橋の上の「殺意」 <畠山鈴香はどう裁かれたか> (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062776141

作品紹介・あらすじ

33歳のシングルマザーは、なぜ幼い命を手にかけたのか? そこに「殺意」はあったのか? 真実を炙り出す、力作ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  •  ベテラン・ルポライターが、2年半におよぶ取材をふまえて書き下ろした、畠山鈴香事件(秋田連続児童殺害事件)のルポルタージュ。中心となるのは、さる5月に鈴香の無期懲役が確定した裁判の記録である。

     この事件については週刊誌・夕刊紙等がずいぶんいいかげんな記事を書き飛ばしており、根拠のないデマの数々――鈴香が男を家に連れ込んでは売春していたとか、被害男児の父親と不倫していたとか、彩香ちゃんを虐待していたとか――が、事実であるかのように一人歩きしている。
     さすがに本書は、そうしたスキャンダリズムとは無縁の真摯な内容となっている。むしろ、この事件の報道に対する批判の書にもなっているのだ。

     著者は死刑反対の姿勢を旗幟鮮明にしており、本書も一貫してその立場から書かれている。そのため、裁判についての記述では偏向が目に余る部分もある。
     著者の目から見ると、死刑を求めていた検察側はつねに“悪しき国家権力”であり、彼らが法廷でなす主張は「舌なめずりするように」などというネガティヴな形容詞つきで描写される。このへん、ちょっとあからさますぎやしないか。

     また、著者が鈴香に対して終始同情的でありすぎる点も気になる。
     たしかに、彼女は病んだ心をもつ「哀れな加害者」(著者の形容)であり、その生い立ちを見れば同情の余地も山ほどあるのだが(父親から虐待を受けていたり、少女期に学校で激しいいじめを経験していたり)……。

     もっとも、世論の大勢が鈴香糾弾に傾いたなかにあっては、このような本が1冊くらいあったほうがバランス上好ましい、ともいえる。

     不可解なこの事件だが、本書を読んでもその不可解さは払拭されない。
     ただ、鈴香の精神鑑定に当たった精神科医の一人・西脇医師による解釈は、私にとって「なるほど」と腑に落ちるものだった。

     西脇医師は、最初の彩香ちゃん殺害(鈴香は殺意を否定)は人生に絶望した鈴香による「無理心中未遂」であり、豪憲くん殺害は「混沌とした心理状態で、あの世(死後)の彩香ちゃんの遊び相手として豪憲くんをあの世に送り込んだ」ものだと解釈している。
     もっとも、著者は西脇鑑定を評価しつつも、「(動機を解釈した)結論部分については疑問を感じている」としているのだが……。

     ともあれ、著者によるバイアスが少し気になる以外は、読みごたえあるルポルタージュだ。

  • 当時だいぶ話題になった事件のルポ。
    特に取材もなく書かれたものなので事件の概要をつかむ以外に価値なし。当初、事故として扱われていた一件は、その後の被告人の言動(再捜査を要求)を見る限り、記憶障害がおきているという主張もありそうな気がした。

  • この裁判の経緯を見ると、結局最後まで犯人である鈴香の動機は解明されていない。
    もちろん、裁判において提示された供述調書などにはもっともらしいことが書いてある。
    事件解決のために警察も検察も成すべきことをしたのだろうし、何よりも犯人がいつまでも逮捕されないのでは遺族を筆頭に周辺の住人たちも日常に戻ることができない。
    それでも、精神的に何らかの問題があるという指摘が複数の精神科医によってされているのならば、もっと時間をかけて「真の動機」に踏み込んでほしかった。
    人が人を殺す。
    余程のことがなければ踏み越えることが出来ないほど高いハードルのはずだ。
    やすやすとハードルを越えてしまった人たちには、ごく普通の日常を過ごしている人たちとは圧倒的に違う何かがあるはずだ。
    殺人を犯す人たちは「特別な人」。
    そうはっきりとさせてほしいのかもしれない。
    そうすれば「普通の人」には有り得ない出来事だと安心できるから。
    人としての何か大切なもの。
    倫理観かもしれないし、命の重要さを軽んじる主義かもしれない。
    その根本にあるものを解き明かしてほしい。

    このノンフィクションを読んで感じたのは、「メディアスクラム」の怖さだ。
    事件が起きるたびに報道は過熱し、家族や親戚縁者はもちろんのこと友人たちにまで取材陣が群がり、自分たちに都合のいい報道が繰り返される。
    いつも思うのだけれど、被害者の家族や親、加害者の家族や親に向かって「いまのお気持ちは?」と聞くことに何の意味があるのだろう。
    メディアスクラム(集団的過熱取材)は何度も繰り返されてきた。
    古くは三浦和義事件で。
    松本サリン事件で。
    和歌山毒物カレー事件で。
    報道の自由は守られなければいけない権利だ。
    けれど、錦の御旗のようにそれを掲げて、暴走した取材や扇情主義に偏った報道などはあってはならないと思う。
    犯罪は悪いことだ。
    人の命を奪うのは悪いことだ。
    何より、一度奪われた命は二度と戻ってくることはない。
    大切な、誰にでも平等に与えられた、たったひとつの命。
    他者が勝手に奪っていいはずはない。
    だからこそ思う。
    法のもとですべてを明らかに、罪を問い、刑を科す。

    報道は真実を伝える素晴らしい力を持ちながら、ときにその力が事件の関係者やその周辺の人たちの人生に消すことの出来ない傷を負わすこともあるのだ。
    報道陣だけではない。
    加害者宅や被害者宅にかけられる無言電話や罵倒する電話。
    噂話や捏造話を嬉々としてネットに書き込む行為。
    ひとりひとりが超えてはいけない一線があることを認識することが大切なのでは?と感じるノンフィクションだった。

  • あの畠山鈴香事件について、鎌田さんが
    切り込みます。

    殺人事件を起こしたことは間違いない。
    しかし夫と別れたうえ、子育てに行き詰って
    いた母子家庭の教訓を引き出すこともなく、
    縛り首にしてあの世に送って、何の解決に
    なるのだろうか。

    大阪餓死事件と重なる感じ。
    もちろん起こした罪は大きい。しかし、その
    背景ももっと我々は知る必要があるかも
    しれません。この畠山被告は、マスコミが
    描いたような強い人間なんかではありませんから。

  • 著者のスタンスが加害者の立場に寄りすぎな気もするが、事件当時の状況をひとつずつ積み重ねて、解明して行こうとする過程は興味深かった。
    また、当時の加熱したマスコミによって報じられた加害者像と、実際の事実関係に差異がある可能性も示唆され、既に判決の下った事件ではあるが考えさせられた。

  • 2/3が裁判傍聴記

  • 小説「雪冤」を読んでから 本ルポルタージュ
    頭で考え 捏ねくり回した死刑廃止論に 対して ルポの良さを 遺憾無く発揮
    しっかりした取材 感銘した

  • 日本ではとかく勧善懲悪が基本的に支持されるので、殺人者=死刑で裁かれるべき、というのが常に趨勢になる。
    そのため死刑廃止論は抹殺されがち。もちろん自分の子供が殺されたら加害者を絶対死刑に頬むりたいって思うだろう。その気持ちはもちろんよく分かる。
    だけど裁判とか刑法というのは、そういう被害者感情だけに流されては本来いけないはず。とはいえこの著者もそうだけど、そういうこと言うと叩かれてしまう。
    刑法39条の心神喪失者や心神耗弱者に対する免刑・減刑規定により、日本の殺人事件の裁判は、複数の精神鑑定結果報告の解釈が重要視されるようになってしまい、事件の本質がどんどん見えなくなってしまう傾向にあるようだ。
    まあ、どんな刑法になろうが、本人が真実を語ってくれなければ、真実は暴かれないわけだけど…
    この事件も2人の幼い命が奪われた真相が見えないというやるせなさが残ったまま無期懲役が執行された。
    特に本人が事件の核心を健忘してしまっているので、その部分に関する複数の医師の精神鑑定結果のどちらが正しいか?といった裁判の流れは、遺族が傍聴するには耐え難い屈辱だと思われる。
    素人が単純に見ると、忘れれば極刑を免れる、という誤解を受けかねない裁判の流れが読んでいて辛すぎた。

  • 2006年の秋田児童連続殺人事件で逮捕された畠山受刑者の実像に迫ったルポルタージュ。

    帯に『魔女の裁判』という言葉が記載されているが、著者は世論の畠山受刑者に抱くイメージと真逆のイメージへと読者を誘っている。

    焦点は畠山受刑者の『殺意』と犯行当時の『精神状態』であるようだが、短期間に無抵抗の幼き子供二人を死に至らしめた事実は消しようもなく、死刑という求刑は妥当と思われる。しかし、著者は一貫して畠山受刑者を擁護するかのようであり、違和感を覚えた。この事件が冤罪であり、疑わしい人物がいるのならば、畠山受刑者の擁護にも納得するのだが…

  • 2013.8.22読了。

    報道陣に向かって怒りを露わにしていた、そして任意同行する際のサングラス姿、それが畠山鈴香の印象だった。
    私も彼女に対して誤解していた一人なのだと思った。幼い頃に実父から虐待を受け、担任の教師から虐めを受け、だけど、豪憲くんと家族たちを思うと、同情はできないのだけど、彼女も悲しい人だったのだ。

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著者プロフィール

鎌田 慧(かまた さとし)
1938年青森県生まれ。ルポライター。
県立弘前高校卒業後に東京で機械工見習い、印刷工として働いたあと、早稲田大学文学部露文科で学ぶ。30歳からフリーのルポライターとして、労働、公害、原発、沖縄、教育、冤罪などの社会問題を幅広く取材。「『さよなら原発』一千万署名市民の会」「戦争をさせない1000人委員会」「狭山事件の再審を求める市民の会」などの呼びかけ人として市民運動も続けている。
著書は『自動車絶望工場―ある季節工の日記』『去るも地獄 残るも地獄―三池炭鉱労働者の二十年』『日本の原発地帯』『六ケ所村の記録』(1991年度毎日出版文化賞)『ドキュメント 屠場』『大杉榮―自由への疾走』『狭山事件 石川一雄―四一年目の真実』『戦争はさせない―デモと言論の力』ほか多数。

「2016年 『ドキュメント 水平をもとめて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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