水死 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 87
レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062774321

作品紹介・あらすじ

母の死後10年を経て、父の資料が詰め込まれている「赤革のトランク」が遺言によって引き渡されるのを機に、生涯の主題だった「水死小説」に取り組む作家・長江古義人。そこに彼の作品を演劇化してきた劇団「穴居人」の女優ウナイコが現れて協同作業を申し入れる。「森」の神話と現代史を結ぶ長編小説。

感想・レビュー・書評

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  • 天皇主義の戯画を演じて死んだ三島由紀夫に対し
    戦後民主主義の戯画を引き受けて生きる大江健三郎は
    三島の死をトリックスターのそれと決めつけ
    影響力を無効化するために
    天皇との和解を目論んだのだと思う
    「あいまいな日本の私」とは、まさに天皇のことでもあるわけだ
    それはもちろん逆説的に不敬だった
    とはいえ、天皇との和解
    小説を使ってのことにせよ
    さすがの大江も、そんなご都合主義をやらかすほど
    恥知らずにはなれなかった
    それはあるいは、障害持ちの息子という心残りを置いた
    老年の弱気なんだろう
    そこでかわりに、三島のホモソーシャル志向を叩くべく持ち出したのが
    メイトリアークという概念だった
    天皇の家系をつないでいるのも、結局は産む存在としての女である
    それを視野に入れない三島の思想は、尻切れトンボで未来がない
    そういう考え方はしかし
    女性の権利がうたわれる時代において
    即「おもねり」と化す危険性をはらんだものであろう
    そして実際のところ三島由紀夫は
    子らに対する圧制者としての母たちと、常に向き合う存在でもあった

    ただし、以上のことはすべて僕の妄想であって
    「水死」という小説には三島のみの字も出てこないのであるが
    序盤で問題にされる
    「みずから我が涙をぬぐいたまう日」に関しては
    三島の切腹を受けて執筆されたものという見方が一般的のようだ

    ノーベル賞作家の長江古義人は
    長年の懸案だった「水死小説」への着手にあたり
    地元・愛媛県の劇団員に頼まれて
    ワークショップを並行することになる
    「水死小説」…実家近くの川で溺れ死んだ父親の名誉回復を
    長江は、それによって果たそうとしたものであった
    しかしその試みは早々に頓挫してしまう
    アテにしていた当時の資料が、ぜんぶ空振りだったから
    そしてさらに気落ちする暇もなく
    老齢の長江にとって、あまりに厳しい家庭の危機が訪れるのだが
    この窮地を救ったのは、劇団員ウナイコとのつながりだった
    孤立した「リア王」のように
    放り出される寸前の長江が救い出されたのは
    ウナイコと、長江の妹アサがコミットメントしてくれたおかげだ
    ただし
    それは要するに、ノーベル賞作家の威光を争奪する劇団内の対立で
    ウナイコが主導権を握ったということでもある
    彼女はその威をかりて
    高級官僚だった伯父への、ある復讐を実行しようと目論んでいた

  • 物語が何一つ解決せず、むしろ混乱の極みのようにして終結する。さまざまな挿話が立ち起こっては消えて、のようなまま、パタンと終わる。

    読後、取り残されたような気分になり、混乱したが、しばらくして気づいた。
    物語に決着はつかないのだということに。
    人生の決着が全てついて、終わりを迎えるなんていうことはなく、むしろ混沌としたまま、曖昧なそれなりの良い意味での諦めをもって収束させるしかないのだ。

    キーワードのように鳴り響く、These fragments I have shored against my ruins
    という引用が示すように、何も完結させられないまま、なんとかして最後までやり抜いていくということなのだろう。

    大江氏の人生をかけた物語りは、まだまだ続くのだ。氏の作品で何度も繰り返されるように、その物語を受け取った新しい世代が、脈々とモノ語りを続けていくのだ。

    (ということで、大江作品をあまり読んでいない方には、絶対にオススメできない)

  • 大江作品は数作しか読んでないが、彼の作品とは相性が悪いようだ。文章じたい、読み手に対して優しくない。内容も私的すぎて、特にファンでもない私は読んでいて辛かった。長年読んでいるファンだったら楽しめただろう。

  • もちろんいつまでも自己批評的であったり留保を付け続ける必要はないんだとは思うんだけれど、「母を愛していたのだ」「父を愛していたのだ」のくだりには本気でびっくりした。愛している、なんて言葉、今までに出て来たことなんて一度もなかったように思うのだけれど。

    それに、そんなこと、大抵の作品を読んだからとっくの昔に知ってるし、本人こそそういう言葉によって認識していなかったのかもしれないけれど、そういう簡単に言葉に出来ないもの、をこそ、彼は今まで悪文と呼ばれながらも書いて来たのではないか…?最後の小説(かもしれない)という段階で、やっと使った、ということも出来るけれど…。

    『こころ』に関する「教育」のくだりは、つまり個人的なできごとを真摯に伝えることによって、他人に何を与えうるのか?そんなこと勝手な個人的表現でないのか?という大江健三郎自身の長年の問題にも触れるようであるけれど、はっきりと答えは示されていないし、示されうるとも思わないけれど、全体的になにか弱って来ている感触がするのが辛くて、これがもし彼のレイトワークならぬラストワークになってしまうのだとしたら、私は悲しい。

  • 最近の大江作品は『~アナベル・リイ』くらいしか読んでないですが、これも基本的には同じ路線の、一見私小説的な、作者自身とおぼしき主人公(作家の長江古義人)とその周辺人物が登場して現実とリンクしたエピソードをフィクションも交えて展開する形の作品。そういう意味では一種シリーズものみたいなところもあるので、前後のエピソード(および作者周辺の現実)とレギュラーの登場人物を予め知らないと、すんなり理解できない不親切さがあって、文章そのものは平易なのに、全体としてやはり難解というか、とっつきにくい印象は否めませんでした。うん、なんというか、自分なりの解釈をつけることは一応可能だけれど、総じてやはり難解だし、煩雑。

    ウナイコという人物がいないとストーリーは進まない反面、彼女がいることで「水死」そのもののテーマは薄れてしまう気がする。中盤、漱石の『こころ』を「死んだ犬を投げる」芝居でやるくだりとか、ここまで延々描写する必要あるのかなあ?とか思ったし、最後の最後になって急に彼女が「強姦」とか言い出すのもやや唐突というか、やっぱりその「強姦」という言葉と現実の強烈な響きによって「水死」=「殉死」という本題がかきけされてしまったような。
    『こころ』の先生が自殺したのは「明治の精神」とか関係なく個人的な事情だと私も解釈しましたが、そういう意味では主人公の作家の父の水死も「昭和の精神」に準じたと受け止められるわけで(少なくとも作家はそう思いたかったわけで)、そういった諸々を引き受ける「憑巫(よりまし)」が当の息子ではなく赤の他人の大黄さんだったにせよ、彼の登場も初見の読者にはいささか唐突すぎ、カタルシスというにはあまりにも読者が置き去りな気がしました。

    読者から作者に歩み寄る努力を相当しないと、読みきれない作品じゃないでしょうか。正直、今後は遠慮したいと思ってしまった。読むなら初期作品にしようと思います・・・。

  • 読みかけて途中で挫折した大江健三郎の本が沢山ある。この本を最後まで読みきったということは、年をとってあらゆることに興味を持つようになり、多少とも読解力がついた証左である。
    国語が極端に苦手な子供に少しでも分けてやりたい。
    大江健三郎の作品は確かに読みづらい。私小説的であり、背景にあるものの説明は全くない。
    この小説も水死という題名で終戦直後に亡くなった実父の謎をたどろうとしたのだが、早い時点で諦め、ウナイコという演劇女優や自分の周辺を取り巻く話が脈絡もなく、展開し、どうなることだろうと読み進めていくが、最後に衝撃的な事件が起きて、何とか小説的な幕引きとなる。
    この分かりにくい、途中で投げ出したくなる小説を読みきったことで、もう一度作者の他の作品にも再挑戦してみようかと自分を奮い立たせる役には立ったのだろう。

  • 読みにくくてなかなか読み進められなかったが、二日目には慣れることができた。とは言っても、なかなかさらりとは読めない文章で、苦戦させられた。
    意外性があって面白い。それに、ウナイコとリッチャンのキャラクター性が良い。でも、最後に何を伝えたかったのかが分からない。長江先生の意思が受け継がれている、ということ?急に監禁されてしまうという展開にちょっと着いていけなかった。
    ウナイコのように自分を表現するようなことをしてみたいと思った。何があっても自分が伝えたいことを人々に伝えようと思う意思の強さと熱意に憧れた。

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著者プロフィール

大江 健三郎(おおえ けんざぶろう)
1935年、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。大学在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を、同じく在学中1958年当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞を受賞。1964年『個人的な体験』で新潮文学賞、1967年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、1973年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、1983年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、1984年「河馬に噛まれる」で川端賞、1990年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。そして1994年には、日本人として二人目のノーベル文学賞を受賞した。2018年7月から『大江健三郎全小説』全15巻の刊行が始まっており、一度も書籍化されなかった「政治少年死す」なども収録されている。

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