国際共通語としての英語 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881043

作品紹介・あらすじ

いま、どんな英語力が求められているのか。ネイティブ並みに話せなくてもいい、グローバル時代では自分らしい英語の発信を。「通じる」英語を目指す!

感想・レビュー・書評

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  • 鳥飼玖美子さんは、英語、英語教育、グローバル化、多様性…諸々に対する自分の考え方を説明する上でなくてはならない人だと改めて痛感。大学時代の学びを思い出した。レポート書く時とか参考文献にした記憶。

  • 学研の「書評で学ぶ小論文の必須テーマ」に取り上げられていたので読みました。自分の無知を痛感したのは、単なる到達度の指標程度にしか思っていなかったCEFRは、EUの「多言語主義」「複言語主義」に基づく言語政策から生まれたものであったということです。これまでまったく調べようともしなかったことを反省しました。

  • いま、どんな英語力が求められているのか? 通じる英語、発信するための英語、「グローバル時代の英語」が意味するもの、国際共通語としての英語と学校教育などについて考える。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40145647

  • 新 書 KGS||830.4||Tor

  •  授業で薦められ、2011年5月13日(金)に阪大生協書籍部豊中店にて10%オフで購入。同日読み始め、翌14日(土)に読み終えた。

     鳥飼さんは英語を聴いたり話したりできるようになるためには文法をしっかり習得しておくことが肝要であると以前から主張しており、私が彼女のことを支持していたのはそういう理由からであったと本書を読むことで思い出した。もちろん彼女は会話よりも文法が大事であるなどと安易なことを言っているのではなく、会話か文法か、あるいは実用か教養かといった二項対立で英語を捉える考え方をそもそも戒めている。誤解のないように書いておくと、本書の題名が『国際共通語としての英語』とあるように、本書の内容は文法がいかに大事であるかということではなく、私たちが英語を国際共通語として考えたときに、それをどのようなものとして考え、どのように習得していけばよいのかを中心に書かれている。この問題について考える切り口の一つがコミュニケーションであり、このコミュニケーションが本書のもう一つの主題である。

     基本的には著者の意見に同意できるが、ところどころ疑問に感じるところもあった。

     それから余談になるが、英語の授業で名前を姓名の順番に呼ぶのか、それとも姓と名を逆にして呼ぶのかというエピソード(140-6頁)は、立教大学に移ったあとの新鮮なエピソードとして紹介したかったのかもしれない(し、実際どういう意図があってのことなのかは分からない)が、最近になって初めて「名前を英語式に呼ぶことは本人のアイデンティティに関わることなのを、学生が教えてくれ」、それまで「ほとんど無意識に、学生の氏名を英語式に直し、ファーストネームを先にして呼ん」でいたというのは、いくらなんでもやりすぎだと思う。本当に最近になって初めて知ったというのであれば、それはそれでこの分野の研究者として問題だと思うし、以前から知っていたけど最近の出来事として英語式で名前を呼んだ学生から抗議されたことがあったためその授業を通じて学んだエピソードとして書いたというのであれば、それも誠実さを欠く行為であり問題だと思う。

  • 699円購入2011-06-28

  • おお。
    『英語と日本語のあいだ』から引き続き読んだのだけど、鳥飼玖美子さんは「会話か文法か」という二者択一ではなく、どちらも成り立たせる英語教育であるべきだと述べていて、少し見方が変わった。

    コミュニケーションと基本である、伝え合う姿勢。
    そもそも、伝えたいとか分かりたいという「意欲」を培うことは確かに理想である。
    一方で、小学校の外国語教育にあるような、楽しさやゲーム性を表に出したやり方で、果たしてコミュニケーションの重要性に行き着くんだろうか?という厳しい述べ方もしている。

    伝えるには、言語の他に、自身の考えや価値観、文化的背景が必要だと思う。
    しかし、小学生や中学生にそこの部分を求めることは厳しくて、母語でさえ危ういというのはもっともである。
    ただ、英語を敬遠する英語ビギナーをなくす上で、どのレベルの楽しみ方を見出してあげるかは重要なところだ。(まぁ方法より、コミュニケーションの大切さを知りましょうという狙いに問題があると言っているのかもしれないけれど)

    その延長上に、例えば英語式の名前の呼び方に疑問を持つといった面白さはあるのだろう。
    ちなみに途中、水村美苗さんにも踏み込んでいて、一部バイリンガル化の話も、面白かった!

    2017年現在、四技能が求められる中で、英語の力自身はどんどん外部テストのスコア化が採用されていっている。
    受験英語からTOFELやTOEICのスコアを得るための英語にシフトすることで、鳥飼さんの言う両立は叶うのだろうか。

    そもそも、その理想を具現化しようとすれば中高6年の教育で時間的に足りるのだろうか。
    という所で、誰も具体的なチャートを描けずにいるのかもなぁ……なんて専門外の人間としては感じるのであった。

    英語はツールでしかないと言う人なんて、、、とあるけれど、英語も日本語も私はツールだと思う。
    けれど日本語は英語にはない言葉の豊かさがある面で、母語話者として誇りを感じる。

  • 英米人などのように、英語を母語とする人たちは4億人程度なのに対し、インドやシンガポールなどのように英語が公用語の人たちと、英語を外国語として使う国の人たちを合わせると、十数億人になるという。なので、我々が英語を使う相手もそれら十数億人になる確率がはるかに多く、そのような時代では英語は英米人の基準に合わせる必要はない時代になっていると著者は主張する。つまり、英語はネイティブレベルを目指す必要はなく、言語としての最低限のルール(文法、発音、アクセント、イントネーション)が守られていれば十分で、それを前提とした英語教育をすべきである、というのが本書の主張である。
    英語に限らず、語学学習にはネイティブ信仰がつきものだと思っていたが、本書を読んで考えを改めた。小学校から英語が必須になるとの事だが、文部科学省はぜひ、本書の低減を参考にし、「世界共通語としての英語」教育が生徒にできるような指導要領を確立させてほしいと強く希望する。
    なお、著者の本として本書の後に書かれた「本物の英語力」という本があるが、まず本書を読んでから「本物の英語力」を読むと、本書が理論編、「本物の~」が実践編という形で利用でき、効率的であると思う。

  • おすすめ資料 第200回 (2013.8.16)
     
    タイトルの含意は「完璧でなくてよい」ということ。

    英語を学ぶ際に必要以上にネイティブ・スピーカーの規範に従うことはない、ということです
    (とはいえ、何をもって必要以上とするか決めるのは難しいようですが)。

    決して文法や発音をおろそかにしていい、という意味ではありません。
    学ぶときはきっちり学び、使うときは間違いをおそれずに使って、「自分の英語」を目指してください。

  • 「ニュースで英会話」を見始めて知った鳥飼さん。とても読みやすかった。日本人が何で英語を勉強してるのか、考えさせられる。

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著者プロフィール

立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科教授(研究科委員長2002-2005、2008-2010)を経て立教大学特任教授、立教・異文化コミュニケーション学会(RICS)会長(2009-2011)。著書『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房2007)(単著)Voices of the Invisible Presence: Diplomatic Interpreters in Post-World War II Japan(John Benjamins, 2009)(単著)『通訳者たちの見た戦後史――月面着陸から大学入試まで』(新潮社2021)(単著)。

「2021年 『異文化コミュニケーション学への招待【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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