ニッポンの思想 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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本棚登録 : 835
レビュー : 79
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880091

作品紹介・あらすじ

80年代、、浅田彰・中沢新一が登場した衝撃、柄谷行人・蓮實重彦の思想、90年代における福田和也・大塚英志・宮台真司の存在感、ゼロ年代に大きな影響を与えた東浩紀。思想と批評がこの一冊でわかる。

感想・レビュー・書評

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  • 「ゼロ年代の思想」の風景◆「ニューアカ」とは何だったのか?◆浅田彰と中沢新一-「差異化」の果て◆蓮見重彦と柄谷行人-「テクスト」と「作品」◆「ポストモダン」という「問題」◆「九〇年代」の三人-福田和也、大塚英志、宮台真司◆ニッポンという「悪い場所」◆東浩紀の登場◆「動物化」する「ゼロ年代」

  • ニッポンの文学と打って変わって(というか出版順はこっちが先だけど)、内容が全然頭に入って来ない… 思想に関する予備知識が無さ過ぎて、理解が追い付かないです。これすら入門編となると、じゃあ一体どこから入ったら良いの…?って途方に暮れるけど、とりあえず一旦積ん読きます。

  • 思索

  • 元々、佐々木氏の批評や活動、特にWeatherレーベルのファンだったので、本書を見かけたときに即購入だった。
    近代哲学が辿ってきた歴史が、非常に分かりやすくまとめられていたと思う。
    これが、「批評家」の目線なのかと改めて敬服した。

    それぞれの「点」を詳細に眺めつつも、そこだけに囚われるのではなく、対象との間隔をじりじりと広げながら、対象を取り巻いている「関係」にも着目する。
    それ単独で成立する思想というのは、基本的には有り得ない。
    そこに至る過程や、その背景を踏まえていなければ、その思想が何を語っているのかを理解することすら出来ない場合も多い。
    しかし一方で、その思想へ影響を及ぼしている部分を切り離して、思想そのものの特異性を見極める必要もある。
    この両面からのアプローチをバランスよく混ぜ合わせることが、その思想の意義を理解するために最も必要になることだと思う。
    本書は、そのバランスの取り方が非常に巧く、専門分野の深淵を華麗に躱しながら、そのエッセンスを上手に抽出して流れを追っている。
    それぞれの時代に発された思想から、「その時代」の要点を体現している思想家を取り上げることで、話の筋が拡散してしまう事態を上手に防いでいた。

    近代思想は、なんとなく薄っぺらい感じがしていたのだけど、本書を読んで、その認識は改められたように感じる。
    やはり、思想というのは繋がっていて、きちんとした理由に基づいて進んでいるのだなと再認識できた。
    それぞれの共通項を探りつつ、それぞれが打ち出した「新しさ」をクローズアップしていくことで、近代思想の辿ってきた道が明確にされている。
    これが「批評家」の視点というものなのか、と感心した。

    あとがきにて発表されている『未知との遭遇』の発売が楽しみ。
    どのような「思想」を見せてくれるんだろうな。

  • ニッポンの思想 (講談社現代新書)

  • 佐々木氏が予告している『未知との遭遇』も楽しみです。

    【読書メモ】
     ・ (思想とは)《「批評」とか「哲学」とかあるいは「学問」とか呼ばれていたものが、それらが元々収まっていた閉域を超えて、人口に膾炙するようになったもの》 p12
     ・ そして、そのような「表層」や「戯れ」のなかに、ふと、あの「愚鈍」そのものとしての「怪物」との、「荒唐無稽」で「倒錯」的な「遭遇」の体験が訪れるのです。 p116
     ・ 蓮實重彦の映画論や小説論で「擁護」されるのは、もっぱらこのような意味で「怪物」の名に値するとされる「作品」群です。 p117
     ・ 『探究?』の冒頭で、柄谷はウィトゲンシュタインを参照しつつ、何ごとかを「教える−学ぶ」という非対称的な関係にこそコミュニケーション(=交通)の本質があり、そこで見出されるものが「他者」である、といったことを述べています。 p130
     ・ アイロニーとは、「危なくなった「主体」をいわば高次化するというか、超越論化すること」であり、「世界は、自分の思い込みにしかない」と思い込むことで自己の無力の確認をやり過ごすことです。これに対して、ユーモアとは、「いわゆるユーモアではなくて、ある根本的な精神態度」であり、「最終的に到達すべき理念や目的を持たないけれども、しかし、ニヒリズムにもならない」、「自分を一種の高みには置くので、非常にイロニーと似て」いるが、「他人にも快感を与える、あるいは他人をも解放する」ことが決定的な違いだといいます。つまりアイロニーとは「主体=自己」の無際限な副層化と肥大化であり、ユーモアとは「外部=他者」との「交通」を開く態度です。 p173
     ・ …煎じ詰めると福田和也の浅田彰批判の核心は、それが結局のところ「思想のエンタテインメント化」の産物であり、「人間の生き死に」と無関係なものでしかない、ということです。そして福田にとって「生き死に」とは無縁で、ただ「正しい」だけの「思想」など、「思想」の名に値しないのです。 p184
     ・ 「終わらない日常のなかで、何が良きことなのか分からないまま、漠然とした良心を抱えて生きる知恵」 p239 宮台真司『終りなき日常を生きろ』から引用
     ・ というのは、「脱構築」とは要するに、あらゆるものに「かもしれない」ということを、すなわち「こうではなかったかもしれない」という「可能性」の束を導入するものだからです。そして、この「こうではなかったかもしれない可能性」が、まさに「そうだったかもしれない」に反転したあげく、ある意味で現実に還ってくるのが、デリダ=東の「幽霊」です。 p284
     ・ 「今の彼」にとっての「今の彼」は必ず決定されてしまっており、「かもしれない」という「可能性」は、遡行的な「過去」から仰ぎ見られた不確定の「未来」としての「今」か、そうでなければ「今」を視点とする、まだ未決定の「未来」にしか存在し得ない、これが「脱構築」が、いたってロジカルにもたらす「悲劇」です。「幽霊たち」は何度でも何度でも、反復的に回帰する、しかし「彼ら」は「彼」でだけはありえず、「彼」もまた「幽霊たち」の誰かになることだけは出来ないのです。 p286
     ・ 「批評=思想」とは本来「メタ」なものです。しかしそこに「パフォーマンス」が入り込んでくると「ネタ」という要素が出てくる。「メタ」のインフレーションが「ネタ」を誘発したのが、「敢えて」の「アイロニー」です。/だが、おそらく東浩紀という「思想」家の行動原理は、「メタ」のふりをした「ネタ」のふりをした「ベタ」」です。そう、彼は実のところ、そもそもの最初から現在に至るまで、ずっと「真摯(ベタ)=本気(マジ)」なのだと思います。 p338

    【目次(小見出しは抜粋)】
    プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
    1 「ニューアカ」とは何だったのか?
        すべては『構造と力』から始まった
    2 浅田彰と中沢新一 −「差異化」の果て
        「わかりたいあなた」のためのチャート、マップ、カタログ
    3 蓮實重彦と柄谷行人 −「テクスト」と「作品」
        蓮實重彦−「表層」と「怪物」
        「宙吊り」の戦略
        「凡庸さ」という主題
    4 「ポストモダン」という「問題」
    5 「90年代」の3人 −福田和也、大塚英志、宮台真司
        「日本」とは「空無」である
        福田・大塚・宮台の「天皇論」
    6 ニッポンという「悪い場所」
        偽史や終末思想に逃げないために
        『終りなき日常を生きろ』
        村上隆の「J戦略」
        「市場」を意識する思想
    7 東浩紀の登場
        デリダ=東の「幽霊」
        「郵便」と誤配可能性
        『探究』を乗り越える試み
        レヴェナント=回帰する霊
    8 「動物化」する「ゼロ年代」
        『動物化するポストモダン』
        「虚構の時代」のあとで
        『ゲーム的リアリズムの誕生』
        なぜ東浩紀は「ひとり勝ち」しているのか?
        「ゲームボード」の再設定
        思想が競技になった
     「メタ」「ネタ」「ベタ」
        「ニッポンの思想」のゆくえ

  • 佐々木敦の本をまとめて読んでみることにした第一弾。

    彼は音楽批評・文芸批評・演劇批評をする人、というイメージがあったため、「ニッポンの思想」というタイトルに思わずみじろぎしてしまった。
    しかし、ふと考えれば東浩紀の批評学校にも講師として参加しているわけだし、そもそも批評は文芸誌がルーツであるらしいし、親しいのも当たり前なのですね。

    ニューアカ世代の親を持つ自分としては、読んだことは無いけど本棚にある浅田彰から、宮台真司、東浩紀まで一体日本の批評がどのような流れ、対立構造等で成立してきたのか、読みやすい文章で書かれているので面白く読んだ。勿論、思想の解説本ではないので、いちいちデてくる用語の説明は無いし、す、スキゾキッズ‥?となることも多々あった。
    しかし、東浩紀よりも更に下の世代からすれば、大御所の積み上げた思想の上にまた東浩紀の思想が、その若手の思想がと積み上げられており、インターネットのおかげで纏めて読むのが逆に難しくなった今、ざっと基礎を知るには適した本であると思う。

  • 現代日本の思想論、80年代、90年代、00年代に特化した、その時代のエポックメーカーを中心に流れを”著者”が整理した本。古来からの思想論の歴史や解説本ではありません。

    その時代の背景や思想を語る時、簡単に分かるようでは思想論ではない、という変な逆説プライドが満載なので、各論についてはほとんど理解することができなかったが、大きな概要と流れについては何故か理解できる本だった。

  • プロローグの6ページ目に突如登場する「東浩紀もの」(厳密に言えば5ページ目のゼロアカが東浩紀を暗示しているが)から、 ニューアカ、蓮實と柄谷、福田/大塚/宮台、途中に村上隆や大塚英志を挟みながらその全てがゼロ年代一人勝ちの東浩紀に繋がるという佐々木敦の東浩紀好き好き本。「東浩紀もの」の言説を追うにはよいし、視点設定はとても面白いけど、日本の思想史なら仲正昌樹の方が良い。
    終章、「東浩紀はメタのふりをしたネタのふりをしたベタ」という指摘、いい歳したオタクを拗らせたオッさんがマジになって社会を語るナイーヴな振る舞いは、『存在論的、郵便的』で指摘したパフォーマンスに自然と接続される。

  • ニューアカって?というレベルなのでついていけない、頭に入ってこない。それでもなんとなくわかったような気に。80年代、浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人。90年代、福田和也、大塚英志、宮台真司。ゼロ年代、東浩紀。だけ覚えた。スキゾキッズ。

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著者プロフィール

1964生まれ。批評家。HEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画、美術などの広範な領域で批評活動を行う。著書に『ゴダール・レッスン』(フィルムアート社)、『ゴダール原論』『批評時空間』(新潮社)、『新しい小説のために』(講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『筒井康隆入門』『未知との遭遇(完全版)』(星海社新書)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『ex-music(L/R)』(アルテスパブリッシング)、『「4分33秒」論』(ele-king books)、『テクノイズ・マテリアリズム』『(H)EAR』『即興の解体/懐胎』『文学拡張マニュアル』(青土社)など。

「2019年 『私は小説である』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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