「上から目線」の時代

  • 講談社 (2012年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784062881418

みんなの感想まとめ

日本社会における「上から目線」の問題を深く掘り下げ、コミュニケーションのあり方について考察する一冊です。著者は日常の会話や実際の事例を通じて、なぜ人々が目線に敏感になっているのかを探ります。社会や経済...

感想・レビュー・書評

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  • 日本社会を取りまく「困難」の空気。そして日本語に潜在的に潜む「上下」の関係。私自身が普段の人との関係の中で近頃感じていたことがこの本には書かれていました。
    なるほどーという感じであっという間に読み終わりました。

  • 村上龍のJMMというメールマガジンで読んだ記事がすごく良くて、それ以降冷泉彰彦の著作を読むようになりました。

    なぜ「上から目線」が敬遠されるのか、なぜ「目線」が気になるのかについて、日常的な会話や実際に起こった事例を引用しながら考察を深めていき、コミュニケーションのあり方についての議論にたどり着きます。

    コミュニケーションが困難になったことについて、「昔は良かった」的な論調ではなく、社会、経済、価値観の変化などから分析されていて、公平な印象を受けました。

    似たようなトピックの本も見かけますが、一番信頼できるように感じます。

  • 社会学の中のコミュニケーション論という位置づけになるでしょうか。
    僕たちの会話の中から生まれる、「上から目線」や「見下された」という感覚。
    それらが感情的な紛糾を生むことを解き明かすような本です。
    最終章では、では、どうやってその「上から目線」による
    コミュニケーションのうまくいかなさを解消するかという処方箋が出されています。

    「上から目線」と言われれば、尊大な態度でものを言う人を思い浮かべるのではないかと
    思うのですが、もっとデリケートなところでも無意識的に上から目線を感じたりするようです。
    たとえば、本書で書かれているところでは、平和主義を唱える人が、その正しさを信じるがゆえに
    平和を強く訴えると、それを聴く人の中には平和主義者のその強い口調を上から目線だととらえて嫌悪し、
    平和主義自体も嫌悪するといった具合のプロセスがあるそうです。

    また、他の例では、野良ネコに餌をやるタイプの人たちと、野良ネコを駆除しようとする人たちの間でも、
    お互いに上から目線を感じ合うがために、対立を深めていく構図が説明されています。

    「上から目線」を軸にさまざまなディスコミュニケーション事象を見ていくと、
    実にいろいろなケースが該当するんですよねぇ。もう日常茶飯事です。

    趣味の世界でもなんでも、「上から目線」、具体的には
    「(年季の入った私は)あなたとは違うんです」という目線が、関係に不協和音をうむ。

    そして、コミュニケーションにおいては価値観論争というものが危険とされてました。
    その危険とは相手から嫌悪される「上から目線」を感じさせる
    断言口調を連発せずにはいられなくなる点にあるそうです。
    そうですよねぇ、自分の価値観が正しいですから、さらに、
    いきなり自分が善であり相手が悪でありという立場にしてしまいますし。

    曲のソロのところになるとステージの中央に飛び出してくるギタリストのように、
    みんながなってきたのかもしれないですね。自己を尊重するのはいいことだけれど、
    自己を高みにのっけるくらいまで重くとらえるのはどうかと思うところです。
    「誰にも汚されないわたし」なんてありえないからです。

    きっと、経済的に豊かになって、IT革命が起きて、個性の尊重と育成が行われて、
    個人の主人公感っていうものが強くなったためにこういう社会の流れになったんだと
    僕は思います。

    本書で取り上げられた「上から目線」と、以前このブログで紹介した
    槙田雄司さんの『一億総ツッコミ時代』で取り上げられた「ツッコミ過剰」を
    併せて考えてみると、今の多くの日本人の心性というものがみえてくるような気がします。

    はーっ、面倒くさいもんですね、人との関係性のあり方と言うものは。
    そうはいっても、それはそれ、もっと良くなるための過渡期の事象だと
    とらえたいですね。

  • 共通の空気の無い、困難な感覚。
    世界観のぶつかり合い。
    上下を設定しないと、会話が成り立たない日本語。
    それぞれがなるほどと思わせるのだが、何故か全体を通して膝を叩く感じがしない。
    ちょっとしっくりしない。

  • アメリカ在住の著者。日本語、日本のコミュニケーションというのは難しく、おもしろい。

  • 「上から目線」に対応するコミュニケーションの方法として,[1]価値観論争をやめる,[2]個人の立場から語る,[3]利害の結節点に立つ,[4]聞き流しの術を身につける を提案している.どれも正鵠を射ている.

  • 普段何気なく使っている日本語がかわりつつあること。時代背景や社会的に大きなインパクトのあった出来事によって変わっていくことを知ることができてよかった。対等な社会がうまれつつある。

  • 「上から目線」というポイントに絞って、社会を分析した本。
    面白くないわけではないけれど…結局あなたは何が言いたいの?と感じてしまった。

    まずは文章としての質。
    文の末尾が
    「~だと思う」「~だろう」「ではないだろうか」
    という言い方が多いため、言い切れないならもっと事例を集めてしっかり分析してから書けよ。と言いたくなってしまう。
    多分、彼の考えていることは概ね正しいのだろうけれども、それを具体的にわかりやすく伝える方法を知らないのかな?という気がする。

    そして中身に関して。
    著者はそのつもりがないのかもしれないが
    「昔はよかった、今はみんな迷ってて大変だね!」
    と言われているような気がした。
    例えば、彼は事例として入社式で社長が行う新入社員向けのスピーチを上げている。社長は新入社員に対し「10年後を想像して仕事をしろ」というのに、部署の先輩は「今できることを精一杯やれ」という。それでも昔の新入社員はまごつかなかったし、現場もどうすればよいかわかっていた。だが、現代ではこの分裂に若者は足をすくわれ、会社全体としてもコンセンサスが得られない。
    というふうに書いてある。
    しかし、実際には昔の新入社員だって食い違うことを言われればなんだそりゃ?と戸惑ったと思うし、それは今も昔も変わりないと思う。その食い違い部分を問題視する人が出始めたのは、社会的な変化が起こって食い違いが昔より鮮明になったからではないだろうか。そして、そこで「ではその社会の変化とは何か?」ということが知りたいのに、それはなんとなく有耶無耶にされている気がする。

  • 近年は「こころの時代」ともいわれるほど、「生きにくい」社会だと思う。高度経済成長からグローバル化社会に突入し、日本経済自体も成長路線から停滞路線へ、個々の価値観も多様化している。本著ではこの価値観の多様化が、会話のテンプレートを崩壊させ、コミュニケーション不全が安易に「キレる」というコンクリフトを起こしている。こうした状況が本著でいう「上から目線」を作っている。

    この「上から目線」化は日本語がもつ「上下構造」から生み出されるというのも驚きだった。関係性が言語からもつ特質というのは新たな発見ではあるが、同時にこうした新たな知見を例えば国語教育の中に位置付けるなどの社会教育的なところにつねげるべきだろう。個人的には会話だけでなく、メールやSNSなどのIT化の促進によって、言語の向こう側にある情報リテラシーやコミュニケーションの取り方、背景にある歴史・文化・思想・宗教などの幅広い知識をもつことが今後の社会では重要になってくると考える。コミュニケーションというもののもつ必然性、特殊性を改めて考えさせられた。

  • 上から目線とは「現場、実態も分からないのに勝手なことを言う指導者」「分からない人に対して、偉そうにもの言う態度」に対する批判めいた言葉である。日本全体の空気が、この批判を恐れていると著者は言う。
    政治の世界で、現与党の民主党を見てみると「小沢的 ビール箱演説の演出」 「鳩山的 ”国民の皆様方の・・・・・させて頂きます”口調」  確かに、視線を徹底的に下に下に落として批判を受けないようガードをしている。
    しかし、そろそろその空気も終わるだろう。実行力の無いだけで、下から目線をしておけば間違いないだろう的な姿勢はスキャンダルこそ逃れるものの人気は上がらない。橋下市長に人気が集まるのように、実行力のある指導者であれば上から目線でも構わないという空気に変わりつつある。
    日常生活では、「正社員- 非正社員」 、「一部上場ー非上場」、「出身大学の序列」 のような上下関係を匂わせるような発言はタブーとされると著者いう。 これは世の中の風潮以前の問題な気もするが、著者のいうことでもっともなのは、人との関係を会社名や役職、出身校等で判断する部分する下らなさをつぶやいていても非生産的であるという点。
    人間の関係に上下関係ができるのは当たり前なのだから、まずは「すべての人が対等である」という精神的な意味での前提に立つ、その上で局面局面で必要な上下関係は生産的な行動を生む為にも必要である。 理解ある上司や、分かったふりの上っつらの人間関係では何も生み出さない。

  • 気づきが多い。手元に置いておきたい本。
    エピソードを通じて、過去の自分の過ちも見つけられた。
    時代の変遷、政治家の移り変わり、コミュニケーションの在り方、日本語の会話の特徴、などなど。

  •  「上から目線」がなぜ生まれるのか、また、それは何なのかを解説した著作。やや論旨が追いにくいが、本書で少しだけ触れられているインターネットの影響をもっと掘り下げてもよいように思う。proとconが直接リンクされるネット化された知識社会であるが故に、お互い相容れない議論が生まれ、「上から目線」という一種の「不寛容」を生み出しているということも言えるのではないだろうか。

  • 見下されない権利と見下さない義務を認識

  • 「上から目線」とは何なのか? 「上から目線」という言葉が意味するところは? 「上から目線」をキーワードに、現代の日本社会におけるコミュニケーション不全の問題を解明する。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40159085

  • 日本語の特性として元々ある非対称性、
    話し手と聞き手、ボケツッコミのような関係性は完全に対等な関係では成立しない
    人間は本来、対等であるべきなのだが日本語の会話は台頭ではうまく行かない。それは主導権の取り合いになって何も生まれない(平行線・論点のすり替えなど)
    まずはお互いが対等であると心の中で自覚した上で自ら一歩引いて相手の話を引き出す。そこから生まれる生産的な議論をしていくべき。

    なるほど面白い…思っていたより読み応えのある本
    少し古い本なので、もっと早めに出会いたかった…というか積読しておくのをやめとけばよかった。。

  • 社会

  • 【由来】
    ・amazonでたまたま

    【期待したもの】
    ・自分は「上から目線」に敏感にイラッとくる性質なので。

    【要約】


    【ノート】

  • 久しぶりにハッとさせられる一冊に会った。

  • 同僚の発言が上から目線だと感じるけど、では何をどうすればそうじゃなくなるのか分からなかったので、ヒントになればと。
    彼は決して気持ちまで上からなのではないのは分かるんだけど、言葉の選び方が悪いのかなと思った。


    だ、である調には助詞が必要だという部分は、なるほど!と腑に落ちた。

  • 古書店で購入。目の付け所が良いなぁと思い買いましたし、実際読んでみて問題意識と現象の捉え方に関しては多少共感出来る部分はありました。

    しかし、残念ながら分析の質は悪いし、コミュニケーション論ということで言っても現代社会論ということで言っても全く物足りないと言わざるを得ません。尤も、こうしたテーマを突き詰めてきっちり書こうと思えば、新書で収まるような内容では全くないのですが(なので、後程『関係の空気」「場の空気」』は手に取ろうかと思いましたが、これまた同社の新書……ううむ)。

    価値観が多様化した結果、一般論だとか正論だとかに全てを回収しようとする「上から目線」の物言いや態度が今日の世論の動向と全く相反するのは分かります。多様な価値観を持った人同士のコミュニケーションがしばしば対立(コンフリクト)をはらむことも、そうでしょう。かつてそうした対立は「テンプレート」で抑圧出来たけれども、そのテンプレートが崩れた結果、コミュニケーションやそれに伴う人間関係構築に困難が生じている(筆者の言う「困難の感覚」)も、あるかもしれません。そして、そもそも日本語自体コミュニケーションする人同士の間に「上下関係」があることが前提で、上下関係に関する意識のすれ違いが「上から目線」意識の正体でありコミュニケーション不全の原因でもあるという分析は、あながち間違いではなく、むしろ本質に肉薄した議論と言えましょう。

    しかしながら、コミュニケーション論で行くなら、「テンプレート」に関する考察、特に「敬語と敬意」に関する考察が手ぬる過ぎます。敬語の使い方の変化に敬意の変化を読み取るところから、「何故敬語表現は揺れ動くのか?」をもっと突っ込んで考えるとより面白かった。そうすれば、何故日本語にはそもそも上下があって、「目線」の上下がそれに対応するのかも、何故敬語というテンプレートが若者に忌避されたり仕事現場で変質したりするのかも、分かろうというものです(尤も、これだけでも数冊の本になりそうなテーマです)。

    また、現代社会論で行くとしても、『バカの壁』を起点にするのはどうかと思いました。「1990年代には『上から目線』などという言い方は影も形もなかった」(p.15)と言える根拠もよく分かりません。「テンプレート」の崩壊についても、当時の社会的背景が変化し共通の価値観が崩れたからというのは分析としては乱暴です(むしろ、共通の価値観が共通でなくなるように社会自ら進んで変化したとも思えるのですがどうでしょう)。加えて、テンプレ崩壊の原因にネットが普及したからと説明していますが、私はネットこそテンプレのオンパレードだと思います(筆者が取り上げたTwitterなんかテンプレのオンパレードの最たるものだと思うのですが)。もしそれを「若者なりのテンプレ再構築」だと言うのなら、かつての日本人も彼ら/彼女らなりに前世代のテンプレを再構築していただけであって、それを「在りし日の日本」のように思い込んでるに過ぎないとも言えるのではないでしょうか。もっと言えば、Twitterの対等性は高度に設計されたテンプレによって齎されているのであって、価値観対立や世代間対立も「テンプレ間対立」、どっちのテンプレが上か下かで争ってるようにも私には思えます。だから、
    「『です、ます』にすりゃあいいとか、自分から身を引けとか、そういうんじゃないんだよなぁ」
    とも読んでて言いたくなるわけで。

    結局、目の付け所で☆4つ。

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著者プロフィール

1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。 著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作は『場違いな人~「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。村上龍のメルマガJMMに「USAレポート」を寄稿。ニューズウイーク日本版でコラム連載。NHKBS『クールジャパン』の準レギュラー。

「2016年 『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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