「認められたい」の正体 承認不安の時代 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 88
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880947

作品紹介・あらすじ

「『空虚な承認ゲーム』をどう抜け出すか。その『答え』ならぬ『考え方』を教える本書は、規範喪失の時代における希望の書である」(斎藤環氏)。現代社会に蔓延する承認の問題を真正面から捉えた注目書! 私たちを覆う「生きにくさ」の本質に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 山竹さんの分析は納得感がある。

  • 「承認欲求」について、親和的承認、集団的承認、一般的承認の3段階で説明され、承認の不安はどこからきているのか、その不安を軽減していくにはどうしたらいいのかの提案がされています。

    固い本かなとしばらく積ん読にしていましたが、読み始めたらおもしろく、一気に読み終えてしまいました。

    自己分析や対人援助の際、この知識があると役に立ちそうだなと思いました。
    この視点をもって、しばらく世の中を観察してみようと思います。

  • 日本人は宗教的観念も他国と比べて低いため、周囲の人たちの承認により、自分の必要性を感じようとする。あまり好きではない人との飲み会も、嫌われたくない、嫌な噂を立てられたくない、そう思っていたら断れず、だからといってそこで自分の承認価値が高まるわけでもなく、不服な気持ちを抱く悪循環。しかも交際費が重なるだけ。無意識に思ってしまう「しなければならない」という感情を(自己ルール)=過剰な自意識に気づいて自分を理解する。言い換えて、自己了解していくことで空虚な承認ゲームから脱出できるひとつの方法である。snsなどの発達によって親しい人からの本物の承認を得られにくくなっていく現代において、刺さる一冊!!ゆあてゃに憧れる人たち。まさに空虚な承認ゲーム

    共依存の本質は「人に必要とされることの必要です。自分にとって大切な人から「あなたがいないとわたしは生きられない」と言われることで、自分の存在がはじめて「承認」されたように感じることから、共依存者的な生き方が始まります。(p.120)


    なぜ知的な人々ほど神経症に苦しんでいたのか。

    しかし、知識人層のように、自由の意識が芽生えた人間、伝統的価値観に違和感を抱いた人間においては、たとえ承認を得るために伝統的価値観に準じて行動しても、そこに納得感は乏しく、どこか無理をしている感触が付きまとう。 p.144



    本当の自分が抑圧される原因は、周囲の人間の評価に対する過剰な自意識なのである。p.163

    空虚な承認ゲーム=同調行動が、功を奏して、承認が維持されているうちは、承認の不安を一時的に遠ざけることはできる。だがそこには、価値ある行為や知識、技能を承認される場合に生じるような充足感はない。p.165

    日本人の承認基準は、周囲の人々。
    欧米人の自我は神に支えられているから、対人恐怖にはならない。

  • 正解のない多様性だから 承認に飢えてSNSにすがる まずは身近な人へのリスペクトと承認から始めようぜ

  • 数年前に読んだ本だけど、メモを見返しての感想。

    就活に苦しんでいる自分に響く内容だった。まさに“承認と自由の葛藤”に悩んでいた。
    つまり、
    「大企業や名の知れた企業、ホワイト企業に入り、親や恋人、指導教員、同期から承認を得たい」という気持ちと、
    「一般的な企業で働くことが絶望的に向いていない(インターンが全て苦痛だった)ので、無名で給料も低いが自分の適正に合った仕事をしたい」という気持ち
    の2つで葛藤していた。
    自分の中にいる“一般的他者”の視野を広げることで、承認と自由の両立が可能であるという言葉に励まされた。

  • 2014年の68冊目です。

    私には、顕在化、潜在化した承認欲求があります。
    ここ数年来の自分のテーマでした。そんな時、リサイクルBookストアーの新書コーナで見つけた本です。
    本の前半では、人間の承認欲求について解説されていますが、「これは、ほとんど自分の事を分析して書かれている」と思うほど、合点のいくものでした。
    第1章「認められたい」の暴走の中に次の一節があります。「他者の承認は自分の存在価値に関わる、最も人間的な欲望であり、長期にわたってそれなしに生きていける人間はほとんどいないだろう」 それって私のことですと言いたくなるような文章ですね。ところで、承認を与える他者とは誰か?本書では、他者を自分との関係性から3つに分けています。「親和的他者」「集団的他者」「一般的他者」だそうです。「親和的他者」とは、家族・恋人・親しい友人など、愛情と信頼の関係にある他者のこと。ありのままの自分を受け入れてくれる他者でもあります。「集団的他者」とは、所属する組織・会社などで、共有するルールや価値観に見合う行動をすることで認めてくれる他者です。「一般的他者」とは。あったことも無いネット上の知り合いやほとんど知らない人達であり世間とか社会一般といえる。自らの行動が、社会全般に渡って認められる価値に見合うかどうかが認められるかどうかということになる。
    現代は、誰もが「認められたい」という欲望を抱く以上、そこには大勢の人間が共通して了解し得る意味(本質)があるはずだというのが、著者の論の中核に置かれています。すなわち自己了解と「一般的他者の視点」による内省ができれば、親和的承認や集団的他者承認に執着せず、「見知らぬ他者」の承認(存在承認の本質)を確信することで、また自分の意志で行為を選択することで、自由と承認の両方を切り開くことができると述べている。

    私の場合、「親和的承認」を、「集団的他者」の中にも得たいという部分があるように思える。また、現代において、「集団」に共通する価値観自体が不明確になりつつあるため、どういった行為に価値があるのかを見定めることも難しくなっている。人事考課とか賃金などがその行為の価値を測り評価を反映したものだったが、昨今の私の所属する組織ではそのような傾向は極めて希薄になっている。ここでの承認を得ずして、一般的他者の承認へシフトしていくことには、同意しづらい。価値観やルールが変動する中で「集団的他者の承認」を確実に得ていくかという課題について改めて考えて見たいと感じました。

  • 「認められたい」の正体は、人間としての本能。自己価値への欲望。と第二章で結論付け、最終章である第五章でそこからの脱出方法を考察している。二章で結論付けられたことについて、三章でそうなる過程を詳しく説明。

    個々の価値観の多様化によって、どうしたら認められるのか、つまり「認められるためには何をしたらいいのか」が不明瞭になり、その結果承認不安が強くなる、というのが現代。
    もともとは親和的欲求としての親の承認を得ようとし、それが学童期から集団的欲求としての友人の承認、壮年期からは一般的承認への欲求と変わっていく。その過程で「一般的他者の視点」も成熟していく。それぞれの欲求は互いに補完し合う関係性にある。「一般的他者の視点」が成熟しないと、承認不安からの脱却が難しくなる。
    自分の決定に納得するように考えてから行動することで、自分の意思で決定したことになり、自由の意識は保たれる。

  • <メモ>
    ・ 身近な人間だけに認められたい若者
    ・ 今は社会の価値観が多様化してきているため、何をしたら認められるかわからなくなっている…コミュ力重視の社会

    不可欠な「他者」の存在
    1.親和的承認・・・ありのままの私、無条件の愛 ex.家族・友人・恋人
      存在そのものへの承認、自分ではどうにもならない(片思いなど)
    2.集団的承認・・・集団への貢献、知識・技能
      集団の人間が評価する行為、求められる役割を果たすなど努力で手   に入れられる ex.学校・会社
    3.一般的承認・・・見知らぬ大勢の人
      献身的な人も無意識に「一般的他者の視点」から内省している

    家族で疎外されている人が仕事を頑張ったり、仕事がうまくいかない人が恋人に甘えたり。


    自由への欲望と承認への欲望の葛藤
    自由を捨てれば自己不全感に陥り、自由に生きても承認を捨てれば生きる意味を見失ってしまう
       ↓
    両立するためには「自己理解」と「一般的他者の視点」が必要。

    自由とは「自己決定による納得」
     他者への同調を辞め、まず自分がどうしたいか考える。納得のいく自己決定のためには、自分をよく知る必要がある。
    「~ねばならない」「~すべきだ」という義務感で自己不全感が生場合、そこに承認不安はないか、親への承認不安に基づく自己ルールが存在しないか分析する必要がある。

    一般的他者は、利害関係のない中立的な他者。身近な人間だけでなく、様々な価値観を持った他者を理解する。「見知らぬ他者」からの承認を確信して自分の行動に自信を持つ。

  • 自由だからこそ、逆に足かせ(今回の場合、承認がそれである)を求めてしまうというアンビバレントな状況について触れることで、自由論への考察の導きともなっている本。その切っても切れない絡まりあいに思索を向ける導入としてはいいかもしれない。現代思想のキモとなる思想家にも、一通り目配せしている。
    ただし、3つある承認の形態がそれぞれ衝突を起こす可能性について全く触れられていなかったのには不満がある。身近な他者と、抽象の存在である一般的他者の要求(=承認を得られる契機)は、異なることが往々にしてありうる。そうした衝突状況にあっても、「自分が納得した判断」というものを最終的な拠り所とすることで承認の問題が解決に向かうのだと、そうした希望を持ってよいのだろうか。結局は承認の問題を自己の責任に帰結させはしないだろうか。
    後半部分は正直なところ同じ内容の繰り返しが多かった点も、気になるところであった。

    しかし研究書ではないことも考えれば、これ以上の要求も酷か。

  • ● 承認への欲望とは自己価値への欲望であり、それは自らの存在価値を問い、「生きる意味」を求めることである。私たちがこれほど他者の承認を求めてやまないのは、このような人間存在の本質に根ざしている。

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著者プロフィール

山竹伸二(やまたけ・しんじ)
1965年、広島県生まれ。学術系出版社の編集者を経て、心理学、哲学の分野で批評活動を展開。評論家。同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員、桜美林大学非常勤講師。現代社会における心の病と、心理療法の原理、および看護や保育、介護などのケアの原理について、現象学的な視点から捉え直す作業を続けている。おもな著書に『「認められたい」の正体』(講談社現代新書)、『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス)、『不安時代を生きる哲学』(朝日新聞出版)、『本当にわかる哲学』(日本実業出版社)、『子育ての哲学』(ちくま新書)、『心理療法という謎』(河出ブックス)、『こころの病に挑んだ知の巨人』(ちくま新書)、『ひとはなぜ「認められたい」のか』(ちくま新書)、『共感の正体』(河出書房新社)など。

「2023年 『心理療法の精神史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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