マウス (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062769129

作品紹介・あらすじ

私は内気な女子です-無言でそう訴えながら新しい教室へ入っていく。早く同じような風貌の「大人しい」友だちを見つけなくては。小学五年の律は目立たないことで居場所を守ってきた。しかしクラス替えで一緒になったのは友人もいず協調性もない「浮いた」存在の塚本瀬里奈。彼女が臆病な律を変えていく。

感想・レビュー・書評

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  • 『女子は、だいたい四つくらいのグループに分けられた。一番、クラスで権力をもっているのが、早野さんという女の子を中心としたグループだった』。

    『その日は始業式で、私は小学校の五年生になった』というそんな日のことをあなたは覚えているでしょうか?そう、『校舎の前には大きな掲示板が立てられ、そこには新しいクラスと担任の名前が張り出され…』という、どこの学校にも当たり前のように見られる光景はどなたの記憶にもはっきりと刻まれているのではないでしょうか。

    人は集団社会の中で生きる生き物ですが、長い人生の中ではその集団は常に変化し続けます。そんなことを人生の早い段階で思い知る機会、それが学校におけるクラス替えだと思います。一年かけてようやく築き上げた友だち関係が振り出しに戻るその瞬間。そこには、

    『あぶれないうちに、急いで自分と同じような、大人しそうな風貌の女の子を探さなくてはならなかった』。

    そんな風に、新しい集団の中で自分の居場所を確保するための必死の思いが交錯してもいきます。一方で集団というものには、その集団を維持するために一定の秩序というものが生まれるものです。それは、”ヒエラルキー”とも呼ばれます。”みんな仲良くしましょう”、そんなことを偉そうに言う大人社会のどんな集団にも”ヒエラルキー”は存在します。綺麗ごとだけ言って生きていけるほど人間社会は甘くはありません。

    そんな”ヒエラルキー”、学校という集団社会のクラスの中に厳然として出来上がるものが、”スクールカースト”と呼ばれるものです。新しいクラスの誕生から程なくして、そんな”スクールカースト”は形作られていきます。

    『彼女達が主人公で、私達は脇役なのだ』

    たとえ小学生であっても、むしろ小学生だからこそ、そんな”ヒエラルキー”のどこに自分が位置したのかを悟る瞬間が早々に訪れます。

    さて、ここにそんな”ヒエラルキー”の下位に位置する『「真面目で大人しい子」の三人組として認識され』るようになった一人の女の子が主人公となる作品があります。『平和な学校生活』を送るため、さまざまに気を使いながら毎日を送るその女の子。この物語は、そんな女の子が自分たち『よりさらにずっと「下」で、評価もされない異物』と認識される一人の女の子と関わりをもっていく物語。そんな女の子が『くるみ割り人形』の物語の中に『催眠術』にかかったかのように変化する様を見る物語。そしてそれは、そんな小学校時代のその先に、『彼女が内に秘めた強さに嫉妬』する大学生になった主人公の今の姿を見る物語です。

    『残念だね、律ちゃんだけ、違うクラスになっちゃったね』と、張り出された掲示を見て友人が呟くのを聞くのは主人公の律子。『うん、じゃあ…』、『またね』とその場で友人と分かれた律子は『五年C組と』札のかかった部屋へと入りました。『すでに興奮気味に言葉を交わし合う新しいクラスメイト』の『顔の一つ一つを素早く見』る律子は『あぶれないうちに、急いで自分と同じような、大人しそうな風貌の女の子を探さなくては…』と焦ります。そんな時、『突風が吹き、窓ガラスが激しく揺さぶられ』、『ガラスが軋む大きな音が教室に響』きます。『顔を上げて窓に注目』する面々の中、『一人、さっと耳をふさいだ女の子がいることに』律子は気づきました。『ひときわ背の高い』その女の子はいつまでも『しっかりと耳をふさいだまま』います。『くっきりとした黒目』だけが『宙を見つめるというよりは射抜いたまま静止していた』という女の子。一方で、『律ちゃん、おはよ』と『去年までの美化委員会で』知り合いだった久美に声をかけられた律子は、『とりあえず一人、「大人しい女子」を捕まえたことにほっと』します。そんな久美は『うわあ、またあの子と一緒のクラスなんだ』と、先程の女の子を見ます。そこに、久美の知り合いの麗という女の子が現れ、久美との間で『塚本瀬里奈もいるの。ほら見て』と話す二人。そして、久美と麗と三人で『休み時間を一緒に過ごす』日々が始まりました。『四つくらいのグループに分けられた』クラスの中で、『「真面目で大人しい女子」の三人組として認識』されるようになった律子たち。そんな中で『異物』と扱われ、『塚本瀬里奈はまだ一人も友達ができないまま、いつも座って宙を見上げて』いました。『まったく喋らない』代わりに『とてもよく泣いた』という瀬里奈のことが気になりだす律子。そんなある日、教室に入ると『うわあ、またかよ』という男子の前で瀬里奈が泣き続けていました。理由を訊くも『俺、知らねーよ』と判然としない中、瀬里奈は『周囲の会話などまるで耳に入っていない様子で』教室を後にします。『いっつも、どこに行くんだろうね?』と噂される中、『夢遊病者のように』歩いていく瀬里奈の後をつけることにした律子。『来年改装される予定の旧校舎』へと向かう瀬里奈は、女子トイレへと入っていきました。『不審に思って中に踏み込んだ』ものの、個室のどこにも姿がありません。『塚本さん?』と声を出すも返事がない空間を慌てて逃げ出した律子。『その日から、私はこっそりと塚本瀬里奈を観察するようになった』という律子はやがて、『扉が彼女の内側につけられていた』という、瀬里奈が心の拠り所とする『灰色の小さな部屋』の存在を知ります。そして、『塚本瀬里奈をもうあの灰色の部屋とやらに行かせない方法』を模索する先に、瀬里奈が別人格のように変わっていく物語が描かれていきます。

    “小学校の頃から、女子はたいへん。思春期、教室に渦巻いていた感情をもう一度”と内容紹介にうたわれるこの作品。そんな物語の舞台は、『校舎の前には大きな掲示板が立てられ、そこには新しいクラスと担任の名前が張り出されていた』という新年度の始業式の日から始まります。おおよそほとんどの小学校で毎年度行われるクラス替え。『三人で、また一緒になりたかったね』とそれまでのクラスメイトと別れ、新しいクラスメイトが待つ教室へと一人向かうドキドキ感。それは、このレビューを読んでくださっているどなたもが経験されてきた道のりだと思います。そんな物語に”思春期の苦しさをとことん書いてみようとした”と語る村田沙耶香さん。そんな村田さんは”女の子の友情とか、思春期のヒエラルキーとかコンプレックスとか、そういうことを書いてみたかった”と続けられます。”思春期のヒエラルキー”という言葉で思い出されるのが”スクールカースト”という言葉です。私にとってこの言葉が思い出されるのが柚木麻子さん「王妃の帰還」です。”スクールカースト”を大胆に取り上げ、それをフランス革命に重ねる物語は、私にとっての柚木さんベスト3に入る作品です。そして、村田さんが描くこの作品でも”女子社会”の”スクールカースト”はリアルに描写されていきます。『だいたい四つくらいのグループに分けられた』という『五年C組』の頂点に立つのが、『早野さんという女の子を中心としたグループ』です。『情報も、流行も、真っ先にそこから発信されている』という彼女たちのグループを見て『彼女達が主人公で、私達は脇役なのだ』と認識する律子。その『少し下に、にぎやかな女の子たちのグループが二つ』あり、さらにその下に『「真面目で大人しい女子」の三人組として認識』される律子たちのグループ。しかし、そんな律子たちのグループよりさらに下に『二人組の女の子がいて、「きもい」とされてい』るという見事なヒエラルキーの存在。そんな中で、『「真面目で大人しい」と「きもい」の境界線はとても曖昧』と認識し、『身だしなみには気を配り、清潔に、不潔に思われないように努力し』、卑屈にならないよう意識する律子たち三人組。それを律子は、『みじめな思いをさせられる危険』を避けるための『防衛反応』だと考えています。この”スクールカースト”に支配された教室の風景が物語前半の子供時代の律子の姿を描く中に続いていきます。そんな学校について、村田さんはこんなインパクトのある表現で、彼女たちのリアルを語ります。

    『学校という場所はスーパーのようなもので、私達は陳列されているのだと、私はようやく気づき始めていた。私達を評価するのは大人たちだと、私はずっと思っていて、いい子であるようつとめていた。けれど、本当の買い手は生徒たちの方だったのだ』。

    生徒たちの狭い社会、そんな中で生徒たち同士に見極められていく生徒たち。そして強固に形作られていく”スクールカースト”。そんな”スクールカースト”の『ずっと「下」で、評価もされない異物』とされていたのが塚本瀬里奈でした。『一人も友達ができないまま、いつも座って宙を見上げていた』という瀬里奈。そんな瀬里奈を意識し出した律子が関わりを持ち、瀬里奈に変革をもたらしたことで物語は大きく動き出していきます。上記で柚木さんの作品に少し触れましたが、そんな柚木さんの作品では、”スクールカースト”に支配された”絶対的ヒエラルキー”に変化が生じる様が絶妙に描かれていきます。そして、この村田さんの作品でも、律子が起点となって瀬里奈に変革をもたらしたことが”ヒエラルキー”に大きな変動をもたらしていきます。柚木さんの作品も村田さんの作品も”スクールカースト”に着目するにも関わらず、そこから見えてくる景色、そして内包するテーマは全く別物です。この作品に興味を持たれた方には是非、柚木さんの作品もセットで読まれるとなかなかに面白い地平が見えるのではないかと思います。

    そして、柚木さんの作品がフランス革命に”スクールカースト”を重ねるのに対して、この作品で村田さんが登場させるのが『くるみ割り人形』です。チャイコフスキーのバレエ音楽で有名な『くるみ割り人形』。その主人公がマリーというのは、柚木さんがマリー・アントワネットを重ねるのと、これは恐らく偶然の名前の一致と思われますが両者を対比させる身には興味をそそられます。しかし、『くるみ割り人形』は、”フランス革命”とは全く異なり、主人公のマリーが気を失った中に見た夢の中の物語、ネズミの呪いと闘うくるみ割り人形の物語です。そう、村田さんの作品は、”スクールカースト”を『くるみ割り人形』に重ねるのではなく、マリーが見た夢の物語と、そこに登場する”ネズミ”=『マウス』を絶妙に重ねていくのです。ここが、柚木さんの作品と根本的にテーマが違っていることがはっきりします。

    そして、この作品の書名にもなっている「マウス」。『大人用の大きな辞書』には、

    『mouse。ハツカネズミ、小ネズミ…臆病者。内気な女の子…それと、かわいい子、魅力ある女の子』

    と記された「マウス」。主人公の律子は、子供の頃に叔父との会話の中ででた、『臆病な女の子のことを、マウスって言う』という言葉を意識し『やっぱり私は「マウス」だなあ』と思い続けています。”スクールカースト”で瀬里奈の上に位置していた律子が、下に位置する瀬里奈に変革をもたらしていく、その先に展開する『クラスの中でこんな出世劇が起きるなんて、奇跡みたいなことなのだ』というまさかの物語展開。それは、一見痛快でもあり、律子にとっては複雑な思いもするものです。しかし、この作品が上手いのは、そんな『出世劇』の先が描かれていることです。そう、この作品は小学校五年の律子が描かれる物語前半と、『大学生というのはほどほどに授業を休んだり、遊んだりしなければならないと勝手に思い込んでいた私は、入学するまでは不安だらけだった』と、また、不安に苛まれるスタートを送る大学生になった律子の今が描かれる物語後半から構成されているのです。そして、この後半が描かれることによって村田さんがこの作品で描かれたいことがはっきりと見えてきます。一見、”スクールカースト”の変動を描くかと思われた物語前半に対して、大学生に”スクールカースト”はありません。そこに描かれるのは、『「今は仕事中です。私は店員です」という仮面は、私にとってはお給料よりずっと大切な授かりもので、それを装着すると、臆病な田中律はいなくなる』というファミレスのアルバイトの中に自身の身の置き場を見つけていく律子の姿でした。そして、そんな律子は、意図して再会した瀬里奈の中に、かつて、『彼女が強く振舞えば振舞うほど、その内側のもろさが怖くなった』のに対し、『今は、彼女が内に秘めた強さに嫉妬している』という律子自身を見つめる姿がありました。一貫して感じられる瀬里奈の強さに対して、なんとも脆さを感じさせる律子という二人の女性の対比を見る物語。瀬里奈が纏う絶対不可侵な空間の存在を強く感じさせる物語。そんな物語は、書名の「マウス」に帰結する中に優しく終わりを告げます。

    『律ちゃんの今年の目標は何かな?と聞かれて、ぽろっと、「人畜無害です」と答えてしまった』という小学校五年の律子が主人公を務めるこの作品。そこには、『教室の風景の一部にうまく溶け込』むことを第一に考え、周囲から浮かないこと、それだけを考える律子の姿と、大学生になって瀬里奈と再開する律子の姿が描かれていました。前半の”スクールカースト”に描かれる生徒たちの人間模様に大人社会の縮図を感じるこの作品。律子と瀬里奈が惹かれ合い、傷付け合い、そして再び繋がっていく様を興味深く見るこの作品。

    “クレイジー沙耶香”感がまだちょっと淡い、青春物語を感じさせる物語展開の中に、何故か「コンビニ人間」の原点を見たようにも感じた印象深い作品でした。

  • 内気な女の子、律。
    過敏な神経の持ち主の瀬里奈。
    学校生活、人付き合いが苦手な二人。
    二人はそれぞれ社会に対応してしていくために、鎧を身に付けていく。自分に合った鎧を見つけて身に付けることは私は悪いことではないと思うなぁ。
    でもそれは本来の自分ではないし、無理をしているわけだからやっぱり疲れちゃうんですよね。
    鎧を脱いで素の自分を見せられる相手がいれば、自分がダメになってしまわない程度の鎧は大切なのかも、と思います。
    律と瀬里奈は、素の自分を見せられる関係であり、『大嫌い』と言い合える関係。それに律は瀬里奈のことを羨ましく思ったり、それはライバル意識にも繋がったりしているとも思えて、これはもう本当の友だちだなぁ、と思うわけです。
    人間関係苦手でも、親友が一人いれば幸せですよね!



  • 自分を動物に例えるなら…?

    そう、誰かに聞いてみたい。
    私は何だろう。
    そして、村田沙耶香は
    なんと答えるだろうか。
    「mouse」かもしれない。


    自分らしさ。
    それはすごく難しい言葉だなと思った。
    自分らしい、
    それが決して良いこととは限らない。
    そもそも、どれが本当の自分なのかも
    わからない。
    でも、いつか自分らしさを誇りたい。


    そんな世界はこの先にはない。
    そうわかっていても、
    何かあるかもしれないと
    期待してしまう私達は
    夢見がち
    なのかもしれない。
    でも、それは素敵なことだと思う。



    人は誰かを変えることができる。
    それはいい意味でもあるし
    悪い意味でもある。
    でもそれだけ、
    人間には力があるということだ。

    まさか、村田沙耶香の本から
    そんな事を感じるなんて
    思いもよらなかった。
    村田沙耶香特有の
    アレがないからだろうけど。
    中学校の図書室に置いてあるくらいだからか。

    絵本のような、
    素敵な出会いをした気分。



    mouse。
    ハツカネズミ、小ネズミ、、、臆病者。内気な女の子……それと、かわいい子、魅力のある女の子

    • あゆみりんさん
      私も読んでみたいです。
      中学校の図書室に村田沙耶香さんかぁ、確かに予想外ですね。
      私も読んでみたいです。
      中学校の図書室に村田沙耶香さんかぁ、確かに予想外ですね。
      2022/05/29
    • みどりのハイソックスさん
      そうですよね
      そうですよね
      2022/08/29
    • おくダマさん
      いつもいいねをありがとうございます。確かに村田sanの いつものアレ は無かったですね。
      いつもいいねをありがとうございます。確かに村田sanの いつものアレ は無かったですね。
      2023/03/12
  • 小説は、二部からなっている。
    前半は、「教室で出会えなかった村田沙耶香」といったいった雰囲気。小学校5年生の微妙なバランスの少女達。一人の内気な少女・律から見た、教室内のヒエラルキー。その中で、目立たぬ自分を演じ続ける。イジメ迄はない絶妙感は、重松清さんよりしっくりくるかも。
    そんな律は、人目を気にしない協調性さえ持たないクラスメイト・瀬里奈の不可解な行動が気になってしまう。彼女は、空想の世界に生きやすさを持っていた。
    後半は、大学生あたりに成長した二人の再会。それぞれ、演じてきた自分を解放しようと試行錯誤していく。
    なんか、村田さんの小説に若さを感じる。あり得なくない程度の倒錯感。弱い者としての“マウス”から魅力ある女の子の“マウス”へ。

  • 女子ヒエラルキーのそれぞれの階層に存在する2人の友情が描かれた作品。

    その昔、スクールカーストという言葉が話題となったころを思い出した。本作同様、私の時代にも女の子特有の派閥があったことを男の子ながらに感じていた記憶がある。

    と、客観的に物言いつつも主人公・律の臆病な心理描写に共感できたり、時間とともに、親友とともに成長していく展開はとても微笑ましい。

    本著者の読了3作品目だが、他2作品とはまったくもって真逆の爽やかな読了感が得られた。

  • 色々と考えさせられるお話だった。

    誰かと比べたり
    別のものになりきったりして
    なんとかその場をやり過ごす。
    これって意外とみんなある気がする。

  •  自分の居場所を得るために、役割を演じる。

     小学5年生の律はクラスでの自分を「内気で目立たない真面目な女の子」として、その居場所を守るために必死だ。家では両親の望むいい子でいようとする。だから親戚の叔父さんは苦手だ。「この人の考える子供像に、いつもあまり上手にあてはまることができない」からだ。
     
     大学生になった律はファミレスのウエイトレスとして、瀬里奈は『くるみ割り人形』のマリーとして、自分の居場所を獲得する。
    「役割」が自分にとって心地のいいものであれば、役割を演じることは悪いこととは言えない。「役割」を演じることで成立している場面が、私自身いくつもあると思う。2人の違いは他人が自分をどう思うかを、行動の基準とするのかという点にあった。
     「いつも先回りして怖がってばかり」のマウスだった律は、好きなブランドのワンピースを着ることで、辞書の後のほうに書かれている「かわいい子。魅力がある女の子」という意味のマウスになるため、自分の好きなものや自分のしたいことに目を向け始めたのだろうと思う。

  • 芥川賞を受賞した傑作『コンビニ人間』の原型が間違いなくこの本にはあります。

    この作品は村田沙耶香さんの処女作『授乳』に続く長編2作目です。
    そして、この『マウス』は『コンビニ人間』や『消滅世界』、処女作の『授乳』に比べればかなり『普通』のお話です。
    もちろんあの『クレイジー沙耶香』にしては『普通』ということですので、一般の目からみたらかなり「変わっている」お話であることは間違いありません(笑)。

    このお話は、二人の少女、律と瀬里奈が主人公です。二人が小学校5年生になったところから物語は始まります。
    主人公の一人、律は、いわゆるスクールカーストで言えば下から2番目くらいと言えば分かりやすいでしょうか。内気で真面目、そしてできるだけ目立たないように学校生活を過ごしている女の子です。律は、学校では目立たないようにしながらも、常に他人の目を気にして「良い子」でいようとします。
    律の性格は家庭でも変わりません。母親から良く思われようと、母をねぎらい、母が疲れていると思えば「お母さん、疲れているみたいだから、夕飯は私が作るね」と言って母親を涙ぐませるような女の子です。

    もう一方の主人公、瀬里奈は同じようにスクールカーストで言えば、最下層のさらに下の不可触民ということになるでしょうか。
    瀬里奈は、他人とコミュニケーションがとれず、誰とも口をききません。そして授業中に突然泣き出したり、教室から勝手に出て行ってしまったりします。はっきり言って問題児です。

    律はそんな自分勝手な行動ばかりする瀬里奈を許せません。
    ある時、教室を出て行ってしまった瀬里奈を律はこっそりと追いかけます。瀬里奈は人気のない女子トイレに入ってゆきます。律も瀬里奈を追いかけて女子トイレに入ってみると、そこには瀬里奈の姿はありませんでした。個室はどこも空っぽです。
    律は、もしかしたら瀬里奈がどこか遠い世界に行ってしまったのではないかと不安になり、最後に女子トイレの掃除用具入れの扉を開けてみました。すると、瀬里奈がモップなどを洗うための洗面台に腰をかけて座っているではありませんか。
    律が声をかけても、瀬里奈は律を無視します。そんな自分の中に閉じこもっている瀬里奈を見て律は心底うんざりしてしまいます。
    律は瀬里奈に外の明るく楽しい世界を知らないからそんな性格になってしまうのだと非難し、たまたま持っていた『くるみ割り人形』の本を瀬里奈に読ませようとします。
    瀬里奈はそれも拒絶し、律を突き飛ばして掃除用具入れの中に再度閉じこもってしまいます。律は、そんな彼女に構わず『くるみ割り人形』を瀬里奈に聞こえるように朗読し始めるのです。
    すると、信じられないようなことが起こります。
    掃除用具入れから出てきた瀬里奈は『くるみ割り人形』のヒロイン・マリーになりきっていたのです。その口調から立ち振る舞いまで今までの瀬里奈とは別人です。それを見て怖くなった律は、本を瀬里奈に渡し、瀬里奈をおいて逃げ出します。
    次の日から瀬里奈は人が変わったように明るく、朗らかな性格になっていました。そう、瀬里奈は次の日もマリーのままだったのです。
    そんな律と瀬里奈の二人はこれからどうなってしまうのでしょうか。

    この小説に登場する二人の少女は、私たち誰もが抱えている矛盾を象徴しているキャラクターです。
    あくまでも『社会的な普通』を追求する律。
    律は小学校の時の性格を残したまま大学生になり、学業以外の時間はファミレスでのアルバイトにほとんどの時間を費やします。
    自分という個性を捨て、ウェイトレス用の『制服』を着て『ファミレスのウェイトレス』という役柄に入り込んだ時に律が感じる満足感と万能感。
    これは、まさに『コンビニ人間』の主人公・古倉恵子が感じているものと同じなのだろうと思います。『自分』という個性を無くし、社会の歯車の一つになることで『自分』の存在意義を感じることができるのです。

    一方、自我を守る為『くるみ割り人形』に依存する瀬里奈。
    瀬里奈は、毎日学校に行く前に必ず『くるみ割り人形』を読み、外出する際も文庫本の『くるみ割り人形』を携帯します。
    瀬里奈はヒロインのマリーになりきることでしか普通の人と同じような生活をすることができなくなってしまったのです。この瀬里奈の生き方についてもある意味『コンビニ人間』の古倉恵子と同じです。完全に仮面を被り、自分を殺して生きていくのです。ですから古倉恵子と同じように、マリーを演じる必要のないときは、瀬里奈は自宅にこもって何もしないのです。

    大学生になった二人の生活を描きながら、二人の奇妙な友情が紡ぎ出されます。
    律と瀬里奈の性格の対比や二人のそれぞれの人生の変貌を見ていくと非常に興味深く、この二人の生き方は非常に極端ですが、ある意味において、現代に生きる私たちの姿をそのまま表していると言うこともできるのではないでしょうか。

    誰もが『律』のように他人の目を気にして、建前で生きている部分がありますし、また誰もが『瀬里奈』のように、誰かを模倣したり、完全に自分でない誰かを演じたりしていることがあると思います。

    いったい『自分』とは何でしょうか。そして、本当の『自分』とはどこにあるのでしょうか。
    そんな素朴な疑問がわき上がります。

    自分とはなにか、自分らしく生きるとは。

    自分の内面を鋭くえぐり出してくれるこの小説。
    この本もまさに村田沙耶香さんが追い求める「社会の中での自分」というテーマを体現した傑作の一つだと思います。

    • goya626さん
      うーん、惹かれるけど、読むのが怖いです。
      うーん、惹かれるけど、読むのが怖いです。
      2019/10/12
    • kazzu008さん
      goya626さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      村田沙耶香さんの小説は、独特の世界観があって非常に興味深いですよね。
      ...
      goya626さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      村田沙耶香さんの小説は、独特の世界観があって非常に興味深いですよね。
      この「マウス」はかなり『普通』の方です。
      僕が一番読んで怖かった村田沙耶香さんの小説は『消滅世界』です。僕の価値観がぶっ壊される音がガラガラと音を立てて頭の中で鳴り響きました(笑)。
      2019/10/13
    • やまさん
      kazzu008さん
      おはようございます。
      いいね!有難うございます。
      やま
      kazzu008さん
      おはようございます。
      いいね!有難うございます。
      やま
      2019/11/18
  • ちょっと変わった、でもどこにでも居そうな人物を描くのが上手だなあと改めて思う。服を着替えるように様々な人格を演じて自分を見失ったときのことを振り返り、生のままで生きられたらどんなにか楽だろうと。子年にフィットする作品。

  • 一瞬、作者を間違えたかと思った、が‥‥これはこれで良い。とても良い。かなり良い。

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著者プロフィール

村田沙耶香(むらた・さやか)
1979年千葉県生れ。玉川大学文学部卒業。2003年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)を受賞しデビュー。09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、16年「コンビニ人間」で芥川賞を受賞。その他の作品に『殺人出産』、『消滅世界』、『地球星人』、『丸の内魔法少女ミラクリーナ』などがある。

「2021年 『変半身(かわりみ)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

村田沙耶香の作品

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