日清戦争-「国民」の誕生 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879866

作品紹介・あらすじ

中国・韓国との「歴史認識のズレ」はここから始まる。戦争とメディアはどのように日本人をつくりあげたか?

感想・レビュー・書評

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  • 慶應の「比較文化論」の講義が元ネタのようで、社会史・文化史の観点から日清戦争を契機とした「国民」の誕生を論じている。よって、政治史・外交史としての日清戦争そのものを論じているわけではないので、題名は誤解を招く気がする。ただし、知らなかったエピソードも結構あって、ネタ的な読み物としては面白い。ネタ系以外で興深かったのは6章で、軍隊と学校の関係性や類似性についてはさらに深堀可能に思えた。今後考察していきたいテーマになりそうである。
    日清戦争は近代日本初の大規模な対外戦争であり、これを契機として民衆意識の点において「江戸時代的なもの」が一掃されたと解釈可能ではあるし、時代の転換点だったとも言えるのかもしれない。という意味において、社会史・文化史系の研究者は日露戦争よりも日清戦争を語りたがる印象を受ける。他方、政治史・外交史系の研究者にとっては日清戦争は日露戦争への通過点でしかないのか、日露戦争と比較して日清戦争を重要視しない傾向があるのかもしれない。これらの差異が、冒頭で問題提起されている「断層」に表れており、国内外問わず歴史認識の落差と相互理解の難しさに表れているように思える。先日読んだ加藤陽子の『戦争の日本近現代史』に対する著者の批判にその辺の一端が垣間見えたような気がした。

  • 2009年刊行。著者は恵泉女学園大学人文学部准教授。◆江戸時代、日本は分権国家であり、日本という意識よりは「おらが藩」「我が地元」という感覚で世界を把握していた。しかし、初めての大規模対外戦争となった日清戦争、その戦争に関する情報伝達(演劇・文学・戦争報道など)が「近代的意味の日本」という意識を多くの人々に齎した。かかる観点から、日清戦時下の社会史という切り口で叙述する。

  • 新書文庫

  •  昭和の戦争における「帝国の破綻」をよく知ろうとすると、当時の「大陸政策」を知らなければならず、「大陸政策」の原因を追いかけると「日露戦争」にさかのぼらざるを得ない。
     そして「日露戦争」の原因を探ると、朝鮮の確保をめぐる清国との「日清戦争」を知りたくなって、本書を手に取ってみたが、本書は「日清戦争」の政治的・歴史的な考察ではなく、当時の日本の「国民的雰囲気や文化状況」を追いかけたものであった。
     なるほど、「歴史は」一部の指導者のものだけではないから、当時の「国民性」や「社会の雰囲気」をしることもアプローチのひとつだろう。
     「オッペケペー節の川上音二」や「歌舞伎」についての考察も「近代演劇史」という観点からは興味深いし、当時の国民が異様な熱狂をもって「戦争」を迎えたこともよくわかったが、「日清戦争はたしかに巨大な狂気だったが、それは日本社会が近代化する課程で潜り抜けなくてはならない狂気だった。その狂気を共通体験として、日本は近代的な国民国家になった」との本書の見解はどうなのだろうか。
     「国民の狂気で戦争を正当化」といっては言い過ぎかもしれないが、「歴史」の捉え方としてはいかがなものかという感想を持った。
     著者は「文化学」が専門らしいから、本書のようなとらえかたになるのだろうが、「日清戦争」を知ろうとするにはちょっと不満が残ると思えた

  • 明治維新によって新たなスタートをきった国民国家としての「日本」。
    アジアの小国であった日本は、初の対外戦争である「日清戦争」を通して、国家と国民の一体感を持つに至りました。
    本書では、国家と国民の一体感はどういうプロセスで形成されていったかを、明治六年の政変から紐解いていきます。

    全7章で構成されているのですが、面白いのは1章と2章の前半のみです。

    日清戦争を説明するにあたって、明治6年の政変の原因ともなった「征韓論」にその原因を求めるのは、真っ当なアプローチではあると思いますが、征韓論の解説あたりから著者の歴史観でバイアスがかかるため、納得しがたいものがありました。

    日清戦争を語る場合、「韓の国(朝鮮)問題が争点であった」というのは著者の論点と同じなのですが、事実を分析する手法に違和感を感じました。

    著者は日清戦争を「朝鮮に軍隊を送り、正義のために清と戦い、日本の国威を発揚することを侵略とは捉えないような思考の型が、たしかにそこにあったとしか言いようがない」とまとめるのだが、戦争の場合2国間以上で行われるのであるから、せめて両方の思惑くらいは解説して欲しいものだ。

    清の属国であった朝鮮に対して、従属関係を維持させたい清と独立させたい日本の思惑を事実から公平にみる視点は必要だと思う。
    事実、朝鮮における甲申事変においては、朝鮮は2つに割れており清派と日本派で争いクーデターまで起こっている。

    華夷秩序を維持したい清と、新たな華夷秩序を形成したい日本がその中間地点である朝鮮でぶつかったという公平な視点がないのは、本書が日本の資料に頼りすぎるからかもしれないと思いました。
    清側の日本に対する外交姿勢についても補足することで、よりフラットに東アジアの情勢を解説できたのではないでしょうか?


    また、日清戦争の5年ほど前から西郷ブームが起こり、それが対外戦争へのエネルギーへとつながったというのはユニークなアプローチでしたが、肝心の西郷についてのエピソードが足りない気がしました。

    西南戦争で自刃した後、十年を経ても西郷人気が衰えなかった彼の魅力を深堀することで、当時の日本人の美意識を浮き彫りにできたのではないでしょうか。


    ちなみに、西郷隆盛の偉大さユニークさについては、鹿児島県の郷土史家がまとめた「大西郷の逸話」がオススメです。

    http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E9%83%B7%E3%81%AE%E9%80%B8%E8%A9%B1-%E8%A5%BF%E7%94%B0-%E5%AE%9F/dp/4861240379


    それと最後に、どうしても気になってしまった著者の思想についてですが、「人間皆平等」というのは、ご立派だと思いつつもコノ思想で歴史を語られると、全てが歪んでしまうように思えます。

    本書の歴史観は、日清戦争当時の日本人が持っていた「中国・朝鮮に対する蔑視」が、日本を夜郎自大にし、それが次世代の子供達の教育にも受け継がれ、アジアの中で孤立していったというもの。
    つまり、周辺諸国の人々と対等につきあおうとしなかった、明治の日本人の中に戦争の原因があるというものです。


    本書で紹介されたある事例が、文明や民度には国それぞれの発展スピードがあることを示しているので、最後に引用します。

    「朝鮮内地の大部落大都府として、都護府あり政庁あるの巨鎮大邑にして、その家を見れば土壁崩落し、その街を見れば人糞縦横尿汁渟瀦す、その不潔その醜陋、アフリカ内地の野蛮にも是ほど穢なき家はなくして蒙古・韃靼の野民といえどもまたこれに住まうを潔よしとせざるべし」

    アジアにおける近代化の差はなぜ起こったか?
    日本は明治維新を経て、国民の多くが私と公の問題に対して真っ正面から向き合った。
    日清戦争当時、アジアの国々は、まだその段階まで達していなかったということなのではないでしょうか。

  • [ 内容 ]
    中国・韓国との「歴史認識のズレ」はここから始まる。
    戦争とメディアはどのように日本人をつくりあげたか?

    [ 目次 ]
    はじめに 歴史の断層
    第1章 征韓論ふたたび
    第2章 戦争はどう伝えられたか
    第3章 死んでもラッパを口から離しませんでした
    第4章 川上音二郎の日清戦争
    第5章 熱狂する人びと、祝捷の空間
    第6章 遊戯・学校・軍隊
    第7章 死者のゆくえ、日本の位置
    むすびに ナショナリズムのねじれ

    [ POP ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 「日清戦争ことは、東アジアの政治秩序を揺るがしはじめた最初の事件ではないか」という問題意識のもと、「「日本人にとって日清戦争とはなんだったのか」を、あらためて検証」(p9)しようとする一書。具体的には、日清戦争が日本国内に様々な回路(メディア・教育・イベントなど)を通じてどのように受け止められたかを述べている。

    結論的には「日清戦争とそれにともなうメディアの変革によって、日本は近代的な国民国家になった」(p234)ということなのだろう。しかし、そうだとすると、日清戦争以前は日本は近代的な国民国家ではなかったのか?という問いが立てられてしまう。考えようによっては、日清戦争における人々の熱狂は、すでに人々が実質的に「国民」化されていたことの噴出、と言うことはできないのだろうか。明治維新、あるいはペリー来航まで遡ってもいいのだろうけど、そこから始まる日本の国民国家化の潮流をほとんど取り上げず、日清戦争で突如日本が国民国家化したかのように書いていいのかという気はする。

    また、この本じたいの目新しさがどこにあるのか…という印象も残った。日清戦争が日本の国民国家化に大きく機能したことはすでに原田敬一も述べている。この本はそれをメディアが煽りつつ、人々もそれに呼応して、相乗効果のなかで国民化が進展していくとするが、「日清戦争が国民国家化に大きな役割を果たした」とする基本的な枠組は既存の日清戦争の評価と同じである。まあ、一般向けとしては、それでいいのかもしれないが「あらためて検証」という本書の趣旨とはちょっとずれるんじゃないだろうか。

  • 国文学2009年6月号書評より

  • 平成21年9月16日読了。

  • 副題に「国民」とあるだけあって、基本的に人物を中心にしてざっくばらんな戦争史を語っている。日清戦争期における歌舞伎の衰退と新劇・旧劇の交代が、個人的におもしろかった。歴史の傍流にどんな人々がいたか知りたい方にお勧め。

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著者プロフィール

1962年大阪市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。現在、恵泉女学園大学人文学部教授。専攻は、中世・近世国文学、古典芸能史。
主な著書に『柳田国男 日本的思考の可能性』(小沢書店、1996年)、『平家物語から浄瑠璃へ 敦盛説話の変容』(慶應義塾大学出版会、2002年)、『日清戦争 国民の誕生』(講談社現代新書、2009年)、『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』(講談社選書メチエ、2015年)などがある。

「2023年 『江戸の花道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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