リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)

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本棚登録 : 553
レビュー : 60
  • Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879576

感想・レビュー・書評

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  • 「東 その点でいうと、日本のオタク系文化とアメリカ西海岸のヒッピー/ニューエイジ文化には変な対照性がある。(略)そのかわりに、身体そのものをキャラクター化するというか、物質的な変更を加えないまま全体として虚構化するような方向に向かう。それに対応するのがフィギュアとかコスプレだと思うんですよ」 ー 65ページ

    なぜ東先生は対談すると最後はだいたい決まって喧嘩別れになるのかということにも関心があるのだが、彼や大塚先生の問題関心というのは自分も重なるところが多いので、興味深く読んだ。

    特に引用に関するところで、コスプレというものを日本の特徴という風に置いているのは、文脈的にも興味深い。いわゆるヒッピー文化とオタク文化をここでは対置させているわけであるが、ニューエイジのような宗教運動と呼ばれるようなものがあるとして、オタク文化における宗教運動みたいなのはどのようなものなのかとか色々考えるとおもしろい。

  • 読むのに疲れた。
    東さんの理論にある違和感へ、大塚さんが鋭くつっこんでいく対談集で、どちらかのファンレベルでないと投げてしまうのではと思います。
    ただ、大塚さんの視野の広さと鋭さは確かだから、2007年のケンカと呼ばれている部分は、厳密には大塚さんの訴えに見えました。

    若い人なら、これより読むべき本があると思うので、一度、別の著本を検討してみることをおすすめします。

  • 平坂書房で購入する。駅ビルの喫茶店で読む。初めて、駅ビルの喫茶店で、停電を経験する。駅ビルでも、停電するんですね。期待以上の出来ではありませんが、期待以下ではありません。有能な後輩に絡む困った先輩という印象です。最初の対談は、議論がかみ合っていました。以後の対談は、議論になっていない気がします。東さんが、必死に議論にしようと努力していますが、無駄な努力です。気になったのは、社会科学に対する捕らえ方です。少し楽観的過ぎます。例えば、貧困の問題です。貧困の問題は、二つの側面に分かれます。第1の側面は、経済的側面です。第2の側面は、心理的側面です。両者は、第1の側面は簡単に解決可能であり、第2の側面は解決困難だと指摘しています。第1の側面の解決法として、ベーシックインカム等を提示しています。それに対して、第2の側面の解決は、容易ではないと指摘している。第1の側面の解決は、簡単なのでしょうか。ベーシックインカムは、容易ではないのです。例えば、会社を辞めて、大学院で勉強するエリートサラリーマン、病気の子供を抱えて働けないシングルマザーにも、同じ金額のベーシックインカムを提供するのでしょうか。僕は、そうすべきだと思います。多分、この意見は、少数意見だと思います。多分、多くの意見は、シングルマザーに、多くの額を払うべきだと思うでしょう。現実には、色々な事情を斟酌して、額を決めることになるでしょう。その場合、額を判断するために、個人情報を提供する必要があるでしょう。また、その個人情報を検証するために、莫大な費用が必要となります。多分、実行不可能でしょう。最後に、大塚節の好きな人にはお勧めです。また、困惑する東さんの姿を想像したい人にもお勧めです。逆に、日本のサブカルチャーの現状を理解したい人には、お勧めできません。その手のものを求める人には、それぞれの著者の著作の方がいいです。

  • 二つの観点を前提にしなければならない。一つはインターネットに象徴される情報コミュニケーションの革命的変異が一気に進んでいると言うこと。2つめは情報交通政治思想のグローバル化により価値観が急速に陳腐化しつつあると言うこと。

     2つの前提が成立する以前ならば、ある哲学者・知識人の言説や芸術家の独創性は長い間独創性として維持されてきた。しかし、2つの前提が成立すると、独創性は即時的広範囲に模倣され、アレンジされて記号化されることになった。そして一般的には今日生産される差異はひとつひとつが記号化されデータベースに積み上げられてく。

     この状況下で批評家の為す役割というのは変異するか、しぼんでいくかのどちらかに陥る傾向が強くなった。なぜなら、批評家は例えば理想と現実の差異を分析し、その性質を論じ、方向性について読者や社会に啓蒙する働きを期待されるからである。さらに、これまでは応える余地があった。しかし、それは差異がいつまでも差異として存在し、かつ正体不明の扱いにくいものとして維持し続ける環境あってこその批評であった。

     2つの前提が成立すると、批評家のその役割は縮小し、0に向かって限りなく収束することになる。ここにおいて著者の2人のスタンスは異なる。それでも社会に啓蒙する役割の可能性を信じる大塚と可能性を信じない東とである。

     2つの前提がこれから一層その傾向を強めたときに、批評家の飯の種である差異は一般的な存在から個人的なレベルのに落ちる。つまり差異は個人的なものにしか存在し得ないと言うことである。はたしてそのときに極めて個人的な差異を論評する価値や意味があるのだろうかという疑い。また仮に一般的・社会的に評価・共感しうる差異を発見し得たとしても、すぐにその差異は記号化され、批評家の叫びとは無関係に修正・アレンジされていく。いわば、記号のデータベースというカタログに載らない差異が差異といしての価値を持つが、価値を持った瞬間それはカタログに載せられ、その価値の所以であった「カタログに載ってない」価値は消失するのである。

     そしてこの差異の消費活動は促進され、スピードを増し、批評家の出番はなくなる。批評家に残された仕事の可能性と言えば、新たなる価値(差異)の予言であるが、そこまでいくと批評家と創作者の区別はなくなるのである。

     ネットによる差異のデータベースとアレンジゲームはまだ始まったばかりでかつその進歩と共に構造までも変えていく。それはカオス的に見れば、構造変異が表出するまで継続するのであろうが、それがいつになるかは誰も予見し得ない。

  • [2012.04.26]

  • 対談集なので構造的な話題ではないが、示唆に富んでいた。
    対話だからこその、わかりやすさもあった。
    情報があふれて、動物化するというイメージがわかりやすい。
    また、創作が、他者の知識に依存するというはなし(昔からそうだろうけど)も、面白かった。
    物語が無価値化していく、しかし私はそこに抗いたい。

    ただ、世代間のラベル付けのような形式になっているところは、あまりに乱暴な気がして感情移入できなかった

  • 若い人がレビューであげてるとおり、私自身は主張として東さんが言ってることにしっくりくることが多かった。最初の方の議論は読んでて面白かった。若い人は物語に耐えられないっていう話とか。でも2007年のなんか特に頭がいい人の喧嘩を見ているようで、根底諦めている東さんになぜと突っかかる大塚さん、ずっと平行線でつまらなかった。

  • 古本350円

  • 大塚英志と東浩紀の、4度にわたる対談を収録したもの。
    二人の議論は、さながら紙媒体出版世代の価値観と、ネット世代の価値観のぶつかり合いが見える。大塚英志は「どうして自分が東の主張に納得いかないか」、ということを追求して説明を求め、東浩紀がそれに冷静な返答をしているため、二つの価値観にどのような違いがあるのか、どのような背景の上にそれらの価値観が成り立っているのかが、よく見えるようになっている。
    紙の出版物に触れて育ちながら、ネット世代としても生きる自分が、どちらかに(というか両方に)対して感じていた違和感の原因を探る手掛かりになったと思う。

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著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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