「上から目線」の時代 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881418

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  • 共通の空気の無い、困難な感覚。
    世界観のぶつかり合い。
    上下を設定しないと、会話が成り立たない日本語。
    それぞれがなるほどと思わせるのだが、何故か全体を通して膝を叩く感じがしない。
    ちょっとしっくりしない。

  • アメリカ在住の著者。日本語、日本のコミュニケーションというのは難しく、おもしろい。

  • 近年は「こころの時代」ともいわれるほど、「生きにくい」社会だと思う。高度経済成長からグローバル化社会に突入し、日本経済自体も成長路線から停滞路線へ、個々の価値観も多様化している。本著ではこの価値観の多様化が、会話のテンプレートを崩壊させ、コミュニケーション不全が安易に「キレる」というコンクリフトを起こしている。こうした状況が本著でいう「上から目線」を作っている。

    この「上から目線」化は日本語がもつ「上下構造」から生み出されるというのも驚きだった。関係性が言語からもつ特質というのは新たな発見ではあるが、同時にこうした新たな知見を例えば国語教育の中に位置付けるなどの社会教育的なところにつねげるべきだろう。個人的には会話だけでなく、メールやSNSなどのIT化の促進によって、言語の向こう側にある情報リテラシーやコミュニケーションの取り方、背景にある歴史・文化・思想・宗教などの幅広い知識をもつことが今後の社会では重要になってくると考える。コミュニケーションというもののもつ必然性、特殊性を改めて考えさせられた。

  • 見下されない権利と見下さない義務を認識

  • 日本語の特性として元々ある非対称性、
    話し手と聞き手、ボケツッコミのような関係性は完全に対等な関係では成立しない
    人間は本来、対等であるべきなのだが日本語の会話は台頭ではうまく行かない。それは主導権の取り合いになって何も生まれない(平行線・論点のすり替えなど)
    まずはお互いが対等であると心の中で自覚した上で自ら一歩引いて相手の話を引き出す。そこから生まれる生産的な議論をしていくべき。

    なるほど面白い…思っていたより読み応えのある本
    少し古い本なので、もっと早めに出会いたかった…というか積読しておくのをやめとけばよかった。。

  • 久しぶりにハッとさせられる一冊に会った。

  • 古書店で購入。目の付け所が良いなぁと思い買いましたし、実際読んでみて問題意識と現象の捉え方に関しては多少共感出来る部分はありました。

    しかし、残念ながら分析の質は悪いし、コミュニケーション論ということで言っても現代社会論ということで言っても全く物足りないと言わざるを得ません。尤も、こうしたテーマを突き詰めてきっちり書こうと思えば、新書で収まるような内容では全くないのですが(なので、後程『関係の空気」「場の空気」』は手に取ろうかと思いましたが、これまた同社の新書……ううむ)。

    価値観が多様化した結果、一般論だとか正論だとかに全てを回収しようとする「上から目線」の物言いや態度が今日の世論の動向と全く相反するのは分かります。多様な価値観を持った人同士のコミュニケーションがしばしば対立(コンフリクト)をはらむことも、そうでしょう。かつてそうした対立は「テンプレート」で抑圧出来たけれども、そのテンプレートが崩れた結果、コミュニケーションやそれに伴う人間関係構築に困難が生じている(筆者の言う「困難の感覚」)も、あるかもしれません。そして、そもそも日本語自体コミュニケーションする人同士の間に「上下関係」があることが前提で、上下関係に関する意識のすれ違いが「上から目線」意識の正体でありコミュニケーション不全の原因でもあるという分析は、あながち間違いではなく、むしろ本質に肉薄した議論と言えましょう。

    しかしながら、コミュニケーション論で行くなら、「テンプレート」に関する考察、特に「敬語と敬意」に関する考察が手ぬる過ぎます。敬語の使い方の変化に敬意の変化を読み取るところから、「何故敬語表現は揺れ動くのか?」をもっと突っ込んで考えるとより面白かった。そうすれば、何故日本語にはそもそも上下があって、「目線」の上下がそれに対応するのかも、何故敬語というテンプレートが若者に忌避されたり仕事現場で変質したりするのかも、分かろうというものです(尤も、これだけでも数冊の本になりそうなテーマです)。

    また、現代社会論で行くとしても、『バカの壁』を起点にするのはどうかと思いました。「1990年代には『上から目線』などという言い方は影も形もなかった」(p.15)と言える根拠もよく分かりません。「テンプレート」の崩壊についても、当時の社会的背景が変化し共通の価値観が崩れたからというのは分析としては乱暴です(むしろ、共通の価値観が共通でなくなるように社会自ら進んで変化したとも思えるのですがどうでしょう)。加えて、テンプレ崩壊の原因にネットが普及したからと説明していますが、私はネットこそテンプレのオンパレードだと思います(筆者が取り上げたTwitterなんかテンプレのオンパレードの最たるものだと思うのですが)。もしそれを「若者なりのテンプレ再構築」だと言うのなら、かつての日本人も彼ら/彼女らなりに前世代のテンプレを再構築していただけであって、それを「在りし日の日本」のように思い込んでるに過ぎないとも言えるのではないでしょうか。もっと言えば、Twitterの対等性は高度に設計されたテンプレによって齎されているのであって、価値観対立や世代間対立も「テンプレ間対立」、どっちのテンプレが上か下かで争ってるようにも私には思えます。だから、
    「『です、ます』にすりゃあいいとか、自分から身を引けとか、そういうんじゃないんだよなぁ」
    とも読んでて言いたくなるわけで。

    結局、目の付け所で☆4つ。

著者プロフィール

1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。 著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作は『場違いな人~「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。村上龍のメルマガJMMに「USAレポート」を寄稿。ニューズウイーク日本版でコラム連載。NHKBS『クールジャパン』の準レギュラー。

「2016年 『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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