日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879170

作品紹介・あらすじ

日本で悩み続けたことがバカみたいいに思えてきた。バンコクをはじめ増え続ける「外こもり」。彼らがこの生き方を選んだ理由とは。

感想・レビュー・書評

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  • 失業、貧困、格差社会に我慢して収まっているより、正直ではないだろうか。

    いわゆる海外に渡って成功した人のサクセスストーリーではない。
    日本の不均衡きわまりない世界から抜けて、「私」自身として生きるひとの姿。


    私も一度カオサンで暮らしてみようかと思ってしまった。

  • 私は「社会人とは〜あるべきだ、仕事を第一にしなければならない。仕事にやり甲斐を求めよ」というものが面倒だと思う人間なので、気が付いたら自然と手にとってた。

    タイトルにあるような若者のみを取り扱っている書物ではなかった。様々な理由から「日本」というステージを降りる、幅広い年代の人々の事が書かれていた。

    俗に言う「バックパッカーの外ごもり」から移住、老後を海外に求める人まで、多種多様。その中でも共通点を挙げるとすれば「東京には帰りたくない。」という部分だろう。

    特に第一章は印象的だった。東京生まれ、東京育ち、就職も東京という人生を送って来た人がタイで暮らし始め、現在に至るまでを書いていた。会社という組織に疑問を感じ、日本を飛び出し、日本に帰る時も、かつて暮らしていた東京ではなく、この章の主人公の母親の実家である愛知に帰り、再びタイに旅立つという事を繰り返す。「マイペンライ(現地の言葉で何とかなるという意味)」を合言葉に。
    もちろん、日本の方が給料は良いしインフラも整っているし、何よりも安全だ。それよりもタイを選ぶという姿に、バックパッカーとして旅をしていた頃の私と何か重なる部分がある気がした。そして、「何とかなる」という余裕を、私はいつの間にかどっかにやってしまったとも気付いた。
    この本を読んで、バックパッカーをしてた頃の考えとかを思い出せたので、もっと原点に立ち返りたいと思う。

  • 日本で短期間働き、その資金でアジアに数ヶ月滞在する。毎日何もしない。ただ寝て食べて飲んで喋る。そんな“外こもり”の舞台としてのタイ。
    お金はない。でも働きたくない。そんな存在が許される、優しい場所。
    彼らがタイを選ぶきっかけの多くは、日本暮らし時代の旅行なのだそう。気をつけないと、ね。

  • 「外こもり」という言葉をこの本で知りました。

    日本で短期バイトで稼ぐだけ稼いで、金が溜まったらタイ・バンコクのカオサンへ行く…の繰り返し、でも日本で適応できないのなら一つの方法としてはアリなのかな?

    でも基本的に安いから行くだけなんだよね?物価が高ければバンコクに集まらないでしょう。

    現地でタイ語を学んで、そこから正社員になった人もいる。

    必死こいている人だけが生き残っているんじゃないかなぁ…外国だろうと日本だろうと…。

  • そうかこういう生き方があるのか。うらやましくはないけれども、そういう場所があるということで、どこかでホッとさせられる部分がある。

    だが彼らの存在は、結局のところ、日本の豊かさとアジアの貧しさの上に成り立っているということも事実だ。日本で1~2ヶ月働けば、タイでは1年の残りの期間、いくら貧しいとはいっても何もせずに暮らせてしまうという事実がそれを物語る。彼等は日本人であることの特権を生かして日本で働き(アジア人の日本での就労は非常に困難だ)、そうやって金を貯め、高額の航空運賃を払ってやってくる。そうやってあとは閉じこもって暮らす。まあ、いい気なものではある。

    いい気なものではあるけれども、しかし考えてみると、いつの時代にも、かれらのような人々はいたのではないかと思う。
    かれらはある意味、現代の隠者であって、隠れ住む場所が国内の山川でなくて、アジアの他の国であるだけなのではないか。
    中国では古くは陶淵明みたいな人がいたし、日本でも西行のような人々がいた。その詩や歌によって後世に名を残し、その生き方が清貧で高尚なものというようなイメージで語られているけれども、実際の生活の現場ではそういうわけにはいかなかっただろう。近くで眺めてみると、この本に描かれている人々のように、貧しくてぐうたらで不潔でケチケチといったこともあっただろう。文筆の才がかれらほど恵まれなかったために名前は残っていないが、同じような生活を送った人々がたくさんいたに違いない。
    そういう世捨て人的なライフスタイルというのは、アジアでは、昔からどの時代にもあったのではないか。いや、アジアばかりではなく、当時の支配的社会制度に適合できず、そこから抜け出して暮らす人々は、どの時代どこの地域にもあったのではないかと思う。

    だからといって彼らの生活がどうだという気はない。良くもないけれども、別に悪くもないのではないか。問題視するにはあたらない。要は、そういう場所があり、そういう人々がいるということである。

    タイという国には、昔、首都のバンコクに立ち寄ったことがあるが、なんだか猛々しい国民性だという印象を持った。この本を読むと、どうやらそうでもないらしい。著者は、なんとか楽をしたいと思って生きている人々、本当に怠惰な民族だといっている。だからこそ、世捨て人的な日本人が周囲と違和感なく暮らせるようなのだ。
    次のような話がタイの職場ではあたりまえだと聞くと、それもそうかなと思えてくる。
    「ある会社で、子供もいるタイ人の40代男性が10年近く働いていたが、ある日突然姿を見せなくなった。上司が連絡を取ると、ひとこと、「飽きた」という返事だった。それを聞いた上司や社員は皆、「飽きたんならしょうがない」と納得してしまった。」(p103 第5章 なんとかなるさ)

    日本では考えられない話だが、しかしこういう世界はたしかに貴重だ。
    いまのところ、そういうところで働こうとは思わないが。

  • 外ごもりについて知りたくて読書。

    アジアなどのルポタージュ記事で大好きな作家の1人。タイは、物価のマジックで日本と差がある。凍え死ぬことはない。ビザが取得しやすい(延長も含め)。治安はそこそこいい。そして何より日本人に優しい。だからバンコクで外ごもりという現象が起こるだと思う。

    物価が安いだけなら中国も候補地に入るだろうけど、中国でロングステイする日本人は配偶者が中国人の人を除ければ、かなり少なくモノ好き扱いされるレベルかとと思われる。物価以外の要素が興味深い。

    本書発売の頃、バンコクで外もごりしている日本人が日本人を殺害するという事件も発生した記憶がある。

    それにしても色々な人がいて、十人十色な物語がある。同時に、読み進めていて何だかそうなりかけている自分に氣が付き、背筋が少しゾゾッと。

    2月に久しぶりにゲストハウスへ宿泊して、人間は会話や人との接点を求めて集まってくるって点は実感。昨年、久しぶりにカオサンを訪れたが、改めてゲストハウス街を覗いてみたくなった。

    読書時間:約1時間25分

    本書はバンコクのエリートサンブックスで購入しています。

  • 本当の豊かさとは何だろう。
    少なくとも、親しい友人は労働、地位や名誉とは違った部分を大切にする生き方を求めている人が多い。
    それが世代の意思かどうかは分からないけれど、それを確かめたり、あるいは獲得していくためにも何かアクションを起こさなければ、今のまま流れていくという意識や危機感はある。そもそも、今多くの人が求めてる幸福やそれを支える発展とは何なんだろう。

    ふと、リオ会議でのムヒカ大統領(ウルグアイ)のスピーチを思い出した。

    「私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。」




    以下本書引用

    「フリーターとかニートといった言葉は、少子化問題や年金破綻といった社会福祉を支える枠組みの維持という、政策的な意図のなかで表面化してきた言葉にすぎない面があったように思う。」

    「日本で生きていくことはつらいのかもしれないが、日本人であることを捨てることまではできないからだ。」

    「結局、日本人は『頑張る』という言葉を巡って人生が展開される、そうも思える。いや、日本人というより、資本主義の世の中では、どこも同じなのかもしれない。外こもりとラングナムの比較から見えてくるのは、突き詰めると、近代がどういう時代であったか、そして、近代資本主義がもたらした豊かさに対する問いかけなのかもしれない。」

  • タイを舞台に、日本人の若者や定年を迎えて老後を過ごすために渡った人達を描いた本書。ここで初めて「外こもり」という言葉を知りました。日本で自分自身を見失った人が行きつき、そしてタイのどこか漫然とした空気とたぶん自分を許してくれるような空気にいつく若者。私はこの本を読んで、この本に出てくる人達の将来や未来が怖いと思いました。確かに日本で働いているとどうしても自分自身の価値に疑問が出てくる事はあります。でも、そこで折り合いをつけるのも自分。結局外こもりしても折り合いは自分でつけなきゃいけないのに、どこかそれを拒否しているように感じで不安になってしまいました。私自身がこの本に出てくる人達に出会うわけではないのに…。でも、読後はどこかタイの土地が気になる自分もいるわけで。ただ、この本で良かったのは、最後に付章としてタイで新たな自分を見つけて頑張る人がいる事が知れた事がどこかほっとさせてくれました。日本で暮らせず、海外へ逃れていく人々は、本当は日本が抱えている社会の闇の大きな問題と思います。そんな中の一員として、私もどう生きて、どうモチベーションを保つのか…折れない心を持ちたいと思いました。

  • 引きこもりのように仕事もせずタイにひっそりと生きる「外こもり」、それぞれのエピソードに20代の時の自分が重なる部分が多く、興味深かった。
    ある程度お金貯めてアジアを長期間旅しようかな…って考えてたな。。

  • 「外こもり」、一見矛盾した言葉のようで正に言い得て妙。日本の居心地が悪くなったのか、はたまた日本人が弱くなったのか。日本は依然として世界有数の暮らしやすい国だと、個人的には思う。外こもりが増えたのではなく、昔から一定数いた「馴染めない人々」のExit方法が増えたと見るのが妥当なのだろう。

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著者プロフィール

1954年(昭和29)長野県生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応義塾大学卒業後、新聞社勤務を経てフリーに。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビューし、以後、アジアを主なフィールドにバックパッカースタイルで旅を続け、次々と著作を発表している。『週末ちょっとディープな台湾旅』『週末ちょっとディープなタイ旅』(朝日新聞出版)、『旅がグンと楽になる7つの極意』(産業編集センター)、『沖縄の離島 路線バスの旅』(双葉社)など著書多数。

「2023年 『旅する桃源郷』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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