世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ)

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著者 : 竹森俊平
  • 講談社 (2006年4月21日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (538ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062820066

作品紹介

悲願の「一等国」目指す明治〜昭和初期。激しいデフレ、繰り返し襲う金融危機のさなか、日本には世界水準の経済論戦があった。その見事な経済思想を20世紀末に引き継いだのは日本でなくアメリカだった。経済金融史を彩るインテレクチュアルズたちの熱情を物語る。

世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ)の感想・レビュー・書評

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  • 日経で紹介されていた本。近いうちに読みたい。

  • この筆者の授業のテスト勉強で読んだけど長すぎて内容忘れた。単位来てますように。

  • 「本書の題名について、もうひとつ謝らなければならないのは、一回目、二回目のデフレが実際に起こったものであるのに対して、三回目が「来る」というのは不正確だという点だ。つまり、三回目は二十世紀の初めに「来る」と喧伝されたが、実際には来たらず、このまま回避されそうである。
                             
    だからといって、「来る」というのが、まったく根拠がなかったわけではない。日本のデフレが、一九九五年からほぼ間断なく続いていることは事実であり、二〇〇二年暮れに、連銀のグリーンスパン議長が、米国でのデフレの発生を本気で心配したこともまた事実である。ようするに、三回目はニアミスだった。なぜ、そうなったのか。この疑問から本書は出発した。過去二回の世界デフレを取り上げたのも、これに光を当てるためだ。このうち「大恐慌」は、「総需要管理」に目標を置いた今日のマクロ経済学の原点である。つまり、経済の需要面を、金融政策や、財政政策を用いて管理しなければ、デフレ率一〇パーセント、失業率二五パーセントという「大恐慌」のようなことが起こりかねない。そういう教訓が得られている。
     その教訓があるため、内外の多くの経済学者は九〇年代に政府・日銀に積極的な政策を求めた。
    「政策金利」がゼロまで下がったなら、日銀は「非正統的」な手段をとってでもデフレの克服を目指すべきだという提言もなされた。それに対しては、長期にわたり需要の刺激策が採られているのに経済が浮上しないのは、刺激策が無効な証拠だ、この上、「非正統的」な手段まで採って、経済を危険に晒すべきではない、という反論も出された。たとえば、次の議論を見てほしい。
    「クルーグマンの言う、『ヘリコプターからカネをばら撒け』の(インフレ目標)金融政策導入を唱える学者や政治家がいる。ノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンの(インフレは貨幣現象)を逆手にとって、(デフレも貨幣現象)だから、デフレ不況脱却のためには、手段を問わずにカネをばら撒き、人為的にインフレを造出すべきという主張だ。しかしアメリカの経済学界に支配的なフリードマン理論はアメリカの物価分析から導き出されたマネタリズム。そうしたアメリカン・スタンダードが果たして日本の経済・物価状況に当てはまるのだろうか。米国留学でマネタリズム主流の経済学を学んだ一部学者やその言説を信奉する政治家は、本当に日本の国益を考えて(インフレ目標)を提唱しているのだろうか。国益とは政治・経済・外交・文化・・・・の万般にわたる国家、国民にとっての真の利益。金融政策もその例外ではない。」(藤原作弥「インフレ政策は国益を損なう」「中央公論」二〇〇三年七月号)
     論者の「経歴」を考えなければどうでもよい議論だが、書いたのが前日銀副総裁だから見過ごせない。驚くのは、マネタリズムがアメリカン・スタンダードで日本経済には当てはまらないとして、ご丁寧に米国留学でマネタリズムを学んだ者を批判していることだ。インフレ傾向が顛著だった1970年代に、ケインズ経済学に対抗できる経済学としてマネタリズムに注目し、シカゴ大学に優秀な職員を送ったのは、一体、日銀ではなかったのか。おそらく日銀は、マネタリストたちが、自行の何事につけ慎重な政策運営を支持することを期待した。だが、もともとこの学派は物価の安定を毒重視する。もちろん、インフレも問題だが、デフレはさらに問題である。そのため、九〇年代半ばに日本でデフレが定着すると、日銀は何をやっているのかという「お叱り」が、名だたるマネタリストから寄せられる。ケインズ派はもちろんのこと、マネタリストからも叱責を受けるようになれば、日銀は経済学の主流から孤立する。それで、「国益とは政治・経済・外交・文化……の万般にわたる国家、国民にとっての真の利益。金融政策もその例外ではない」という前副総
    裁の、太平洋戦争の最中に書かれたかのような国粋主義マニフェストが飛び出すわけである。経済学者の「過激」な政策提言には反対するものの、だからといって国粋主義に訴えるよりは、もう少し洗練された反対の仕方ができる論者は、ようするに問題は、主流派の経済学が、「大恐慌」をもとにマクロ経済学を出発させたことだと論じた。現在の日本のデフレと世界的な低インフレ傾向とは、「需要サイド」が原因の「大恐慌」とは性質を異にしている。それは中国やインドがグローバルな供給体制に組み込まれていく過程で発生した「供給サイド」を主因とするものであり、需要管理型の政策にはなじまない。そう彼らは論じた。もっとも、「前例」を挙げずにこういうことを言っても説得力がないので、デフレのサプライサイダーの一人、榊原英資などが「前例」として挙げたのは、グローバル化の過程で起こった「ヴィクトリア朝デフレ」だった。これが見当違いの議論であることは上にも見たが、ともかくこのデフレも本書は詳しく検討した。見当違いを指摘するのは実に容易だが、それよりも重要なのはその検討の「副産物」として、明治における経済界の
    リーダーの経済認識を知ることができたことだ。それにしても何と見事な、先端の認識を彼らは持っていたことか。ケンブリッジでマーシャルの講義を聴いた添田寿一はもとより、当時の一流の経済人は、福沢諭吉であれ、松方正義であれ、渋沢栄一であれ、デフレの弊害を理解し、また、「インフレが貨幣現象」であれば、「デフレも貨幣現象」であることを深く認識していた。
     ふたたび藤原の言葉を引き合いに出せば、「デフレも貨幣現象」だから、それを金融政策によって克服するべきだという今日の経済学者の提言には、日銀を創った松方、経済学を最初に教えた福沢、株式会社を導入した渋沢が築いた日本の伝統に照らし合わせて、相反するところは少しもない。むしろ、前日銀副総裁が「国益」を云々するという成り行きに、日本の伝統と相反し、国益に沿わない点があるとすれば、それは、「金融経済政策の理論や実務に通じているわけではない」上に、「多少とも日銀に関係のある著作は『素顔の日銀総裁たち』だけである」と著書において告白する人物が、デフレに直面した経済の正念場で日銀の副総裁という地位に就いた判断そのものである。この点、日本の伝統は、金融政策をもう少し真面目に考えてきた。
     先ほどデフレの検討の「副産物」としてこういうことが判ったと述べたが、実は本書の売り物は「副産物」である。筆者も日本の官公庁などで話をする時には、紙一枚の要約を出すことを要求され、大学の授業で本書のような内容を話すときには、「ようするに試験に出るのはどこですか」と学生から尋ねられるのに慣れているが、一〇〇〇ページを超す本の場合、紙一枚の要約では内容をまとめられず、まとめる気もない。紙一枚でまとめるにはあまりに豊かな内容があり、ドラマとしての流れがあるからだ。それに、そもそも紙一枚の要約でしかものを考えないという習慣そのものが、安易に結論を決めてかかる傾向を生み、経済政策の判断を誤らせた原因ではないか。」

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