わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 422
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881777

作品紹介・あらすじ

近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのか。「子どもの気持ちがわからない」というのは、何が問題なのか。いま、本当に必要なこと。

感想・レビュー・書評

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  • 感想をまとめようとして気づいたのだけど、ちょっと要約しにくい本だ。一貫した論旨があるわけではない。著者が前書きで述べている通り、あえて「ノイズ」の多い構成にしてあるからなんだろう。そしてそこに、そもそも「コミュニケーション」とはそういうものなのだという著者の考えを読み取ることができるように思った。私たちは、明快な要点のみを簡潔に伝え合って日々過ごしているわけではなく、むしろ言葉にされないこと、言葉にはならないものから、無意識に多くのことをやりとりしている。

    何よりも小気味いいのは、「コミュニケーション教育」の意義を認め、実践もしているオリザさん自らが、コミュニケーション能力と呼ばれるものの大半はスキルやマナーの問題であると断言していることだ。 

    「口べたな子供が人格に問題があるわけではない。少しだけはっきりとものが言えるようにしてあげればいい。コミュニケーション教育に過度な期待をしてはいけない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ」

    だから、慣れればいいのだとオリザさんは言う。それだけのことなのだ、それ以上のものではないのだと。これにはまったく同感。なんだか大層なもののように思わせているのは誰だ。あいも変わらぬ若者バッシングの一つに「コミュニケーション能力がない」というのがあるけれど、そう言いつのる人(主に中高年男性)がいったいどれだけ豊かな表現を行っているのか?

    今の若者たちは、一方で自分の意見をはっきり言うことを求められ、一方で、空気を読み場を乱さないことを求められるダブルバインドの状況にある、という指摘にも深く頷く。就活に苦闘する若者たちに是非読んでほしいなあと思う。

    一番心に残ったのは、著者の日本語への思いの深さだ。

    「およそ、どの近代国家も、国民国家を作る過程で、言語を統一し、ただ統一するだけではなく、一つの言葉で政治を語り、哲学を語り、連隊を動かし、ラブレターを書き、裁判を起こし、大学の授業ができるようにその『国語』を育てていく」

    日本では非常に短期間でそれが行われたために、積み残してきてしまったものがあり、その一つが対等な「対話」の言葉だとオリザさんは言う。それは、私たち自身が時間と手間をかけて、小石を積むように、日々の言葉から築いていかなくてはならないものだ。あらためて、言葉を大事にしようと心に刻む。

    タイトルに込められた思いが最後のほうで述べられている。静かにかみしめる。

    「人びとはバラバラなままで生きていく。価値観は多様化する。ライフスタイルは様々になる。それは悪いことではないだろう。日本人はこれからどんどんと、バラバラになっていく。 この新しい時代には、『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められている。 人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」

  • この本はコミュニケーション能力を学ぶための本ではありません。

    日本人のコミュニケーション能力への警鐘を鳴らす本といった感じでしょうか。
    現代のコミュニケーションの低さの原因から、ではこれからどうすれば良いのかという対策まで丁寧に書かれています。

    この本でいちばん感銘を受けたのは、
    「本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。」という一文でした。

    この言葉には、良い所と悪い所の二面性があるように感じます。

    悪いところは、「周りに感化される生き方=洗脳されている」に等しいということ。

    良いところは、「多様性、順応性がある」ということ。

    人というのは可変性があり、生きてく中でいくらでも変形する。
    であれば、本当の自分とか自分らしくとか、意識せずに常にその時々の「ありたい姿」でいたいなと本書を通して感じた。

  • 「コミュ力」って何なのか?

    たとえば日本に住む多くの人は「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句だけで、夕暮れの斑鳩の里の風景を思い浮かべられるのではないか。そして、短い言葉で同じものを思い浮かべられることを、他人にも期待してしまいがちだ。日本には、察しあう文化がある。
    察しあえるのがコミュ力か? …どうやらそれだけじゃないみたいだ。

    察しあう文化には良い面もあるが、グローバルな社会で、国際水準の仕事をしようとすると、その文化を捨てなければならない局面がある。
    必要なのは「対話の基礎体力」。
    「柿食へば…」のように説明しなくてもわかってもらえると思っていた事柄を、虚しさに耐えて粘り強く説明する力や、異なる価値観と出合う中で自分の考えが変わっていくことを良しとする態度を身につけたい。

    平田オリザさんは、劇作家・演出家。
    演劇人のノウハウは、「シンパシーからエンパシーへ」という考え方を学ぶのに役立つと主張する。日本語で言うなら「同一性から共有性へ」。

    舞台の上では、他人同士が長年連れ添った夫婦のように、あるいはよく知った二人がまるで他人のように振る舞う。
    ごく短い時間の中で、他者とコンテクストをすりあわせ、イメージを共有し、ひとつの物語としてアウトプットする。そこに演劇の本質がある。
    演劇のノウハウ、スキルを学べば、「わかりあえない」ことを前提に、わかりあえる部分を探っていく試みに、いかせるのではないか。対話の基礎体力をつけるのに演劇は効果がありそうだ。

    --

    子どもたちを相手にした演劇ワークショップの説明を読むのが楽しかったです。
    台本の最初に登場させるのを、「生徒1」ではなくあえて「生徒4」にするだけで、配役の話し合いでぐだぐだしなくなるとか。そういう小技の話を知るのが好き。

  • 子どもをどんな人間に育てたいか、どうなってほしいか、いろいろと本を読み漁っているなか手に取ってみた。
    いろいろと難しいことはあるけれど、やはり体験型の学習がカギか。我が家の教育における方向性におおいに参考になった。

    ・コミュニケーション能力は性格ではなく技術だ
    ・伝えたいものがないから伝える力が育たない
    ・大人が教えすぎないことが大事
    ・これからの時代には、バラバラの価値観を持ったままどうにかして上手くやっていく能力が必要
    ・「本当の自分」というのは自分が演じているいくつもの役の総体である
    ・良い子を演じるのを楽しむと言う位のしたたかに生き抜く子供を育てていきたい

  • 自分が就活をしていた頃、
    企業が欲しい人材は、「コミュニケーション力」がある人でした。
    これは、今もさほど変わっていないでしょう。
    でも、この「コミュニケーション力」って、いったい何なのか?
    疑問に思い始めたのは、仕事をして、暫らくたった頃でした。

    それは、日本で(重宝される)「コミュニケーション力」とは、非常に協調性を重視しているのにも関わらず、
    なぜか、求めるものは、自主性だったりします。自分の意見をしっかりと論理的に言える人
    が求められているのに、現実では、相手と協調出来て、角がないコミュニケーションが
    評価されている。これを著者は、ダブルバインド(二重拘束)と言っています。

    つまり、あべこべです。言っていることと、実際って、違うでしょ!ってことです。
    だから、少なくない人が、コミュニケーションに、期待をしなくなります。

    平田氏は、「いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に
    不足しているのだ。」と言います。まさに、その通りだと思います。こちらが、誠心誠意、心を込めて、
    相手に伝えても、それが、相手に伝わるとは限らない。

    コミュニケーションとは、案外そんなものだと思いますし、それが、本質なんだと思います。
    今は、伝える技術ばかり喧伝されていて、本質的なことを、教えていないし、なかなか経験出来ない
    環境にあります。だから、「自分には関係ないし」という、言葉が、若い人から、よく発せられるのではないか
    と思っています。

    もともと、コミュニケーションって、面倒くさいし、伝わらないことの方が、伝わるよりも圧倒的に多い、
    これがわかっていれば、他者と話す上でも、非常に有益なようが気がします。

    この本を読んだからって、もちろん「コミュニケーション力」は上がらないですが、そもそも、
    コミュニケーションを、能力として、捉える事自体に無理があるんだと、よくわかります。
    コミュニケーションは、他者と関わる手段です。道具と捉えている今の風潮は、やはり、
    嘘くさいような気がします。

  • サラッと大事なことが書いてある本。
    読んでてすとん、すとん、あぁ、わかる…って自然と腹落ちしていくのが不思議。さすが平田オリザさん、って思う。
    偉ぶらないでガシガシわかりやすーく本質に向かっていく。。。素晴らしい。。。

    記憶に残ったのは、

    ・大事なのは冗長率のちょうどよさ
    …新しい意見や異なる価値観の意見を交換し深めあう「対話」においては、簡潔に説明するのがよいという訳ではなく、「えぇと」「あの」「それは」みたいな冗長さがあった方がいい(目から鱗①)

    ・コミュニケーションで注意すべきはコンテクストのずれ
    …はっきり「違う」「わからない」ことよりも、概念を共有していることの方が、コミュニケーションのずれは起きやすい。例えばおばあさん世代と、高校生の、電車での他人への話しかけやすさ。の違い。(目から鱗②)

    ・コミュニケーションデザインへの気配りの必要性
    …話す側だけじゃない。話し手が話しやすい雰囲気にしてあげているか、話す場は、語る相手の人数は、その建物の作りは、そこへのアクセスは、など。
    なるほど!と思った。職場でなんでも情報持ってる上司のことを思い出して、なるほど!!!と思った。

    ・協調性から社交性へ
    …p.206「しかし、もう日本人はバラバラなのだ。 (中略) だから、この新しい時代には、「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」が求められている。 」
    なんか、職場の管理職から、若手について(私も多分相当若手)「昔はガツガツやるのが当たり前だったしかっこよかったのに」「今の子は異様に褒められたがる」とかの相談を受けて、「なんか、すいません…」と若手世代がダメなように感じてたけど、そうじゃないんだな、と。オリザさんの文章を読んでて思いました。
    若手自身やその家庭など自身に起因するものが悪いんじゃなくて、時代や社会、日本の経済状況が変わった中で生まれた違いなんだな、と。
    そう考えたら自分の姿勢が恥ずかしい、とか情けない、とか思ってたのがバカらしくなって、
    説明すればいいんだ、うまく説明できるように調べて本を読んで考えればいいんだ、そして話をして理解し合えばいいんだと思えるようになった。

    その意味で救い。救いが多い本でした。ありがとうオリザさん!!

  • コミュニケーション能力が足りないということの背景や理由を、内面ではなく外の事象から解き明かしている。すごく明快でわかりやすい。そしてその裏付けとしての演劇を通じた実践が、新鮮で説得力あり。

  • 発売して間もなくAmazonのウィッシュリストに入れてそのままになっていた本。昨日、池袋のジュンク堂で見つけて、手に取ったらもう買わずにはいられなかった。

    私は、全部読み終わらない限り、本の良し悪しや評価を言わないことにしていて、それが礼儀だろうと思っている。
    でもこの本は「まえがき」の4ページから、もう既に、どう考えても、良すぎて、早く「いい本!」って言いたくて仕方なくて、急いで急いで急いで読んだ。
    書かれていることが、すっと刺さって、納得がいって、よく分からないけど、新書なのに読みながら涙が出て仕方なかった。

    平田オリザさんの方法論は、国語の教科書にも取り入れられている。
    本著は認知心理学の知見、演劇の経験、また大学での講義や小中高での出張コミュニケーション教育の体験などに根ざして書かれている。
    筆者の「話し言葉」、特に「対話」(「会話」とは異なる)の言葉への感覚の鋭さは、プロとしか言いようがない。
    たった230ページの平易な言葉で、これだけを語れることが、とにかく凄い。
    言葉の教育に携わるなら、読んでみる価値のある本だと思う。
    できるなら、高校生の自分に、この本を読ませてあげたかった。

    第一章 コミュニケーション能力とは何か
    第二章 喋らないという表現
    第三章 ランダムをプログラミングする
    第四章 冗長率を操作する
    第五章 「対話」の言葉を作る
    第六章 コンテクストの「ずれ」
    第七章 コミュニケーションデザインという視点
    第八章 協調性から社交性へ

  • 社会への視座として私にはないものを感じた。演じるときに障壁となること、普段の何気ない生活がさまざまなところに影響を及ぼしているということはなかなか考えたこともなかったので、面白かった。
    最後の方で述べられているシンパシーからエンパシーへ、というのはこの本が書かれてた2012年にはもう言われていたことだったのか、と愕然とする。最近、ベストセラーになったブレイディ・ミカコの『僕はちょうどホワイトでイエローで時々ブルー』にも出てくる。かつては学校でも「相手の立場に立って」というのがよく言われたものだが、最近ではそのような余裕もなくなった。
    だからこそ、一度立ち止まって「主体的・対話的で深い学び」について考えなくてはならないだろう。しかもこの本で、筆者は「対話」が日本にはほとんどないと言っている。確かにそうだ。対話とは何かを知らずして、対話的な学習など絵に描いた餅に過ぎなくなる。
    演劇など芸術を軽視している今の日本に果たして「対話的な」学びができるのか、忙しすぎる学校現場にそれを求めるのは過酷すぎるのではないかと考えてしまう。文科省はじめ、この教育改革を進めようとしている人たちにはよく考えて欲しいと思う。

  • コミュニケーション能力が採用シーンで言われるようになってから久しいですが、

    ●コミュニケーション能力とは何なのか→単なる慣れ、だれでもできる。
    ●でも慣れなければいけない→日本の言語が対話を育みやすいようには進化してこなかったから。日本語には、尊敬語・謙譲語はたくさんあるが、「対話」の言葉、つまり対等な関係の褒め言葉があまり見当たらないらしい。
    ●なぜ必要なのか→多文化共生社会では、バラバラな個性を持った人間が、全員で社会を構成していかなければならない。だからアウトプットは、一定時間内に何らかのものを出す、そのための対話。
    ●必要なのは協調性ではなく社交性。その場だけでも、何らかのものを出すために関われる力。

    そして、「伝えたい」という気持ちは「伝わらない」という経験からしか来ない。

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著者プロフィール

平田オリザ(ひらた・おりざ) 1962年生まれ。劇作家・演出家。劇団「青年団」主宰。

「2020年 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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