学び続ける力 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.72
  • (146)
  • (310)
  • (260)
  • (41)
  • (5)
本棚登録 : 2496
感想 : 332
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881883

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 東工大で行われた池上さんの一般教養の授業を収録した本は別に出版されているのですが、この本は、その授業での経験を通じて、池上さんが感じた、

    ・教養とはなにか?
    ・学ぶとはどういう事か?

    についてのまとめになっています。

    本書を読んで初めて意識したのですが、教養「 liberal arts」って、直訳すると

    「自由になるための技術」

    ですよね。

    本文からの引用

    <blockquote>古代ギリシャでは、人は奴隷と、奴隷を使う自由人に分かれていました。リベラルアーツは自由人としての教養を身につけるための学問として発展しました。
    ローマ時代にこれは「自由七科」として定義されます。
    七科とは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽です。
    </blockquote>

    僕は二十歳ぐらいまでに本がとても好きだったのですが、卒料して数年経過してから本をほとんど読まなくなりました。
    社会に出て時間が取りにくくなった事もあるのですが、大人の「知識人」というものに懐疑的だったからです。

    社会に出てから接した読書量を誇る人たちは、

    「〜ぐらい読んでおかないと」
    「〜を知らないの?」

    という感じて、経験と知識は誇るのですが、そこからなにを学んだかという事をあまり語りません。
    なので、いつしか、知識とは実地体験の中で獲得するもの、という考えになり、3年ぐらい前までは、紙の新聞すらほとんど読んでいませんでした。

    僕のこの考えと近い人は多く、

    ・ビジネス書にビジネスはない。
    ・学ぶ事だけに力を注ぐのは、単なる自己満足だ。
    ・実践こそが生きた知識の拠り所だ。

    という意見をよく聴きますし、僕も同じ意見でした。


    本書の中で、池上さんが言われているポイントは

    ・本は他人の経験の追体験である。
    ・自分の経験だけでは得られない世界を体験する為に「知識」はある。
    ・そして、読む事だけでは、ザルで水を汲むのと同じ事である。
    ・読んで自分で考え、批評してこそ「知識」として定着する。


    というものです。
    僕が読書や新聞というものに、この年になって興味をもったのもまさにそこでした。
    読んだ本に記録をつける方法が多種に渡ったことで、本からの知識を、かなりしっかりと補完できるようになったのです。
    そして、以前、「〜ぐらいは読んでおかないと」と言っていた大人達に、なぜ違和感を感じたのかもわかりました。

    彼らの意見では、知識は「降ってくるもの」で、お経のようなものだったのですね。

    実践的知識(すぐに役立つ知識)というのは、

    ・提示された設問に対して、最大の効率で解答が出来る知識。

    つまり、試験へ特化した能力といえます。

    太平洋戦争の日本軍の失敗原因の一つとして、海軍のエリート層が、試験対策に特化した秀才で固められた事が別の本で挙げられていました。

    戦場の状況は設問があるわけではなく、また唯一の正解があるわけでもありません。
    設問の前提を疑い、時には自ら設問を作り、そして、正解ではなく、状況の中で最適な解答を選ばないといけません。

    これは現代のビジネスシーンでも同じ事です。

    今まで、この

    ・設問に対する最適解ではなく、設問自体を作っていく能力

    を身につけるのは、アカデミックな活動よりも、プラクティカル(実践的)な活動だと思っていました。

    この本を読んで初めて納得したのは、例え、自分の専門がITの世界だとしても、ITを使う人間はビジネスもすれば遊びもして。恋もして、そして感動して泣く、という事です。

    専門ではない世界の知識が、今のIT世界を動かしている事から、リベラルアーツという「すぐに役に立つわけではない教養」の持つ意味の大きさが分かります。


    その代表例が、スティーブ・ジョブズでしょうね。

  • 最近著者の本をよく読みます。
    おそらく学び続ける姿勢に自分と通じるところを感じるんやと思います。
    そういう意味では佐藤優さんも同じです。

    学び続けるとはどういうことなのか。
    ただ闇雲に知識を入れるだけなら誰でもできます。
    それよりも得た知識をどう現実につなげるかということかと思います。

    すぐに役立つ知識はすぐに役立たなくなる。
    言い得て妙です。
    今の大学は専門学校化してきてて本当に学問をしに行くところなのかと思います。
    それやったら専門学校に行った方が百倍ましなんやないかと。

    ただ学問は別に全共闘時代の学生であってもできてました。
    自分で本を読めば済むことです。
    そういう意味で自分を再度見つめ直すことができました。

  • 本を読むだけでは、学んでいるとはいえない。そういわれてみればそうだなと気づかせてくれた本。池上さんのお父様のように自分が親になったときに、自分が鏡となるような生き方をしたいと思いました。

  • さすが池上さん、読みやすいうえ役に立つ知識が満載。自分の経験でつかみ取った情報を、こんな網羅していいのかと思うが、それが池上さんの懐の深さなのかもしれない。

  • 今やニュース解説でおなじみの池上彰氏による「学ぶこと」についての一冊。といっても、学問の意義を小難しく説くというよりは、テレビ番組で見る池上氏の語り口そのままに、氏の体験も交えつつ、「学ぶこと」の面白さと難しさを語ってくれます。

    大学一回生の時にこの本に出会えていたなら……と少し後悔したくなる素晴らしい内容でした。

  • リベラルアーツの大切さ

  • 本書はフリージャーナリストとして活躍を続け、現在では東工大教授も務める池上彰氏の『教養』についての考え方を知ることのできる一冊である。

    第一章では池上氏自身の『学ぶこと』に対する姿勢が綴られ、氏の勤勉さを窺い知ることができる。
    第二章では東工大教授として学生に問うてきたこととその目的・理念を述べる。
    第三章では、読者にとって実践的なハウツーや、気づきを提供する。池上氏流のノートの取り方や、相手に『伝える』方法など、すぐにでも実践したい内容だ。
    第四章は、池上氏の『読書論』。氏の人生に影響を与えた本やオススメ本などが紹介されている。
    第五章では、本書のテーマである『教養』について、アメリカと日本の大学の教養に対する姿勢の違い、東工大教授との鼎談の内容を取り上げ氏なりの答えを提示する。

    本書を読んで私が強く惹かれた点は以下の二点である。
    まず一つ目は池上氏が第四章で取り上げた、ショーペンハウエルの読書論。これは私にとって衝撃的であった。ここでは取り上げられた内容は書かないが、本は『読みっぱなしではダメ』ということを改めて考えさせられた。
    読んだ内容を自分なりに咀嚼して、腹に落とさなければそれは自分の糧とはならない。
    二つ目は、『すぐに役に立つことはすぐに役に立たなくなる』ということ。これも池上氏の教養に対する考え方の一つであろう。私もすぐに役に立つ知識を求めて、長期的な視野から物事を考えたり、そのための読書をしたりということをしなくなっていた。いつ役に立つか分からないけれど、でも興味がある、知りたい、そう思えるものに出会おうとしてこなかった。

    自分の幅を広げるためにも、様々な『教養』わ身につけていこう、そう決心させてくれた本であった。

  • 715

    池上彰
    1950年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、1973年、NHK入局。2005年まで三二年間、報道記者として、さまざまな事件、災害、消費者問題、教育問題などを担当する。1994年から一一年間は「週刊こどもニュース」のお父さん役を務めた。現在は、フリージャーナリストとして多方面で活躍中。2012年より、東京工業大学リベラルアーツセンター教授

    本好きというのは、そういうもの。文芸評論家の斎藤美奈子さんの講演を聴いたときのこと。「本好きというのは、手元に読む本がないまま時間が空いてしまうのが恐怖。いつも何冊か手元に 本を持ち歩くもの」という話に、わが意を得たり、と思いました。たとえば、東京から大阪に新幹線で日帰り出張するときのこと を考えましょう。行きの車内で読む本を一冊。帰り用に一冊。 こまでは本好きの人なら用意するでしょうが、私は「新幹線が止まったら」と考えて、さらにもう一冊用意するのです。結局読ま ずに持ち帰るのですが、こうしていないと不安になるのです。本好きというのは度し難いですね。

    いろんなタイプの大学で教えた経験からいえば、偏差値の違いは集中力の違いでもあるような気がします。入学試験段階での偏差値の高い大学の学生は、長時間集中力が持続します。東工大生は集中力が長持ちしますが、別の大学では、もっとしばしば場面転換や話題の転換が必要かもしれません。

    歴史を学ぶというのは、ものごとの因果関係をきちんと知ることです。それを知ることで、これからの時代についても、推測したり、自分なりの考えが持てるようになったりします。

    一つの話にいちいち引っかかって「えっ、どういうこと?」と 考えていたら、進度が遅くなってしまう。そうすると受験競争に は勝てません。先生が言うことはすべて正しいこととして、すぐ に吸収し、試験で吐き出していく。あるいは、先生が何を求めて いるかということをいち早く察知し、喜ばれる答えをすることに 長けている学生が多いのかな、とも思います。 でも、本当はそれだけでなく、「えっ、どういうこと? 「えっ、そうなの?」という引っかかりも大事なのです。それが 「批判力」です。

    人間関係ですべてを疑っていると友人をなくしますけれども、 少なくとも読書や学問の世界においては、とりあえずすべてを疑ってみることが大事です。研究者をめざすならなおさら、批判力を身につけなければいけない。 批判力を身につけるのに大切なのは、何についても「引っかかるところを見つける」ことです。本も、引っかかりを見つけるつもりで読む、著者はこんなことを言っているけれど、本当かな? と思いながら読む、そうすると、ときどき「あれ?」というこ とに出合います。 本当によくできた本は、内容が吟味され、論理的に書かれていますから、引っかからないものです。大胆な主張を読んで本当かな?と思っても、そうだよねと説得されていってしまいます。 でも、中には、おい、ちょっと待てよ。どうしてこんなことが言えるんだ?という本もあります。

    お国柄が違うというのは、こういうことなのですね。アメリカは、黙っていると、「話す内容のない人」と評価されてしまいます。「言わなくてもわかるだろう」ということが絶対に通用しない社会です。世界中からさまざまな人々が移住してきて出来上がった国家ですから、言葉を使って理解してもらうしかないのです。自己主張をしないと認めてもらえないのです。

    紙の新聞なら、自分の関心以外の記事も自然に目に入ってきま す。私は、自分の関心以外のニュースや情報を、敢えて「ノイズ」と呼んでいます。 ネットはノイズなしで自分が知りたいことだけを知ることができます。結果として、関心のあることには詳しいけれども、それ以外には全然興味を持たなかったり、知らなかったりということ になります。

    深く感動した本や、自分にとって意味があると思った本については、次の本にすぐに行かないで、しばらく余韻に浸るということが大事なのです。その後で、著者は、何を言いたいのか、そこ から自分は何を得ることがあるのかと考える時間を持たなければいけないのです。

    子ども心にストレスがたまったりしたときには、本を読んでいました。本の中のまったく別の世界を経験することによって、ふと 気がつくとすっかり気持ちが穏やかになったり、朗らかになっていたりしました。あるいはいま自分は辛い目にあっているけれども、世の中はそんなことばかりではないと思えたのです。 これは、「現実逃避」です。現実逃避と聞いて、否定的な印象 を持たれるかもしれませんが、そうではありません。本を読めば、嫌な現実から逃げることができます。本当に辛くなったら、 逃げればいいのです。 子どもにとって、自分の生きている社会は、家庭と学校と友人との社会しかありません。その中でいじめられていたり、辛い思いをしていたりしたら、逃げ場がありません。子どもは追い詰め られていきます。 いじめ相談室も、そうした逃げ場所を提供しています。でも、 もし違う世界をもう一つ持っていれば、そっちに行けば助かるのです。本の中に登場する主人公のほうが、よほど辛かったり、人生の ピンチにあったりしながら、生き抜いているではありませんか。 あるいは、絶海の孤島で孤独に生きているではありませんか。 それに比べたら、いまの自分の世界など、小さい、小さい⋯⋯。 そういうふうにも思えるのです。

    「はじめに」にも書きましたが、「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」ことが多いのです。すぐには役に立たないけれ ども、あるいは、一見役に立ちそうにないけれども、長い目で見 ると、心の栄養になったり、自分を高めたり、自分の世界を広げてくれる本もあります。 そういう本が、教養にとっては大事であり、生きていく上でも大事なのではないかと私は思うのです。 すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。 後からジワジワ役に立つものもある。 本を読むときには、そういう考え方も、また必要ではないかなと思います。

    MITは、東工大と同じく理科系の大学ですが、教養教育を重視しています。ハーバードやウェルズリーカレッジは教養教育の充実で古くから知られています。ウェルズリーカレッジは、全米から学生を集める全寮制のエリート女子大。クリントン政権のオルブライト国務長官や、オバマ政権一期目のヒラリー・クリント ン国務長官も、ここの出身です。

    この三つの教養教育に共通した考え方は、まさに「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」という考え方でした。とりわけウェルズリーカレッジでは、「社会に出て役に立ちすぎることは敢えて教えない」という徹底した姿勢でした。教養としての経済学は教えるが、すぐに役に立つビジネス(経営)は教えない。そ れを学びたかったら、大学院のビジネス・スクールに行きなさい、というわけです。 同じように、サイエンス(科学)は教えるが、テクノロジー(技術)は教えない。学びたかったら、MITの大学院に行きなさい、 というわけです。 これこそが、教養なのだ。私は深く同感しました。

    問題設定そのものを自らしなければいけない、決められた解が存在しない典型的な課題が、原子力発電の問題である。これから原発をどうしていくのか。優先すべきは経済合理性なのか安全性なのか。原発の技術開発をどう考えていくのか、さまざまなオプ ションの中で何を決めていくか。理系の専門知識だけでも、文系の経済知識だけでも、解は出てこない。既存の枠組みを一歩も二歩も踏み出さなければ、対応できない。

  • 学ぶことは生きること。生きることは学ぶこと。

    今これ学んで私意味あるのかな‥と頭よぎっても、知識欲に従順に、読書や情報収集を楽しんでいこう。

  • リベラルアーツとは何か。
    すぐに役にたつものは、すぐに役にたたなくなる。
    8年前の著作を読み、はっ!と考えさせられる。
    勉強にたいするモチベーションがあがった。

著者プロフィール

池上彰(いけがみ・あきら):1950年長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、73年にNHK入局。記者やキャスターを歴任する。2005年にNHKを退職して以降、フリージャーナリストとしてテレビ、新聞、雑誌、書籍、YouTubeなど幅広いメディアで活躍中。名城大学教授、東京工業大学特命教授を務め、現在9つの大学で教鞭を執る。著書に『池上彰の憲法入門』『「見えざる手」が経済を動かす』『お金で世界が見えてくる』『池上彰と現代の名著を読む』(以上、筑摩書房)、『世界を変えた10冊の本』『池上彰の「世界そこからですか!?」』(以上、文藝春秋)ほか、多数。

「2023年 『世界を動かした名演説』 で使われていた紹介文から引用しています。」

池上彰の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
佐藤 優
三浦 しをん
佐々木 圭一
ジャレド・ダイア...
デールカーネギ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×