は負い目を背負って生きていくことがある。他人の命を代償に自分が生きていくとき、その重い「思い」を身にまとって生きていくことになる。それは振り払おうと思っても振り払えない。なぜなら自分からにじみ出ている邪念だから。
     人は虚勢を張っても、弱みを持っている。だから、邪念に打ち勝とうと思っても、弱さゆえに力尽きる。

     最後に人は怯える。孤独に怯える。自分から噴き出す黒い感情で包まれて孤独になることに恐怖する。
     その時、人は寄り添う存在を求める。渇望する。渇愛する。そして神にすがる。なにより強い存在に泣きつく。神なら、自分を見捨てずにいてくれる。だから、ボクを見ていて、神様。

     クラセンは観音像を北都に建てた。ミウさんは忘れないために、許され続けるために観音像を建てたんじゃないかと言っていたが、どうだろう。
     クラセンは北都のみんなが事件を忘れないためにシンボルを建てたのか。そんなのわからない。そこに言及しなかったから、良作。

     人って、人を傷つけたり、人の命を奪ったとき、それは相手に申し訳ないから、悲しみ続けるのかというと、そうではないと思う。もっと自己中心的であると思う。
     人を傷つけてしまった自分も、傷ついているのである。自分のアイデンティティに「犯罪者」「人殺し」そういう傷跡が深く刻み込まれるのである。
     その不名誉が、苦しいのである。二度ときれいな状態には戻れない、喪失感、怒り、焦燥感、そういう自己愛のために苦しむのだと思う。けっこう、他人のことは大事じゃない。やはり自分が大事なのである。

     ひどい言い方ではあるが、そんなもんじゃろうと思う。人はそれほど他人を思いやれない。人を思いやれる、自分をスゴイと思いやっているのである。
     だから、この物語に出てくる「許されたい人」も、それぞれの相手から許されたいのではないと思う。自分に自分を許してほしいのである。「もう自分を自分で攻めなくていいよ。」そう自分に言ってほしいのである。
     だから、自分にできることを全部やってる。償えることをすべてやった達成感のその先に、自分への許しが待っているのである。
     川原さんはまさにそうだろう。いろんな土地をめぐって、いろんな人に会って、行動の末に自分を許したかったのである。娘が死んだ原因は、妻の不倫、それはつまり夫である自分の不出来だから、自分を許せない。それを許したい。

     クラセンとシュンは死ぬ前に、自分を許して、解放されることができた。死ぬ間際だから、思い切って行動ができたんだろう。そしてさらに良いことに、死ぬという最高のカタルシス、解放を迎えることもできる。
     死は、さわやかである。現世の執着から解放されるその様はすがすがしい。だからこの物語の死にはさわやかさがあるのだろう。


     シュンの死に際して印象的なシーンがある。
     奥さんにアソコを触ってもらうシーン。そして奥さんの恵理はおっぱいを触らせるシーン。
     こういうシーンだよな、非常に説得力がある。

     生き物なんだから、やはり最後に精力がほとばしるんだな。そして、夫婦なんだからそこに恥じらいなんてなくて、素直につがいとして触れ合う情景が、愛おしい。


     しっかし、北の大地というのは、どうしてこうも許されたい者たちが集まるんだろう。許されざる者もそうだし、レヴェナントもそうだし、試される大地ってのは、許しを試してくれるとでも思ってんのかね。

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著者プロフィール

重松清
1963年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。91年『ビフォア・ラン』でデビュー。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木三十五賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『カシオペアの丘で』『とんび』『ステップ』『きみ去りしのち』『峠うどん物語』など多数。

「2023年 『カモナマイハウス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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