日本人のための日本語文法入門 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881739

作品紹介・あらすじ

これだけは知っておきたい日本語の基本。日本語に主語は重要か?「は」と「が」はどこが違う?受身文に秘められた日本人の世界観とは?「私を生んで、ありがとう」はなぜおかしい?「ら抜き言葉」「さ入れ言葉」の真相は?言葉に込められた日本人の心を読む。

感想・レビュー・書評

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  • 「日本語文法入門」だなんて、義務教育時代の国語授業を学び直す内容なのだろうな、と簡単に推測して買った本です。しかしながら、どうやらそういう中身ではなかったのでした。「どうやら」なんて言い方をするのは、僕が義務教育時代に、どうやって文法を教わったのかを、ほとんど覚えていないからです。「連用形」だとか「体言止め」だとかといった言葉は覚えていますが、文法といえば、どちらかというと英語文法のほうが頭に残っているほうです。

    さて。
    これまでみんなが国語で習ってきたものって「学校文法」と呼ばれていて、「日本語文法」とは区別されている、とあります。それでもって、日本語文法のほうが正しい、と。なぜか。学校文法は古文と現代語との連続性を考え、あえて論理的矛盾に目を瞑り、言語感覚を養っていくようなところがあるようです。日本語文法は、まるで外国語の仕組みを研究するように日本語を扱い、どういった論理で言語が成り立っているかを学術的に研究したうえでの論理的文法解読。

    日本語文章は、「主語述語と装飾する言葉たち」というとらえ方ではなく、「述語とその他の装飾する言葉たち」というとらえ方がほんとう。述語以外は文の成分になります。主語は重要ではないのでした。述語こそが重要なのです。

    初めて知った言語学の言葉に「ボイス」「アスペクト」「テンス」「ムード」がありました。とくに「ボイス」を見たときの日本語の見え方がとても面白いです。「ボイス」とは、受動文、使役文などといった用法をいいます。そんな、受身形、使役形のほか、もうひとつ重要なものに「やりもらい形」があり、これこそ日本語の特徴的な形であり、そして、この言語を使用する日本人の心に表したり影響を与えたりしているわけでした。

    「やりもらい形」は「~~してあげた」「~~してくれる」「~~してもらった」といった使い方がそれにあたります。たとえば、「教える」という言葉をあてはめて、「A君がB君に日本語を教えてあげた」「A君が私に日本語を教えてくれた」「B君がA君から日本語を教えてもらった」という三つの分があるします。「やりもらい形」を外すと、「A君がB君に日本語教えた」「A君が私に日本語を教えた」「B君がA君から日本語を教わった」ととてもシンプルな形になるのですが、日本人はそこに物足りなさを感じやすいといいます。なぜか。

    「やりもらい形」は日本人の思いやりの心が込められているからだと著者は書いています。さっきの三つの文章に戻ります。どう思いやりが込められているかというと、「A君がB君に日本語を教えてあげた(A君がB君に日本語を教えるという思いやりをあげた)」「A君が私に日本語を教えてくれた(A君が私に日本語を教えるという思いやりをくれた)」「B君がA君から日本語を教えてもらった(B君がA君から日本語を教えるという思いやりをもらった)」という以上の例文のようになるのでした。著者も、なんともまどろっこしいのだけど、どうしてこういう表現をするのか、と問いかけつつ、つづけて解説をしてくれます。

    日本人は和を尊重します。そこでは助け合いが必要で、必然的に他人とのやりとりには思いやりのやりとりが重なっていった。著者は聖徳太子の憲法十七条にある「和をもって尊しとなし」を引用して、日本人らしさはこういうところにあるといいます。現代の日本人もこういった言語の仕組みの影響を受けながら、思いやりの心を育むのかもしれないですね。これが英語だと、自我中心の言語なのでこうはいきません。他の章でもあるのですが、日本語は自然を受け入れるかたちの用法に満ちていて、自然中心の言語だと言えるのだそうです。

    というように、このような日本語文法の本を読んでいると、言葉たるものがどれだけ心に影響するか、また、日本語が心の細やかな動きにどれだけよく対応する言語か、ということが行間または文章の奥のほうから立ち現れてくるのを感じるのでした。

    ふだん、あまり意識せずに使っている日本語を、客観的に学問するように眺め直してみると、なかなか頭が柔軟に対応してくれませんでした。過去に学校文法を学んだ時の脳の部位がかちかちになっていて、なんだか変化を拒むかのようでした。それでも、用法の細かいところはさておき、英語とは違った構造による人の心理への日本語の影響をうかがい知ることができたのはよかったです。

    あとがきに「サピア・ウォーフ仮説」という言語理論について述べられています。言語の構造は、その言語の話し手の認識や思考様式を条件づけるというものです。社会や環境、遺伝子のみならず、言葉なんていうものからも、人間の心理や精神構造、思考様式は大きな影響を受けているのではないか、ということなのです。こうやって日本語についてちょっと詳しくみただけで、僕はもう、この仮説を受け入れたい気持ちになってくるのでした。

  • 日本語文法の本なのに、横書き左開きなんだぜぇ。ワイルドだろぉ?

    非日本語ネイティブに日本語を教授するための文法があり、それは古典文学を読むことから現代文の解釈までつなげた日本人が学校で習う文法とは違うものなのだということを知りました。

    他国の言語と比べると、日本語は特別変わっているわけでもなく、難しい言葉でもないそうです。ただ、言葉は使う民族の世界観が投影されるもので、日本人は自然との調和を非常に重んじ、人間が主となる表現を好まないそうです。

    確かに。私がちょっと習ったのは英語だけですが中学生のころ「なんでいつも『I』からはじまるのかなぁ。うたて。」と思いました。全能の唯一絶対神が創造したのではなく、「成り成りて」何となく出来上がったという神話を持つ国民ですからなぁ。

    受動態の「間接受け身文」というのが他国の言語にはない日本語の特徴だそうです

       雨に降られた

    という言い方です。出来事がそのまま受け取られて目的語のあるなしは全く関係がない。文法学者の三上章さんが「はた迷惑な受け身」と呼んだそうで笑ってしまいました。確かにはた迷惑な場合によく使われます。

    周りの影響を一番に考えて表現するメンタリティの在り方が言語を特定するという考えは確かにそうだなと思います。自国の言葉だけでなくそれは外国語でもあるわけで、言葉の学習は文化の学習であることに気が遠くなる思いです。

    同じところ、違うところ、知ったり考えたりするきっかけになる本だと思いました。

  • 日本語は難しい。
    日本語が難しい。
    どちらも文法的には正しいけれど、与える印象が違う。
    その「なぜ」を紐解く一冊でした。

    普段何気なく選んでいる言葉の繋ぎには
    理由と意味があったんだなあと改めて感じます。

  • 日本語の基礎知識を習得するために、このような本をこれからも読んでいく。

  • これは面白い。買った当初は学校で習った国文法についての本だと思っていたが、本書が扱うのは外国人が学ぶための「日本語文法」。考えてみれば外国人が日本語を学ぶのに、日本語を自在に操れる日本人が学校で学ぶのと同じ文法では身につかないのかもしれない。

    「主語は重要ではない」(p.16)というのは主語を書かないことも多い日本語では受け入れやすいはずだが、一方で学校文法では主語と述語が大切であるように習った記憶がある。この点、日本語文法では、主語は目的語や修飾語と同列の「成分」に過ぎないという。

    「は」という助詞についても、学校文法では「が」と同様に主語に続くと教えられるが、日本語文法において「は」は主語を表さない。

    「そのお菓子は弟が食べた。」なら「お菓子」は目的語だし、「その池は魚がたくさんいる。」の「その池」は場所を表す。これらは、主題化するために前に出されたのだというのだ(pp.43〜44参照)。考えてみれば、「象は鼻が長い」(p.46)の主語について、「は」・「が」を伴うのが主語と考えたら、「象」も「鼻」も主語ということになる。

    また、本書の内容は英語を学ぶ上でも有用だ。例えば、目的語に目に見える変化を及ぼさない「無対他動詞」(「ドアをたたく」など)についての理解があれば、I visited London. とは言えても、×London was visited by me. が意味不明な誤文であることも理解しやすいだろう。

    また、間接受身文について知っていれば、「(私は)スリに財布を盗まれた」を、日本人の中高生が×I was stolen〜 と誤訳する理由も日本語と英語の差異からきちんと説明することができる(p.85参照)。

    今まで何も考えずに使っていたがよく考えてみればどうやって使い分けていたのかと思うことも多々ある。例えば次の2文(p.132)。

    1. 日本に来る時に、友達がパーティを開いてくれた。
    2. 日本に来た時に、友達がパーティを開いてくれた。

    日本人であれば、1.は来日前に海外で、2.は来日後に日本で開かれたパーティであることがすぐに分かる。しかし、これを外国人の日本語学習者が使い分けるには、「相対テンス」(p.133)についての理解が必要だ。

    更には、次の8文。

    1. 私の家族は日本に来たいです。
    2. 山田さんは眠い。
    3. 私の家族も日本に来たかった
    4. 山田さんも眠かった
    5. 日本に行きたいですか?
    6. 眠いですか?
    7. 君も一緒にサッカーをやりたいですか?
    8. 先生もお菓子を食べたいですか?

    ひょっとすると多少の個人差はあるかもしれないが、何の疑いもなく受け入れられるのは、3,4,5,6,7だろう。「〜たい」は、基本的には話者についてしか使えないが、過去形なら三人称でも使え、疑問文ならば二人称でも使用可能。ただし、目上の人には使えない。

    こんな法則になりそうだが、日本語ネイティブは何も考えずに使い分ける。しかし、日本語学習者に果たしてどう説明すればいいのか。何かしら合理的な説明を付けなければ覚えきれないし、丸暗記できたところで、いちいち考えなければ使えないのでは使いこなしているとは言えない。

    こんな話が随所に散りばめられていて、脳みその普段使っていない箇所を大いに刺激してくれた。私自身は日本語文法には完全なる門外漢であり、本書の内容をどこまで鵜呑みにしてよいのか分からない面はあるが、日本語について考える上でも、英語などの外国語を学ぶ上でも、様々に示唆を与えてくれる良書である。

  • 【請求記号:815 ハ】

  • 日本語の文法についての説明。学校で習った文法とは少し異なる視点で日本語文法についての見方がかわる。

    主語と述語、の捉え方が違って見えるようになった。相手がわかるだろう言葉は省略されるとか。

    堅苦しくなく、さらっと読めるのがよい。

    また言語学者では有名な「象は鼻が長い」が引用されていた。

  • 読了日 2022/06/20

    興味があったのでKindleで読了(耳で聞いた)。
    職場の外国籍の方の日本語でどこに違和感があるのかに気づけた。なるほど。

  • なんとなくもやっとしか捉えられていなかった日本語の諸現象を解釈する枠組みが得られた感覚がある。

    諸所に若干の疑問を抱く部分もあったが、改めて日本語について、その背景にある思想を含め考えるとても良いきっかけをもらえた。

    今後日本語学習者に質問をされた際には、再度読み返したいなと思えた。

  • 学校の国語で習う文法が大得意だった私。どこかで「『は』は主語に付ける助詞だから、『カレーは昨日食べました』のような文は誤りで、『カレーを昨日食べました』が正しい」と学び、今までそれを守ってました。でも、世間では主語以外にも「は」を付けて話すし、ずっとモヤモヤしていました。そんなとき出会ったのがこの本。学校の文法とは違った切り口から日本語が解説されていて、「は」の使い方を始めとした、学校文法では納得いかなかったところも理解することができました。

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著者プロフィール

1954年山梨県甲府市生まれ。明治大学文学部文学科卒業後、オーストラリア国立大学グラジュエイト・ディプロマ課程(応用言語学)修了、同大学院修士課程(日本語応用言語学)修了。ブラジル、アメリカ、オーストラリアでの長期滞在を経て、現在、静岡大学国際交流センター教授。専門は日本語学、日本語教育、異文化コミュニケーション。
[著書]
『考えて、解いて、学ぶ 日本語教育の文法』(2010)スリーエーネットワーク
『日本人のための日本語文法入門』(2012)講談社
『異文化理解入門』(2013)研究社

「2014年 『多文化共生のための異文化コミュニケーション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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