アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881432

作品紹介・あらすじ

第一人者がわかりやすく語る!
言いたいことが、うまくコミュニケーションできないのはなぜ?

コミュニケーションがうまくいかないときや人間関係が難しいとき、「アサーション」を理解すると、関わりを建設的に変えることができます。「自分も相手も大切にする自己表現」を意味するアサーションは、私たちの会話を心理学の知恵をもとに読み解き、日常のやり取りに変化と充実感をもたらすコミュニケーションの方法と関わり方です――<「はじめに」より>

感想・レビュー・書評

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  • しっかりと自分の意見を言いつつ、議論することに課題を感じていたところ、この本に辿り着きました。

    自分の考えを伝えつつ、相手の考えも理解してベストな会話をするアサーション。

    自分が足りていない部分がなんなのか、気をつけるべきポイントは何か、が優しい言葉で言語化されていて、素直に受け入れることができました。

    ・自分の中のブレーキになる考え方がアサーションを妨げる
    ・まずは自分の考えを頭の中で言語化し、会話の方向性を決める
    ・相手の状況を理解した上で、相手の状況を慮り発言する(自分と相手、両方を思いやる)

    ハッとさせられたのは、自分の中にある「人を傷つけてはならない」と言う考え方がアサーションを妨げるということ。
    相手が嫌がることはもちろん配慮する必要はあるのだけれど、人を傷つけないことはできないのだから考えすぎない、他人の強い言葉も許容する。

    私は傷つける言葉には気を付けているのですが、その点、自分が避けているワードを人から投げられるとストレスを感じてしまいます。
    特に高圧的な態度はかなり苦手で、その態度を取られると黙ってしまうこともしばしば。

    そんな時、相手のコミュ力を否定する言葉が頭に浮かんでしまうのですが、その人自身が重要視していることが違うだけなんだなと感じることができました。

    どんなケースでも他人の意見を素直に受け入れ、自分の意見を思いやりのある言葉で言える練習をしていきたいです。

  • 自分と他人どちらも尊重しながら円滑なコミュニケーションの方法を探る、アサーションについて書かれた本です。

    アサーションはよくドラえもんで例えられることが多く、「非主張的=のび太」「攻撃的=ジャイアン」「アサーティブ=しずかちゃん」と言われると、何となく想像がつきやすいのではないでしょうか。

    大切なのは【アサーティブが正しくて他はダメ」ということではなくて、どんな人でも場合によってはアサーティブにはなれない場合があると知ること。そして相手がどう対応しようと自分がアサーティブであることに意味があるのだということ。

    この本を読んで、アサーティブなコミュニケーションは誰でも努力できるものでありながら、実際には「いつも部下を怒鳴りつけている上長」であったり、「人を見下して対等に立とうとしない人間」を相手にする場合は困難を極めるのだろうなと容易に想像がつきました。
    自分なら、そういう人にどこまでアサーティブでいられるだろうか……。

    しかし、間違いなくこの技術とトレーニングを積んだ人は会話や交渉が(気持ちの面で)楽になると思いますので、一読の価値ありです。

  • 平木先生は、日本の「カウンセリング」の世界では、巨匠のひとりといって過言ではありません。
    経験の深い先生ならではの、こなれた説明で自己表現のひとつである「アサーション」について理解することができます。

    一方で、アメリカから、カウンセリングマインドという新商品を輸入してきた代理店第一世代が平木先生としたら、その後に並行輸入でアメリカ企業の日本法人として「アサーティブ」という言葉もありそうな感じ。

    出発点は同じでも、やや、表現方法が違います。
    読み比べると、理解が深まると思います。

  • 自分も相手も大事にするコミュニケーション。
    これを読む限り、仕事のシーンでは、割とアサーティブなコミュニケーションができてる気がしたけど、家族にはすごく難しい。これまでの蓄積で、お互い言わなくてもわかるよな、と決めつけて話してることがいっぱいあるな、と。
    自分としては出来てるつもりでも、実はそうありたいと思ってるだけで、実際咄嗟には出来てないこともいっぱいある気がする。
    この本は、子供が読みたい、と言って読んだものを私も読んでみたもの。身につまされる。これから気をつけます。

  • 自分にぴったりの本だった。何回も読み返したい。

  • 人との接し方についての確認チェックが行えるような一冊

  • 非主張的であることは相手にも自分にも無責任な結果を招くことになる。自分の人権を無視した結果、他者の人権をも侵してしまうことになりかねない。

    大事なのはその場で表現すること。
    その場で表現するには自分の気持ちを確かめる必要がある。
    「迷ってます」って優柔不断だからその回答に頼りがちになっちゃうんだけど、それで相手がずっと待ってくれるわけではない。いつまでもそれで済ませられない。アサーティブになるにはなるべくスピーディに言語化するクセづけが必要と思われる。


    以下メモ
    第一ステップ
    自分の気持ちを確かめる
    「今は、決められない」とか「二つの矛盾した気持ちがある」などを伝えることもアサーション

    第二ステップ
    正直に言語化してみる
    第一ステップで確かめた気持ちを、自分の持ち合わせている語彙を用いてなるべく正直に、率直に表現してみる。その後、自分の思いはどう受け止められたかをしっかりと見届ける。

    人として誰もがやってよいことを認め合う
    1.私達は、誰もが自分らしくあってよい
    2.人はだれでも自分の気持ちや考えを表現してよい
    3.人間は過ちや間違いをし、それに責任をとってよい

  • まず、自己表現の三つのパターンを解説する章から始まります。三つとは、「非主張的自己表現」「攻撃的自己表現」「アサーティブな自己表現」。

    「非主張的自己表現」は、自分の意見や気持ちを言わない・言い損なう・言っても伝わりにくいタイプです。そこには根本に、どうせ伝わらないのだ、という諦めのある人も多い。また、相手から理解されにくく、相手を優先して自分を後回しにするので、結果として相手の言いなりになってしまうこともある、と。そして、自分の意見を言わないために、理解されなかったり、無視されたり、同意したものだと誤解されたりしやすい。このタイプの人は反論しないため、周囲から「いい人」と思われるけれども、「都合のいい人」ともみなされがち。「攻撃的自己表現」の人との組み合わせで、メンタルヘルス被害に遭うことにもなりかねないのだそう。このタイプは、相手を立ててトラブルや葛藤を起こさないように配慮しているところがありますが、自分をないがしろにしているために、そのうち自分でも何が言いたいのかわからなくなるし、自分で決められなくなったり言い方がわからなくなったりするようです。
    それらが積み重なって、結果、自分にも他人にも無責任になるし、理解されないという弧絶感や恨みを抱えてしまうこともある。欲求不満が急に爆発して、いわゆる「キレる」状態になるのはこの「非主張的自己表現」タイプが追い詰められた時なのです。つまりは、自分を大切にしない自己表現法なのでした。そこには、社会的・文化的背景から影響を受けてそうなってしまう例が多いみたいです。

    「攻撃的自己表現」はイメージしやすそうに思えるのですが、パワハラやモラハラなどをやるタイプです。自分の言い分や気持ちを押し通そうとします。「言い放しにする」「押し付ける」「言い負かす」「命令する」「操作する」「大声で怒鳴る」などがこのタイプにあたります。また、ハキハキと表情豊かに自分の意見を述べているように見えるとき、丁寧でやさしい言葉や態度でおだてたり甘えたりしているときでも、自分の思い通りに操作しようとしていたなら、「攻撃的自己表現」にあたるそうです。いつなんどきでも自分は正しく、だからこそ自分に従わねばならない、という空気で相手とコミュニケーションするのがこのタイプですから、嫌われますし孤立もします。どんな人がこうなりやすいかといえば、権力や権威をもつ立場の人、知識や経験が豊富な人、役割や年齢が上の人、「地位や年齢差、権威などによって人権は左右されるものではない」と理解していない人、常に自分が優先されるべきだと考える人、自分の思い通りに人を動かしたい人などだそう。この中でも、自分の思い通りに人を動かしたい人なんていうのは、その根本に強大な不安がある場合もあります。自分で考えてやらないと不安なので、人を支配してでも自分の思い通りにして、それで不安がやわらぐタイプです。こういったタイプの人たちは、他人を大切にしない自己表現法なのでした。

    そして「アサーティブな自己表現法」はこれらの中間にあり、自分の考えや気持ちを伝えそのフィードバック、つまり相手の反応をきちんと受け止めようとする姿勢ことを言います。「話す」も「聴く」もしっかりするタイプです。自分と意見があわなくても関心を寄せ、理屈や論理で理解するだけではなく、気持ちが通じるような支え合いもする。いわば、建設的なありかたなのでした。そして当然ですが、このタイプこそが、本書で理想としている。アサーティブになるにはまず、自分の気持ちを確かめる習慣をつけることから始まります。そして言語化してみる。これが第一歩となります。

    ただまあ、筋が一本通っているようでいて、これはほころんでいるんじゃないのかなぁ、という論旨も見受けられるのです。たとえば、アサーティブなありかたには、自分たちはみなそれぞれ自分らしくあってよい、というのがあります。個性や自分らしさを大切にすることで、それは利己的なことではない、と。他の人もその人らしくあってよいのだ、とします。でも、他の人が「非主張的自己表現」「攻撃的自己表現」だった場合、それをどうにかたしなめてアサーティブな方向へ誘いたいと思うのが人情というものではないでしょうか。本書の終盤でも、こういう質問があると著者が紹介しているのものがあります。「相手もアサーションを知っていればいいけれど、自分だけがアサーションをわかっていても、うまくやり取りができないのではにないか」と。たしかに、本書ででてくる様々な例は、登場人物たちがみなシンプルな性質で、難癖もつけないしゴネもしないしわがままも言わないし相手を陥れようともしません。でも、現実世界のコミュニケーションでは、ストレスが溜まったせいもあって、そういった悪いことを考え、態度に表わす人もいますよね。

    著者のこの質問への返しは、これは「アサーションへの誤解」というものでした。アサーションは他者を変える方法ではない、と。アサーションは、まずそれを知っている自分が変わってみようとすることに意味があり、自分にとって心地よいコミュニケーションを試みることで、相手との関係がどうなるか、そこから初めてみようとするものだ、と言っています。まず、自分がアサーティブになって自分が気持ち良くなる体験をしましょう、そして、自分の想いを率直に伝えるとどんなことが起こるかフォローを続けましょう、そのようなことを続ける中で自分の望みを伝えながら相手にも配慮していくやり取りが生まれるでしょう、と続きました。このあたりって、自分本位・利己的と個人主義・自己満足のあいだのような気がしてくるのですが、どう思うでしょうか? 他者を好い方向へ変えるのではないのだけど配慮はするのだ、という姿勢ってやっぱりちょっと気持ちよく理解できないところが僕にはあります。

    だからといってちょっと雑な感じでアサーションをしてしまうと、その理論が崩れそうです。僕なんかはこういうとき、アサーションという優れていて素晴らしい立場・姿勢であってもそこに安住せず、その両端を揺らぎながら在ることが実は一番ほんとうなのではないかと思うほうです。それは不完全ではあっても、ほんとうに近いような気がするのです。

    閑話休題。
    とはいえ、いろいろな角度からの思索の上に成り立つ方法なので、ヒントが盛りだくさんです。たとえば「人は過ちや間違いをし、それに責任を取ってよい」という姿勢。「攻撃的自己表現」の人だったら、ミスに対して「許さない!」というメッセージを込めた強い言葉で相手を責め立てます。しかし、そういった環境に育った子供だったならば、萎縮し緊張するようになり、のびのび行動したり、失敗の恐れのある「試行錯誤」という行動をとらなくなってしまう。完全主義にとらわれ、チャレンジをしなくなるのです。大人になっても、職場などのルールに縛られ、周囲に萎縮し、まじめに頑張るものの自発性や創造性は発揮できなくなる。依存的で非主張的な人間になるおそれがあるということでした。あるいは、攻撃になってミスなどを責め立てる側の人間へと再生産されてしまう。認知科学の方法論では、トライアンドエラーで習熟するのがセオリーです。また、「問題解決」そのものを専門に考える分野でも、失敗を恐れないことは第一条件のように述べられています。このことを鑑みても、アサーティブな立場でいることは、習熟にも問題解決にも有利でいられることを意味します。

    というところですが、先に挙げた三つの自己表現タイプは、ひとりの人間のなかに全部あるといえるものです。そのパーセンテージの一番高いところから「攻撃的自己表現」の傾向が高いのが自分である、だとか、アサーティブであるだとか判断できもします。また、さまざまな場面によって自己表現のタイプは変わるので、「じゃあ、どんな場面でもアサーティブな自分が出やすくするぞ!」という目標をかかげて自分を律したり試行錯誤したりするのも、本書の論旨から考えると生きやすさに繋がることなのだと思います。

    まあ、最初はむずかしく考えず触れていいような態度・姿勢なのがアサーションだと僕は思いました。本書はほんとうに入門編という体裁でしたから、興味のある方はぜひ。巻末には、本書を足がかりに、アサーションを深めたいひとに勧める読書案内もありました。

  • 私たちは誰もが自分らしくあってよい!
    そしてその気持ちや考えを表現してよい!
    そして人は過ちを犯すので、それに対して謝る権利があり、人が謝る権利も認めなければならない!

    こうやってアサーティブな関係を築こう!

    ドラえもんを例にしたアサーティブ訓練
    消しゴムを奪われた時の対応、しずかちゃんならどう言うか、ジャイアンなら、のび太なら、それぞれの対応を想像して、どれがいいかを小学生に考えさせる授業がある。それいいねー

    「私メッセージ」でいこう!!
    「大声出さないで」じゃなく「わたしには声が大きく聞こえるから小さくして」てな感じ。自分主語で話そう。

  • 何か嫌をされた時「よくないよ」と言いますか、それとも我慢しますか?「よくないよ」では相手の行動を抑制する事なので相手にとってよくない。我慢は自分を大事にしていなくよくありません。アサーションとは、相手を大切にしつつ、自分の意思を伝える事です。ここでは相手の事情を把握しつつ、「私は傷ついた」と伝える事でした。自分も相手の行動を変えようととせず、伝える事に重きを置いてみようと思います。

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著者プロフィール

IPI統合的心理療法研究所

「2021年 『《中釜洋子選集》家族支援の一歩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

平木典子の作品

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