蝶々さん(上) (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062770255

作品紹介・あらすじ

明治初頭、長崎港外の深堀に士族の娘として生まれた蝶は、父の形見の『学問のすゝめ』を読んで育つ。かくれキリシタンの少女ユリとも仲良しになり、文明開化の夢がふくらむものの、コレラの流行で母と祖母を失って運命は一変。小学校を卒業すると同時に丸山遊郭「水月楼」の女将の養女となって長崎へ-。「蝶々夫人」の真実の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 蝶々さんと出会ったのは、島田雅彦氏の『彗星の住人』に登場人物として登場したことがその端緒だったと記憶している。父の足跡を辿る形式で描かれた『彗星の住人』は、衝撃的な出会いだった。以後、島田氏の著作は、数多く読んでいる。島田雅彦という作家に心酔したのは当然のこととして、歴史に翻弄されつつ、その歴史の渦にともすれば飲み込まれそうになりながらも、おのが恋と意志を貫いた蝶々さんという一人の女性に心惹かれた。自分でも蝶々さんの足跡を少しでも辿ってみようと、数々のマダム・バタフライに関する著作を読んでみたし、蝶々さんの故郷である長崎の町を再訪したりもした。

    プッチーニの手になるオペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』が有名になりすぎて、蝶々さんは完全にフィクションの中の人だと思っていた。しかし市川森一氏の『蝶々さん』は、そんな先入観をいとも容易に打ち破ってしまうほど、リアリティに満ちている。実在する人々や史実が多く盛り込まれたこの物語で、蝶々さんはやはり歴史に翻弄される。明治の世、それも幕府体制から急転換したいわゆる「御一新」の世においては、女性が一人で生き抜いてゆくことは大変な精神力、つまり意志が必要となる。時には権謀術数を駆使しなければならない。望むと望まないとにかかわらず、男の力を頼まなければならない場面もある。おのれの意志なく男にもたれかかれば、それはすなわち男に流されるだけだ。士族の末裔として生きた蝶々さんという一人の娘は、しかし士族の娘であることを矜持として、そうならずに御一新の世をたくましくも生き抜いてゆく。

    上巻で語られる蝶々さんは、いわば幼年期から小学生くらいの頃であるが、すでに逞しさを存分に発揮している。父親の顔を見ることなく、母と祖母をひょんなことから同時に失い、そこから怒涛の運命に翻弄されるが、幼くして決して自分を見失うことはない。時に幼子の無邪気さを見せることはあっても、狡猾な大人たちに隙を見せて、おのが人生を蹂躙されるようなことはない。運命には潔く身を委ねても、自分が向かうべき方向を失わない強さは、読んでいて爽快な気持ちになる。

    長崎という、御一新前は我が国で唯一外国に門戸が開かれ、その結果明治の世においても当時は珍しかったであろう青い目の外国人たちが集う土地で懸命に武士道精神を秘めて生きようとする蝶々さんは、本当に生き生きと本書の中に実存する。下巻は、いわゆるオペラで描かれるマダム・バタフライの生涯を辿ることになるだろう。はたして市川森一は、すでに巷間に知られたマダム・バタフライの生涯をどのように色づけしてくれるのだろう。読む前から、つい心が躍ってしまう。

  • オペラで不思議に感じていたことが実はこういうことかと認識できました。日本人だから、アメリカ人だから、そう考えるのねーと。

  • 2013.1.28~2.12 読了
    一見すると生い立ちから最後まで不幸の連続という、何ともやりきれない話に思える。まず父親が我が子の顔を見ずに暗殺され、母と2人の祖母と親友ユリに囲まれて順調に少女時代を送っているかと思っているとコレラで母、祖母をいきなり失い、周囲の親切で水月楼の跡継ぎになれるかと思えば実は身売りされていたことが分かり、何とか別の遊郭に移れたと思いきや又もやコレラ禍で親切な楼主を失う、最後はアメリカ兵の買春の餌食になり子供まで孕んで自死に至る、という展開。しかし夢と希望を持って常に凛として人生に立ち向かってゆく姿が共感を呼ぶ、これは母や祖母から伝えられた武士道精神と父の形見の『学問のすゝめ』の故だろうか。

  • 「蝶々夫人」は実在した、という前提で掘り下げられた小説です。ドラマ「おしん」的不幸の物語にならないのは、当時の長崎の描写に相当力を入れていることと、蝶々さん自身が本当にひどい目にあったとは思ってないからかもしれません。主人公は蝶々さん個人ではなく長崎という町そのものかも。元々外交の要所として発展してきて、さまざまな国や文化を受け入れ独自の空気を作り上げてきた場所。多様性を認め、時には翻弄されながらも個のあり方を確立してきた歴史。それを蝶々さんという一人の人間として描いているように感じました。
    蝶々さんに関する歴史的な資料があるわけではないので、話の展開や人間関係には首をかしげることもありました。木原くんはそんなに蝶々さんのことを知ってる訳ではないと思うし、「あれは蝶々さんじゃない、蝶々さんに申し訳ない」というなら伊作の方が適任ではないかと。あの話に出てくる蝶々さんなら、アメリカへ渡るのにもっと賢い道を選ぶこともできたと思うし…。そういうところが小説の醍醐味だと言われてしまえばそれまでですが。

  • やはり時代小説なだけあって始めの導入部はややかたい。蝶々さんの身にふりかかる幸運と不運。不運の出来事が目立つものの私は蝶々さんの出逢い運は凄いものだと思う。いつの時代も人生は出逢いによって変わるのかもしれないと思った。下巻早く読み始めたい!!

  • 市川森一は、たまたまDVDで『淋しいのはお前だけじゃない』(1982年放送のTVドラマ)を見て以来、とても気になる作家になった人で、今夜(2011年11月19日)のNHKで放送のドラマ『蝶々さん 最後の武士の娘』の原作が本書ですが、はたして時代に翻弄された薄幸の女性・蝶々夫人こと伊東蝶を、宮崎あおいがどう演じるのか、今からドキドキしているところです。

    TVドラマ出演としては『篤姫』以来3年ぶりですが、あの時の興奮は細部にわたってすぐ思い出せると同時に、まったくあきれるほどの彼女のみごとな名演は、本筋のストーリーを満足して見ること以上に、私の眼と心にカタルシスを与えてもらったのでした。

    たしかに『純情キラリ』(NHK朝ドラ・2006年)よりも、またはるかに進化(深化!)した彼女でしたが、3年という時間を経て、いったいどこまで遠く行ってしまっているのか、ワクワクしています。

    先だって放送されたメイキング番組で、脚本も手がけた市川森一が、書いているときの蝶々のイメージに、宮崎あおいを抱いて、期待に胸を膨らませて大変だったと告白していました。特に、台詞がないときの無言の状態の彼女の演技は絶品で、沈黙のときに彼女のような、その人物が醸し出す具体性を創造できる俳優は、他に誰もいないみたいなことも言っていた気がしますが、これは私の思い入れが過ぎた感想なのか、今となっては定かではありません。

  • 難しかった。けど面白い。
    いつも現実を受け入れる蝶々さんの姿に圧倒される。
    下巻も買ってこよう。

  • 蝶々夫人、なんてタイトルくらいで内容もよく知らない。だからあの蝶々夫人が実在していた!と帯にうたわれていてもへぇぇくらいだった。
    それでも夢中になった。
    貧しくてどちらかといえば恵まれない人生を生きたお蝶の“美しい生き方”に魅せられ、顛末のわかっている物語なのにつんのめるように先へ先へ読み進め、今し方すべてを読み終えた。

    長崎の情景がすばらしく、憧れが増した。
    今度はお蝶の生きた跡を探そう。

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