アサッテの人 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 580
感想 : 72
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062767002

作品紹介・あらすじ

吃音による疎外感から凡庸な言葉への嫌悪をつのらせ、孤独な風狂の末に行方をくらました若き叔父。彼にとって真に生きるとは「アサッテ」を生きることだった。世の通念から身をかわし続けた叔父の「哲学的奇行」の謎を解き明かすため、「私」は小説の筆を執るが…。群像新人文学賞と芥川賞のダブル受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 【限りないノンフィクション感】

    意味のない響きのいい言葉って好き。
    愉快に、小気味よく、調子良く読んでたんだけど、
    だけどあまりにも意味がありすぎて
    だんだんつらくなった
    現実味がある

  • ポンパッ!
    友人カップルに突然放ったそのシーンが、とても恐ろしかった。

    冒頭から意味の理解しにくい始まりで、叔父の不可解さも君が悪かったが、その過程が徐々にわかってきたとき、自分の中にもアサッテがあると気づいた。

    この社会にある定型が怖くなり、叔父はアサッテの人になっていった。
    山道をドライブ中、度重なるカーブが続き、ついアクセルを全開でガードレールを突っ切りたくなるような。
    毎日の満員電車のなかで、前に立つ女性の首筋をかぶりつきたい衝動になるような。

    それに叔父は飲まれていったのであろう。

    タポンテュー

    つい言いたくなる。

  • 読書開始日:2022年5月18日
    読書終了日:2022年5月29日
    所感
    とても引き込まれた。
    作為から逃避し続けた叔父と、その叔父の気持ちを尊重する筆者の繋がりを、作品に感じる
    定型や作為への極度の恐れ。
    そこから叔父の奇行が生まれた。
    朋子さんだけが、その奇行を受け入れようと悩み、毎度打ちひしがれた。この一連こそが、叔父の定型からの逃避癖と安心を一挙に満たしていた。
    朋子さんもいなくなり、奇行が飽和する。その飽和からも逃れるために、新たな奇行と安心を得るために、旅に出た。
    と思う。
    どこまでも作為無し。
    面白い。

    スノビズム
    木阿弥
    まるでジェット機の通過した直後のような重々しい余韻
    厭人僻
    夫の奇妙な言葉は、意味が這い出したあとの奇怪な抜け殻に過ぎない
    佯狂
    ポンパ=ブラックホール、意味はないのに、人間を吸い寄せ呑み込む
    自家薬籠中
    衒学
    吃音が治ると、逆に恋焦がれた統一の言語世界が極めて狭隘な領域にみえた。自ら吃音的なものを求めた結果がアサッテ
    嚆矢
    意味、意志からの離脱。この世は目的概念で溢れているが根本の目的なんてない。落ちていくエスカレーターに初めから乗っている。そこから目を逸らすため血汗涙がある。そんな絶望から逃げたい。アサッテ漢
    夭逝
    蚕食
    朋子がいなくなることによるアサッテの方向が自分になる。うちにうちに向かうどんどん小さくなって、アサッテが飽和する。アサッテの崩壊
    作為への病的な恐れ

  • 定型からの逸脱。
    普通のことを普通にやって、皆と同じような行動によって日々を送り、見えない糸にがんじがらめになってゆく。その事のとてつもない嫌悪感、あるいは、背中がぞわぞわする感じ。
    そこから誰にも予測できない方法によって抜け出すことで、自分自身を保っていける。
    しかし、「定型」があるからこその「逸脱」。
    その逸脱でさえも、繰り返せば定型と成り果ててしまう。行き着く先には自己撞着しかないのだ。そして叔父の失踪。
    そこに答えは示されない。
    たとえ自己撞着の未来しかなくとも、定型に疑問を投げかけることが必要だし、小説を書く者は「書くこと」に意識的でなければならない。

  • 読友の方の推薦本。吃音ゆえに世界との齟齬をきたし、疎外感を強く意識するということでは、三島の『金閣寺』の主人公溝口がそうであった。彼はまた「美」へのあくなき執着を持ち続けるのだが、世界との決着の付け方は金閣を焼くことにおいてであった。三島は否定するだろうが、見方によってはそれは実存的な行為に他ならない。本書の叔父は音を解放し、無意味化してしまうことで脱却(しかし、それは新たな疎外なのだが)を図るのである。すべての「定型」からアサッテを向くなら、蒸発以外に道はなかっただろう。風狂で滑稽かつ悲しい物語。

  • 電車で読んじゃうとブツブツしゃべりそうになる。そんな感じで

  • 2007年ミスユニバースを思い出す

  •  
    ── 諏訪 哲史《アサッテの人 2007‥‥ 20100715 講談社文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4062767007
     
     
    (20231128)

  • 10代の終わりかそこらに読んだのが最初。

    ただただ文章が美しい。
    ここまで人の内面を言語化し、
    他者から見れば狂人にしか見えない気狂いの、
    しかしその人にだけ適用される整然とした思考回路の道筋をこうも丁寧に描けるものかと、当時衝撃を受けたことを覚えている。

    吃音が故に不規則に整えられてきたはずの叔父なりの内面の整然性が、
    しかし吃音の変化によって正にアサッテの方向へと狂い出してしまう。

    しかしこれはあくまで変調をきたした内部の回路をまた整然とした別の回路に組み立て直すための、叔父なりのチューニングなのである。
    誰からも理解されない気狂いに成れ果てたとしても、
    もう叔父にはそのアサッテの正しさにしか自分を整え直すよりほか突き進む道は残されてはいない。

    他者には永劫理解されることのないアサッテの道へとズンズン突き進んでしまう叔父の孤独と苦しみの遷移があまりに綺麗で、
    年を取り久しぶりに再読しても、やはり美しい。

    最後の図による説明は確かに力量不足を暗に示しているという指摘もご尤もかもだが、
    ここまで人の内面に大きく切り込み、
    かつ繊細に書き起こせる人が何人いるのだろう。

    他者から見ればただの狂人、
    しかしその内部はあまりに美しくまた寂しい。
    読了後の謎の多幸感。
    個人的には一番好きな小説。

  • ▼福岡県立大学附属図書館の所蔵はこちらです
    https://library.fukuoka-pu.ac.jp/opac/volume/151784

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著者プロフィール

諏訪 哲史(すわ・てつし):1969年、愛知県生まれ。作家。國學院大學文学部で種村季弘に学ぶ。「アサッテの人」で群像新人文学賞・芥川賞を受賞。『種村季弘傑作撰Ⅰ・Ⅱ』(国書刊行会)を編む。

「2024年 『種村季弘コレクション 驚異の函』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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