新装版 聖職の碑 (講談社文庫)

  • 講談社 (2011年6月15日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (464ページ) / ISBN・EAN: 9784062769914

作品紹介・あらすじ

大正2年8月、伊那駒ケ岳に登山中の生徒たちを突然の嵐が襲った
山岳小説の金字塔!

大正2年8月26日、中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢、そして山の稜線上に立つ碑は、なぜ「慰霊碑」ではなく「遭難記念碑」なのか。悲劇の全体像を真摯に描き出す。

みんなの感想まとめ

テーマは、1913年に実際に起きた木曽駒ヶ岳での遭難事故を背景に、教育と自然の厳しさが織り交ぜられた物語です。主人公である校長の人間関係を通じて、理想主義と実践主義の教育の対立が描かれ、特に子どもたち...

感想・レビュー・書評

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  • 1913年に起きた木曽駒ヶ岳大量遭難事故をモデルにした小説。
    学校登山での事故です。
    前半は主人公である校長の人間関係がメインです。本作は新田次郎の山岳小説の中でもフィクション要素が強く感じました。

    遭難してからの緊迫感はさすがの筆力。

    この小説でこの事故の概要を知りましたが、中学生に同伴したOBの青年からは犠牲者ほぼでてないんですよね。
    やはり遭難は体力、装備に劣る人から倒れていきますね。

  • 八甲田山死の彷徨に続く山岳事故の本です。
    八甲田山の方は大人達が犠牲になっていくのてすが、こちらの作品の犠牲者は子どもが多いです。
    為す術もない。この言葉に尽きてしまうような…。

    ここから何を学び取るかが、供養になるのでしょうか?

  • この人の本はスゴい。まったく古さを感じさせない。
    山好きならみな一度は読んだことのある作家だとは思うが、本作はさらにそこに教育も加え、読み応えのある作品に仕上がっている。
    白樺派理想主義と実践主義教育との軋轢を描き出しながらも、山の脅威がひしひしと伝わってくる。
    コンピューターによる天気予報が発達した今ではあり得ない悲劇だからこそ、理想主義云々の前に自然の脅威を忘れてはいけない。
    2019/08

  • 一気に読んだ。子どもたちの遭難の描写には胸がつぶれる思いをした。予想できない天候の急変が最大の原因とはいえ、いくつかの判断ミスが重なったことも事実。こうした悲劇の経験を生かし、今の登山のルールや常識が導き出されてきたのだろう。
    しかし、教師という職業が聖職とされていたとは、なんとも隔世の感が禁じ得ないというか、まるで歴史の教科書を見ているようだ。

  • これが実話なんて、言葉を失ってしまう。著者が取材した当時ですでに事故から約60年経っていて、存命していた生還者もたった3人。もし著者の取材が少しでも遅れたら生の証言は取れなかっただろうと思うと、よくぞ言葉に残してくれたと感謝の念を覚えます。取材後記も読み応えたっぷり。元気象予報官だからこそ、当時の気象図と実際の地形を見て「強い西風が吹いていたけれど東向きの洞窟に逃げ込んだから助かった」のような考察ができるわけで。知識と現地取材に裏打ちされた記述にスリルを覚えました。
    そして一般市民としてはやはり、「こういう状況下で死なないためにはどうしたらいいだろう」と考えながら読むことになります。本書での結論は、パニックを起こさない、データ(過去の経験や地図)と自分の感覚を信じる(風が強いところへ行かないなど)、そして何より事前準備に尽きるのかなと。毛糸のジャケツなど、装備を固めていた人は子どもでも助かりました。
    ところで気象図や地図などデータに裏打ちされた論理的記述が進む中、「母親がお百度参りしたから助かった」とか「赤羽校長の幽霊が世話してくれた」みたいな超科学的話が飛び出してどうもちぐはぐな印象を受けたんですが、取材後記によるとそれは取材対象者の証言なんですね。とりわけお百度参りの話は取材対象者が「ぜひ内容に入れてくれ」と言ったそうで。私が著者か編集者ならカットするかな…。それでも盛り込んだ新田次郎のお人柄を感じます。そして、人智を超えた何かの力も。

  • 本書の内容をほとんど忘れてしまったので、もう一度読み返してみた。
    良質な本は、時間を経て、いま読んでも、心が動かされる。死に立ち合うという覚悟を感じた。
    「霧が稜線を覆いつくすと、数メートル先がおぼろに見える。霧の移動が激しくなればなるほど霧は濃くなり、雨具に付着する水滴も大きくなる」で始まる。山の体験が浮かび上がる。
     遭難記念碑には、「大正2(1923)年8月26日、中箕輪尋常高等小学校赤羽長重君は修学旅行のため児童を引率して登山し、翌27日暴風雨にあって終に死す」と書かれている。それに「共殪者(ともに倒れし者)」として、10名の生徒の名前が刻まれている。著者は、「慰霊碑」ではなく、「記念碑」にしてあることに疑問を持つ。大正2年は日露戦争が終わり、新しい自由教育思想、「白樺」の影響を受けた教師が増えてきた。長野県は、教育県といわれる。東京の次に、長野県が「白樺」がよく読まれたという。「白樺」は、理想主義、人道主義、個人主義、芸術至上主義の文学を掲載した。白樺は、武者小路実篤と志賀直哉が話し合い、発行された。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらの絵が掲載され、柳宗悦が「革命の画家」と評した。個性をいかに生かす教育に発展した。
    本書には、校長の赤羽長重の鍛錬教育、白樺派の影響を受けた若き教師、樋口裕一。大地主の跡取り息子、学校の中における白樺派リーダーの有賀喜一の三人の教師をめぐって物語が進む。
    赤羽校長は、修学旅行に鍛錬教育の一環として、駒ヶ岳登山を計画し、実行する。有賀喜一は、暴挙といって批判する。それでも、校長権限として、駒ヶ岳登山を実行する。
    気象所に問い合わせても、「北東の風、曇りなれども、にわか雨の模様あり」という程度の情報しか得られなかったので、登山をすることに。青年会を加えて、37名の大所帯の登山。
     そして登山の模様が、新田次郎の手によって描かれる。いわゆる韋駄天台風という急激な低気圧に見舞われるのである。ここでの描写力が実にすごい。山小屋は焼き払われてなく、みんなで山小屋を作って、そこで夜を過ごそうとするが、天気は大荒れ。「眠ったら死ぬぞ」という掛け声がなされる。そして、古屋時松が死んでしまう。赤羽校長は、もう生きて帰れぬと思う。一人でも死者を増やさないと努力するが、青年会の若者が避難小屋から、下山しようとして、小屋を守っていたゴザを剥ぎ取って逃げてしまう。風雨に吹き荒ぶ中で、下山をしなければならなかった。寒いといっている生徒に、赤羽校長は自らの冬シャツを脱いで、着させる。そのことが、赤羽校長の命を奪うことになる。
     白樺派のリーダー的存在の有賀喜一は、暴挙といったが、赤羽校長のその生き様を見て、それこそが人道主義的行為と言って、褒め称え、慰霊でなく2度とそのような悲劇を繰り返さないことを誓っての記念碑設立に向かう。懸命な努力をして、記念碑を立てることが決まる。有賀喜一は寝食を忘れて取り組んで、肺結核で33歳の命を閉じる。大地主の跡取り息子樋口裕一教師は、家柄の違いで、結ばれない思いがあって、心中する。その時代における三人の教師の死を見事に描き上げる。その後長野県は山に登るということを教育に入れるのは必要だと言って、多くの中学校が、駒ヶ岳登山をする。
     そうか。中学2年の時の駒ヶ岳登山って、そんな意味があったのかと改めて思った。
    この本を再度読み終わって、心地よい放心感を味わった。教師を聖職と呼ぶ重みを感じた。良質な作品である。

  • 泣ける話ではないが。
    震災や津波など不測の事態で学校や国の責任がなにかと問われがちな昨今、考えさせるものがある。

  • 大正時代に駒ヶ岳で起きた中学生修学旅行中に11名が死亡した山岳遭難事故を題材とした物語。自然体験など子供達と接する人には必読。事前準備の重要性、想定外の事態への対処、事故後の対応など学ぶべきものが多い。

  • 「孤高の人」をはじめに、「八甲田山死の彷徨」「銀嶺の人」など新田作品はよく読みました。
    二桁年振りの新田作品。臨場感は相変わらずで感慨深く読了。

  • 木曽駒ヶ岳の東に延びる馬の背と言われる尾根にある山岳遭難の鎮魂碑。新田次郎の小説「聖職の碑」にもなった。今回好天のもと訪れることができ、山旅の安全を祈願した。

  • この遭難は羽根田氏のルポで読んだことがあった。学校登山の気象遭難にあたる。物語としては思想対立みたいのが書かれてます。

    学校登山という行事自体に無理があるなあ。

  • 後書きを読んで、長岡神社のハリギリを見に行ったけど、老木のため樹木医の診断を受けて、2年ほど前に切られたそうです(2022年春)。

  • 実話を綿密な取材、検証の上に書かれた作品。ほぼ公式記録でしょう。一度でも機会があれば同じコースを歩いてみたい。事故は不運の重なりから最悪の事態へと転がるが、赤羽校長の人格、実践教育の理念を無駄にはしないとの強い意志が最後に残る。フィクションの部分になるのだとは思うが、下山してくる登山者の行為、言葉は腹立たしく感じました。山へ行く人達が皆んなが皆んなマナーが良いわけではないのは周知の事実です。

  • 山を歩く本読みが、素通りの出来ない作家です。

    もし少しでも山に興味を持つ方や、教育者の方には是非、本書の素晴らしさをその手で確かめていただけたらと願う傑作です。

    本書を読まなければ知るはずもなかった実際に大正時代にあった未曽有の遭難に、リアルで接したような感慨を受けました。
    資料や取材を通じて、遭難した少年や先生たちの、生命が昇華する様がリアルに再現されています。

    また、前半にある理想や自由に基づいた教育が時代と共にクローズアップされ、対する実践教育の一環として実施されたこの修学旅行登山に否定的な時代背景を併せることで、実に小説としてもぐっと深みを増しているのです。

    校長先生を中心とした先生たちの子供たちに対する真摯な思いや行動、さらに後半には遺族たちの葛藤も相まって、多方向から見る感情の揺らぎが展開されています。読み手もその複雑な思いで千々に乱れるのです。

    そして物語終了後、取材記という80ページほどの作者のあとがきがあり、本編のみならずこのあとがきを読むことで、この駒ヶ岳遭難事件という主題の全てがようやく、線と線で紡ぎ合い、その壮大な事件の全貌を明らかにしてくれます。

    この事件に関わった全ての教育者、遺族、地域の方々、そして新田次郎、出版会社の方々、全ての思いが詰まったこの本書。出合わせてくれて感謝するとともに、この書が一人でも多くの方々に読んでもらいたいと、心からそう思いました。

  • 実際にあった高等小学校の修学旅行として計画された登山で起きた遭難事故の小説化。
    その事故の記憶の残すために建てられた「遭難記念碑」。なぜ「慰霊碑」ではないのか。
    登山そのものを行うべきかどうか、学校内でもめていた背景にあった当時の教育論争。
    教師たちの考え方、生きざまと共に遭難事故の生々しい迫力。小説としての迫力と共になぜこの作品を書くに至ったかと言う作者自身のあとがきもとても興味深かった。
    ☆が一つ少ないのは、少々内容が難しく読み辛い要素があったため。作品としては素晴らしいです。

  • 中箕輪尋常高等小学校いまでいう中学校は駒ケ岳登山を修学旅行としてきた。校長先生が身をもって生徒達に実践教育をさせることの必要性を説いたが、不運にも登山中に台風に見舞われ、遭難し、生徒と教師を合わせて11名がなくなった。
    赤羽校長は、「教育とは教師が生徒に教えるのではなく、生徒が自得しなければならない。教育の主体は教師ではなく生徒であり、例えば高山の標本は教師がそれを戸棚にしまっておくものではなく、直接子供達に手で触れさせることによってはじめて標本としての効果を発揮するものである。その場合、教師はキンタマを握って黙ってみておればよろしい」という実践教育を教育理念とし、教室の授業よりも郊外での実習に重きをおくのであった。14、5歳の少年を3千メートル級の山へ登山させるには危険だからやめた方がよいという意見があったが、困難を乗り越えることに登山の意味があり、子供達を甘やかさず、鍛錬のなかに自分を発見するように仕向けるには登山が最も適していると考えていた。
    この遭難は、台風の接近を予知することが当時は出来なかったことによる悲劇であり、その悲運の中で赤羽校長は身を投げ出して子供達を助けようとし自らも斃れた。こどもたちもそれぞれ立派に嵐と戦い、ほんの紙一重の条件の差によって生死を分かち合うことになった。亡くなった者は修学旅行の途中で斃れた者であり、いわば公式の死である。このため、村として死者に礼を尽くすこともあり、村葬としたという。ただ、遭難事故を不幸なことだとして終わらせずに、この事件を永遠に忘れないように遭難慰霊碑でもなく、遭難殉難碑でもなく、遭難記念碑とされたのである。そして遭難を起こした学校としてはその碑の建設は遠慮すると共に、教育会がその碑を建てたのだ。

  • ロープウェイで行けると聞き、行ってみようかなと…。お餅や氷砂糖が非常食だったのね。聖職の碑の意味付けが良かったです。

  • 前半はひたすら教育の話。難しくて読み進めにくかった。後半からこの遭難事件についての物語がようやく展開する。
    取材についてのあとがきも相当のボリュームだった。

  • 木曽駒ヶ岳を舞台にしたドキュメント。大正2年に起きた山岳遭難。赤羽先生に敬服

  • 結局買ってしまい2回目読了。八甲田山よりもこの本のほうが好きなのは、死ぬ、あるいは生還する1人1人に、丁寧に焦点をあてられているから。立て続けに新田次郎読んで、自然を畏れる気持ちをなくしてはいけないと。

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著者プロフィール

新田 次郎(にった・じろう):1912-80年。長野県上諏訪生まれ。旧制諏訪中学校、無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、1932年、中央気象台(現気象庁)に入庁。1935年、電機学校卒業。富士山気象レーダー(1965年運用開始)の建設責任者を務めたことで知られる。1956年『強力伝』で、第34回直木賞受賞。1974年、『武田信玄』ならびに一連の山岳小説に対して吉川英治文学賞受賞。

「2024年 『火の島』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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