とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062769235

作品紹介・あらすじ

故郷をおん出て何十年、他国に流離で十何年、親も夫も子も危機で、死と老いと病とが降りかかる。それでも生き抜く伊藤しろみ。この苦が、あの苦が、すべて抜けていきますように。本書は詩であり、語り物であり、また、すべての苦労する女たちへの道しるべである。紫式部文学賞、萩原朔太郎賞をダブル受賞。

感想・レビュー・書評

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  • カリフォルニア在住、更年期真っ只中の作者が、自身の不調を抱えながらも太平洋を越え、
    まだまだ手の掛かる小学生の娘を連れ、重い荷物を引きずって熊本への移動。
    何度も何度も往復する。親の介護のために。

    母親は入院。一人残された父親は何もする事がなくて、何もする気が起こらず半分鬱のよう。
    幼い頃は自分を守ってくれた偉大なヒーローだった父親が、老い果てた今は、
    家庭をほったらかして何週間も側にいる娘を心配する事もなく、弱みを見せるばかり。

    ユダヤ系英国人の文化に育った外国人の夫は
    作者の2倍以上の年齢というから、こちらもかなりの老境。
    離れて暮らす癇癪持ちのこの夫と、メールのやり取りはするが異文化の溝は深く、
    なかなか真意は解り合えない。

    そうこうするうちに上の娘が心身症になり、がりがりに痩せこけて「眠れない、食べられない、どうしたらいいかわからない。」とパニックに。
    生老病死、全てが苦なのです。
    とげ抜き地蔵に通ったり、死期が迫る詩人に会いに行ったり、般若心経を読んだり。
    煩悶する作者が最終的に救われたのは・・・。

    あまりのシンパシーに、悶え苦しみながら読みました。
    そして、苦しみながらも今ここに厳然と生きている、力強い生命を感じました。
    更年期前後の苦しみを抱えている女性にぜひ読んで頂きたい。
    きっと何かしらの光を見つけられると思います。

  • 昔『良いおっぱい悪いおっぱい』を読んで以来の伊藤比呂美。苦難を乗り越え苦難を全肯定で受け止める逞しさに恐れ入る。過剰な言葉の響きが呪詛となり祈りとなる。吐いて吐いて吐きまくって言葉がぱーんと弾けて微塵となって撒き散る。女としての業や生命力を惜しげもなく生々しく晒す強さに自分とは相容れない所以の憧れを感じる。闊達な文章でところどころ可笑しみながら読んだけれど、読後感は重く苦しいものがのしかかってくる。生まれてしまったからにはどうにも避けきれないなにものか。それが棘なのか。抜けるものなら抜いてしまいたいが。

  • 母の苦、父の苦、夫の苦……。
    母は入院、父は犬とふたりきりでさびしい、夫には瘤ができ娘はやせ細っている。伊藤比呂美は人々の苦を案じながらスーパーマンのように家庭のあるカリフォルニアと実家の熊本を飛行機で行ったり来たり。

    そうしてたまに思い出したように巣鴨のとげ抜き地蔵にお参りして皆の苦のとげを抜いてもらう、はたまた「みがわり」をもらっていく。
    「みがわり」をオグリさんに渡す伊藤比呂美の言葉はまさに巫女さんのそれのよう。この言葉が心地いい。
    エッセイなのか小説なのか詩なのか、なんだかそんなものたちの中間のような本でございます。

    中原中也をはじめとする詩人たちの「声」、それから娘や夫のはなす英語を訳すのではなくそのまま日本語にもってきたようなことば(これには驚き!)、そして詩のような呪術のような祈りのようなことばの紡ぎ方。
    伊藤比呂美はことばを食って食って食いまくるのだと思った。単細胞生物をおもわせるその貪欲さ。そして読後、「伊藤比呂美語」の感染力の高さたるや。感服いたしました。

    僕は伊藤比呂美がとても好きなのです。
    母親の巨大で醜悪なおっぱいが怖さに脇に噛みついたり、ニキビつぶしはセックスとおなじであると断じたり。なにを考えているのかよくわからないから。

    父と母の苦を信仰心が足りないせいとキッパリ、これも潔い。
    といっても伊藤比呂美自身はなになに教徒とかではない。あえて言えば巣鴨のとげ抜き教? それよりもアニミズムを根底とする八百万の神をたたえる……つまり典型的日本人のアレでございます。

    現代の日本ではこういったあやふや信仰心すら失われつつあるように思います。しかし死に直面したとき一体どう生き、どう死ぬのか。
    この本を読んで僕も両親の今後を考え、そして両親の信心の無さを嘆いたのであります。

  •  読まず嫌いといえば、その範疇に入る作家でした。
    人の薄皮を剥ぐような、えげつなさ。女性詩人だから、その表現が生々しくて苦手でした。この作品はそんな一面を見せつつも、家族の問題=拒食症の娘、寝たきりの母と、うつ病気味の父、理解しえないイギリス系ユダヤ人の夫との事を、時空を超え、さまざまな口調を借り、唸りだしている様な印象の作品です。
     動けなかったことに慣れていく母を見ながら、「死を凝視める事」の文章。石牟礼道子さんとの対話から成る部分は、深く、その根源はやおろずの神々を信心する心にも繋がってきていた。

  • すげー面白くて、こんな文学初めて、ってときめいたんだけど、なぜか最後までは読み通せない。どちらかというと散文よりは詩的な表現で、かっこいいし、こんな文章を書きたいと思うようなものであるにもかかわらず、読めないということは、かっこいいことと、退屈であることは、両立するということなのではないだろうか。

  • 伊藤 比呂美?聞いたことのある名前、、、と手を取り読み始めた。詩人であり、母である、ユダヤ系イギリス人の一回り以上年上の伴侶を持つ人でもある。日本に高齢になり、身の回りの事も難しい両親のためにカルフォルニアから2,3ヶ月に一度帰り、二日おきに電話をする。徐々に変化し幼児のような訴えをおこす両親。かたや抱える文化の違いで価値観の到底理解しきれない部分を爆弾のように抱え、母国語出ない言葉で言い合いをする夫婦。生きることに不器用な前夫の子。それぞれに向き合おうとする後ゆえに尋常ではないほどの忙しさ。心の根っこには子供の頃から行った巣鴨地蔵尊への思慕。独特の世界を持つ詩人だけに音階を持つような言葉の連なりは心地よくもあり、強い緊迫感もある。紫式部文学賞、萩原朔太郎賞のダブル授賞作品。

  •  伊藤比呂美さんの、実生活の話。母親がボケ始めたと思ったら脳梗塞になり、父親の足元もおぼつかず、再々婚の夫(ユダヤ人)も粉瘤などこさえて老いてきて、長女はふさぎこみ、次女は行方不明、三女は状況に振り回される。熊本とカリフォルニアを行き来する生活。だんだんとみんな老いてきて、自分のちちははの死を見つめねばならなくなって。ほぼノンフィクション、なんだろうと思います。現在進行中のblogと比較すると、当然本作の方が本質に肉薄しています。とうぜんです。文藝なんですから。これで群像に載っていたんですから。

     石牟礼道子さんとおぼしき方との話があって、一緒に梁塵秘抄(パソコンが一発で変換した。えらいな)を朗読するんだけれども、このあたりのやり取りが圧巻でありました。

    quo.)
     ちらばるというよりか、わたしはどっかの葦の葉っぱなんかに、ちょっと腰掛けていたいような気がする、と詩人はいいました。
     それが死? ちらばって腰掛けている状態ですか。
     そうですね。風にそよいで、草の葉っぱなんかにね。
    --

     われわれが個として生きているうちに老いて、衰えて、じゃあどうやって死を迎えようかというときに、大きな世界の中の小さなひとつが消えてなくなるような感覚に意識を転換させるようです。それは佛教における曼荼羅であり、キリスト教における神の子らのひとりであり、科学における、地球におけるヒトという生物一個の死滅。無心論者だった伊藤の夫も、結局は地球全体で考えたときのひとつの「自己」の消滅を思う。この位相の転換が、「死を受け入れる」作業であり、宗教の本質は「死んだらどうなる」だと総括してもいいんじゃないかというくらいの感じであるのです。

     本作のテーマ、内容は非常に重いものです。しかしながら、その重さを感じさせないのが技術だし、文の藝にほかならないでしょう。
     詩人の文章といわんでください。これはまごうことなき、文藝です。

  • 仏教に関心を持ち ザッピングしていくと伊藤比呂美さんの本にたどりつき初めて読みました。
    ご自身の事を詩人と言っているが 「かたり」なのでしょうか?何度も復唱して書かれている文章には呪文のようなリ感じでリズム良く読めたりもする。詩集ではないし不思議な気持ちで読みました。

    粒粉のことは 私も同じ思いだと読んで初めて知った。変な人と思われるから私は人に言わなかった。だから動画も見たけど、著者のようにお気に入りには入れてない。 本ってこういう”ざっくばらんな”と思えるが繊細な人に出会えるから面白い。


    著者の介護のお話に興味を持ったので、また新しい愛読書ができました。

  • う~ん、凄まじい話だ。
    他人事ではない。わが家も同じ。
    嫁さんも同じ思いをしながら、日々、あと数年で齢三桁に達する姑の在宅介護をしているのだろう。


    どうも癖のある作品が続いてしまった。
    くたびれた。

  • 伊藤比呂美は苦手だ
    手に取ってみた本は多くないし、
    最後まで読んだ本は ほぼ皆無

    この本もすんなりとは読めず 途中であきらめ
    気になって また手に取り
    それを繰り返して よろよろと やっと最後まできた

    上野千鶴子さんの解説が 素晴らしかった
    (文体が私に読みやすかったせいもあるだろう)

    これは 詩 なのだろうか
    散文ではない と思う
    祈りだ と上野さんは言った

    50代のおんなが抱える苦を あけすけに
    絶望ぎりぎりのところで 踏ん張っている姿を
    バイリンギャルの娘の言葉(音と文化と)が作る薄い壁を
    言葉の意味でなく 音で伝えて
    老親の介護、認知症、
    思春期の子どもの生き難さ
    夫の更年期
    英語と日本語を行き来する もどかしさ or 救い?

    やっぱり 詩 なんだろうな
    初めて最後まで読めた 伊藤比呂美の本

    追加です。
    やばいです、この本
    言葉のリズムが頭から離れない
    掴まれてしまったみたい

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著者プロフィール

1955年、東京都生まれ。詩人。78年に現代詩手帖賞を受賞してデビュー。性と身体をテーマに80年代の女性詩人ブームをリードし、同時に『良いおっぱい 悪いおっぱい』にはじまる一連のシリーズで「育児エッセイ」という分野を開拓。近年は介護や老い、死を見つめた『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)『犬心』『父の生きる』、お経の現代語訳に取り組んだ『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』を発表。人生相談の回答者としても長年の支持を得ており『女の絶望』『女の一生』などがある。一貫して「女の生」に寄り添い、独自の文学に昇華する創作姿勢が多くの共感を呼んでいる。現在は、熊本と米国・カリフォルニアを拠点とし、往復しながら活動を続けている。

「2018年 『たそがれてゆく子さん』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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