- Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062820325
作品紹介・あらすじ
「ネオコンは変容した。もはや支持することはできない」-ウォルフォウィッツ前国防副長官らとともにネオコンの主流を歩み、クリントン政権時代には「対イラク強硬策」を主張した論客、フランシス・フクヤマが、"転向"を表明した。近視眼的なものの見方しかできなくなったアメリカの"弱点"を鋭くえぐり、危うい状態に陥った世界への新たな展望を示す本書は、洞察の深さと、精緻な論理構成から欧米で喝采を浴び、ベストセラーとなった。名著『歴史の終わり』以来の転換点に立つフクヤマの最新政治思想論。
感想・レビュー・書評
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ふむ
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ネオコンとは何なのかよく理解出来た。
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『文献渉猟2007』より。
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戸塚図書館で読む。期待以上の出来です。読みにくい本だと思っていましたが、読みやすい本でした。著者は、「アメリカの終わり」等の著作で有名な政治思想家です。テーマは、ネオコンです。本来のネオコンの外交政策には、4つの原則が存在する。第1に、各国の民主主義、人権を重視することである。第2に、国際紛争の解決の手段として、武力の行使をためらわないことである。第3に、国際法、国際機関を重視しないことである。第4に、大胆な社会改革には、弊害をともなうことを認識していることである。イラク戦争に当てはめると、アメリカの方針は、第4の原則と一致していません。上記の原則に従えば、日本の占領と同様に、象徴的な高官の一部を追放して、バース党を支配機構による支配を継続すべきという結論になります。今考えると、この方針はベストです。著者によると、ネオコンが失敗したのではなく、ネオコンの原則を逸脱したブッシュ大統領が悪いということになります。
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ネオコンの源流はニューヨーク市立大学に1930年半ばから40年初頭に通っていたユダヤ人学生を中心とする優秀な学生たち。
政治生活においてレジームが中心になるという考え方はシュトラウスの思想というよりも究極的にはプラトン、アリストテレスを読めばわかる。
キッシンジャーは一貫して古典的なリアリストの立場をとっている。
ネオコンは国際法や国際機関が重大な安全保障上の問題を解決できるかについては懐疑的であり、その点はリアリストと軸を一にしている。
国際関係理論は国際政治の当事者は国家のみであるという前提の下にすべてが構築されていた。国家以外の行為者が破壊的なことを行うことができるとすれば、パワーバランスや抑止、封じ込めといったような過去2世紀にわたり学識に基づいて行われてきた政策が無意味なものとなってしまう。
先制攻撃も単独行動主義もアメリカ外交における新機軸ではない。
他の大国と異なり、アメリカは帝国を目指してなく、むしろ国際システムの番人として行動するだろうと主張していた。
国際関係について、リアリズム理論は主権を持つ国民国家のみが集まって世界を作り上げていると規定しているが、この古いモデルでは、現代に立ち現われている世界をとらえることはできない。将来の国際活動において求められる、正統性と実効性とを両立する要請に答えることも不可能だ。
冷戦というイデオロギー上の争いは、結局のところ正義とは何か?という基本的原理についての意見の相克であった。
アメリカは政治経済両面における世界的発展を促進していくべきであり、世界の国々の国内で何が起きているのかを把握するように努めるべきである。 -
<「転向」はしていない!?>
この本によってフクヤマ氏はネオコンから「転向」したと言われるが、その指摘は誤解を与える。なぜならば、今ある「ネオコン」自体が誤解されているという事実を見過ごした議論だからだ。誤って用いられた「ネオコン」は帰るべき思想たり得ないのは当然だ。
<ネオコンは誤解された>
本書は、巷に流布するネオコン思想ークリストル/ケーガン流の思想で民主化のためにイラクのレジームチェンジを武力行使で果たすーは必ずしも正統なものでないと言う。ネオコンは元々アメリカの文化に根付いた、ある程度一貫性を有しつつも多様な解釈が出来るものだった(ネオコンに共通する4つの原則をあげておりこれが理解を容易にさせる)。しかし今ではイラク戦争の失敗の責任を一手に背負い、手あかにまみれ、武力行使による体制転換と同義語と化した。我々はなぜ間違いを犯したのか?筆者によるとそれは冷戦の終わりかたの解釈によるという。その過程で自らの『歴史の終わり』の解釈が曲解されたと言っている。そして、イラクへ突入する論理として過剰な軍事力への過信と結びついた結果、ネオコンは誤解された。
<ネオコンの発展的継承>
その現実の前に、本書では、本来の意味を取り戻すことよりも、それを乗り越え、来るべき世界に適応したポストネオコンのアメリカの戦略を描こうとしている。現在の世界では、今ある理論では不十分であり、全く新しい概念が必要という。それはネオコンの失策から学び、かつ国内政治への考慮やアメリカの力を道義的に用いるべきといった、ネオコン本来の思想を借りつつ、現実的に対応する「重層的な多国間主義」だと言うのが本書の趣旨。(詳説は本書にて)
書評―☆4
本書『アメリカの終わり』は原書米国版で『岐路に立つアメリカ』とされ、欧州版では『ネオコン後』である。読後感としては『ネオコン後』というタイトルが一番しっくり来る。なぜなら、ネオコンを完全否定した訳ではなく、ネオコンの本来の思想を借りつつ、今向かいつつある世界に対応するために発展的継承したビジョンを提示するからだ。内容は首尾一貫しており、分かりやすく、少なくとも日本にはこれほどのビジョンを提示出来る人間はいない。ただ、全く国際関係学に触れた事の無い人には理解しがたい点が多いだろう。
また、レビュワーは本書が出版された時期、2006年2月を筆者が一極システムと考えている点に納得がいかないがどうだろうか。さらに本書で、アイケンベリーの議論から提言する、立憲主義的な(民主的正統性を持った)国際機関を作る構想についても疑問がある。そのうな開放的な民主主義ための国際機関創設は、大国間戦争無くしてどのように可能か?冷戦以後、力を急速に衰退させる米国が果たして出来るのか?という疑問は残る。 -
[ 内容 ]
「ネオコンは変容した。もはや支持することはできない」―ウォルフォウィッツ前国防副長官らとともにネオコンの主流を歩み、クリントン政権時代には「対イラク強硬策」を主張した論客、フランシス・フクヤマが、“転向”を表明した。
近視眼的なものの見方しかできなくなったアメリカの“弱点”を鋭くえぐり、危うい状態に陥った世界への新たな展望を示す本書は、洞察の深さと、精緻な論理構成から欧米で喝采を浴び、ベストセラーとなった。
名著『歴史の終わり』以来の転換点に立つフクヤマの最新政治思想論。
[ 目次 ]
第1章 原則と分別を喪くした国
第2章 ネオコンの来歴
第3章 脅威とリスクと予防戦争
第4章 疑いの眼を向けられるアメリカ
第5章 アメリカの限界
第6章 新しい世界秩序を求めて
第7章 新たなる外交政策
終章 二〇〇六年―イラク戦争が招いたもの
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
2008.1
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タイトルに惹かれて買ったが、フランシスフクヤマの本、まじめに読めない。
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ネオコンとの絡みで、フランシス・フクヤマに関心を持つ人には面白いかもしれない。