- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062769747
作品紹介・あらすじ
「いれものがない 両手でうける」
漂泊の俳人・尾崎放哉(おざきほうさい)が小豆島で過ごした最晩年の八ヵ月
「咳をしてもひとり」「いれものがない 両手でうける」――自由律の作風で知られる漂泊の俳人・尾崎放哉は帝大を卒業し一流会社の要職にあったが、酒に溺れ職を辞し、美しい妻にも別れを告げ流浪の歳月を重ねた。最晩年、小豆島の土を踏んだ放哉が、ついに死を迎えるまでの激しく揺れる八ヵ月の日々を鮮烈に描く。
感想・レビュー・書評
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尾崎放哉という人は、俳句とかさほど興味がないぼくのような人間を「咳をしても一人」という句ひとつで引き付ける、不思議なパワーの持ち主です。まあ、鬱陶しそうな…という感じのイメージなのですが、その放哉をきびきびとした文体で「歴史小説」の傑作を書いた、今は亡き吉村昭が、独りぼっちで咳をしている放哉を「鬱陶しさの塊」として描いているのですが、どこかにいたわりとやさしさが響いている作品で、読み終えると何ともいえず哀しい作品でした。
ブログに感想を書きました。覗いていただけると嬉しい。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202107300000/
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「咳をしてもひとり」の尾崎放哉の小豆島での最晩年の日々。不治の病と云われた結核モノにはつい引き寄せられる。私自身の病は、肺に無数の小さな穴が増殖し、細胞は破壊され、空気の流れが遮断されて体中に酸素を送り込むことができなくなるというもの。治療方はなく、昨日より今日、今日より明日、日々悪くなり、いずれ呼吸が出来なくなるという難病。モルヒネで朦朧となって逝くのではなく呼吸が出来なくなって死ぬってどういう事だろう。という疑問に応えてくれた、本書。リアリティあり過ぎて、しばらくうなされました。
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中学か高校の国語で習った自由俳律「咳をしてもひとり」。一度聞いたら忘れられない儚さと強さがある。
尾崎芳哉の死を求めてたどり着いた小豆島での八ヶ月。病にその身体を蝕まれつつも句は逆に冴えわたっていく。
何かをその身体の中から生み出すということは、この苦しみをも生み出すということなのか。
酒におぼれすべてを失っても最後まで捨てなかった矜持が切ない。 -
物語の半分(か、それ以上)は放哉のお酒の失敗エピソードなわけですが、“酒”というよりは“病”というものが、あるいは、“金が無い”ということがどれだけ人を卑屈にさせ、孤立させるものなのかと恐ろしくなった。
最初に放哉の心に巣食った病はなんだったのか。
物語が始まる頃には既に終わりが始まっていて、知る由もない。
妻にも見捨てられ、彼には小豆島の寂しい庵しか、行くアテがない。
徐々に衰えていく身体から削り出されたかのような言葉は、どれも骨のように白く軽い。
放哉の句を読むことは、彼の骨を拾うような行為だと思う。
圧巻は放哉絶命のシーン。
ワンカット長回しのような臨場感、緊張感。
これは吉村昭にしか書けない。 -
どうしようもないアルコール中毒の俳人、尾崎放哉の最後をいとおしく描いた吉村昭の小説。戦艦武蔵などの戦艦者しか知らなかった吉村だが、この放哉への心の寄せ方にこちらも心を動かされた。
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お酒は怖い…。一番の印象はこれ。才能があってもお酒に飲まれてしまう身体では、周囲も自分も損なってしまう。でも、お酒から離れられず醜い自分をさらし、あがきながらも生き永らえようとする放哉の姿は痛ましくも人間らしい。
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尾崎放哉の人間として最低な後半生を描く。いや前半生も最低な人間だったことも、章内のところどころで描かれており、典型的な才能のある禄でもない人間の人生と末期の苦しみがこれでもかと描写される。
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人生の最晩年、肺を病み、小豆島に辿り着いた俳人・尾崎放哉。
五七五にとらわれず、自由な作風で知られた。
放哉の人生も作風と同じく自由であった。
むしろ自己中心的である。
俳人としては有能かもしれない。
しかし、人としては最低だ。
日に日に痩せ衰えてゆく放哉を冷徹に克明に描き切った大名作。 -
朝日新聞の連載小説をきっかけに読み始める。
尾崎放哉からは、孤独、流離をイメージするが、飲酒や金の無心など我儘な様子も見えて、人間性を感じた。
病気から死に至るまで、短文で淡々と描写しており、暗い流れが続く。
著者プロフィール
吉村昭の作品






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本書は傑作です。
小豆島の放哉終焉の地で何気なく、本書を買い、帰りのフェリーの中で読み終わり涙が出て終わりませんでした。放哉が可哀想で、可哀想で。
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吉村昭が「放哉」を愛しているというか、好きだったのでしょうね。数人の本読み会で読んだのですが、描かれている「放哉」という人については、泣く人と怒る人がいて面白かったですよ。さすがに笑う人は、若いひと(30代)にもいませんでした。
ぼくは、妻も含めて、周りの人の描き方に胸打たれました。