新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
3.92
  • (59)
  • (66)
  • (62)
  • (5)
  • (1)
本棚登録 : 1007
感想 : 77
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062773027

作品紹介・あらすじ

大学生の吉岡が二度目のデイトで躯を奪ってゴミのように棄てたミツは、無垢な田舎娘だった。その後、吉岡は社長の姪との結婚を決め、孤独で貧乏な生活に耐えながら連絡を待ち続けるミツは冷酷な運命に弄ばれていく。たった一人の女の生き方が読む人すべてに本物の愛を問いかける遠藤文学の傑作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『沈黙』を昨夏に読んで以来、久しぶりに遠藤周作の作品を手に取った。
    遠藤周作の小説は、いつも私に疑問を問いかける。
    「神は存在するのか?」「真実の愛とは何か?」。
    小説を読み終わっても明確な答えが書いてあるわけではないけれど、こんなに真正面から真摯に読者に問いかけてくる作品ってあんまりないような気がして、なんだか嬉しくなってしまう。

    けれど相も変わらず、遠藤の作品はどれも暗い。
    この暗さと重さに堪えられず、そしてあまりにもミツが可哀想で、一度読むのを離脱してしまったほどだった。彼女の吉岡を思う一途な愛を、少し疎ましく感じることもあった。
    同じ女として、「あんな男のことなんて早く忘れて仕舞えばいいのに」と何度思ったことか。
    しかし読み終わった時、私の中でミツは少なくともただの"可哀想な女性"ではなかった。
    彼女の生き方は上手ではなかったかもしれない。
    でも、その愛と行動の姿はきっと関わった人の記憶に、そして読み終わった人の心に、一生焼き付いて離れないのではないかと思う。

    「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」という作中の言葉が深く胸に刺さった。
    誰かと出会うことが簡単になりつつある現代に、この言葉は忘れたくないと思った。

  • 遠藤周作の小説は、読みやすいけど重い。
    タイトルからして明るい内容ではないだろうとは思って読み始めたのだけど、こういう流れと結末が待っていることは予想できなかった。

    大学生の吉岡努が2回目のデートで身体を奪って棄てた森田ミツは、不美人だけど無垢な、田舎生まれの苦労人の娘だった。面倒になった吉岡はミツとの連絡を断ち、月日は流れた。
    大学卒業後、吉岡は勤め先の社長の姪との結婚を決めた。一方ミツは、孤独で貧乏な生活に耐えながら、吉岡からの連絡を一途に待ち続けていた。
    そしてミツは、さらに過酷な運命に弄ばれてゆく。

    吉岡はエゴイズムの権化で、一方ミツは自己犠牲や愛の化身、という印象。ミツは容姿だけ見るとけして美しくはないものの、心は純真無垢で、つい自分よりも他人を優先してしまい、そしてそれを彼女自身の無意識の徳として生きているような人間。
    登場時のミツの印象が文章からすると美しくなく薄汚れたように思えたので、物語が進むにつれ、聖女さながらの彼女の姿が神々しくさえ思えてくる。
    確かにミツは吉岡に棄てられ、そしてミツは純粋に吉岡のことを待ち続けたのだけど、最終的にはミツよりも吉岡の方がそのダメージを多く負ったように見える。ミツの神々しさが、そんなことは彼女にとってはダメージでも何でもない、と思わせてしまうのかもしれない。

    物語のネタバレになってしまうので後半については言及しないけれど、ミツにとある病気の疑いが掛かったことが、彼女の運命をまた深い場所へと連れていく。
    1人の男を愛し、それが相思相愛どころか棄てられたという結果であっても、一途に待ち続けたミツは幸福だったのかもしれない。端から見れば不幸な顛末なのだけど、人の心の中はその本人にしか分からない。
    シンプルに吉岡はクズ男だと思うし、そんな男を想い続ける価値など…とは思うものの、吉岡がそういう男だからこそ、ミツの徳の高さが際立つのだろう。
    遠藤周作とか三浦綾子とか、キリスト教の自己犠牲的な物語は賛否両論あるだろうけど、あくまでも実体は愚かで美しくはないままだったミツを描ききった前者の方が、リアルなのかもと思った。

  • ただただ、ミツの愛に生きる姿に対して理解に苦しんだ。これが隣人愛ってものなの?この物語で出てきた、「人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残す。」というメッセージはずっしりきた。重い。

  • 主人公吉岡の生き方を批判はしないし、かといってミツのような女性が素晴らしいのかどうかもわからないけれど、ただただひとりの男を愛し
    平等に人間を愛し、孤独と戦いながら死んでいったミツは哀しい女性だなぁ、という印象。
    現代では「重い女」と排除されてしまいそうな一途さだけれど、他に拠り所のない人生において何かにすがりたい想いはわからなくもない。
    せつない。

  • 私がかつて読んだ本の中で、最も泣けた本。今でも読むたび泣かずにいられません。新装版が発売されたということで、今回は二度目になります。
    幸薄な運命に弄ばれながらも人を信じ、愛し、純粋に生きた女ミツ。そしてミツの短い生涯の生き様は、我々が忘れかけている真実の人間愛を教えてくれます。

    本意でない信仰と自我の狭間で、長年苦しんできた遠藤さんならではの作品です。星5つでも足りません。
    これからも深くじっくり味わっていきたい作品です。

  • 昔読んだのでね

    なんだろうね、遠藤周作って表現が秀逸とかそこまでじゃないんだけど読みやすくてリズムがよくて読んだあと不思議な気持ちになるんよね
    戻ってくるのはいつもここなんかね

  • 遠藤といえば、『沈黙』というかもしれない。
    それに異論はないが、
    個人的には『女の一生・キクの場合』と本著が遠藤の隠れた名著ではないかと思っている。

    『私が棄てた女』

    この本を手にしたのは大学時代だった。
    もう所在も連絡先もわからないが、法学科に友人がいた。
    彼女の感性は、独特だった。
    そんな友人からある時、本をおすすめされる。

    それがこの『私が棄てた女』。

    最初は、ページを捲れど、鬱蒼とした大学生活に
    共感が続く。何をして過ごせばよいのやら、やたらに長い夏休みへのうんざり感を本著に重ねて、非常に低いテンションでありながらも心持ち良く読み進めていた。

    そこで登場する圧倒的主人公「森田ミツ」。

    湿り気と臭気溢れる展開に、最初の心持ちはすっかり憂いとミツに支配されてゆく。

    聖母「ミツ」とサイコ「吉岡」。

    聖性というのは、その神聖さをもって人に魔法をかけるかのように心を満たし潤す性質を持っている。

    その一方で、自分の状態と一致しなければ、
    聖性というのは一気に「鬱陶しく野暮ったい」
    ものに成り下がる。

    ミツにはその両方が描かれていた。

    三つ編みの鈍臭いミツに、「母性に近い優しさ」を感じつつも、そこまで尽くす必要はないじゃないかと「邪険に突き飛ばしたくなる」瞬間が読者側に充てられる。

    実際、読者と同じ思いでいた吉岡も
    ミツを石ころ同然、無碍に扱う。

    ミツのような子は、現実存在するし、多くの読者の過去に心当たりがあるのではないだろうか。

    前半では、このように鈍臭く、その聖性を汚い人間たちに利用されまくりのミツだが、
    後半はミツ挽回のターンに入る。

    見下していた存在が「聖なる存在」に変わる瞬間である。

    これは、パウロとイエス(キリスト教)の関係性にも重ねることができる。

    吉岡はどことなくパウロっぽくもある。
    最近はミツを馬鹿にし、ミツの人生そのものまでめちゃくちゃにしておきながら、あとでその存在いから「救われる」のだから。

    吉岡も、『キクの場合』の伊藤もなかなかの畜生で、特に伊藤に関しては救いようがない。

    しかし、これはどちらも「人間の本質」を描いているとしか思えない。

    この薄汚い連中どもめと、やや上から読んでしまうのは危険で、こうした連中にこそ、「私」が描かれていると自戒する必要があるだろう。

    イエスも悟っていたように、人は「裏切る」し、「自分が一番可愛い」。
    でも、イエスはそれを責めなかった。そうした人間の全てを愛し、罪を負った。
    その全てを一身に背負って、赦したことに「贖罪」の本質があると思っている。

    こうしてみると、ミツは聖母でもありイエスでもある。


    読了して残り続けたもの。


    それは「ミツ」という人間だった。

    ミツの最後はある意味「贖罪」でもあるかもしれない。

    そう思うと、より一層「ミツを探したい」という衝動に駆られるのである。
    吉岡のように。



    この本をこれからも手に取って、「ミツ」
    の存在を人生に取り込んでゆきたいと思う。

  • 困っている人を見ると助けずにはいられないミツと、自分の幸福のためなら他人を利用することを厭わない吉岡の視点が双方向から描かれていて面白かった。
    ぼくは完全に吉岡側の人間だけど、ミツのような人に憧れを抱くこともある。ミツは修道女や患者にとって忘れられることがないと思う。

  • 昔のエリート――というほどではないが、二流三流とはいえ大学出の――男が、過去に残酷にやり棄てた女に対する懺悔や言い訳の入り混じった告白をする話かな・・・と思いきや、まあそうといえばそうだけど(いや懺悔はしてないな)、やはり遠藤周作だし、神の愛まで話は至った。

    田舎出の、愛情にも運にも恵まれなかった森田ミツという女性が、タイトルでいう「棄てられた」女なのだが、彼女が、人の苦しみを自分の苦しみと思い人のために尽くさずにはいられない人間で、ある価値観ではこれを「お人よしで損ばかりしている愚鈍なやつ」ととらえることもできるが、この本のテーマとしては彼女こそが神のいうところの「幼子のように素直に愛の行為ができる人」。
    いっぽう「棄てた」側の男=吉岡努は、少なくとも現代の感覚でいえば色々許せないところはあるし、「最後に真実の愛に気づき彼女を迎えに行き絶景ポイントで抱擁」みたいな泣かせドラマでもないのでそういう英雄的な見せ場は一切ないが、彼が得たひとつの学び、「ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということ」は、全くその通りだなあと。そしてさざ波のように静かに周囲にも変化を及ぼすものだ。

  • ネタバレ知っちゃってから読んだけどそれでも最後は泣く。世の中にはいろんな人がいるしいろんな人生がある。そしてそのいろんなことを選び取ることができる。選び取ることができるものが狭くならないためにも、エゴを捨てて、いろんなものを見て感じていきたいと思った。わたしの人生讃歌をいつも遠藤周作はしてくれる。好き!

    私たちの信じている神は、だれよりも幼児のようになることを命じられました。単純に、素直に幸福や悦ぶこと、単純に、素直に悲しみに泣くこと、そして単純に、素直に愛の行為ができる人、それを幼児のごときと言うのでしょう。

全77件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

遠藤周作の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×