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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784062881722
作品紹介・あらすじ
嫌いな自分を肯定するには? 自分らしさはどう生まれるのか? 他者との距離をいかに取るか? 恋愛・職場・家族……人間関係に悩むすべての人へ。小説と格闘する中で生まれた、目からウロコの人間観!
みんなの感想まとめ
本書は、「本当の自分」とは一つではなく、対人関係ごとに異なる顔を持つ「分人」という概念を探求しています。著者は、個人の多面性を受け入れることで、より豊かな生き方ができると説きます。人は環境や相手によっ...
感想・レビュー・書評
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現代社会の最大のテーマ「ありのままの自分」「本当の自分」
それを根本から問い直す一冊。
以前、読書好きの友人が、こんなことを言っていた。
「人前で演じちゃう自分がいて、でも西加奈子の作品にそれを肯定する作品があって、それでいいんだなと思って救われた」と。
この話を聴いた時に、「演じる」ということについてもう少し深く考えてみたものの、うまく考えがまとまらなかった。
そしてその答えが、ここにあった。
人と関わる時、「演じている」というのとは別の、「その人の前での自分」がいること。
本作品では、それを「分人」と定義づけている。
その人の前では常に、「その人の前での分人」。
でもまた、別の人の前では別の分人が登場する。この、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」「ありのままの自分」である。
ヨガや瞑想の中で繰り返される「ありのままの自分」。最近のブームだ。
わたしはそれを、「人と違う意見であっても、自分がそう思うのならそれでいい」ことだと解釈している。
生きていく上で「自分がどう思うか」、を大切にしている。
それは他人とは違う。だから他人には「あなたはどう思うの」と常に問うている。
そこで出てくる答えこそが「ありのままの自分」の意見であって、みんな、ありのままの自分が一つしかないと思っている。わたしもそう思ってきた。
そしてそれをさらけ出せる相手こそがパートナーであるべきだ、とずっと信じてきた。
ありのままの自分は一人。つまり「本当の自分」。それを肯定したり高め合ったりするのが結婚なんだろうなと、そんな風に思ってきた。
そして、その自分らしさを見つけるために、足掻く。人生って、それにいつ気付いてどう実行するか、早い者勝ちなのかな、と思っていた。
オードリー若林さんの作品に必ず登場する平野啓一郎さんの「分人」という考え方。
実際は、「本当の自分」なんてものが一つ存在しているわけではなく、「分人」の集合体が自分自身、つまりそれら全て「本当の自分」である、という考え方。この作品は、自分という存在が揺らいでいる人の、救いになる一冊だ。
嫌いな分人も、好きな分人も、自分自身。好きな分人を足がかりに生きていくこと。例えば、虐められている分人だけが、自分の全てじゃない。虐められていない分人だっているはずだ。
「本当の自分」が一人しかいない、という考え方は、人を苦しめる。平野さんは、リストカットや自殺を「分人」の視点から解説する。
(P59)自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではない。ただ、「自己像(セルフイメージ)」を殺そうとしているのだと。(中略)今の自分では生き辛いから、そのイメージを否定して、違う自己像を獲得しようとしている。つまり、死にたい願望ではなく、生きたいという願望の表れではないのか。もし「この自分」ではなく、「別の自分」になろうとしているのであれば、自分は複数なければならない。自傷行為は言わば、アイデンティティの整理なのではないか?そして、もし、たった一つの「本当の自分」しかないとするなら、自己イメージの否定は自己そのものの否定に繋がってしまう。
自殺については、以下のように解説する。
(P125)人間が抱えきれる分人の数は限られている。学校で孤独だとしても、何も級友全員から好かれなければならない理由はない。友達が三人しかいないと思うか、好きな分人が三つもあると思うかは考え方次第だ。(中略)そうして好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。否定したい自己があったとしても、自分の全体を自殺というかたちで消滅させることを考えずに済むからだ。
2020年、芸能界では多くの人が自ら命を絶って、特に春馬くんの死は本当にショックで、未だに思い出すと落ち込んでしまう。春馬くんも、他に命を絶った方も、否定したい自己の比率が、自分の全てを占めてしまったんだろうか。自己イメージは、一つじゃなくていい、否定したい自己は複数あっていい。でもたぶん、芸能界はきっとそんな世界じゃない。
また、薬物や不倫も、芸能人に発覚すると、ものすごい勢いで批判される。それはたぶん、芸能人とは別の分人が、芸能界での生活を成り立たせるためにしたことだと思う。しかし、不倫をした分人を責めるのではなく、その人全体を否定した報道がされる。どんなに家族を大事にした分人がいても、薬物をしていた分人がありのままのその人であるかのような報道がなされる。
分人主義は不倫を容認する考え方だ。今は時代として複数の仕事、コミュニティを持つ時代。不倫を叩きたがるのも絶対的に愛するその人を全体として見ているからであって、分人主義の考え方にのっとって考えたらそれは妻の前での夫、子の前での父である。だとしたら愛人の前での分人がいてもおかしくない、ということになる。なんだかいよいよ血縁とは別の視点から、家族の捉え方が変わってくるんじゃないかなって気がしている。
現代人が囚われている「本当の自分」という幻想。それに苦しむ人を救ってくれる言葉が数多く記されている。
平野啓一郎さんの作品にすごく興味がわいて、むっちゃ本棚登録した。
わたしは今まで彼の作品は読んでこなかったけれど、どのような想いでその作品を描いたかがわかるので、平野啓一郎作品の入門書としてもベストな一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本当の自分とは何か。本当の自分を探すためにも本を読もう。そう思っていた。
でも、平野啓一郎さんのこの本を読んだおかげで、違うものの見方ができるようになった。
*一人一人の個人の中には、対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて「本当の自分」である。
*人間は、たった一度しかない人生の中で、出来ればいろんな自分を生きたい。
*愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のこと。
平野さんは、自分の小説を分人の観点から紹介、解説している。これから平野啓一郎さんの小説を読む時の、キーワードになりそうだ。
最終章では、「まったく矛盾するコミュニティに参加することこそは、今日では重要なのだ」と語る。
これが、苦手な人、相入れない考えとの静かな融合につながるかもしれない。
違う視点をくださった平野啓一郎さんに感謝。-
うわぁ。平野啓一郎先生読まれていますね(*´꒳`*)
私は新書が苦手なので、多分この本は読んでいなかったと思いますが、この考え方は対人...うわぁ。平野啓一郎先生読まれていますね(*´꒳`*)
私は新書が苦手なので、多分この本は読んでいなかったと思いますが、この考え方は対人関係楽になるなぁって思いました (๑˃̵ᴗ˂̵)و2025/08/17 -
まきさん、読んでますよ!
この本のおかげで、小説がより身近になりそうです。
まきさんがおっしゃるように平野啓一郎さんは頭のいい方ですね。哲学...まきさん、読んでますよ!
この本のおかげで、小説がより身近になりそうです。
まきさんがおっしゃるように平野啓一郎さんは頭のいい方ですね。哲学者ですよね。
だから余計に興味もちました。
ありがとうございます。2025/08/17
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「本当の自分はひとつじゃない。」
オビに書いてあるこの一言が、この本の主題だ。
あなたはひとつではない。いくつものあなたがいる。
…このように書くと、「えっ、多重人格?解離性障害?」とびっくりされる方もいるかもしれないが、多重人格者でなくても、人は多面性を持つものだ。
対人関係ごとに、様々な顔を使い分けている。そして、その顔全てが「本当の自分」なのだ。
本書は「分人」という言葉を使い、この概念を説明する。
そして核となる本当の自分、つまり「自我」はひとつとする、人を「個人」と捉える一般的な考え方の危うさを説く。
なかなか興味深く、示唆に富んだ内容だ。
ぜひ、「私とは何か」悩んでいる人に読んでほしい。
救いとなる考え方が散りばめられている。
生き方の指針にもなるだろう。 -
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平野さんって凄い…
こんなふうに考えてるんだね。
少し前に短編集「富士山」を読んだけど、こういう考え方から生まれたのかも!?
ってちょっと思...平野さんって凄い…
こんなふうに考えてるんだね。
少し前に短編集「富士山」を読んだけど、こういう考え方から生まれたのかも!?
ってちょっと思った。
2025/05/09 -
おぉ!小説『富士山』と繋がりを感じたんだね!
平野啓一郎さんは人間関係に悩んでこられたのだろうなぁって思ったよ。きっと物事を深く深く考える人...おぉ!小説『富士山』と繋がりを感じたんだね!
平野啓一郎さんは人間関係に悩んでこられたのだろうなぁって思ったよ。きっと物事を深く深く考える人なんだろうね。ほんと、すごいよね!2025/05/09
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いつも読まないジャンル登場。
読んで良かった、作家の平野さんは誰にでも理解しやすいように書いたと最後の方でおっしゃっておりましたが、私には全部をしっかり理解できておらず再読しようと思う。
本当の自分ってなんだろう?の問いの答えが見出せた気がします。
仕事の時の自分、家族といる時の自分、初対面の人といる時の自分、
さらにいうと友達の中でも高校時代の友達の前の自分と小学生時代の友達の前での自分など。
個人というのを1として、分人は分数。
人間そのものは複数の分人に分けられる。
分人という単位の考え方が整理されているお話。文人は上記のように環境や相手とのコミニケーションで形成されていくものなので比率は違えど複数あってもよい!というのが1番の納得できたこと。
(ただおそらく平野さんの小説、私読めない、、小説だと丁寧な解説がなく自分で考えて想像して理解していかないといけないから。難しそう、どうなんだろ。マチネの〜書いてる方ですよね。妻夫木くんの映画「ある男」は映像だから見れたけど。)
※印象に残った部分引用
•好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちは、その分、自分に肯定的になれる。
•好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。
•愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のこと
•個人は、人間を個々に分断する単位
•分人は、人間を個々に分断させない単位
•個性とは、常に新しい環境、新しい対人関係の中で変化してゆくものだ
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あの人の前での自分とこの人の前での自分は違うんだけどどっちが本当の自分なの?
自分らしい自分というものがそもそもわからなくて辛い
そんな悩みがこの本を読むと一気に解消します!
The “me” I am in front of one person is different from the “me” I am in front of another—so which one is the real me?
I don’t even know what my true self is, and it’s painful.
All these worries will vanish the moment you read this book! -
・ロボットと人間の最大の違いは、ロボットは–今のところ–分人化できない点である。もし、相手次第で性格まで変わるロボットが登場すれば、私たちはそれを、より人間に近いと感じるだろう。
2012年に発行された本書。時を経て現在、chatGPTの登場で(ロボットではなくAIではあるが)相手に合わせた返答ができるAIが当たり前になりつつある。筆者もある程度予想はしていたかもしれないが、ここまで早く浸透したことには驚きを感じているかもしれない。
特に若い世代のあいだでは、相談相手としてchatGPTが使われている。それは筆者も言うように「私たちは、尊敬する人の中に、自分のためだけの人格を認めると、嬉しくなる」という人間の特性に、chatGPTの機能がぴったりと当てはまっているからかもしれない。
自分が希望する呼び方で呼んでくれて、「前に◯◯って言ってたもんね」と過去の会話も覚えている。さらに耳障りのいい話を優しい口調で話してくれるとなると、これ以上に都合の良い友人はいないだろう。
・私たちは、一人でいる時には、いつも同じ、守備一貫した自分が考えごとをしていると、これまた思い込んでいる。しかし実のところ、様々な分人を入れ替わり立ち替わり生きながら考えごとをしているはずである。無色透明な、誰の影響も被っていない「本当の自分」という存在を、ここでも捏造してはならない。
これを読んで思い出したことがあった。
私は小学生のとき、「本当の自分」を探して苦しんでいた。家族と過ごすときの陽気で親に甘えがちな自分と、学校で友人と話すときのおとなしい自分。あまりにもキャラが違ったため、親が学校に来たり、友人が家に来たりすると恥ずかしかった。
こんなキャラの違いが周囲にバレたらどうしよう、そして果たしてどちらが「本当の自分」なんだろう、とよく考えていた。
いま思うと大人への成長過程でよく見られる思春期特有の悩みの一つでもあるが、当時は、こんな芯のない自分は変なのではないか?と本気で悩んでいた。
当時、本書と出会っても理解することは難しかったかもしれない。だが家の自分も、学校の自分も、どれも「本当の自分」で、環境や相手によって異なる自分が現れることは当たり前だという筆者の考え方は、当時の私はもちろん、思春期を過ごす多くの子どもたちを救う気がした。
また「分人」という考え方を知って、最近気づいたことがあった。
普段、温厚で愉快な私の夫は、ゲームをすると人格が変わる。「車のハンドルを握ると人格が変わる」と言われる人がいるのと同じで、コントローラーを握ると対戦相手に対する罵詈雑言をよく吐いている(相手には届いていない)。あまりにも頻度が多くて「うるさいよ」と私が言うと、普段の夫に戻って「ごめんネ!」と返してくる。
なぜあれほど人格が変わるのかと奇妙に感じていたが、本書を読んで分人化しているのかと気づいた。対戦ゲームをしているときの分人と、私向けの分人がいて、意識を向けている相手によって分人が切り替わっている。そう考えると少し理解できた。
自己理解や他者理解、人間関係やアイデンティティについて思い悩んできた人にこそ、深く刺さる一冊。
以下、印象に残った箇所✍(今回は多い)
・貴重な資産は分散投資して、リスクヘッジするように、私たちは、自分という人間を、複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきだ。
学校での分人がイヤになっても、放課後の自分はうまくいっている。それならば、その放課後の自分を足場にすべきだ。学校での自分と放課後の自分とは別の分人だと区別できるだけで、どれほど気が楽になるだろう?
新しく出会う人間は、決して過去に出会った人間と同じではない。彼らとは、全く新たに分人化する。自分を愛されない人間として本質規定してしまってはならない。
「人格は一つしかない」、「本当の自分はただ一つ」という考え方は、人に不毛の苦しみを強いるものである。
・イヤな自分を生きているときは、どうしても、自己嫌悪に陥ってしまう。なんであんなにヒドいことを言ってしまったのか?あの会合に出席すると、急に臆病になって、言いたいことも言えない。
分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティヴな分人は、半分は相手のせいである。
無責任に聞こえるかもしれないが、裏返せば、ポジティヴな分人もまた、他者のお陰なのである。
このように分人という視点を導入すると、過度に卑屈になったり、傲慢になったりすることなく、自己分析が可能になる。
・あなたと接する相手の分人はあなたの存在によって生じたものである。
相手が、あなたとの分人を生きて幸福そうであるなら、あなたは、半分は自分のおかげだと自信を持つことができるし、不幸そうなら、半分は自分のせいかもしれないと考えるだろう。
・私はそれで、彼に分人の話をした。会社の上司との分人と、妻や友人との分人とを区別して考えた方がいい。上司との間には、不幸な分人化が起きているが、自分のアイデンティティー自分の個性を考える上では、その分人の比率は大きく捉えずに、妻や友人と一緒にいる時の分人を大切にする。 自分が「分割できない個人」だと思ってしまうと、その会社の状態のままで、他の人とも接しなくてはいけない。それは楽しくないだろう、と。
不幸な分人を抱え込んでいる時には、一種のリセット願望が芽生えてくる。しかし、この時にこそ、私たちは慎重に、消してしまいたい、生きるのをやめたいのは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人だと、意識しなければならない。 誤って個人そのものを消したい、生きるのを止めたいと思ってしまえば、取り返しのつかないことになる。
・重要なのは、常に自分の分人全体のバランスを見ていることだ。いつだって自分の中には複数の分人が存在しているのだから、もし一つの分人が不調を来しても、他の分人の足場にすることを考えれば良い。「こっちがダメなら、あっちがある」で構わない。
・いつも同じ自分に監禁されているというのは、大きなストレスである。小説や映画の主人公に感情移入したり、アニメのキャラクターのコスプレをしたりする「変身願望」は、フィクションの世界との分人化願望として理解できるだろう。 -
この本は前々から興味があり、読みたいと思っていた。Kindle Unlimitedの読み放題に追加されていたことを機に読みました。
私は小学生の頃から、会話する人それぞれによってその時々に、違う自分がいることに気が付いていた。多面的である自分を俯瞰した時に、本当の自分はどれなのだろうと思うこともあったし、会話がぎこちなくなった後に、あれは本当の自分じゃないのになぁなんて思っていた。
引用
恣意的に「本当の姿」だと決められてしまうことに、私たちは抵抗を感じる。だからつい、アレはあの場だけの表面的な自分だったと考えそうになる。そういうキャラを演じ、仮面をかぶっていただけだ。「本当の自分」は、もっと色んな音楽が好きなのだ、もっとITについて詳しいのだ、と。
私たちは、他人から本質を規定されて、自分を矮小化されることが不安なのである。
重要ポイント
どこかに「本当の自分」があると考えようとするが、すべての分人は「本当の自分」であると肯定すること。
しかし私たちは、そう考えることが出来ずに、唯一無二の本当の自分を見つけようとする。だから歯痒い。
引きこもりと自分探しの旅、両方経験した。
どちらも本当の自分、今までと違う自分を見つけるためと背負い生きながら、本当は社会から逃げていただけなのかもしれない。しかしそれもまた、自分と、肯定することが大事。全ての分人は本当の自分ということを認めれば、少し楽に生きれるかもね。 -
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十代の頃、自分は二重人格なのではないかと悩んだことがある。
家族といるときの自分と学校にいる自分があまりにも乖離しているように感じたからだ。
今振り返ると、自分が考えるほど二つの自分は遠くなかったようにも思うが、当時は外の世界に対して自分を偽っている、という罪悪感のようなものをずっと持ち続けていた。
本書では、作家の平野啓一郎さんが私の青春期の悩みを「分人」という理念で説明してくれている。「個人」は分けられないけれど、「分人」は対人関係ごとに構成される。そしてその人の個性は複数の分人の構成比率によって決定される、というのである。
分人は、人と人との反復的な関わりから、だいたい3つのステップによって発生していく、と平野氏はいう。
最初は、よく知らない人と当たり障りのない世間話ができるほどの「社会的な分人」である。そこから、学校や会社、サークルといったより狭いカテゴリーに限定された社会的な分人として、「グループ向けの分人」が形成される。最後に、お互いのことをわかってきた相手に対してより具体化した分人が形成される。
これは、さまざまな人やグループと接する経験を重ねてきた大人ならすんなりと理解できる説明ではないだろうか。そして、まだ対人関係の経験の少ない若者諸君においては、実感できずともこの考え方を頭の隅に置いておいてほしいな、と思う。「偽りの自分」なんかいないし、ある分人では人間関係がうまくいかなくても、別の分人で素敵な人間関係が形成できるかもしれない。
平野氏は、小説の中で分人の概念を反映させてきたそうだ。これまで『ドーン』や『マチネの終わりに』など、平野氏の小説を何冊か読んできたが、分人という概念を意識して読んだことはなかったので、改めて小説を読み直してみたい。 -
なるほど面白くて為になった。
この手の本はやっぱり読み進めるのが遅くて居眠りばっかり…悲
"個人"ではなく"文人"という考え方で、生きやすくなる人は増えると思う。
私も大分考えが変わった。
生きにくいと感じてる人にお勧めしたい1冊。 -
高校の現代文の教科書に載っていて、授業でもとりあつかった作品を最初から最後まで読んでみた。高校のときに教科書で読んだときにはほとんど理解できなかったが、本書のなかでの分人の定義を十分に理解したうえで、読み進めると平野さんが言いたいことがよく理解できたと感じる。
接する人によって自分というキャラクターは違うが、それを意識して人と接することなどほとんどないのが当たり前のこと。それゆえに、自分って何者なのか、どれが本当の自分なのか分からなくなってしまう。この分人の存在を自分の中に認めることにより、人間関係やアイデンティティの問題や悩みは少しは解決されるのではないかと考える。
自分を構成する多数の分人のなかで、自分がある誰かと接しているときの好きな分人をなるべく多く占めるようにするという考え方は素晴らしいと感じた。
また、本書のなかの説明や具体例でたびたび出てきた平野さんの小説も興味があるので読んでみたい。一冊も読んだことがないから、どんな作品なのか気になった。 -
めっちゃ面白かった。
私という「個人」は対人関係ごとのいくつかの「分人」によって構成されているという考え方がめっちゃ斬新!
でも共感できるし、そういう風に考えたらかなり気持ち楽になる〜!と思えて、既に超好きな考え方になった。
家族 友人 同僚…とか相手によって見せる顔って確かに違うけど、キャラを演じている感覚はなく、相手に応じて自然と切り替わる感覚で、その色々な顔のうちどれかが「本当の私」「ウソの私」ではなく、全部 本当の私なんだけどな〜というモヤモヤが一気に解消された。だって、私は分人の集合体だから!
人という「個人」って板チョコみたいにパキッて分けられないけど、この考え方のおかけで、自分のなかにどんな自分がいても全部受け入れられそう。
新書って今まであんまり読んでこなかったけど、こんなに面白いなんて!平野さんの小説も気になってきたー! -
一個人同士の関係にて生まれる自分。
個人から「分人」へ
とてもおもしろい考え方だと思った。
個人よりも一回り小さな単位を導入し、分人とする。
individual(個人)の語源は、もうこれ以上分けられないという意味。
inを取った、dividualは、(分ける)という意味。
私達は、コミュニケーションをとる相手によって違う自分がいる。
両親の前での自分。学校での自分。職場での自分。
それぞれの違う自分のことを分人という。
本当の自分(個人)という認識は腑に落ちにくい。
分人化して考えると、彼の前での私はリラックスしていて気分がいいとか、彼女の前での私はいつも緊張していてイライラしているとか。
でも自分を作っている訳ではなく、それらすべての分人の集合体で私(個人)なのである。
「誰かといる時の分人が好き、という考え方は、必ず一度、他者を経由している。自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である。」
比較的新しい友人と話していて、自分に対する評価が思ったより高めの時、「自分は本当はそんな人じゃないのに」と感じる。
と同時に少し嬉しい気持ちにもなるが、とてもじゃないが素直に喜べない。
理由は2つあり、1つはこのままの評価を継続できないということ。2つめは幼い頃からの積み重ねである私自身が散々周りから言われてきた評価との相違であるということ。
私はその評価を後者に戻そうとしてしまう相手には、比較的心を許している。(深く考えたことはなかったのだが、その傾向がある事に気付いた。)
相手との関係がぎくしゃくしているということは、お互いの分人がそのような対応をしているということなので、半分は私の出方次第という解釈をした。
自分がバリアを張っていては相手も感じ取る。
改めてそこだけを切り取って考えてみると今まで漠然と雰囲気で解決しようとしてきた事がどんなに難易度の高いスキルだったことか。
「分人」という考え方で腑に落ちたのだ。
著者の作品は一冊だけしか読んだ事がなかった。
「マチネの終わりに」は、私にとっては苦手な小説だった。
このような恋愛が数多く存在するのか。知的な世界観で私の性格上縁遠いかも。
分人はそれぞれの恋愛をすることができるそうだが、それは非常に納得できる。笑
たくさんの分人がいることは深い喜びであり、本当の自分はこうと決めなくても良いと言われたことでなんだか心がとても落ち着いた。 -
気になっていたけど、読みそびれていた本を読もうキャンペ〜〜〜ン。
冒頭に「『個人』から『分人』へ。」と掲げられているとおり、「私」や「自分」の捉え方、人間関係の考え方について説かれた本。
人は、対人関係の中で、常に複数の人格を生じさせながら生きている、ということらしい。
なるほどなあ、と思ったのが、分人は他者との相互作用によって生じるため、ネガティブな分人が生じても半分は相手のせい、逆に、ポジティブな分人もまた半分は他者のお陰、とする考え方。
「お互い様」と言ってしまえば一言だけど、すごく楽しい関係にも、反対に苦しい関係にも、振り回されすぎず、心のバランスとりやすい捉え方で、良いなあと思いました。
心のノートにメモメモ。
最後に紹介されていた夏目漱石の「私の個人主義」という講演が気になるので、いずれ読んでみようと思います。 -
分人の考え方、すっごく興味深かった。
個人という分けられないものの中に、さらに分人という人格を導入し、個人は分人の集合体であるという考え方。
人は誰しも、接する人によって言動や考え方、性格が変わってしまうものだと思う。
例えば、家族の前と友人の前の自分。変えようと思ってる訳じゃないけど、自然と態度が変わってしまってるなあと思う。
様々なコミュニティに属する自分がいて、それぞれで違った振る舞いをする。
個人が分けられないとすると、その複数の人格の内に、本当の自分がいて、偽りの自分がいることになってしまう。
そこで出てくるのが分人という考え方。
分人は社会との相互作用の中で発生するもの。
分人は1人ではできなくて、人や環境に触れることで形成されるわけだから、分人、すなわち私たちの人格の半分は他人のお陰だという考えが斬新だった!
また、私と接する相手の分人も、私の存在によって生じているわけで、そうやって人と人はリンクされ、ひとつの個人が存在してるのだと考えると、コミュニケーションとはなんと尊いことか!
特に、死への考え方が素敵だった。
私が居なくなっても、私との間にできた私の友人たちの分人の中で私は生きていけるわけで、そうやって人の価値観は紡がれていくことに感銘を受けた。
この分人主義の斬新なところは、人格の半分を他人のお陰と考えるところにあると思う。
自分の中に嫌いな分人がいるなら、その嫌いな分人が登場してしまう環境に重きを置かなければいいわけで、好きな分人が登場する環境を大切にしていって、嫌いな分人の割合を減らしていけばいい。
全部自分のせいにしなくてもいいんだよ、と諭されているような気がした。
また、他人に関しても、私たちが見られるのは自分に対して生成された分人というほんの一部なわけだから、その人のほかの分人を評価したり批判することはできない。
改めて納得感のあるとってもいい考え方だなと思った。
この考え方で救われ、改めなければならない部分もあるなあ。
具体例もすごく分かりやすくて、ハッとさせられた。
ドーン、読みます!!
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