わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 393
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881777

作品紹介・あらすじ

近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのか。「子どもの気持ちがわからない」というのは、何が問題なのか。いま、本当に必要なこと。

感想・レビュー・書評

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  • 感想をまとめようとして気づいたのだけど、ちょっと要約しにくい本だ。一貫した論旨があるわけではない。著者が前書きで述べている通り、あえて「ノイズ」の多い構成にしてあるからなんだろう。そしてそこに、そもそも「コミュニケーション」とはそういうものなのだという著者の考えを読み取ることができるように思った。私たちは、明快な要点のみを簡潔に伝え合って日々過ごしているわけではなく、むしろ言葉にされないこと、言葉にはならないものから、無意識に多くのことをやりとりしている。

    何よりも小気味いいのは、「コミュニケーション教育」の意義を認め、実践もしているオリザさん自らが、コミュニケーション能力と呼ばれるものの大半はスキルやマナーの問題であると断言していることだ。 

    「口べたな子供が人格に問題があるわけではない。少しだけはっきりとものが言えるようにしてあげればいい。コミュニケーション教育に過度な期待をしてはいけない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ」

    だから、慣れればいいのだとオリザさんは言う。それだけのことなのだ、それ以上のものではないのだと。これにはまったく同感。なんだか大層なもののように思わせているのは誰だ。あいも変わらぬ若者バッシングの一つに「コミュニケーション能力がない」というのがあるけれど、そう言いつのる人(主に中高年男性)がいったいどれだけ豊かな表現を行っているのか?

    今の若者たちは、一方で自分の意見をはっきり言うことを求められ、一方で、空気を読み場を乱さないことを求められるダブルバインドの状況にある、という指摘にも深く頷く。就活に苦闘する若者たちに是非読んでほしいなあと思う。

    一番心に残ったのは、著者の日本語への思いの深さだ。

    「およそ、どの近代国家も、国民国家を作る過程で、言語を統一し、ただ統一するだけではなく、一つの言葉で政治を語り、哲学を語り、連隊を動かし、ラブレターを書き、裁判を起こし、大学の授業ができるようにその『国語』を育てていく」

    日本では非常に短期間でそれが行われたために、積み残してきてしまったものがあり、その一つが対等な「対話」の言葉だとオリザさんは言う。それは、私たち自身が時間と手間をかけて、小石を積むように、日々の言葉から築いていかなくてはならないものだ。あらためて、言葉を大事にしようと心に刻む。

    タイトルに込められた思いが最後のほうで述べられている。静かにかみしめる。

    「人びとはバラバラなままで生きていく。価値観は多様化する。ライフスタイルは様々になる。それは悪いことではないだろう。日本人はこれからどんどんと、バラバラになっていく。 この新しい時代には、『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められている。 人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」

  • 「コミュ力」って何なのか?

    たとえば日本に住む多くの人は「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句だけで、夕暮れの斑鳩の里の風景を思い浮かべられるのではないか。そして、短い言葉で同じものを思い浮かべられることを、他人にも期待してしまいがちだ。日本には、察しあう文化がある。
    察しあえるのがコミュ力か? …どうやらそれだけじゃないみたいだ。

    察しあう文化には良い面もあるが、グローバルな社会で、国際水準の仕事をしようとすると、その文化を捨てなければならない局面がある。
    必要なのは「対話の基礎体力」。
    「柿食へば…」のように説明しなくてもわかってもらえると思っていた事柄を、虚しさに耐えて粘り強く説明する力や、異なる価値観と出合う中で自分の考えが変わっていくことを良しとする態度を身につけたい。

    平田オリザさんは、劇作家・演出家。
    演劇人のノウハウは、「シンパシーからエンパシーへ」という考え方を学ぶのに役立つと主張する。日本語で言うなら「同一性から共有性へ」。

    舞台の上では、他人同士が長年連れ添った夫婦のように、あるいはよく知った二人がまるで他人のように振る舞う。
    ごく短い時間の中で、他者とコンテクストをすりあわせ、イメージを共有し、ひとつの物語としてアウトプットする。そこに演劇の本質がある。
    演劇のノウハウ、スキルを学べば、「わかりあえない」ことを前提に、わかりあえる部分を探っていく試みに、いかせるのではないか。対話の基礎体力をつけるのに演劇は効果がありそうだ。

    --

    子どもたちを相手にした演劇ワークショップの説明を読むのが楽しかったです。
    台本の最初に登場させるのを、「生徒1」ではなくあえて「生徒4」にするだけで、配役の話し合いでぐだぐだしなくなるとか。そういう小技の話を知るのが好き。

  • 自分が就活をしていた頃、
    企業が欲しい人材は、「コミュニケーション力」がある人でした。
    これは、今もさほど変わっていないでしょう。
    でも、この「コミュニケーション力」って、いったい何なのか?
    疑問に思い始めたのは、仕事をして、暫らくたった頃でした。

    それは、日本で(重宝される)「コミュニケーション力」とは、非常に協調性を重視しているのにも関わらず、
    なぜか、求めるものは、自主性だったりします。自分の意見をしっかりと論理的に言える人
    が求められているのに、現実では、相手と協調出来て、角がないコミュニケーションが
    評価されている。これを著者は、ダブルバインド(二重拘束)と言っています。

    つまり、あべこべです。言っていることと、実際って、違うでしょ!ってことです。
    だから、少なくない人が、コミュニケーションに、期待をしなくなります。

    平田氏は、「いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に
    不足しているのだ。」と言います。まさに、その通りだと思います。こちらが、誠心誠意、心を込めて、
    相手に伝えても、それが、相手に伝わるとは限らない。

    コミュニケーションとは、案外そんなものだと思いますし、それが、本質なんだと思います。
    今は、伝える技術ばかり喧伝されていて、本質的なことを、教えていないし、なかなか経験出来ない
    環境にあります。だから、「自分には関係ないし」という、言葉が、若い人から、よく発せられるのではないか
    と思っています。

    もともと、コミュニケーションって、面倒くさいし、伝わらないことの方が、伝わるよりも圧倒的に多い、
    これがわかっていれば、他者と話す上でも、非常に有益なようが気がします。

    この本を読んだからって、もちろん「コミュニケーション力」は上がらないですが、そもそも、
    コミュニケーションを、能力として、捉える事自体に無理があるんだと、よくわかります。
    コミュニケーションは、他者と関わる手段です。道具と捉えている今の風潮は、やはり、
    嘘くさいような気がします。

  • サラッと大事なことが書いてある本。
    読んでてすとん、すとん、あぁ、わかる…って自然と腹落ちしていくのが不思議。さすが平田オリザさん、って思う。
    偉ぶらないでガシガシわかりやすーく本質に向かっていく。。。素晴らしい。。。

    記憶に残ったのは、

    ・大事なのは冗長率のちょうどよさ
    …新しい意見や異なる価値観の意見を交換し深めあう「対話」においては、簡潔に説明するのがよいという訳ではなく、「えぇと」「あの」「それは」みたいな冗長さがあった方がいい(目から鱗①)

    ・コミュニケーションで注意すべきはコンテクストのずれ
    …はっきり「違う」「わからない」ことよりも、概念を共有していることの方が、コミュニケーションのずれは起きやすい。例えばおばあさん世代と、高校生の、電車での他人への話しかけやすさ。の違い。(目から鱗②)

    ・コミュニケーションデザインへの気配りの必要性
    …話す側だけじゃない。話し手が話しやすい雰囲気にしてあげているか、話す場は、語る相手の人数は、その建物の作りは、そこへのアクセスは、など。
    なるほど!と思った。職場でなんでも情報持ってる上司のことを思い出して、なるほど!!!と思った。

    ・協調性から社交性へ
    …p.206「しかし、もう日本人はバラバラなのだ。 (中略) だから、この新しい時代には、「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」が求められている。 」
    なんか、職場の管理職から、若手について(私も多分相当若手)「昔はガツガツやるのが当たり前だったしかっこよかったのに」「今の子は異様に褒められたがる」とかの相談を受けて、「なんか、すいません…」と若手世代がダメなように感じてたけど、そうじゃないんだな、と。オリザさんの文章を読んでて思いました。
    若手自身やその家庭など自身に起因するものが悪いんじゃなくて、時代や社会、日本の経済状況が変わった中で生まれた違いなんだな、と。
    そう考えたら自分の姿勢が恥ずかしい、とか情けない、とか思ってたのがバカらしくなって、
    説明すればいいんだ、うまく説明できるように調べて本を読んで考えればいいんだ、そして話をして理解し合えばいいんだと思えるようになった。

    その意味で救い。救いが多い本でした。ありがとうオリザさん!!

  • 発売して間もなくAmazonのウィッシュリストに入れてそのままになっていた本。昨日、池袋のジュンク堂で見つけて、手に取ったらもう買わずにはいられなかった。

    私は、全部読み終わらない限り、本の良し悪しや評価を言わないことにしていて、それが礼儀だろうと思っている。
    でもこの本は「まえがき」の4ページから、もう既に、どう考えても、良すぎて、早く「いい本!」って言いたくて仕方なくて、急いで急いで急いで読んだ。
    書かれていることが、すっと刺さって、納得がいって、よく分からないけど、新書なのに読みながら涙が出て仕方なかった。

    平田オリザさんの方法論は、国語の教科書にも取り入れられている。
    本著は認知心理学の知見、演劇の経験、また大学での講義や小中高での出張コミュニケーション教育の体験などに根ざして書かれている。
    筆者の「話し言葉」、特に「対話」(「会話」とは異なる)の言葉への感覚の鋭さは、プロとしか言いようがない。
    たった230ページの平易な言葉で、これだけを語れることが、とにかく凄い。
    言葉の教育に携わるなら、読んでみる価値のある本だと思う。
    できるなら、高校生の自分に、この本を読ませてあげたかった。

    第一章 コミュニケーション能力とは何か
    第二章 喋らないという表現
    第三章 ランダムをプログラミングする
    第四章 冗長率を操作する
    第五章 「対話」の言葉を作る
    第六章 コンテクストの「ずれ」
    第七章 コミュニケーションデザインという視点
    第八章 協調性から社交性へ

  • コミュニケーション能力が採用シーンで言われるようになってから久しいですが、

    ●コミュニケーション能力とは何なのか→単なる慣れ、だれでもできる。
    ●でも慣れなければいけない→日本の言語が対話を育みやすいようには進化してこなかったから。日本語には、尊敬語・謙譲語はたくさんあるが、「対話」の言葉、つまり対等な関係の褒め言葉があまり見当たらないらしい。
    ●なぜ必要なのか→多文化共生社会では、バラバラな個性を持った人間が、全員で社会を構成していかなければならない。だからアウトプットは、一定時間内に何らかのものを出す、そのための対話。
    ●必要なのは協調性ではなく社交性。その場だけでも、何らかのものを出すために関われる力。

    そして、「伝えたい」という気持ちは「伝わらない」という経験からしか来ない。

  • 人付き合いが苦手でコミュニケーション能力と聞くと悪寒がします。そのため本書の副題「コミュニケーション能力とは何か」に興味を惹かれました。

    本書はコミュニケーションのハウツー本ではなく、劇作家としてのバックボーンを持ち学校でコミュニケーション教育を行っている立場から世間のいわゆるコミュニケーション能力というものを批評したものになります。

    筆者はコミュニケーション能力が求められるようになった背景として、多文化共生の時代になり、異文化理解能力が必要になったからだと述べています。そしてそれは欧米と日本のコミュニケーションの優越ではなく、あくまで欧米が多数派であることが原因だとしています。

    しかし、実際の人事採用者、企業の求めるコミュニケーション能力の定義は曖昧であり、社員は自主性を求められる一方協調性を求められるなど矛盾した指示がされているという問題があります。また、学校の教育では正しいコミュニケーション教育が行われていないという問題があります。

    本書で特に印象に残ったことは、社会で必要とされるコミュニケーション能力は生まれつきもった性質ではなく、慣れの問題であるということです。

    今まで私は、生まれつきコミュニケーション能力の欠落した人間だと思っていましたが、この筆者の見解から自分ももっと人と関わる機会を持てば、人並に人付き合いができるようになっていくのだと勇気がもらえました。

    コミュニケーションのハウツー本よりも的を射た良書です。

  • ・コミュニケーション教育と、人格矯正は全然別物
    ・体験することの重要性
    ・無意識の「違い」を認識すること


    電車で「旅行ですか?」と話しかけるにも、日本とその他で文化の違いがあること、自分の当然は少数派である可能性があること。これを認識した上で意識的に行うこと、それがコミュニケーションと第一歩。
    演劇とコミュニケーションがどう関連していくのか、読んでいくうちに理解できた。

    ただ話し合わせて体験させても、学ぶこと向上することは少ない。いかにそれを伝え、教えていくか、だということに納得した。
    そんなに演劇でうまく良くなるのかよ、と思う部分もあるけれど、やはり目的を持った体験というのは違うと思う。この人は意味付けが上手いのだなぁと思う

  • 演劇界で活躍し、現在はコミュニケーション教育にも携わる著者が、世の中で求められている「コミュニケーション能力」に疑問を投げかけた1冊。
    日本社会において、人々は異文化理解能力を求められるとともに、実は輪を乱さない同調圧力も求められている、というダブルバインドにあっている。
    職場でのコミュニケーションで「上手くいかないな」と感じるもやもやの、根っこの部分を指摘されたようで、ぱっと視界が開けたような気持ちになりました。

    日本社会ではわかりあう、察し合うことが文化になっているけれど、そもそも「わかりあえない」中で共有できることを見つけていくのがコミュニケーションなのだ…というコミュニケーションの原点にも光をあててくれます。
    読み終えたときに、少し気持ちが明るくなりました。

  • なんせタイトル良い!!

    「わかりあえない」と言う言葉は、一般的にネガティブな語かもしれない。
    でも、みんな持っている背景(コンテクスト)が違うんだから、わかりあえなくて当たり前。
    そう思うと、少し楽になるし、次にやるべきことも見えてくる。

    話せば話すほど、接触すれば接触するほど、相手と自分との感覚のズレを感じる。
    その時に、相手に対して拒否反応が出るかもしれないし、今までの自分を否定したくなるかもしれない。
    答えは1つだと言う思いが、根底にあるからかもしれない。
    それでも最近は、「みんな違ってていいんだ。」と、理屈でわかるようになって来た。
    これからはその次の段階。
    みんな違う、それは悪いことでは無い、けれどみんなが違うと一緒に生きていくのは大変だし、それでも一緒に生きていかなくてはいけない。
    だから話し合って、意見をすり合わせて、共感できる点が見つかったら、そのことを喜ぼう!

    この本の主張はそんな感じ。
    教育関係で働くものとして、この本は本当に読んで良かったと思う。

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著者プロフィール

平田 オリザ 1962年、東京都生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。現在、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、大阪大学COデザインセンター特任教授。2002年度から採用された国語教科書に掲載されている平田のワークショップ方法論により、多くの子どもたちが、教室で演劇を創る体験をしている。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ受賞)、『日本文学盛衰史』(鶴屋南北戯曲賞受賞)、著書に『演劇入門』『演技と演出』『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』『下り坂をそろそろと下る』(以上、講談社現代新書)、『芸術立国論』(集英社新書)、『新しい広場をつくる―市民芸術概論綱要』(岩波書店)、小説『幕が上がる』(講談社文庫)など多数。

「2020年 『22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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