身体知―カラダをちゃんと使うと幸せがやってくる (講談社+α文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062813945

作品紹介・あらすじ

大きな価値観の変動のなかで個人が幸せになるための条件を、気鋭の学者たちがそれぞれ一人のおとなとして、家庭人として提言。結婚や出産にも流行があり、悲しい思いやつらい経験をした前の世代へのいたわりの視線をもちつつ、日本人が培ってきた身体の知恵、日本文化のもつ他者への愛情や距離の取り方についてまとめていく。「いいから黙って」、結婚したり出産したり、家庭をもったりして見えてくる人生の味わいを若者たちに見失わせてはならない。

感想・レビュー・書評

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  • 内田樹と疫学の専門家・三砂ちづるの対談。非常におもしろかった。

    面白い部分は多々あったが、出産関連の話が面白かった。

    自分は第一子の出産の際に、妻の分娩に立ち会ってへその緒まで切ったのだが、なんとなくしっくりこないものがあった。なんとなく、「これは違う」と思っていた。ただ、その感情は誰にも言わないで来た。そうしたらこの本にそれについて書いてあってびっくりした。

    三砂氏いわく
    「私は出産というものはもともと猫が押し入れの隅で産むように、女性がそっと自分だけの世界にはいって、必要ならば誰か親しい女性の手を借りて産むものだと思っているので・・・。男はいらないのではないかと思っているのです」

    おそらく妻のお産の時に自分が感じたのも、この感覚に近いものだと思う。
    何か「私はこの場にいるべきでない」感じがしたのだろう。

    それぞれが日ごろ考えているだろうことを中心に、それなりに相手の話にリンクさせて自分の考えを語っていく。二人の話はかみ合っていそうで、かみ合ってなさそうで、その辺の微妙さが愉快だった。
    あとがきで内田氏が以下のように書いている。

    「私たちがそのおしゃべりに熱中したのは、「あなたの言う通りの身体の感覚を私も有している」からではなく、むしろ「あなたの言うような身体の感覚について、私は今はじめて聞いた」と私たちが感じたからであり、それらの言葉をきっかけにして、私たちそれぞれの身体の中に新しい未聞の記号的分節が始まったことを愉しんでいたからだと思う。」

    ほんと、この一節がこの本の内容を端的に語っている。

  • 読んでて、これは違うな、とか、これは腹立つな、とかもありましたが、総じて興味深い内容でした。
    身体知を大事にするところなどは、よくよく共感。
    あと、社会内での役割についても、これまでずっと考えていたことが、おかげで少し言葉になりそうな気がした。今の日本の社会は、ドロップアウトすることを極端に嫌うから、余計に一度どこかでラインを降りてしまうと行き場がなくなるのかも知れない。

    親子関係のところは特に面白い。
    自分の家庭が機能不全だった時期があるからか、色々と考えされられた。
    父母の役割は、いわゆるジェンダーに依るものではなく、機能によるなど。

    私なりの解釈では、この本は、要するに「定量化して測るべきものと、定量化せずに曖昧糢糊として測った方が良いものとがある」ということを言いたいのではないかなと思った。
    「こうあるべき」「こうするべき」と思い迷い振り回されるのではなく、「こうしてみたらこうなった」「ああしてみたらああなった」のように試行錯誤で、計画性と偶発性をうまくバランスを取りながら生きてけということなのだろうか。

    時間が経ってから再読すると面白そうな本である。



    完全なる余談だけど、一つの本を取っても、皆、作者の言いたいことを知るよりも、”自分が考えていたけれど言葉になっていなかったこと”を本を通じて汲み取るものなのかもしれない。

  • 子供を育てるというのは、「世の中思いどおりにならない」ということを骨の髄まで味わうということですからね(内田)

    ポルトガル語で「マオ・レゾルビーダ」という言葉があります。英語で無理やり言うと、badly resolvedとでもいうのでしょうか。ある地位を得て、ひとかどの人間のように思われているけれども、実際には、自分の個人的な生活とか人間的成長を大事にしていない人、自分ではそういうことを解決したと思っているけれども、本質的には何も解決してない人のことをさすんです。(三砂)

    評価コストって、けっこう深刻なシステム問題なんですよ。精密な評価をするということが自己目的化すると組織の中の人間は活気を失って、消耗していくんです。エビデンスもアセスメントもいいんですけれども、人間は有限なリソースしか持っていないということをwすれちゃいけない。大切なのは精密な査定にどこまでコストを使えば「勘定が合う」のかということなんです。査定のための負荷で本来の仕事に回すべきリソースが食われるというのは本末転倒なんです。(内田)

    「妥協」と「許容」って、違うでしょう。自分と違うものが自分の世界に入ってきた時に「そういうものもありか」と思って自分の範囲を広げて応援するのは「許容」であって「妥協」じゃない。(略)異質のものを受け入れることが人間の自然だと言うことがわかっていない。それが人間にとってある種の尽きせぬ快楽であることがわかっていない。(内田)

  • 内田樹の対談はハズレがない

  • 読了。月曜日、調子が悪かったが、なぜか読むことを止めれなく、一気に読んだ。内田樹が鬱病を2回やった話や離婚前の家事育児の気持ちが書かれていた。娘にも「あなたが歪んだ教育をしたせいで、私はこんな変な子になってしまった」と責められた話もあった。この人もスーパーマンじゃなかったんだと思い、人生みな大変なんだと思った。三砂ちづるも、出産は1回目は帝王切開、2回目は陣痛促進剤を使った出産で、本の中で紹介している良い出産はできなかったとあった。みんな苦労してるんだなと思い、私も人生頑張ろうという気持ちになった。

  • 内田先生と「オニババ化する女たち」の著書で何年か前に物議を巻き起こした⁉︎三砂ちづる先生の対談集です。
    内田先生は日本古来の武道の心得と主夫体験から、三砂先生はお産の体験の重要性を説く立場からお二人とも、身体を通して得られる知性、知恵を語ってくれます。これまでのお二人の意図する考えが随所に出てきます。
    その中でも‥人間関係で傷つくのは、生命力を奪ってしまうようなタイプの人がそばにいるからとか自分の人間的成長を大事にしていない人、自分を解決できていない人は地位があって仕事をしていても人間として尊敬されない。‥歳の取り方が下手になってきた。無惨な老人が増えている。「枯れ方」がわからない。‥など思い当たるような言葉が満載でうなずきながら読みました。

  • 男手一つで子育てした内田樹と「オニババ」論の三砂ちづるが“おじさん”“おばさん”として提言!
    「いいから黙って結婚しなさい!」……なんで?

    ●変なおじさん、おばさんが役に立つ
    ●ネガティブなオーラから逃げる武道の感受性
    ●結婚の相手は結局誰でもいい
    ●何でオニババになっちゃうの?
    ●夫婦のエロス的結びつきから家庭がはじまる

    大きな価値観の変動のなかで個人が幸せになるための条件を、気鋭の学者たちがそれぞれ1人のおとなとして、家庭人として提言。結婚や出産にも流行があり、悲しい思いやつらい経験をした前の世代へのいたわりの視線をもちつつ、日本人が培ってきた身体の知恵、日本文化のもつ他者への愛情や距離の取り方についてまとめていく。「いいから黙って」、結婚したり出産したり、家庭をもったりして見えてくる人生の味わいを若者たちに見失わせてはならない。

    ※本書は2006年バジリコ株式会社から刊行された『身体知――身体が教えてくれること』を文庫化したものです。

  • 帯表
    男手一つで子育てした内田樹と
    「オニババ」論の三砂ちづるが
    “おじさん”“おばさん”として提言!
    「いいから黙って結婚しなさい!」
    ・・・なんで?
    帯背
    結婚しなさい!
    帯裏
    変なおじさん、おばさんが役に立つ
    ネガティブなオーラから逃げる武道の感受性
    結婚の相手は結局誰でもいい
    何でオニババになっちゃうの?
    夫婦のエロス的結びつきから家庭がはじまる

  • 著者は言葉を自在に操る人だと思いました。著者の授業を聞きたくなります。

  • はぁ、内田樹はよいですね。
    身体感覚に興味があり、読みました。
    「オニババ化する女たち」三砂さんと内田樹さんの対談。女性の性・出産を軸に、身体感覚と個人の生き方、社会、組織のあり方についての対談。

    目からウロコ。
    ▼コミュニケーションと身体感覚について。
    余白、ノイズ、それを感じる、受け止める、待つ感性。

    ビジネスの現場では、費用対効果(費用は時間的コスト)を考えて、「結論から先に、論点をまとめて、決めない会議は必要ない」などと言われたりするもの。
    それを否定はしないし、チームのメンバーがそうした配慮をすることはお互いの時間と、仕事の先にあるお客さんを大切にすることになる。

    なんでもシステマチックにいかない部分、余白の部分が必要で、それが、身体感覚でわかる部分なのだと思った。
    赤ちゃんが発達する過程において、「身体があらわすメッセージと、言葉にするメッセージが一致しているという経験を誰かを相手に感じることができれば、コミュニケーションの力がついてくる。」P168

    「コミュニケーション能力が高い人というのは、『何を言っているかわからないメッセージ』であっても、それをちゃんと『聴きとって』『返事ができる』という能力。」「明確なメッセージを送受信するのがコミュニケーション能力ではない。」(P171)

    それをしているのは、母性的な関わりと子どもの関係と言っている。これは、組織にも言えるのではないかと思う。これっていいよね、これって大事だね、これが価値だね、やりたくないことだね・・・と、組織の中ではミッション、理念と言葉になっているものがどんなことかと、感じたことの共有。それは、うまく言葉にならないことも、まとまらないこともある。
    もやもやとしたこと(ノイズ)から、共感する中で合意形成は生まれ、理念、目標も共有でき、未来を描けるものではないかね。

    決めない、結論のない会議、おしゃべり、飲み会が大事ってことなのです。ファシリテーターとなる人、リーダーとなる人は、結論や効果をすぐに求めるのではなく、母性的な関わりが必要ってことですな。

    個別支援の仕事やファシリテータにとって、母性、待つという姿勢、ノイズから感じ取ることはとても大切な能力ではないかと思う。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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