- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062881104
作品紹介・あらすじ
3.11の後どう語るか?『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』著者渾身のジャーナリズム論。
感想・レビュー・書評
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観念的に対立する立場の是非ではなく、現実に存在する原発とそれに関わる人々、反対側の立場の人々双方がどうやって具体的な問題を解決しながら方向性を見出すか。
経緯やそもそも論でなく、現実の双方の生活や生命を大事にする形で議論を進めるのがメディアの役目ではないかという主旨。
この状況に至るまでメディアはいったい何をしてきたのかという大きな疑問符がいくつも湧き上がるが、著者のような考えがメディア全体の共通認識となって継承されない限り、これからも前向きな議論は一向に進まないのではないかという疑念だけが残る。
そんな議論を行わないメディア自体が果たして健全なのだろうか?
著者も一般読者に対しての意見に終わらずに、メディアに対してその数十倍、数百倍熱く語ってほしい。
安全な場所での愚痴で終わらせないためにも。 -
『安心・安全を共同体の範囲で追求しようとすると他者を排除したり、外部との交流を制限することに繋がる。ジャーナリズムはそんな動きに加担するのではなく、共同体を横断して必要とされる最大公約数的な安全・安心の確保を目指さなければならない。』(217p)
『原発問題が二項対立的な議論しかされなかったのは、核か、核ではないか、という単純化に起因する。それは、議論の受け皿となるメディアにも課題を投げかける。複雑な構造をそのまま受け止め、反照を繰り返して行きつ戻りつしつつ、均衡に至る息の長い散文的議論を受け止めるメディアが必要だ。』(229p) -
安全・安心を考え直す(守るべきは「基本財としての安全と安心」◆ジャーナリズムの公共性を巡って◆「知らせること」は正義なのか◆「警鐘を鳴らすジャーナリズム」の神話◆グレーゾーンの報道)◆マスメディアとネットメディア(原発事故とツイッター◆新しいメディア地図を描く◆「情報操作」の現在景)◆グーグルから遠く離れて(マスメディアと反検索型ジャーナリズム◆それでもジャーナリストになりたいあなたへ)
著者:武田徹(1958-、東京都、評論家) -
社会
メディア
原子力発電 -
原発報道に関してはさて置き、ジャーナリズム論、メディア論としては面白い。
鶴見俊輔を引き、ジャーナリズムの語源ジャーナルは、「日記」であり、ジャーナリズムは一人ひとりの志に基づくと主張する。
メディアが巨大化しても、最後の勝負は、確かに一人のジャーナリストに掛かっている。
筆者の、自身を含めたジャーナリストへのエールといったところかな。 -
原発事故をケーススタディーとしたジャーナリズム原論。
従来のマスメディアとは別種の情報システムの有用性、優位性の提唱。
以下、引用省略