誰も戦争を教えられない (講談社+α文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062816069

作品紹介・あらすじ

まだ誰も、あの戦争をわかっていない……。

沖縄と靖国、戦争博物館のテイストは一緒?
中国は、日本を許す心の広い共産党をアピール!
韓国は、日本への恨みを無料のアミューズメントパークで紹介!!

広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール、朝鮮半島38度線、ローマ、関ヶ原、東京……。
世界の戦争博物館は、とんでもないことになっていた。

「若者論」の若き社会学の論客であり、「戦争を知らない平和ボケ」世代でもある古市憲寿が世界の「戦争の記憶」を歩く。

誰も戦争を教えてくれなかった。
だから僕は、旅を始めた。

感想・レビュー・書評

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  • 誰も戦争を教えてくれなかった。
    だから僕は、旅を始めた……。

    広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール、朝鮮半島38度線、ローマ、関ヶ原、東京……。

    「若者論」の若き社会学の論客であり、「戦争を知らない平和ボケ」世代でもある古市憲寿が世界の「戦争の記憶」を歩く。

    「若者」と「戦争」の距離は遠いのか、戦勝国と敗戦国の「戦争の語り方」は違うのか?

  • うーん、読めなかったなあ…もちろん初めから終わりまできちんと読んだのだけど、結局のところ古市さんはどういうスタンスに立っているんだろうかということが良くわからなかった。
    各国各地の戦争博物館は、エンタメ性がなければ、そしてリニューアルをしなければ、来場者が見込めず、廃館となってしまい、その戦争の記憶を残せなくなってしまうという言い分はよくわかるのだが、やはり戦争にエンタメ性は求めてはいけないというように思うし、戦争は、テレビだったり映画だったり、もしくは本だったり体験した人から話を聞くなりそういうもののさまざまな視点から学ぶもので、『「誰も」教えてくれない』わけではないと思う。まあ、でも、コロナが始まって最初の緊急事態宣言が出てしまった頃、出る前に広島で原爆ドームや平和記念博物館を見たが、この本に書いてあるような視点から見たわけではなかったので、やっぱりこの本は買って、旅先に持って行って読んで、改めて観に行ってみたいなと考えさせる本だった。

  • うっすーいなぁ,薄い!
    なーんにも内容がないよー!っと変なダジャレが出てしまう.
    ひたすら「しょうがないじゃん,知らないし,これ以上深めたくないし」と繰り返しているようにしか読めないし,社会学者としての責任ある主張からひたすら逃げているとしか思えない.
    もしかして…本当に何も意見がない⁉︎
    宮台さんみたいなエッヂの効いた社会学者ってそうそういないってことかʅ(◞‿◟)ʃ

  • 著者がハワイのパールハーバーを訪れたことからこの本は始まる。
    パールハーバーは、白を基調とした記念館があり、いたって爽やかで戦争の暗いイメージはあまり感じられない。それはアメリカが戦勝国で今も現在進行形で戦争をしているから。
    対して日本の戦争関連の博物館では、戦争の悲惨さは目一杯伝わってきても、なぜこの戦争は起きてしまったのか、今後どうしていくべきか、などのメッセージは感じられない。
    いずれも主語がない。右派と左派の妥協の産物のような中途半端な博物館しかない。
    唯一、靖国神社にある遊就感はメッセージ性のある博物館だが、運営団体は宗教法人であり国ではない。
    国としては、大東亜戦争に触れたくない、メッセージなんて残したくない、後世に伝えることは何もないということなんだろう。
    義務教育で教えないことにも通じている。

    「戦争ダメ絶対」と繰り返しながら戦争の加害者にも被害者にもなることができない日本。対してドイツは威風堂々と敗戦を宣言し、街を歩けば戦跡に当たる。国家として戦争の記憶を残そうという姿勢が伝わってくる。もう一つの敗戦国イタリアは、国家ではなく地方の歴史として戦争を語り継ぐ。特に第二次世界大戦の終結に至っては複雑な経緯があり、純粋な敗戦国とも言えないから、日本ドイツとは立ち位置が異なる。

    時間はどんな凄惨な出来事でさえも冷却させる効果を持っている。
    近代国家の出現によって戦争は悲惨さを増し、犠牲者も増えたと思いがちだがそんなことはない。国家が出現する前の狩猟時代には、現代では考えられないほど部族間の争いが絶えなかった。世界的に殺戮やジェノサイドが深刻化するのは独裁政権下ではなく、無政府状態になった時。
    近代国家は、実は戦争による犠牲を抑止してきたと言える。

    「誰も戦争を教えてくれなかった」という単行本の題名について、著者なりの答えが文庫本の題名「誰も戦争を教えられない」。誰も戦争を知りようがないし、教えようがなかったということ。
    戦時下を生きていた人でも、年齢、属性、住んでいる地域によって戦争の姿は全く違ったものになる。
    日本として共有している大きな記憶も、人によってその記憶はバラバラで、数えきれないほど無数の小さな記憶の上に成り立っている。

    戦後70年、著者をはじめとする若年層は戦争なんて知らない。そこから始めていくしかない。
    戦争を知らず平和な世界で生きてきた。そのことを気負わず肯定して生きていくこと。
    背伸びして国防の意義を語ることも、安直な想像力で戦死者たちに同情することも、戦争を自分に都合よく解釈することも不要。

    著者の戦争に対する独特な考え方が赤裸々に綴られていて読み応えがあった。

  • 私にとって初めての古市さんの著書である。
    以前、好きなラジオ番組にて筆者が登場した際に、興味深い発言をいくつかされていた。それをきっかけに筆者の本を読んだみたいと思っていた中、手に取った一冊である。

    まず、読んでいて感じるたことは、一般的な書籍と違ってエッセーは厳密な正確性を求められないため、著者の天才性が如実に現れて面白い。

    敢えて言うとすると、一般的な書籍は正当性を95→99に上げるために、面白さが90→70に減っているイメージである。


    収穫としては、この本のメインメッセージでもあるように、「戦争」に関しての見方が増えたかとである。固定的な見方をとっていたが、間違いなく視点が増えた。

  • やれやれ。高橋源一郎さんがラジオで大学の授業によく使ったと言われていたので、興味を引かれて読んだけど… あとがきに「好意的な書評を書いたことで、高橋さんが批判を受けた」とあり、気の毒なので、何も言うことはない。

  • 歴史や戦争のことに関しては、国や人によって様々な見方がありますが、著者は執筆時、学校で教わった知識程度(著者いわく)でした。
    よって、中立で冷静な視点が貫かれており、どのような歴史観を持つ人にも楽しめる内容になっています。
    海外も含む戦争関係の施設を巡り、エンタメの視点からも分析した各国、各世代の歴史観の違いについて分析しています。
    こう書くと、お堅い本だと思われるかもしれませんが、語り口は軽妙で、時折、ジョークも交えた内容が読みやすいです。
    特に日本では、戦争のこととなるとシリアスに語られがちですが、本書のように身近なものとして捉える視点は大事だと思います。
    著者が言っているように、歴史は実際に体験した人であっても、立場によって見え方、感じ方は異なるので、「戦争は誰にも教えられない」というのは、まったくその通りです。

  • 社会学から見た観点で、国内外の戦争博物館について考察している。戦争を知らないままでは済まされないと思うものの、戦後生まれの我々は確かに、どうしたらいいのかわからない時もある。

  • 戦争を記憶することや戦争を伝えること、そしてその先にある平和な世界を作るための営みが、ともすれば形骸化しやすいものなのではないかということを、世界の戦争博物館を巡るこの本を読みながら改めて考えさせられた。

    「あの戦争」の現場を出来る限り当時のまま保存することも、当時の人の証言や遺品を残していくことも出来るし、それらに対して国家や民間団体の見解(歴史観や現代における位置づけ)を添えることも添えないこともできる。さらには、ゲームやVRで戦争を追体験するコーナーを設けることもできる。

    ただ、それだけで戦争の悲惨さが語り継がれ、戦争を二度と起こさない世界につながるのかというと、特に若い世代の間ではそのような因果関係で戦争が捉えられているわけではないのだと思う。

    学校の授業で連れてこられる戦争博物館で退屈する生徒(そして先生)の姿は世界共通のようだし、本書の中で無関係な雑談のようでありながら執拗に繰り返されているショッピングや韓流アイドルの話は、実はその先で徴兵制やダークツーリズムという形でのまったく違った形での戦争とのつながり方の存在を示唆しているように思える。

    そして、戦争というものは、その実態を少しずつ変えながら現代の社会のなかにも確実に存在している。一方で、そのような世界の中で生きながら、戦争は嫌だ、平和がいいという素朴な感覚は、若い世代の間にもなくなっているわけではない。(むしろじわじわと普遍化してきているのではないかとすら感じられてくる)

    最後の筆者が述べている、戦争を忘れること、知らないことも平和につながっているんじゃないかという言葉は、おそらく一つの考え方として提示されたもので、それだけですべてが解決するという趣旨ではないだろう。

    どうやって残し続けるのか、残し続ける以外にもやるべきことがあるのではないかという議論のとっかかりとして、世界の戦争博物館を巡りながら日常世界との距離感を測っていく筆者の姿が非常に参考になった。

  • Twitter上での呟きやテレビ、ネット動画での発言が炎上すること
    枚挙にいとまがない。いろんな意味で注目の若手社会学者である
    古市憲寿。「若者代表」みたいな存在なので、ひとつくらい読んで
    おかないとと思って購入したのが本書。

    でも、失敗。というか、これは賛否真っ二つに分かれる作品では
    ないかな。

    世界各国の戦争博物館を訪れて、文字通りほぼ全世界を巻き込んだ
    第二次世界大戦をどう伝えるかを考察しているらしい。

    以前に読んだ『戦争の世紀を超えて その場所で語られるべき戦争の
    記憶がある』は、姜尚中と森達也がアウシュビッツや38度線を実際に
    訪問して戦争について語ったかなり哲学的な作品だった。

    この作品の類書になるのかなと思ったのだが、軽いのだ。あまりにも
    軽い。とにかく文章が私には合わない。

    多分、戦争に関しての論考については欄外に注釈で記されている
    参考文献からの引き写しなのだろう。この欄外の夥しい注釈で書かれ
    て突っ込みもまったく面白くない。まぁ、それは読み手の感性の違い
    だから、私には合わなかっただけかも。

    あ、本文中に出て来る不要な突っ込みもあったな。

    戦争の記憶と一くくりにしても、前線の兵士、戦争指導者、銃後の市民
    で記憶は違うといのもどこかかから借りて来たお話だろうし、人の記憶は
    年月を経るごとに汚染されるのも当たり前の話。美化される記憶もあれ
    ば、曖昧になる記憶もある。

    だから、どれほど戦争博物館を設け、後世の人々に戦争を伝えようと
    しても「誰も戦争を教えられない」。この点には共感する。

    しかし、戦争を知りたいと思うのは個人個人の感性の問題だと思うの
    だよね。いくら「戦争は悲惨だ。繰り返してはいけない」と言われたとこ
    ろで、言われた側が知ろうと思わなければどうしようもないのではない
    かな。

    知る機会はいくらでもあると思うんだよね。知ろうとしなかったことに
    対する居直りの上で、古市氏は「戦争を伝える」ことを論考している
    印象を受けた。

    戦争博物館にはエンターテイメント性が必要だと説く当たりは古市節
    なのかもしれないが、数字で表される戦死者の向こう側にはそれぞれ
    の人生があることや、死者を悼む気持ちが欠如してはいないか。

    本当の戦争を知ろうと思ったら、戦場へ行くしかないのだけれどね。
    それが出来ないから、本や映像で知ろうとする若い世代もいると
    思う。

    「若者代表」古市氏の感性が、すべての若い世代に共通するものだと
    捉えてはいけないと思う。これはこの人独特の感性とスタンスである
    のだろう。

    一言で片づけてしまえば、「浅い」ってことになってしまうのだだが。

    尚、巻末の戦争博物館一覧だけは役に立ちそう。古市氏の評価を

    無視すれば…だが。

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著者プロフィール

1985年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。2011年に若者の生態を的確に描いた『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。18年に小説『平成くん、さようなら』で芥川賞候補となる。19年『百の夜は跳ねて』で再び芥川賞候補に。著書に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

「2023年 『僕たちの月曜日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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