枢密院議長の日記 (講談社現代新書)

  • 講談社 (2007年10月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784062879118

みんなの感想まとめ

歴史的な出来事や皇族のスキャンダルを通じて、当時の社会や政治の裏側を垣間見ることができる日記の解読に挑んだ作品です。著者は、倉富勇三郎の日記から重要なエピソードを抜粋し、彼の職歴や個人的な側面を描き出...

感想・レビュー・書評

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  • 個人の日記。それが天皇のことについてなら面白い。

  • ペリーが浦賀に来航した1853年に、久留米藩の漢学者の家に生まれ、司法・宮内省・枢密院議長という職歴を持つ倉富勇三郎の日記を読み解いた本。いや、読み解くにはあまりに膨大で、かいつまんだ本といったほうがただしいかもしれません。
    日記の巻数は、手帳・大学ノート・便箋・半紙などに297冊、執筆期間は大正8年から昭和19年の26年に及びます。1日の執筆量は、多いときには四百字詰め原稿用紙に50枚を超える日もあります。そのほとんどが、ミミズがはったような難解なペン字、文語体で、しかも、会話をそのまま書き写しているような内容なので、読み進むのも困難。以前、倉富氏縁の作家が解読を試みましたが、挫折したという経緯のあるものを、この著者がチャレンジ。さすがに全文は読み解いていませんが、大きな事件が起こった箇所を中心に解読、この本を執筆しました。

    この本で注目するのは、皇族方のスキャンダル。ベールに隠されて、なかなか表に出てこないこういった話題を、宮内省で働く倉富が、同じ職員と井戸端会議のような形で話題に上がった内容が、そのまま日記にしたためられています。
    また、ロンドン海軍条約締結時のごたごたや、昭和天皇の即位の大礼の様子、五・一五事件など、歴史的に重要な資料ともなっています。

    この倉富氏の「とにかく書く、長くても書く、内容がどうあろうとも書く」という姿勢には頭が下がります。

  • 文学

  • なんで日記なのにこんなに分厚いんだ…と思いつつ手に取ってみたら,主に収録されている部分はまさかの2年分だったというそこにどえらい衝撃を受けてしまった。26年間で298冊ってなかなかな分量だと思う…。
    今でも何かあると皇室スキャンダル的なネタはよく週刊誌に出てるなぁと思うけれども,当時も随分といろいろあったんだなぁ,と思った。あと,やっぱり時代が時代だったので身分制度と切り離せない問題も多くあったんだろうなぁ,とも思ったりなど。この本に収録されているのは枢密院議長になる前,宮内省に勤めていた期間の分がほとんどだったので皇室ネタに偏っている部分はあったけれども,愛妻家だった一面なども窺い知れるような内容で,読むのは骨が折れそうな分量だけれども,他の時期の部分もチラ見してみたい。

  • 2009年刊。◆戦前、東京控訴院検事長、帝室会計審査局長官、更に枢密院議長を歴任した倉當勇三郎。彼は類稀な記録魔で、現存するだけでも大正8年(枢密顧問官就任が翌9年)から昭和19年までの日記が保存されている。◆この日記自体が他の歴史研究において重要な役割を果たしているが、本書は、政治研究とは少し離れ、日記から伺える史的事象の裏面に光を当てる。例えば、日韓併合のシンボル的存在の朝鮮王族の来し方、あるいは宮中某重大事件に比する皇族・家族のスキャンダル史がそれ。◇また、倉當の私生活面から伺える華族の生活実態も。

  • 明治大正昭和の知られざる歴史を扱っていて興味深くはあるが、なにぶん佐野眞一の自意識の強すぎる叙述が繰り返されて辟易した。

  •  枢密院議長・倉富勇三郎といっても、現在では、ほとんど知る人はいないのではないか。本書は、その歴史上のB級人物といっても過言ではない人物の膨大な「日記」をもとにした歴史解析の書であるが、いや、実に面白く興味深い。分厚い430頁の新書であるが、最後まで興味は尽きない思いで読み終えた。
     本書によると、倉富勇三郎は1853年(嘉永6年)に生まれ、1948年(昭和23年)に96歳の生涯を終えた人物であるが、東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部長官、宗秩寮総裁事務取扱、枢密院議長を歴任し、宮廷順位4位にまで昇進した宮廷官僚である。主に活躍したのは大正期から昭和初期になる。
     この現在ではあまり知られていない宮廷官僚が残したものが、297冊の膨大な日記であり、その執筆期間は大正8年から昭和19年までの26年に及び、平均するとひと月にノート1冊分、1日あたりでは多い時には400字詰め原稿用紙で50枚を超える、まさに「世界最大最長級の日記」だという。まさに驚きとしか言い様がない。
     しかも、その内容がミミズがのたくったような判読不能の文字で書かれており、しかもそのほとんどは、死ぬほど退屈な冗長な繰り返しが多いしろものなのだが、また一方では、綺羅星の如き皇族と華族の日本近代史を代表する人物達が登場したり、皇室と家族に対する噂話やゴシップの数々、皇室にまつわる慣例や決まりごとの集大成のような、他に見られない貴重な歴史資料だとは驚いた。
     そして、大正10年の「宮中某重大事件」にまつわる宮中裏面の動きや、「朝鮮王家」の諸状況・それに関連する日韓併合裏面史、「柳原白蓮騒動」の詳細、華族のスキャンダルの数々、どれも興味深く、面白い。
     とりわけ当時の華族の堕落の現状には、華族達はこの当時の時点で既に腐敗しきっており、華族制度はその社会的意義からは、すでに終焉していたのではないのかとの思いを持った。
     また、「ロンドン海軍条約」についての詳細も当時の日本の混迷する内部事情がよくわかる秀逸なものとなっていると思えた。
     そして、この膨大な「倉富ワールド」ともいえる難解な「日記」を面白いノンフィクションに仕上げた著者もまた凄い。
     本書は、華族のスキャンダル等を面白く読みながらも、当時の歴史と社会の空気をいつの間にか理解できる良書であると思う。歴史に興味がいささかでもある人にはぜひお薦めしたい一冊であると本書を高く評価したい。

  • 倉富勇三郎日記を解読しながら、彼の性格や当時の皇室スキャンダルを紹介。一風変わった角度から近代史が眺められます。
    やや馴染みの薄い人選ですが、難解でも”癖になる”日記のようで、原資料への挑戦心がくすぐられる人もいるのでは。
    併行して読んでた山本さんの有馬本にも似たような記述がありましたが、「倉富の文章は日記を装った究極の私小説なのではないか」など、総括してこういう感想を抱かせるのは華族の日記の特性?(初版発行もほぼ同時期のこの2冊は、内容を補い合って読めました。)

    細かい仕草まで描写する執念は、松本日誌をちょっと思い出したなあ。ただ、倉富のほうは日常の些細な起伏を中心に書きつけていたようです。

  • [ 内容 ]
    幕末に生まれ、明治、大正、昭和を生き、三代の天皇に仕えた倉富は、時代の変遷をどう見つめ、年月の足音をどう聞いて、記録にとどめたのか?
    宮中某重大事件、皇族・華族のスキャンダル、摂政問題、白蓮騒動、身辺雑記…誰も読み通せなかった近代史の超一級史料をノンフィクションの鬼才が味わい尽くす。

    [ 目次 ]
    序章 誰も読み通せなかった日記
    第1章 宮中某重大事件―怪文書をめぐる「噂の真相」
    第2章 懊悩また懊悩―倉富勇三郎の修業時代
    第3章 朝鮮王族の事件簿―黒衣が見た日韓併合裏面史
    第4章 柳原白蓮騒動―皇族・華族のスキャンダル
    第5章 日記中毒者の生活と意見―素顔の倉富勇三郎
    第6章 有馬伯爵家の困った人びと―若殿様と三太夫
    第7章 ロンドン海軍条約―枢密院議長の栄光と無念
    終章 倉富、故郷に帰る

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  •  2008年40冊目

  • 2007/12/23 購入
    2007/12/31 読了 ★★★
    2009/10/22 読了

  • マニアックです。完全に先生の趣味だわ;
    大正時代の皇室スキャンダルに興味のある方は是非wwww

    とりあえずテスト前に流し読みしたので加えときます。

  • 倉富勇三郎なんていう人は、よほど日本現代史に詳しい人でないと知らないのではないのではないでしょうか?。僕もまったく知らない人でした。

    しかし、役職を見れば枢密院議長。天皇の最高諮問機関である枢密院の議長を勤めたわけですから、大官中の大官といっても過言ではないでしょう。

    彼が種々の官職に就いていた際につけていた膨大な量の日記、いわゆる「倉富勇三郎日記」が、国立国会図書館に所蔵されており、その研究が現在行われているところです。

    しかしながら、膨大かつ著者のいうところの「ミミズがのたくったような字」、あまり知られていない官僚の固有名詞や、専門的かつ漢文調な言い回し、そしてあまりにも微にいり細にいる内容、つまりその内容的な空疎さが多くの研究者を悩ませているようです。

    著者はそんな日記の解読をはじめますが、上記のような理由で一向に解読が進まないことに倉富への怨嗟の声を上げているのが笑えます。

    それでも著者がこの日記の魅力に引きずられるのは、圧倒的空疎かつ退屈な記述の中に、歴史の正史には現れないおもしろいエピソードや裏話がところどころにあることです。

    「宮中某重大事件」における山県、側近官僚、宮内庁、皇族との暗闘。皇居へ入ってしまった少年の話、皇族のスキャンダル等々、この日記でないと分からないことが多く出てきます。

    この日記は人に見せるために作られた日記ではありません。つまり「原敬日記」や「西園寺日記」とは本質的に趣を異にするものです。だからこそ、記録魔「倉富」の真価がこの日記に反映されてます。そこに政府や皇室に対する遠慮のある記述など一切ないのです。

    うわさ好きで、それをいちいち日記につける倉富の姿に著者は愛すべき面を見出しているところが、とても面白い点です。

    僕が思うところ、倉富というのは典型的な明治の法務官僚であったのでしょう。結果よりその手続きを重視したり、その日食べたものを詳細に記したり、逆に2.26事件に対してなんらの感想めいたことも記してないなど。

    頑固一徹、曲がったことは嫌いで、人間味など情緒的なものを仕事から一切排除する彼の態度はあきれを通り越して感服さえ感じます。

    そんな彼だからこそ、政党政治などというものは奇怪なものであり、到底受け入れざるものだったでしょう。

    彼はロンドン軍縮条約の批准を枢密院で否決することで浜口内閣の倒閣を目指しますが、世論や果ては天皇の支持も得られず失敗に終わり、議長職を辞しています。

    最後は後継の議長を子飼いの平沼騏一郎にすることも、梯子をはずされる形で失敗に終わってます。

    いわゆる保守的な人間ですが、根回しや政治的な駆け引きにはまったく向いてない人でもあったのです。
    彼が現在に至るまで、あまり人に知られる存在でない理由は、こんなところにもあるのではないでしょうか?。

    そんな彼ですが、このような退屈で膨大な日記を残してくれたことで、明治から昭和の政治の裏舞台を見せてくれたことに、我々は感謝をしなければならないのかもしれません。

  • 倉富勇三郎といって、知っている人はいないだろう。枢密院議長といっても、どんな役目か分からないだろう。
    けれど、そのお爺さんが書き綴った日記が垣間見せてくれる世界は、他に記録がないだけに貴重なものらしい。
    日記というのは、常にそうだが、誰のために書かれているのか。読む人を想定しないで、自分自身だけの備忘録にする、ということもあるかもしれないが、やはり、どこかで読まれることを――それが、後世であれ――どこか期待するところがあるのだろう。

    さて、この倉富勇三郎。実に膨大な日記を残した主の名だ。嘉永6(1853).7.16.生まれ。久留米出身。明治から昭和にかけての司法・宮内官僚。佐野に倉富のスケッチを頼もう――。
    「倉富は東大法学部の前身の司法省法学校速成科を卒業後、東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部長官、貴族院勅撰議員、帝室会計審査局長官、宗秩寮総裁事務取扱、李王世子顧問、枢密院議長などの要職を歴任した。帝室会計審査局は宮内省の会計監査を司る外局、宗秩寮は皇族・華族に関する事務を担当する宮内省の内局である。また李王世子顧問とは皇族や華族の事務全般を司る日本の宮内省にあてはめれば、李氏朝鮮最後の皇太子の垠(ギン)殿下を補佐する東宮太夫的立場に相当する。垠は大正9(1920)年、皇族梨本宮守正の第一王女・方子(まさこ)と結婚して日韓皇族の架け橋となった。倉富は司法官僚として、また宮内官僚として位人臣をきわめた。」

    その倉富の日記が、国会図書館の憲政資料室に所蔵されている。――日記の巻数は小型の手帳、大学ノート、便箋、半紙など297冊を数え、執筆期間は大正8年から昭和19年まで26年間。ものすごい執念のメモ魔で書き屋だが悪筆。序章は「誰も読み通せなかった日記」とある。甥の作家、広津和郎も挑戦したが、挫折したらしい。

    だいたい、日記とは登場人物が多い。その関係は、書き手は当然のこと良く知っているわけだが、公的な関係者、親戚縁者から友人といった私的なレベルの人たちまで、どのような人なのかを理解するには、相当な知識が必要だ。まして、このような経歴のひとであるだけに、それは生半ではない。実際、佐野が起こしたものは大正10年と11年の2年ほどに過ぎない。この時期が、現在にも通じる皇室最大の危機の時代であった、というのが佐野がここに照準を合わせた理由。

    ――大正天皇の御不例はもはや公然の秘密となり、大正10年11月25日には、病気の大正天皇に代わって皇太子裕仁(後の昭和天皇)が国事を代行する摂政制が敷かれた。大正11年には、明治・大正の政治に多大な影響力を与えてきた大隈重信と山縣有朋が相次いで高いし、前年の大正10年には、大正と言う時代の一瞬の輝きを体現した原敬が暗殺されている。明治は確実に終わり、大正は行き詰まり、時代は昭和と言う暗い時代に入る準備にゆっくりと移っていた。

    皇太子裕仁と久邇宮邦彦(くにのみや くによし)王の第1女良子(ながこ・後の香淳皇后)との婚約に際して”宮中某重大事件”が表面化したのも、大正から昭和に移行しようとするこの谷間の時代。”宮中某重大事件”の内幕は、「原敬日記」や「牧野伸顕日記」にも詳しく書かれているが、その間の宮中事情を克明に記したこの倉富日記は、それらの著作を補完して余りある第一級の歴史的史料となっている。近年、伊藤之雄(京都大大学院法学研究科教授)や永井和(同大学院文学研究科教授)など、日本近代史を専攻する学者たちの間で倉富日記への注目がにわかに高まっているのも、そのためである。永井ゼミで大正8ー10年の日記翻刻を進めているらしいhttp://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/kuratomi/kuratomi.html

    といっても、この宮中某重大事件。
    宗秩寮総裁事務取扱の辞令を受け久邇宮家の内情のレクを宮内次官の石原健三から受ける。そのやり取りは次の如し――
    <石原>「良子女王の事も栗田より意見書を出し、果たして真の原因あらば已むを得ざることなるも、単に医師の見込みと云うだけにては不十分なる旨の意見書を出し居れり」
    <予>「女王に付、何か話しあることは聞き居れども、其詳細を聞かず。不妊症とでも言ふことなるや」
    <石原>「然らず。色盲の懸念なり」
    <予>「其事ならば医師の診断にて真に分かるべきことに非ざるや」
    <石原>「本人に色盲ありと云うに非ず。色盲の系統にて其の子孫に遺伝する懸念ありと云うことにて、定説にては遺伝すること確実なり」

    この「重大事件」は、宮内大臣二人更迭、という騒ぎになり、その背景に山縣有朋と、一方に久邇宮家を後押しいた薩摩閥との薩長の対立があり、聞き及んだ右翼が介入、怪文書を政界にばら撒くなどのパターンが見られる。結局、もの言いをいれた山縣勢が破れ、山縣はこれを境に主導力を失っていく。この際の、右翼羽織ゴロが仕掛けてきた恐喝に対する宮家の対応、警視総監の対応などが、日記にはみて取れるが、右翼とのトラブルを金で始末する、という悪いパターンは、その後も続く。

    このほか「朝鮮王族の事件簿――黒衣が見た日韓併合裏面史」「柳原白蓮騒動――皇族・華族のスキャンダル」「有馬伯爵家の困った人々――若殿様と三太夫」「ロンドン海軍条約――枢密院議長の栄光と無念」などの章が立っている。

  • 倉富勇三郎と聞いても、一般にはそれほど名の知れた人物ではない。しかし、さすがにその職歴・公務内容から人脈は広く、正に日本近代史の中心を体験した人物なのだ、と思う。
    本書は、日記の解説というか、日記から当時の様子を眺める、というスタンスで記されたもの。倉富の生きた時代を追体験することができる。いわば、倉富の目という定点で観測した近代史である。今後も翻刻が継続され、公刊されることを望む。

  • 2007/12/23 購入
    2007/12/31 読了
    2009/10/22 移動

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著者プロフィール

1947年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。編集者、業界紙勤務を経てノンフィクション作家となる。1997年、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』(文藝春秋)で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年、『甘粕正彦乱心の曠野』(新潮社)で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。

「2014年 『津波と原発』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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