- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062882002
作品紹介・あらすじ
だから、日本語はおもしろい!
義「援」金、名誉「棄」損、膨「張」……その漢字、おかしいですよ。
編と篇はどう違う? 古く中国から入った日本語とは? 明治に英語が入ってきて、日本語はどう変わったか? 日本で生まれ、中国で使われていることばとは?
読んでナットク、漢字と日本語のヒミツにふれる名コラム集。
※初出 『本』2010年4月号~2012年11月号
感想・レビュー・書評
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好きな信頼している書き手だったのですが、2年前に亡くなっていたんですね。合掌。
一本芯の通った硬骨漢で昭和の頑固オヤジのイメージがありました。
本書でも繰り返し主張してますが、戦後定められた常用漢字は全くナンセンスだと思います。時の権力者が文字についてその使い方を強制するのは、やはりよろしくないと思う。国民性、個々の人間性の否定にもつながりかねない問題です。特にメディアはこの問題については、言葉を使うプロとしてもう少し真剣に取り組んでもいいのではないでしょうか。
「お言葉ですが」のシリーズはほぼ持っているはずなので、また読んでみたい。積読本の山のなかから見つかればだが・・詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
週刊文春での連載終了以降、あまり読めなくなってつまらないなあと思っていたら、そうか、「本」で連載されてたのか。知らなかった。漢字を中心とした日本語の蘊蓄。もう大好きなんだよね。
しかしまあ言葉っていうのは本当に難しい。ゆめゆめ知ったかぶりして書くまいと思う。なにしろ頼りの辞書の記述にも当てにならないものがあると、高島先生はしばしば指摘してるんだもの。常日頃愛用している「広辞苑」はもちろん、最終兵器「日本国語大辞典」でさえ、間違った孫引きをしている箇所があると言われた日には、いったい何を信じればいいの~と途方に暮れてしまう。しをんちゃんの「舟を編む」でも書かれていたが、辞書というのは全く気の遠くなるような営々とした努力の末に生まれ、それでも決して完全にはならないものなのだなあ。
今回も「そうだったのか!」と目から鱗がボロボロ落ちたり、自分の無知にボッと赤面したり大忙しだ。
・「処方せん」(処方しないのか?)「う回」(うが回る?)「あっ旋」(見つけた!)とか、もう挙げればきりのないヘンな交ぜ書き。あの産経新聞がいち早くこれをやめていたとは!驚きだ。
・村木厚子さんの手記のタイトル「私は屈さない」。ん?屈さない?「屈しない」の間違いじゃん、と思うところだが、これがそう単純じゃないらしい。「漢字一字の音読み+す」の活用がこんなに不安定だったとは。
・震災の日以降誰でも知っている言葉になった「建屋」。これは私もちょっとひっかかって調べたことがある。広辞苑では現在の版にしか載ってない。すごく驚いたのは、およそすべての日本語が載ってると思っていた「日本国語大辞典」に載ってなかったことだ。新しい言葉なんだね。とても自然な日本語だから、みんな前から知ってたような気になったという先生の説明に納得。
・漢文で登場する「吏」。役人=公務員だと思ってきたが違っていた。吏には給料がないから自分の才覚で(つまり賄賂とか)収入を得ていた。だから、中国では現代になっても職務によって金が入るのは当然という気風があるらしい。ふーん。
・日本語の熟語のほとんどは中国から入ってきたか、主として明治期に日本で作られた。それは知っていたが、その日本製の熟語が中国に逆輸入されて、今ではお互いそういう経緯も忘れている(元々中国語だと思っている)言葉があるんだって。「調査」っていうのもその一つ。へぇー。
・福沢諭吉の「学問のすゝめ」には敬語が一切ない。このことと、漢文訓読体との関わりを考察した研究者の論文が紹介されている。漢文訓読が単なる「漢籍を読む工夫」にとどまらないことにあらためて目を開かせられる。
・今回一番の衝撃。「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」この有名な人麻呂の歌が、人麻呂の残した漢字十四字の列を賀茂真淵が「そう読むことにしよう」としたものだったとは! 江戸時代に真淵がこう読むまで実に千年、「ひむがし(ヒンガシ)」は雅語とは見なされず和歌には用いられなかった。なぜか。日本語にはそもそもンという発音がなく、外来語音であったから。うーん、そうだったのか。撥音便・促音便については本当に以前から謎だったのだ。「八ッ場ダム」をなぜ「やんばダム」と言うのかもやっとわかった。 -
こういう漢字の知識については,いかにも「博学」という言葉を感じる.原典がどこにあるか,さらりと説明している様子が心地よい.そういう知識をもとに,日本語における表記の問題もいろいろと挙げている.
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いつもながらの教養あふれる漢字エッセイ。単なる豆知識ではなくて、広がりのある推理や考察を読めるのが嬉しい。
ただし、なぜか文春の『お言葉ですが』シリーズ(特に前半)には感じたワクワク感がない。
あれは当たり前と思っていたことが揺らぐ面白さと、小さいと思っていたことが以外に大きいとわかる面白さだった。著者のことをよく知らなかったからこその、予想を裏切る面白だった。本書は、予想を裏切らない面白さ。 -
面白かった。漢字のもつ不思議な魅力を様々な角度から紹介している。
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なんか難しいんじゃないかと思ったけどわかりやすくてよかった。
読んだはしから忘れていくんだけれど。 -
いつの時代も権力は暦と文字を管理する。「どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行う」と佐藤優は説く(『国家の自縛』)。当用漢字とは「当座は用いて構わない漢字」という意味で、GHQには日本語のアルファベット化という案もあった。マッカーサーが日本文化の破壊を意図したことは疑問の余地がない。それにしても、官庁、学校、新聞はさながら権力という風になびく草の如し。
http://sessendo.blogspot.jp/2015/07/blog-post_22.html -
著者の膨大な中国語の知識をベースにした日本語の解説が満載だ.「本」で読んだ記憶のあるものもかなりあった.1946年の常用漢字制定は愚策だという論評に大賛成だ.身体障"碍"者を障"害"者と書くのは止めたい.指摘のあった 広汎な、潰滅、苛酷、臆病、名誉毀損、失踪、嗅覚、肝腎、長篇.これらは「Google日本語入力」の辞書に完備していたので安心した.
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難しいながらも、漢字にまつわるいろいろなことがわかったけれども。
著者の性格の悪さが気になって、スラっと読めないのが玉に瑕。 -
漢字が読めなくて辞任した(違う?)総理大臣がいたが、しかし漢字なんて当て字だったり読みも適当だったりする。「百姓読み」のことを嘆くというか、馬鹿にするというか、そんな記述もあるし、漢字制限というアホくさい政策への指摘に溜飲を下げたりする。毒ばかりではなく愉快なものもあるが、言われてみれば、だったり目から鱗だったり。やっぱり、なんでだろう、という気持ちはいつも持ってないとね。