ひそやかな花園 (講談社文庫)

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  • 講談社 (2014年2月14日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784062777582

作品紹介・あらすじ

幼い頃、毎年家族ぐるみでサマーキャンプをすごしていた7人。その思い出は輝かしい夏の大切な記憶だ。しかしキャンプは、ある年から突然中止になった。時は経ち、別々の人生を歩んでいた7人の中で一人が「あの集まり」の謎を探り始める。――このキャンプは何だったのか、なぜ突然なくなったのか。そして7人が再び会って衝撃の「真実」を知ったとき、彼らが選んださらなる道は――。すべての命に祝福を捧げる物語。


私たちがいま、ここに生きているということ。生まれてきたということ。
『空中庭園』『八日目の蝉』『ロック母』『対岸の彼女』――
家族、父、母、子、友を書き続けてきた著者だからこそ描けた、
角田光代の渾身作。
生まれてくる命のすべてに祝福を贈る、大切な物語。

幼いころに、毎年家族ぐるみでサマーキャンプをすごしていた7人。
7人の関係は、兄弟姉妹のようでもあり、ライバルでもあり、またそこにはほのかな恋心も芽生えていた。輝かしい夏の、大切な時間だった。
しかし、そのサマーキャンプは、ある年を境に突然立ち消えになっていた。
時は経ち、大人になった7人は、不安定な生活をどうにかしようとしていたり、成功していたり、悩みを抱えていたり――別々の人生を歩んでいた。
そしてあるきっかけで、一人が「あの集まり」の謎を探り始める。

このキャンプはどんな集まりだったのか、なぜ突然なくなったのか。

そして7人が再び集まり、「真実」を知ったとき、彼らが選んださらなる道は――

読後、必ず光を見る、すべての人に捧げる物語。
解説/平松洋子

みんなの感想まとめ

家族や友情、そして生きることの意味を深く掘り下げた物語が展開されます。幼い頃、毎年のようにサマーキャンプを共に過ごした7人の子どもたちが、成長した今、突然打ち切られたそのキャンプの謎を探る旅に出ます。...

感想・レビュー・書評

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  • あなたには、『今もことあるごとに思い出』す幼い頃の記憶があるでしょうか?

    幼い頃の記憶は、一般的に三歳から四歳頃のものが一番古いと言われています。私にも幾つかその時代かな?と思われる記憶が残っています。しかし、必ずしもその記憶が正しいとは限りません。『あれはどこだったの』と、具体的なイメージを説明しても、『そんなところにいってない』と親からあっさりと否定されてしまうこともあるかもしれません。写真や動画が残っているならまだしも、それらしいものが残っていなければ何が本当だったかはもはや知る術がありません。

    では、それらは本当になかったことなのでしょうか?あなたの記憶の中にハッキリ残る光景はあなたの妄想にすぎなかったのでしょうか?

    さてここに、『五歳から十歳までの夏』に関する記憶を『今もことあるごとに思い出している』と語る二十九歳の女性が主人公の一人となる物語があります。そんな記憶が正しかったことが描かれていくこの作品。そんな記憶の裏側にまさかの真実が隠されていたことが語られていくこの作品。そしてそれは、それぞれの「ひそやかな花園」を思う七人の子どもたちの過去と今を見る物語です。

    『五歳から十歳までの夏を』『今まで幾度も思い返してきたし、今もことあるごとに思い出している』というのは牧原紗有美(まきはら さゆみ)。『あれはどこだったのか、あの子たちはだれだったのか。私はなぜ、そこに参加していたのか。背の高い木々に囲まれた一本道。刈り揃えられた芝生敷きの庭、部屋のいくつもあるウッドハウス、年齢の近い子どもたち』と記憶を辿る紗有美は、『確実に知っているはず』の母親に『あれはどこだったの』と訊いてみるも『そんなところにいってない』と言われてしまいます。『毎年旅行には連れていったけど、同じところに連れていったことなんてない』という母親の言葉の通り、『それらしい』写真は一枚も残っていません。しかし、『ジュリーと呼ばれていた年かさの女の子』、『いつもくっついている男の子と女の子…女の子はノンちゃん、男の子はケン…』と記憶に残る名前を思う紗有美…。
    場面は変わり、『一九八五年』、『サマーキャンプに』『はじめて参加したのは、三歳の夏だった』と、自身の持つ『ほとんど最初の記憶』を辿るのは香田紀子(こうだ のりこ)。『どこにいくの?』と『乗りこんだ自動車の後部座席で』訊く紀子に『キャンプの、と、隣に座る母が答え』ます。『お庭でお肉やお野菜を焼いたり、みんなで歌をうたったり、ゲームをしたりして遊ぶの。ノンちゃん、お友だちたくさんできるわよ』と言う母親。やがて、『コンビニエンスストアも肉屋も本屋もない』という中に、『緑の芝生に、木を組み立てたような茶色い家。庭では数人の子どもたちが遊んでいた』という目的地に到着した三人。『その日は見知らぬ人に次々と会わされ、名前と年齢を言わなければならなかった』という紀子は結局、『母親の脚にまとわりつ』きます。そんな紀子は抱き上げられ、『食堂に連れて』行かれると、『お絵描きをしている子どもの隣に座らせ』られます。『ケントくん、だったよね。いっしょに遊んでくれる?』と言う母親に、ひとつうなずく男の子。『これは宇宙船…』と『自分の描いた絵』を説明する男の子は『「描く?」と言って、画用紙を一枚紀子の前に置』きます。『男の子のクレパスで絵を描きはじめた』紀子は、『ちらちらと台所をうかが』うと、『立ち働く女たち』の中に『紀子のまったく知らない顔で笑い転げ』る母親の姿を見つけました。
    再度場面は変わり、『一九八六年』、『夏になると別荘にいく。はじめていったのはいつか、そのときどう思ったかは、もう覚えていない』と『八歳の夏には』『当然のこと』になっていたイベントのことを思うのは船渡樹里(ふなわたり じゅり)。『最初は父親もいっしょだった』ものの、『いつからか父親は別荘にはいかず留守番をするようになり、母と二人で出かけるようになった』樹里。『「ここがいちばん好き」と、別荘で会うたび』『二歳年下』で『今年小学生になった』紗有美が『保育園には友だちがいなかったらしいことを』『知っている』樹里は、『自分は紗有美とは違う』と思います。『学校には大勢友だちがいる』樹里は『別荘で過ごす数日を』『紗有美の「好き」』とは違う意味で好きだと思います。『自分たちの到着前に必ずいる、弾や弾の両親、前後してやってくる紀子や賢人、その親たちは、親戚なのだと思っていた』樹里は、『私、ここに住みたいな』と、『毎年言うことを紗有美』が言う中に、『たしかにここで暮らしたいかも』とちらりと思います。『母親がこんなふうにいつも笑い転げていてくれるのなら』と思う樹里。そんな『樹里の父親が家を出ていったのは、その年』のことでした。『別荘から帰ると、日曜日なのに家に父の姿はな』く、『それきり、父親が三人で暮らしていた家に帰ってくることは』ありませんでした。
    『夏の別荘』での日々をそれぞれに思う登場人物たちが、大人になり、あの日々の意味を探究していく物語が描かれていきます。

    “幼い頃、毎年家族ぐるみでサマーキャンプをすごしていた7人。その思い出は輝かしい夏の大切な記憶だ。しかしキャンプは、ある年から突然中止になった。時は経ち、別々の人生を歩んでいた7人の中で一人が「あの集まり」の謎を探り始める。ー このキャンプは何だったのか、なぜ突然なくなったのか。そして7人が再び会って衝撃の「真実」を知ったとき、彼らが選んださらなる道は ー”と内容紹介にうたわれるこの作品。”私の父はだれなのか”と、意味深に記された本の帯の言葉にまず目が囚われます。

    そんなこの作品はレビューの難易度が極めて高い作品だと感じます。それは、この作品の中心に流れるテーマにダイレクトに触れるかどうかでレビューの内容が別物になってしまうからです。この作品は四つの章から構成されており、そこには、時代を特定する表記がなされています。まずは、時代表現も楽しめるその構成から入っていくことにしましょう。時代を表す表現が顔を出す〈第一章〉を見てみたいと思います。

     ●〈第一章〉で取り上げられる年
       一九八五年、一九八六年、一九八七年、一九八八年、一九八九年、一九九〇年
       一九九二年
        → 『佳奈が好きなのは光GENJIだしリカはチェッカーズ。曲や歌詞が好きというより、歌っている人を好きなのだ』
        → 『尾崎豊が死んだことにショックを受ける人はきっといないのではないか』

       一九九五年
        → 『今年になってから急に増えた新興宗教関係のニュース』、『三月の半ばに、地下鉄に毒薬がまかれる事件が起き』

       一九九七年
       一九九九年
        → 『恐怖の大王は降りてこないまま、核戦争も起きないまま、夏が終わった』

    はい、一九八五年から一九九九年という十五年には、その時代を知る方には思わずニンマリしてしまう表現が幾つか顔を出します。一方で、そこに描かれていくのは、『夏の別荘』、『サマーキャンプ』という言葉で表される通り、七人の子どもたちが、両親(もしくはいずれか一方)と、『キャンプ』をする様子が描かれていきます。そんな『キャンプ』が行われる場所はこんな風に描写されます。牧原紗有美の目から見たその場です。

     『連れていかれたのは大きな家だった。絵本に出てくるような木でできた家。くまの家族がシチュウを煮ているような家。そこには、年のそう変わらない子どもたちと、その親たちがいた』。

    次は船渡樹里の目から見たその場です。

     『毎年夏の数日を過ごす、壁も床も木の大きな家は、自分の別荘なのだと樹里は思っていた…自分たちの到着前に必ずいる、弾や弾の両親、前後してやってくる紀子や賢人、その親たちは、親戚なのだと思っていた』。

    それぞれの視点からの印象ですが、共通して言えることは、

     ・毎夏に大きな家=別荘で過ごすイベントがあった

     ・普段関わりのない子どもたちと、その親たちが集まった

    実は、〈第一章〉の前には二十九歳になった牧原紗有美が『五歳から十歳までの夏』を思い出す〈プロローグ〉が置かれています。ハッキリと記憶があるにも関わらず、母親はそれを否定するという不可解な状況にあることが描かれた後に物語は〈第一章〉へと進んでいきます。読者はこの時点で、紗有美の記憶が正しく、『サマーキャンプ』がどんなものであったかを知ることになります。そんな〈第一章〉では、子どもたちがこの集まりがなんなのかについて疑問を抱いていく様子が描かれています。

     『毎年、夏休みの数日をともに過ごす家族たちは、どんな関係であるのか。ここに集まる家族の共通点はなんなのか』。

    これは、間違いなく読者の誰もが抱く思いです。

     『私たちはいとこでもないし、同級生でもない。どうして毎年ここに集まってるのか』

    子どもたちはそんな疑問を口にします。そして、その共通点を探っていきます。

     ・『おんなじ病院で生まれたのかも』
       → 『でも年齢がばらばら』

     ・『みんなが赤ちゃんのころ、おんなじ町に住んでたとか』
       → う〜ん

    さまざまな可能性を言い合っていく中に、子どもたちは一つの共通点に思い至ります。

     『どうしてみんなひとりっ子ばかりなのだろう』。

    しかし、そんな子どもたちの集まる『サマーキャンプ』は、わずか五年で終了してしまいます。

     『昭和が平成に変わったその夏のキャンプが、最後のキャンプだった。それ以来、夏にあの山荘にいくことは二度となかった』。

    上記した通り〈第一章〉はそこに描かれる十五年のうち十年の時代が描かれています。しかし、『サマーキャンプ』が開かれたのは一九八五年から一九八九年の五回のみであることがわかります。突如終わりを迎えた『サマーキャンプ』。そして、年月が経過し、大人への階段を上がっていく中にその後の子どもたちの様子が描かれていくのが〈第一章〉の後半です。

    そんな物語は〈第二章〉がはじまると、二〇〇八年へと、一気に十年も時代が進みます。そこにはすっかり大人になった子どもたちの姿が描かれていきますが、物語はここから、あの日々はなんだったのかとかつての子どもたちが訝しみだす本筋部分へと入っていくのです。ここまでの展開、物語全体としては序章に過ぎませんが、間違いなく面白いです。角田光代さんの王道の筆致に魅せられる間違いなく第一級の物語展開です。まだお読みになられていない方にはこの段までの展開だけでも是非おすすめしたい作品です。しかし、ここまででレビューを終えてしまうのはあまりに中途半端です。やはり、あのことに触れないわけにはいきません。

    ということで、ネタバレは嫌だとおっしゃる方はこのレビューをお読みになるのはここまでとされてください。もちろん、この先、完全なネタバレをするつもりもありませんが”ある言葉”にだけは触れざるを得ないのです。

     ★ 注意: ネタバレは絶対に嫌!という方はここまでとされてください ★

     ★★ 再警告: ネタバレは絶対に嫌!という方はここまでとされてください ★★

     ★★★ 警報発令: ネタバレは絶対に嫌!という方はここまでとされてください ★★★

    はい、それこそが、本の帯に”私の父はだれなのか”と匂わされていることとも関係する、『サマーキャンプ』に集まる面々の共通項です。

     ・『あそこにいた母親たちは全員、人工授精で子どもを産んでいる』

     ・『夫の精子ではない精子で、人工授精をして子を得た母親たちなんだよ』

    〈第二章〉で語られるまさかの共通項によって物語は一気に重さを増していきます。大人になり、かつて子どもだった七人は次々に再会の機会を得る中に、この事実を知っていきます。そうです。この作品は『夫の精子ではない精子で、人工授精をして』生まれた子どもたちの思いと、父親のことを考える思いの行末を描いていく物語なのです。

    レビューにおけるネタバレというものはつくづく難しいと思います。〈第一章〉までに留めておく限りはこのレビューはネタバレとは言えないでしょう。もちろん、『サマーキャンプ』があり、五年で終焉したことに触れること自体ネタバレとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、それではレビューなどそもそも書けませんし、残念ながら私の感覚とは相入れません。しかし、そんな私も『人工授精』のことに触れるかどうかにはかなり躊躇しました。しかし、選書をする側に立った場合はどうでしょうか?〈第一章〉の内容だけで終えてこの作品に触手が動く人がいるでしょうか?それまでモノクロに見えていたレビューに、今ここに、『人工授精』のことを簡単に触れただけで、物語は一気に色がついた感があります。これは面白そう、この瞬間に”+ 本棚に登録”ボタンを押される方もいらっしゃると思います。私は、レビューを書く際に一番大切にしているのは、この拙いレビューでも、それを読むことで一人でも多くの方に読みたい!と思っていただくことです。そのためにも、レビューはネタバレすれすれを狙っています。ただし、その視点からもこの作品は線引きがとても難しい作品だと思いました。それだけ『人工授精』という四文字の意味合いは大きいわけです。とは言え、このことを知ったとしてもこの作品を読む魅力は全く損なわれません。そこに大人になった子どもたちが何を考え、どんな行動を起こしていくのかという展開こそがこの作品の本質だと思うからです。そして、それこそが角田光代さんの小説の面白さだとも思います。

    では、そんな物語で子どもたちとして登場する七人をご紹介しておきましょう。

     ● 七人の子どもたち(本名と子どもの頃の呼び名)
      ・牧原紗有美 → サーちゃん

      ・香田紀子 → ノンちゃん

      ・松澤賢人 → ケン

      ・船渡樹里 → ジュリー

      ・早坂弾 → 弾

      ・木ノ内波留 → ハル

      ・久米雄一郎 → ユウ

    それぞれの詳細について触れることはやめておきたいと思いますが、物語は、上記した通り、〈第一章〉において、これら七人の子どもたちが一九八五年から一九八九年の五年間に渡って、毎夏、別荘で開かれていた『サマーキャンプ』に参加していた時代の様子がまず描かれます。そして、〈第二章〉以降、大人になった彼ら順次再会していくなかで、さまざまな形で『サマーキャンプ』の真相を理解していきます。そんな彼らの再会は二〇〇八年、二〇〇九年という、かつての出来事から二十年ぶりのことになります。そんな再会に至る温度差はそれぞれ異なります。

     『あの天国のような時間がなければ、生きていられなかったかもしれない』。

    そんな風にあの時代を大切に思う人物がいる一方で、

     『子どものころの、たかだか数年、しかも夏の数日顔を合わせただけの、よく知らない人なのだ。手を取り合って喜ぶほどではないし、面影をさがすほど幼い○○の顔を覚えているわけでもない』。

    なんともクールにかつての仲間たちを見る人物もいます。しかし、それぞれの中には解決できない思いがあったのも事実です。

     『あの集まりがなんであったのか、なぜ急に、しかもかなり作為的に、だれとも連絡がつかなくなったのか』。

    物語は、そんな先に『夫の精子ではない精子で、人工授精をして』生まれた子どもたちが抱える、重い、あまりに重い現実に向き合っていきます。親子とはなんなのか、家族とはなんなのか、そして、生命とはなんなのか、物語は七人それぞれの境遇を絶妙にバランスしながら奥深さをどんどん増していきます。そして、そんな物語が至る結末には、こんな重い物語の結末とは思えないほどの清々しさを感じる物語が描かれていました。

     『あれはどこだったのか。あの子たちはだれだったのか。私はなぜ、そこに参加していたのか』。

    そんな漠然とした思いを抱えながら大人の今を生きる七人が描かれたこの作品。そこには、幼い頃に『サマーキャンプ』で毎夏を過ごした七人の子どもたちの物語が描かれていました。大人になった彼らの変わりっぷり、変わらなさぶりを思うこの作品。〈第二章〉で明かされるまさかの重量級のテーマに慄くこの作品。

    超重量級のテーマを重くなりすぎずに鮮やかに描き切る角田光代さんの上手さに酔う他ない、素晴らしい作品でした。

  • 幼い日の夏の記憶、靄のかかった部分がある。
    自分の何かがおかしくて、生きづらさを抱えている。
    かつての子どもたちは時を経て再会を果たし、あの夏の記憶を探り動き出す。そして生きていくことへ、踏み出していくお話。

    そんなにうまくいくかなー。
    前向きになれるかな。
    会いたいと思うだろうか。今後も関係を続けていくのか?私だったらもうこれで終わりにしたい、と思った。

    それぞれ靄のかかった記憶の部分、生きづらさ、心情の描写は良かった。

    一部の親が無責任、不誠実だと思った。
    言ってもいい嘘と、絶対に言ってはならない嘘があると切に感じた。
    ライターの野谷光太郎のセリフも心に残った。
    「だれかを傷つけるために言葉を使っちゃ、ぜったいにいけないんだ」

    重いテーマであった。
    どう"生まれたか"より、どう"生きてきたか"…と書かれていたが、難しい。難しすぎる。

    追記
    (解説より)
    家族とは、親子とは、夫婦とは、差し出されたり与えられたりするものではなく、かたちのないところから築いてゆくもの、新たに創造するもの。むろん、血縁を超えて。
    なるほど〜。

  • 夏がやってくるたび、年に一度だけ別荘に集まって過ごす七組の家族。
    しかし、数年繰り返されていた集まり「キャンプ」は突然打ち切られる。
    あれは一体、何の集まりだったのか。
    当時、幼い子どもだった7人の男女は、それぞれの人生を歩んでいくのだが、ひとり、ふたりと再会して、それが、どういうものだったかを知ることになる。

    物語は、非配偶者間人工授精によって生命を授かって生まれた子どもたちが主人公です。

    これは、家族の物語なんだな、と思いました。
    結婚して家族ができて、また、新しい家族を迎える。

    新しい家族が、なかなか迎えられなったら?

    妊娠、出産について考えさせられました。
    家族のかたちについても、色々と考えさせられました。
    そして、知ることも出来ました。
    安易に自身の考えをのべることが難しいテーマでしたが、読んで良かったと思います。


  • いつも思うけれど。
    角田さんの文章、小説は奥が深い。
    本当に人がどう考え、どう生きているか、ひしひしと伝わってくる。
    このキャンプに集まった彼らはどうだろう。
    たのしいキャンプだった。子供たちも、親たちも。

    そうだろうか。

    そこからドラマが始まる。苦悩が始まる。
    でも、かれらは本当に一生懸命生きている。
    美しいと思うけれど。
    これは彼らのカルマなのですね。

    多くの人の小説を読んで、そしてそのあとがきを読み進めると、角田さんのお人柄も垣間見えます(本書にはあとがきはありませんでした)。世話好き、お酒好き、たばこ好き。世話好き、というところ、そうかもな~、と。
    あとがきって、なにげに楽しい。です。

    ーーー

    位置No.2633
    私はね、すごくたのしいとか、すごくうれしいってことは、点だと思ってるの。そしてしあわせというのは線。ずーっとたのしいこと続きということはあり得ない。だからずーっとしあわせというのもあり得ないと思ってる。ただ、一瞬でも、一日でも、あるいはもっと漠然とでも、ああたのしかったって思えることがあったら、私はとりあえずしあわせだって。

    位置No.3576
    「さっききみは、焼鳥といっしょに食べるものだと言った。おれはお通しだと思ってた。どっちも微妙に違った。でも、どっちも間違ってない。

    ↑ これ、なにげに大事なひとこま。

    位置No.4044
    お礼を言いたい。会ったことのないあなた、私の世界を創ってくれて、ありがとう。おとうさんって、もう二度と呼びません。呼ばなくても、もうだいじょうぶだから。

  • 多様性が求められる現在
    いろいろな家族の形があり
    どれが正しくてどれが間違いかなんて
    誰にも決められないけれど
    意志を持ってその状態にある人ばかりでなく
    この本に登場する子どもたちのように
    気づいたらその家族で
    そのことに苦悩しなければならないこともある

    「普通」って難しい

  • この作品をネタバレなしで感想を書ける人がいたら、どうぞ教えてください! はい、私は放棄します! 読了済みの方で、共有したい方はコメントをお願いします。紗有美の感覚が実は一番ノーマルなんだろうけど、共感はできない。それも穿った見方なんだろうなぁ...。

  • 角田光代さんの作品が好きで手にとりました。

    年に一回行われるサマーキャンプで仲良くなる子供達。ある年から突然行われなくなる。

    その後の子供達の人生。キャンプの裏に隠されていた秘密。

    ミステリー小説ではないけれども、子供達が抱く謎が解明されていく話の流れに一気読みしてしまいました。

    家族とは、人生とは自分に置き換えて読めて大満足でした。

  • 精子バンクを使った人工授精によって生を受けた子供達。

    無事に健康で生まれてきてくれること。
    自分たちの子供であれば望みはそれだけなのに、いざ有料でたくさんの候補者の中から生物学的父親を選ぶ際にはもっと多くを望んでしまうこと。

    より頭の良い、運動能力の高い、容姿の良い、芸術的センスのある…etc…

    出産を経験し、我が子との絆を実感できる母親と、彼女を妊娠させられなかった自分への情けなさが消えない父親と。

    深いテーマで、子供達がその真相を知ってからも葛藤は続きます。

    私たち夫婦はまだ子供については挙式後に…と考えているけれど、実際自分たちにも不妊治療は必要かもしれない。そうなったとき、どう悩み、どう結論を出すのか…。

  • これまた重たいテーマ。ただ、角田光代にかかると、その中でも光差すものがあり、救われる感じが好きだ。 

    AID(非配偶者間人工受精)から産まれた7人の子どもが夏のひと時だけ集まって過ごす。アレはなんだったのか、知っていた子も知らなかった子も、大人になって初めて知った人もいて、親子とは、家族とは、自生にも疑問を持ったり、他のせいにしたり。

    紗有美のクズっぷりにイラッとさせられ、賢人の自身の穴を埋めるかの如く彼女たちを中絶に追い込む行動…7人のそれぞれの人生についても深く描写されて読み応えたっぷり。
    AIDお腹いっぱいです笑

  • 引き込まれた。
    人工授精…こんな事実もあるのかと思うと、今までにない引き込まれ方をした。
    何となく物語はわかってくるが、この事実どう受け止めていくのか?と気にになってしょうがなく数日で読破。何だろうなー人として生きて行く上で家族、親、子、友達ってなんだろうと考えて読みふけった。最後のハルの思いもつかなかった行動は男泣きしそうになった。そしてスピーチは素晴らしい。またサユミのエピローグは素晴らしく清々しい。そして著者の所々に出てくる名言には目を見張る。もう一度読みたい本である。

  • なんだか重いテーマではあるけれど読みやすいのですぐ完読できた。
    ただ、そんなに後には残らなかったかな。

  • 登場人物が多くて、誰が誰で何をしたか、途中こんがらがってしまったのと、結構重いテーマのお話だった。

    幼少期のキャンプが、何の繋がりの集まりだったのか解き明かされていく過程が面白かった。

    また、エピローグで、波留の歌の説明の部分、初めて行った海外(パリ)で、最初は、困ったことが起こらないようにホテルに閉じこもっていたけれど、困ったことが起きるかもしれなくても、助けてくれる人がいたり、わくわくすることに出会えるかもしれないと思えてホテルを飛び出すことができたというエピソードで、ネガティブ思考な紗有美が、「そこに居続けたら、明日も、世界も、ずっと怖いまんまだよ。怖くなくしてくれるすばらしいものに、会う機会がすらないんだよ」と言われた気がすると解釈しているところが、読んでて前向きになれて良かった。

  • いつもなら先に解説を読むのをうっかり忘れて読み終わった
    途中途中でなに?何で?とぐいぐい読み進めた
    結果、知らずに読んで良かった〜と思わせてくれた作品

  • AIDで産まれた7人の子どもたちの物語。
    AIDをつかって産まれたことへの葛藤が一人ひとりが本当に実在するのかと思うくらい細かく書かれている。特に女性の心理描写が凄い。
    角田さんが物凄い量の文献を読んだり取材されたりしたのだろうと思う。のめり込んで読んでしまった。
    AIDは現在の日本で採用されている技術であることを知らなかった。

    本の中で好きなフレーズがひとつ。
    樹里が父親と並んだ静けさを「母の静けさは満月に似ていて、父のそれは雪に似ている。」と表現しているところ。美しい表現でとても印象に残ってる。

  • 幼い頃の夏のキャンプの記憶。
    AID(非配偶者間人工授精)で生まれた7人の子ども達と家族のその後の人生。
    <樹里 弾 賢人 紀子 紗有美 雄一郎 波留>

    AIDは、そこに至るまでの事情は人それぞれに異なるし、当事者にとっては、ものすごくデリケートな問題。

    川上未映子さんの「夏物語」も素晴らしかったけれど、角田光代さんも、子どもの立場、妻の立場、夫の立場、第三者(医療従事者や作家や精子提供者)、たくさんの視点を集めて、ただの悲劇にならないように、誰もに希望が持てるように、よくここまで巧くまとめたなと拍手を送りたい。

    賛否両論あるけれど、本当に子供が欲しい人にとっては、AIDは救いの神であることには間違いない。
    また、こういう特殊な境遇の出自を抱えた家族同士でないと、理解し合えないこともある。
    子ども達と輝かしい夏のキャンプを手にした幸せは、本当に楽園そのものだったと思う。
    次第にその楽園が形を変え、幻となっていったとしても。

    中盤では、もう出口が見つからないような、救いようのないようなくだりもあったけれど、そこから、光の糸口を手繰り寄せてくる感じが本当に素晴らしい。

    始終、紗有美に対する描写がとても悪意に満ちていて、とてもぞっとさせられたけれど。
    でも、きっとこの紗有美こそが一番の主人公で、彼女のこれからの運命こそが、”救われる”存在なのかもしれない。

    「(略)どれも子どもがいないからできることだけど、でも、子どもがいても同じ充実は得られたとは思う。だから、おんなじだよ。いたとしても、いなかったとしても、ただ、生きなくちゃならない自分の人生がある、ってだけ」

    「(略)きみが見るもの、きみが触るもの、きみが味わうもの、ぜんぶ人と違う。きれいごと言ってるんじゃなくてさ、事実。聖職者には彼の世界があって、犯罪者にだって彼の世界がある。ぜんぶ違うから、面倒もあれば悲劇もある。きみがいなければ、きみの見る世界はなかった。それだけのこと。(略)だれの世界とくらべて欠落なんだ?」

  • 読み応えがあった。
    シングルでも精子バンクが浸透するなりしてもっと産みやすい世の中になればいいのに、と安易に思ってたけど難しいな。
    夫婦だと他の男の子ってより思いそう。
    さーちゃんが多少まともになってよかった。
    生まれてきたからには自分次第。

  • 幼いころ、毎年家族ぐるみでサマーキャンプを共にしていた七人。全員ひとりっ子の七人にとって天国のような楽しい時間だったキャンプは、ある年から突然なくなる。大人になり、再会した彼らが知った出生にまつわる衝撃の真実。七人の父は誰なのか…?この世にあるすべての命に捧げる感動長編。

  • 夏の間、キャンプに集まる数組の親子、
    彼らに共通する秘密。

    子どもを持つということ、
    家族というものについて、
    一般的なものとは少し異なる視点で
    考えさせられる作品。

    「幸せというものを、みくびっていた。」
    と言った樹里の母親と、
    結果として同じことを思っていた父親の、
    抱えていた苦しみの深さを思うと涙が出た。

    神の領域、万能感、無敵の気分、
    この分野の問題は、
    現実の社会でも今後ますます深まっていくだろうものだけれど
    答えは出ることはないのだろうと
    私はずっと思っている。

    命というものが、
    この世に生まれる不思議、意味は
    出生がどのようなものであれ
    普遍的なものであり
    誰しもが生涯をかけて向き合うことだなぁなどと
    改めて思いながら
    苦しみもがく7人(とその親たち)を静かに応援した。

  • 子どもの頃に毎年どこかの別荘で
    サマーキャンプをしていた子どもとその親たち。
    それが突然無くなって、大人たちはキャンプのことも
    そこに来ていた家族のことも誰も教えてくれなくて……。

    謎が分かるまでグイグイ読ませる引き付けだった。
    謎が分かってからは、それぞれの気持ちをちゃんと描いてあって正解が何かは分からないけれど良かったと思う。

  • 登場人物それぞれの視点に共感できる部分があり、刺さる場面は立場や年齢によって分かれ、そもそも刺さるかどうかも人によるとは思う。

    裏面のあらすじに、この世にあるすべての命に捧げる感動長編とあって、まさにその言葉通りの読了感だった。

    色々考えながら読み進めるうち、親を許しているつもりで生きてきたけど、私も色んな人に許されて今があるということに気づくことができた。

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著者プロフィール

角田 光代(かくた・みつよ):1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒。90年「幸福な遊戯」でデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、11年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、12年『かなたの子』で泉鏡花文学賞また『紙の月』で柴田錬三郎賞を、14年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞、21年『源氏物語』の完全新訳で読売文学賞を受賞。その他の著書に『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『わたしの容れもの』『月夜の散歩』などがある。

「2025年 『韓国ドラマ沼にハマってみたら』 で使われていた紹介文から引用しています。」

角田光代の作品

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