超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 270
レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880503

作品紹介・あらすじ

予備知識なしに、重要哲学書がわかる「超解読」シリーズ第1弾!
「小説みたいにおもしろい」。メルロ=ポンティがこう語ったという、『精神現象学』。自然、自己、他者、共同体、神などに関するさまざまな人類の経験を経ながら、主人公である「意識」はいかに成長していくのか。近代社会に生きる人間の「欲望」の本質は何か。ヨーロッパ哲学史上、最も重要にして最も難解なヘーゲルの主著を、おなじみのコンビがわかりやすく読み砕く。


【著者紹介】
竹田青嗣(たけだ せいじ)
1947年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。明治学院大学国際学部教授を経て、現在、早稲田大学国際教養学部教授。哲学者、文芸評論家。著書に、『現象学入門』(NHKブックス)、『人間の未来』(ちくま新書)、『ハイデガー入門』『完全解読ヘーゲル『精神現象学』』(共著)『完全解読カント『純粋理性批判』』(いずれも講談社選書メチエ)などがある。

西 研(にし けん)
1957年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。和光大学現代人間学部教授を経て、現在、東京医科大学教授。哲学者。著書に、『実存からの冒険』『哲学的思考』(ともにちくま学芸文庫)、『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)、『哲学のモノサシ』(NHK出版)、『完全解読ヘーゲル『精神現象学』』(共著、講談社選書メチエ)などがある。


【目次】
まえがき――自由のゆくえ
緒論
第一章 意識
第二章 自己意識
第三章 理性
第四章 精神
第五章 宗教
第六章 絶対知
おわりに

感想・レビュー・書評

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  • なるほど、わからん!!
    精神現象学をこの上なく理解しやすく説明してくれてるのはわかったけど、それでもわからないのは僕の理解力がないからか。さすがヘーゲル語と言われるだけある。
    でもいつかまたこの偉大な哲学書に挑戦したいです。

  • 竹田青嗣と西研の二人が、ヘーゲルの『精神現象学』の内容をわかりやすくパラフレーズしている解説書です。

    『精神現象学』の入門書としては、加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社学術文庫)が有名で、わたくしも以前読んだことがありますが、多くの執筆者が参加しているために全体像が少し見えづらいような印象がありました。本書は、竹田と西の二人が分担執筆していますが、両者は思想的に非常に近い立場に立っており、ほとんど二人のあいだの齟齬を感じることなく、『精神現象学』の全体像がクリアに描きだしています。

    西は『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)で、竹田は『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)や『哲学は資本主義を変えられるか―ヘーゲル哲学再考』(角川文庫)で、それぞれの関心にもとづいたヘーゲル解釈をおこなっており、本書にも若干そうした両者の立場からの解釈が見受けられるようにも感じますが、おおむね『精神現象学』そのものの叙述にそった解説になっています。生命主義的な観点を強く打ち出している長谷川宏の『ヘーゲル『精神現象学』入門』(講談社選書メチエ)よりはニュートラルな解説だと感じました。

  • 2017.9.13
    主と奴の部分の承認をめぐる闘争、ストア主義、スケプシス主義、不幸の意識などはまさにという感じで、誰もが経験を覚える部分だろう。私は社会にあまり関心がないので、この本の人間学的部分にのみ焦点を合わせて読んだが、この自己意識の章と、そして良心の章はもうかなり感動した。行動する良心と批判する良心の違いはそのまま実存的視点と俯瞰的視点の違いであり、これもまたどちらも、経験の覚えのあるものである。両者の和解の先にあるものは、『ヘーゲル 大人のなり方』のレビューに書く。
    私は自由を求める、つまり自分の欲したように生きたいと欲する。他者も同様である。ここで対立が起こる。この対立が、相互承認の契機となる。相互に相互の自由を承認し合うことで、互いが最も自由に生きられるからである。さらにこの過程を経て人間は、「私」と「みんな」が折り合う地点を探る。それは私の欲望でありかつ、みんなの欲望でもあるという、個別的欲望と普遍的欲望の一致する点に、大きな価値を見出す。道徳は、普遍的欲望は持つが、そのために個別的欲望をないがしろにしている、自己否定的な人間であり、故に徳福の不一致が問題になる。こうして個別と普遍が一致した状態を、良心と呼んでいるのではないかと解釈する。
    しかしその良心を持つ人間においても、その個別的普遍的欲望=価値を直感的に把握し行動する良心と、それを批判する良心が現れる。良心は個別と普遍の一致であり、つまり外側から見れば、それはお前のエゴイズムだと言い得る。そして行動する良心は自らに対する無批判から、それに許しをこう。行動する良心の欠点は、自らの持つ普遍性を無批判に行動に移し実現しようとしたところにある。対して批判する良心にも非がある、なぜなら彼は自分が傷つかない場所から言いたい放題なだけで、自分を行動によって世界に開いていないからである(これは私である。痛み入る気持ちである)。つまり批判する良心の欠点は、自らの普遍性を現実に試すことなく周りを相対化するだけということである。
    さて、両者の和解の先は?

  • ヘーゲル哲学の入門書。ヘーゲルを読むのに何から始めて良いか分からず、竹田青嗣さんの本はこれまでにも読んでいたのでこれにしましたが、とても分かりやすかったです。これから訳書を読むに当たり、とても心強い入門書です。

  • まったくわけがわかりませんでした。

  • 自己と主体性という観点からようやく読み終わりました。ふう。ヘーゲルははるかに遠いけど、少し近づきました。

  • あきらめましたあなたのことは。

  • 全体のモチーフとしては自由のゆくへの問いだそうです。ヘーゲル自体も文章がヘタクソというのがよくわかったのと、本書の著者も文章はわかりづらくはないが、構成力がないので結局何が言いたいんだか頭にまったく残らない。もともとの精神現象学がそうであったとしても、アウトラインをまず示し、どこに向かって記述しているのかわかるように書くのが超解読と謳っている著者の努めだと思う。

  • 2016.3.22
    第4章"精神"まで読み終わってギブ。超解読でもかなり難しいです。でも、なんとなくでも意味は掴めて、しかもそれが非常におもしろい。特に精神の章の、道徳と良心の話は、人間はいかに生きてきて、そしていかに生きていくべきか、その思想過程、歴史過程が見えてとても参考になった。ヘーゲルは全体的に相反する2つの統一という、弁証法的思索によって話が進んでいく。個と集団という二項において、昔は個はなく、集団のみがあった。近代によって個が誕生したが、それはまた今度は個によりすぎ、集団を、つまり繋がりを失ってしまった。私が日本に関して感じている社会的イメージもこれである。ネット環境の発達、核家族化、繋がりの煩わしさから個別化が進み、それによって繋がりによって育まれるべきものがなくなっている。別の本の言葉を借りれば、命の場所がなくなっている、と言える。そしてこの二項の統合、つまり個体でありながら主体的に繋がりを作っていく、個と集団の統合が今後の歴史的、そして個人的目標となる。これは社会論というか、人類いかにあるべきかの視点でのひとつの答えである。また道徳において、それは彼岸に理想をおき、現実を愚かと否定するものであり、そこには理想と現実との対立がある。これを解消するには、理想つまり道徳の意志から、現実つまり欲望や感情、感性を陶冶するしかない。しかしそれは難しいことである。また道徳とは、理性的なものであり、正しいか否か、という正義の問題である。絶対的正しさを持って作られた道徳的理想があり、それにそぐわないものが現実と考えるものである。そこで登場するのが良心という概念である。これは、自己の確信を拠り所に、何が正しいか、何が正義かなんてのは、そういう道徳的な絶対根拠は持てない、けど私は、確かにこれが正しいと思う、という確信の問題である。この発想は竹田のフッサール論に非常に近いものがあるように思うし、こう考えると我々の知は新たな段階、つまり正しいか否かで考えるのでなく、確信によってものを考えるという認識の方向にパラダイムシフトしていくべきなのかもしれないと考える。なんにせよ良心はそのような感性的な、正しいと思ってるから正しいという確信のことであり、しかしまた道徳との違いとして、その確信を絶対のものとせず、常に変化し進化するものとして他者に開かれたものでなければならない。良心において必要なのは、自己の確信がまた他者の確信であるという確信、俺は正しいと思ってこれをやるし、社会一般もそうだろう、という確信である。そしてそれは他者に自己の確信を言明し、行動し、表明することで批判に晒すことで得られるものである。そして良心には、行動する良心と批評する良心とがいる。行動する良心は自己の確信に則って行動する良心であり、それは自らの感性、正しいと思ってる故に正しいことをやりたいという素朴な感情で動く人である。対して、批評する良心とは自己の確信に限らず人には様々な確信があって、その社会的確信に自らの合わせる人である。そして双方ともに大切なのは、自らを絶対化させないことである。外に開かれていることである。確信が絶対化すると独我論になり、そこにわかりあいの余地はない。こうして、確信に則って、ある人は行動する良心であり、ある人は批評する良心であり、そして彼らが互いに自らを開き、そして認め合う、ここに相互承認という近代における最も大切な社会原理が生まれることになる。私個人に還元するなら、私はまさに批評する良心であり、しかも他者に開かれるどころか、人と人はわかりあえない、ならば分かり合う努力など無駄に等しいと思い無口を貫く人だった。または承認欲求を丸出しにすることが恥ずかしかったのもある。しかし本当の良心的確信は、自己の確信を社会に晒して、他者の確信と擦り合わせなければならないのだ。分かり合う努力を避けるだけでは私は本当の確信を得られず、独我論的世界観で自己満足に浸ることになる。承認欲求によって、認めて欲しいから口を開くのではない、私のこの確信は果たして人に認められるのか、それを試すために口を開こうと、そう思った。正直理解は乏しいのだが、非常に参考になる知がここにはあると確信できた一冊。また読みたい。

  • 難解と言われてる本の解説本も僕には難解だった。でも内容としては分かりやすく丁寧に解説している印象は持ったし、人の批評とか分析って読んだり聞いたりするのは楽しい。

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者。早稲田大学政治経済学部卒業。現在、早稲田大学国際教養学部教授。主な著書に、『プラトン入門』、『言語的思考へ』、『人間的自由の条件』、『完全解読 カント『純粋理性批判』』、『完全解読 フッサール『現象学の理念』』ほか多数。

「2017年 『ハイデガー入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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