親鸞 激動篇(下) (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 38
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062775724

作品紹介・あらすじ

恵信とともに越後に流された親鸞。そこで見た想像を越える、庶民の姿。衝撃を受けた彼は--。誰も見たことのない親鸞がここにいる。

感想・レビュー・書評

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  • はっきりした意思があるのかないのかよく分からないまま
    結構なお歳を召してしまった超絶草食系おじさん親鸞が、
    いよいよ、ついに、満を持して、
    なにかしらしなきゃいけないかもしれない!と思い立つまでの話。
    下巻は完結編までの繋ぎかなーという趣だけど、
    オールスターズ的な展開もあって熱いです。

    自分としては浄土真宗ってキリスト教に近いような気がしています。
    念仏というのは純粋な祈りであるわけで。
    ナムアミダブツって、アーメンと同じニュアンスじゃない?

    最後の心のよりどころ。暗闇の中の一筋の光。
    すべてに感謝するための所作。
    なむなむ。

  • 越後から関東に移動した親鸞一家。様々な苦難を乗り越えていく。親鸞の恵信への怒りが初めてだされた。ちょっとびっくり、人間親鸞がみえた瞬間は面白かった。

  • 唯円出てきた!それぞれの道を進み出す激動編下巻。寂しい、というか、ヒドイよ!ヒドイよ親鸞さま!

  • 前巻のエンタメ系から少し思索らしき展開になってきたと思ったが、下巻で再びチャンチャンバラバラが始まった。しかし、念仏という言葉では簡素なものの深く意味するところを説明するのは難しいだろうなと思った。2018.2.2

  • 雨乞いの法会を切り抜けた親鸞は外道院と袂を分かちます。
    外道院は仲間を引き連れて旅立ち、親鸞は越後に施療所を開設し、人びとと穏やかに話し合う日々を送ります。
    しかしその折、法然の訃報が届きます。
    師を喪った親鸞はどうしていくのか。
    その時、関東から誘いがかかります。
    穏やかな越後の暮らしに終止符を打ち、再び親鸞が動き始めるのか。
    京都での仲間たち、黒面法師の影などもちらつき、物語はどんどん進みます。
    次の展開が楽しみです。

  • 下巻では、関東に居を移した親鸞が念仏の教えを人びとに広めていく姿が描かれます。

    京都以来の因縁である黒面法師との対決を巧みに配するなど、エンターテインメント小説としての完成度は高いと感じました。また、後の善鸞義絶事件への布石と思われるエピソードもあちこちに見られて、続きが気になる構成になっています。このあたりに、宗教者としての親鸞以上に、小説家としての著者の意向が強く感じられるところではありますが、ともあれ楽しんで読むことができました。

  • 越後でのゆるめの生活、施療院をはじめるが為政者の交代とともに親鸞は脇へ、さらに鉄杖の自殺、法然の訃報。関東からの勧誘をうけて移動。関東での生活の終盤は恵信の帰越後、そして浄寛の死。京に戻る決意をするところまで。
    激動篇と名がついているものの、あまり激動ではないように感じる。布教的な活動はほとんど描かれず、親鸞の内面と政治的な動きや敵味方分かれてのスパイというかニンジャ合戦的なアクションが面白い。とはいえ、楽しく物語りを追うだけでそれなりに親鸞の考えが的確に理解できるしくみになっている。理解する、というのと信心するというのは全くの別モンだということも実感できるのが面白い。そんなんでええんか?親鸞っ!!とツッコミたくなるほどかなり良いキャラです。完結編が楽しみ。

  • ちょっと中だるみ感あり。もちろん親鸞その人がぶれまくっていてもいけない訳で、その信念の部分が動かせない以上、突拍子もない展開は望むべきでないのは分かる。ただ、降りかかる災難とか、それに対しての行動変容とか、結構なパターン化に陥っている気が… あと細かい部分だと、各章の結びで、ほとんど同じ文章でくくられているところ、複数箇所ありません?なんか気になっちゃいました。

  • 親鸞の俗っぽいところに共感を感じさせる。
    人に、南無阿弥陀とは何か、を問われ、また自分にも問い続ける。完結篇は、京が舞台。歴史に名を刻むべく行いが見られるはず。

  • 友だちに借りた五木寛之の「親鸞」を読んでいますと、
    親鸞が説法の中で、当時、庶民の間で流行った歌、
    つまり今様(いまよう)を詠い出すシーンがあります。
    調べてみますと、これは梁塵秘抄の中に収められている歌なんですね。

    その梁塵秘抄は後白河法皇が巷で歌われている歌が
    このまま廃れてしまうのをおそれ、書き留めたものだとされています。
    また、万葉集は詠み人知らずや防人の歌なども文字を知らない人たちが歌ったものを
    大伴家持などが書き留めたものだとされています。
    詩人、安東次男は
    『この時代の歌は、現代のように目で読むために作られた歌ではない』
    何度も口に出し繰り返しているうちに
    このような歌が出来上がったと述べておられます。(安東次男「百人一首」より)

    口頭伝承という言葉がありますが、
    文字をない世界では人から人へ言い伝えるしかありませんでした。
    やがて、人が文字を使うようになり大変便利なりました。
    でも、文字だけでは伝えきれないイントネーションや「間」などは
    やはり人と人が直に接触し、口頭であれこれ伝えるのが一番でしょう。
    さらに、ことばだけでなく、朝の挨拶仕方や茶碗や箸の上げ下げ、
    着物の着方からたたみ方など礼儀作法や身の処し方まで口頭で伝承されてきたのです。
    少し大げさに言えば、これが日本文化ではないと思っています。

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著者プロフィール

作家

「2018年 『人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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