ユーミンの罪 (講談社現代新書)

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  • 講談社 (2013年11月15日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784062882330

作品紹介・あらすじ

ユーミンの歌とは女の業の肯定である――ユーミンとともに駆け抜けた1973年からバブル期の時代と女性達を辿る、著者初の新書。ユーミンが私達に遺した「甘い傷痕」とは? キラキラと輝いたあの時代、世の中に与えた影響を検証する。 ※本書は「小説現代」2012年1月号~2013年8月号に連載された「文学としてのユーミン」を改題、大幅に加筆したものです。


ユーミンの歌とは女の業の肯定である--。ユーミンとともに駆け抜けた1973年からバブル崩壊まで、キラキラと輝いたあの時代、女性達の意識と世の中に与えた影響を検証する。ユーミンが我々に遺した「甘い傷痕」とは? 著者初の新書(単著)。

【目次】
1  開けられたパンドラの箱  「ひこうき雲」(1973年)
2  ダサいから泣かない  「MISSLIM」(1974年)
3  近過去への郷愁  「COBALT HOUR」(1975年)
4  女性の自立と助手席と  「14番目の月」(1976年)
5  恋愛と自己愛のあいだ  「流線型‘80」(1978年)
6  除湿機能とポップ  「OLIVE」(1979年)
7  外は革新、中は保守  「悲しいほどお天気」(1979年)
8 “つれてって文化”隆盛へ  「SURF&SNOW」(1980年)
9  祭の終わり  「昨晩お会いしましょう」(1981年)
10 ブスと嫉妬の調理法  「PEARL PIERCE」(1982年)
11 時を超越したい  「REINCARNATION」(1983年)
12 女に好かれる女  「VOYAGER」(1983年)
13 恋愛格差と上から目線  「NO SIDE」(1984年)
14 負け犬の源流  「DA・DI・DA」(1985年)
15 1980年代の“軽み”  「ALARM a la mode」(1986年)
16 結婚という最終目的  「ダイアモンドダストが消えぬまに」(1987年)
17 恋愛のゲーム化  「Delight Slight Light KISS」(1988年)
18 欲しいものは奪い取れ  「LOVE WARS」(1989年)
19 永遠と刹那、聖と俗  「天国のドア」(1990年)
20 終わりと始まり  「DAWN PURPLE」(1991年)

みんなの感想まとめ

女性の業を肯定するユーミンの歌詞を通じて、1970年代からバブル崩壊までの時代背景と女性たちの意識を探る一冊です。著者は、ユーミンの楽曲がどのように世の中に影響を与え、女性の心情を映し出してきたのかを...

感想・レビュー・書評

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  • すごいタイトル。
    確かに我々の年代は青春時代の傍らにはいつもユーミンソングがあり、影響を受けてきた人はたくさんいるよなあ。 

    アルバム『ひこうき雲』から『DAWN PURPLE』(1991年)までの収録曲の歌詞から分析した解説。(曲調ではなく、あくまで歌詞からの分析)

    例えば『14番目の月』(1976年)の収録曲『中央フリーウェイ』は中央自動車道をユーミン実家の八王子まで車で送っていくシーンとして分析すると、『初めて出会った頃は毎日送ってくれたのにこの頃は冷たい』という松任谷さんとの付き合いが少し温度が冷めてきた頃(ラブラブな恋人から良きパートナーへ)かも?と仮定したり、『PEARL PIERCE』(1982年)の『真珠のピアス』は、『ベッドの下にわざと片方捨てたピアスにより、彼と彼女の両方とも確実に殺す、女の特攻精神』と表現し、『DA・DI・DA』(1985年)の曲はこの年に制定された『男女雇用機会均等法』の影響があるのかもと書いている。『シンデレラエクスプレス』『青春のリグレット』など名曲もあるしね。
    『ダイヤモンドダストが消えぬまに』(1987年)は、その後のバブル崩壊を暗示していたのか等々、アルバムごとの代表曲の歌詞の描く世界観からの女性の世相を楽しく書いている。(もちろん中には強引な説もたくさんあったけど…)

    『ユーミンの歌とは女の業の肯定である。』こんな結論が結びに書いてあった。1970年からバブル崩壊までの女性達の意識と世の中に与えた影響の検証はいったんここまでだったようだ。

    これ以降もユーミンは20枚近くのアルバムを出し、年齢は70歳を超えてなお活躍中だ。酒井順子さんには『ユーミンの罪2』を書いてほしいなあ。(誰か中島みゆきの曲でも同じことやってくれないかな…こちらはちょっと怖いかも)

  • ユーミンは、私にとっては少し年上世代の音楽で、あまり好きではない。荒井由実はいいなって思う時もあるけど、松任谷由実はバブルの印象が強すぎるし・・・。っていうのが読む前の印象。

    でも、読んでいてけっこうイメージ変わりました。彼女がいち早くスピリチュアル的なものに興味を持っていたこと、バブルという言葉が存在しなかったバブルのまっただ中に、消えてなくなるシャンパンの泡とゴージャスで儚い恋とをかけて「ダイヤモンドダストが消えぬまに」を歌い、バブルの終焉を予期していたこと。彼女はバブル的消費をリードしたというより、時代を先取るセンスがすごい人なのね。派手なライフスタイルを提案してきたのではなく、いち早くその時代の女性の欲しがるものを察し、提示してきただけなんだと。
    しかも毎年1枚アルバムを出すって、すごいパワーだなあ。

    私がユーミンを真面目に聞いてたのは、小学5,6年生の頃。毎週末のユーミンのラジオ番組を録音しては、「大人の聞く音楽とはこういうものなのか」と塾に行く途中にウォークマンで聴いてたけど、それほど好きにはなれなくて、結局は久保田利伸みたいなメロディー重視の曲が好きだった。DOWN TOWN BOYなんかはビートの刻み方がユニークだから好きだった方の部類。ノーサイドは退屈な歌だなー、でもちょっと心地よいかも、って思っていたけどまさかラグビー部の彼氏の歌だとは思いもよらなかった。「Valentine's RADIO」の歌詞「うでで目覚めた夜明け」も、小学生の頃には全く意味わかんなかったな。「流行っているから、少し研究してみよう」と思ったけど、歌詞を重視しない私には全くささらないのでした。

    私がそうして、塾に通って中学受験の勉強に勤しんでいたころ、当時のオトナ文化は「アッシー、メッシー」「ジュリアナ」などが隆盛で、私も大学生くらいになればアッシーの一人や二人はゲットできるのだろう、とメガネのくせに思っていた。

    その後、私は中学受験に半分失敗して大学附属のお金持ち校に進学。当時はティーン雑誌でも10万以上するブランドものを平然と紹介している時代で、私もそれに興味があったりはしたけれど、周りの金持ちが難なくそれらを手に入れているのを観て、目を覚ますことができた、というか覚まさざるを得なかった。金持ちの中にいると、こっちが少し頑張ってブランドものを持っても、全く意味がなく、むしろ愚かにさえ見えてくるわけです。そんなこともあって、私はそれまで以上に勉強するようになり、付属校の中で必要以上に勉強し、違う大学への進学を志す私はとても浮いた存在だった。

    もし、わたしが金銭的に同じようなレベルの子が集まる学校に行っていたら、その中で目立つ為にブランドものに執着していたかもしれず、ユーミン的な価値観にも、もう少し浸かっていたのかもしれない。

    酒井さんが語る「ユーミンは私達を肯定し、まるごと受け入れてくれた。そして、私達の婚期は遅れた」という言葉を聞くと、「もう少し遅く生まれて、バブルを冷めた目で見つめるこっち側世代にくればよかったのに!」と思います。
    向こうからしたらよけいなお世話&いい迷惑でしょうが・・・。

    そういえば、先日、「ヨガフェス」というものをのぞく機会があったんだけど、「どうせ冷えとり靴下と布ナプキン信者がたくさんいるのだろう」と思って冷やかしてみたところ、やっぱりどちらのブースも出てました!
    オーガニック系はバブル消費とは真逆のベクトルとはいえ、あっさり冷えとり、布ナプ教にハマる人というのは、ひょっとしたらかつてバブル消費にどっぷりだった人なのでは・・・という意地悪い目で見てしまった私でした。

  • 酒井順子(1966年~)氏は、東京都生まれ、立教女学院小、中、高を経て、立教大学社会学部卒。高校時代から雑誌「オリーブ」にエッセイを寄稿。博報堂勤務、生活総合研究所客員研究員を経て、フリーランスのエッセイストに。『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞(2004年)受賞。
    本書は、松任谷由実(ユーミン)の楽曲を通して、高度成長期の1970年代から、バブルが崩壊した90年代初頭までの、日本の女性の生き方や価値観の移り変わりを読み解いた評論的エッセイ集で、アルバム「ひこうき雲」(1973年)から「DAWN PURPLE」(1991年)までの20作品が取り上げられている。
    私は、酒井氏とほぼ同世代の男性で、所謂ニューミュージック(今でいうシティポップ)の全盛期に学生生活を送ったが、(男性なので、ユーミンよりも山下達郎や角松敏生を好んで聞いたが)たまたま新古書店で本書を目にし、手に取った。
    ひと通りページを繰って、様々な意味で懐かしさが込み上げてくると同時に、「なるほどね」、「確かにね」と首肯すること数多であった。
    まずは、帯にもデカデカと書かれている「ユーミンの歌とは女の業の肯定である」という点。ユーミンの歌の歌詞は、恋愛、結婚、自己愛、自立、嫉妬などの女性の内面や社会的な立場について、赤裸々に描きつつ、それを肯定してくれたのだという。著者があとがきで紹介した、ある四十代の独身女性の「ユーミンは、救ってくれすぎたんですよ」という言葉(よって、本書の題名は「ユーミンの“罪”」なのだ)は、目から鱗であり、衝撃的ですらあった。
    また、「中央フリーウェイ」(1976年)に象徴される「助手席」(ユーミンは、その後結婚する松任谷正隆氏の運転する車の助手席に座って、中央高速を競馬場やビール工場を見ながら、八王子に送ってもらっていたのだ、と著者は語る)、「恋人がサンタクロース」(1980年)に象徴される「つれてって文化」等のキーワードは、まさに当時の社会・文化の一面を強く映し出したものである。
    当時の(東京の)若者の流行や消費文化を描いた象徴的な文学作品としては、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』(1980年)が思い浮かぶが、ユーミンの歌は、そこに登場する若者の等身大の心の内を代弁したものとも言えるのかもしれない。
    更に、本書の特色の一つとして、著者自身がユーミンと同じ女子中・高出身(ユーミンは立教女学院から多摩美術大学へ進んだ)ということがあり、考察における具体性・リアリティを高めている。
    ユーミン・ファンは言うまでもなく、当時の社会文化に関心がある向き(特に、当時をリアルタイムで生きた世代)には、興味深い一冊と思う。
    (2025年5月了)

  •  タイトルの「ユーミンの罪」とは何か?あとがきまで読めば判明するが,松任谷由実さん本人はおそらく,「私,何か悪いことしたかしら?」と苦笑するだろう。
     著者のように,ユーミンに「救われてきた」人も,そこまでとは言わずとも,多少なりユーミンの曲を知っている人にも,読みやすい新書である。著者自身は,1970年代の荒井由実時代からユーミンソングを聴き続けてきただけに,歌詞の解釈には40年の熟成感を味わえる。
     その的を射た表現として,「助手席性」という言葉がある。著者によると,それは「ある行為を主体的にする人がいる時,「その行為に参加はしないが,賛同し,共にいる」という姿勢」(64頁)だという。「ロッヂで待つクリスマス」のほか,「中央フリーウェイ」や「ノーサイド」など,80年代の発売曲に登場する女性は,こうした「助手席性」を備えている。ユーミンソングのいま一つのキーワードは「つれてって」(103頁)である。そして,その最高峰が「恋人はサンタクロース」にある点は,人口に膾炙するところである。こうした外見的には受身の姿勢を見せながら,内面的にはオトコとのリードを駆け引きしている女性像は,その結末が幸福であれ,不幸であれ,『逆演歌』(237頁)なのだという。
     著者は1991年に会社を辞め,無所属となる転機を迎えると,1990年代には「ユーミンのアルバムを以前のように追わなくなった」。このため,本書の解説は,同年発売の「DAWN PURPLE」をもって終了する。その理由として,「ユーミンの歌というのは所属している女」のための歌」であり,「何らかの集団に所属し,守られている女性が聴くべき歌」(270頁)であるからこそ区切りをつけたかったというニュアンスを残す。ただ,ユーミンの90年代はメディアとのタイアップを強化し,J-POPに組み込まれていく時代でもあった。そういう点では,ユーミンソング自体も,バブル崩壊後の時代に適応した「何らかの集団への所属」を求めていたのかもしれない。

  • 一番の収穫は…ってこともないか、一番驚いたのは、

    酒井さんが中高とユーミンの後輩にあたるということ。



    酒井さんの通っていたのは女子中高で、

    それこそ“遠吠え”する人が多いという話がよくエッセーで出てくるのだけれど、

    早婚のユーミンがその女子中高出身!



    酒井さんとほぼ同世代の私ももちろんユーミンに親しんで生きてきたのだけれど、

    酒井さんほど全部を聴いていたわけじゃないんだな~ってわかった。

    そして私はどちらかというとオフコース方面へ走ったんだったよなあと懐かしく思い返したりして。



    この酒井さんの本ではユーミンの歌詞と時代背景などを重ね合わせて、詩の意味、歌の存在意義を紐解いていく感じが面白かったけど、もっと私がユーミンの曲を知っていたら、

    もっともっと楽しかったに違いない。どんなジットリした内容もユーミンはさらっと仕上げる除湿機能を持っている…というような解説にナルホドと思う。



    ということで、同じ感じでオフコース版も酒井さん出してくれないかなあ。

    絶対(世代的に)聴いていたと思うのよね。

  • この本が主張する「ユーミンの罪」とは、
    時代に求められたユーミンの楽曲がバブル期の時代と重なり、
    当時の20代~30代女性の恋愛観に、
    良くも悪くも多大な影響を及ぼしたということ。

    自分は著書にも書かれているような松任谷時代よりも
    荒井時代が好きなタイプの一人。
    荒井時代のもっと彼女の内省的な音楽観が好き。

    松任谷時代に入ると、現在でのAKBやEXILEのような
    ユーミンのプロジェクト化が進行して、
    その時代の世相に沿った作品を年末にリリースするようになった。

    これはユーミンに限らずサザンもそうなんだけど、
    彼らはリスナーの想いを引き受けることを選んだ。
    自分の出したいオリジナリティや
    自分の趣味嗜好のプライオリティを下げて、
    みんなが共有できる、みんなが好きなものを歌うこと。
    個の追求よりも王道を求められたこと。
    それを任務として責務として担がされてしまったことが
    彼女にとっては不幸だったと思うんだよな。

    次回は「ドリカムの罪」をぜひ読んでみたい。面白そうだ。

  • 初めのうちはすごく面白く、感心して読んでいました。
    長く活躍し続けているユーミンと時代性との解説。
    さすが鋭いなぁとふむふむ頷いていたのですが、中盤あたりからリタイアです。
    最後まで読みきれませんでした。
    なんだかおなかいっぱいになってしまいまして…。
    微妙に飽きがくるというか、一度に読むと食傷気味です。
    1週間に1章ずつ、酒の肴のようにして読むのが良いのかもしれません。
    ユーミンの歌詞を読み解いている作者の視点や目線が絶えず掲げられ、もういいやと思った。こんなこと書いてひんしゅく買いそうです。
    自分ひとりでユーミンの曲や当時の空気を回想したくなりました。

  • 題名からユーミンが悪そうですが、韻を踏むことが目的だったのでしょう。
    酒井順子さんはユーミンの熱烈なファンだったのです。
    ユーミンは順子さんの母校の大先輩でもあります。(13学年違い)

    この本では「社会」「ユーミン自身のこと」「ユーミンの詩」「順子さん」の四つが絡まりながら描かれています。
    すごく面白かった。ユーミンの歌を全然知らなくても楽しめます。

    「卒業写真のあの人」については、ユーミンの後輩ならでは。笑った。

    あ、ひとつ、自分特有の感想を書いておこう。

    「ラグビー選手の彼女」というシチュエーションに憧れた、1984年当時ユーミンを聴いていた女性たち。
    順子さん曰く
    >「私だけがあなたを待っている」って何て気持ち良さそう…と18の私はよだれをたらしたものです。

    時代の違いなのか、あるいは彼女たちが女子高出身だからか?
    ここを読んだ共学出身の私にとってラガーの思い出とは。

    私は高校のとき水泳部だったのですが、ある時、雨後のグランドで練習を終えたラグビー部の連中が「プール入らせてください」とやってきました。
    もちろんお断りしました。
    そしたら奴ら、私たちが帰った後、勝手にプールに入ったんですよ!ひどすぎる!

    女子高に行ったらそんな彼らも素敵に見えたのかもしれません。
    そういえば自分が短大のとき、そういう雰囲気あったかも…。

  • 酒井順子さんなので、一応エッセイと分類してみた。

    辛辣で切り口鋭い酒井さんに、私の大好きなユーミンがどう味付けされるのか、はたまた褒め殺し?もしくはメッタ斬り・・・様々な予感にうち震え、手に取った新書。感想はふつう。

    ふつうに時代を追った、アルバムに沿った解説書。
    ユーミン大好き、酒井さん大好きなのにその融合はふつう。

    期待が大きかっただけにもう読み直そうとは思わない。
    ユーミンの音楽は繰り返しくりかえし聴けるのに。

  • 最近ネットでいろいろ批判されるユーミンについての13年前の論評。後付けで考察すると、時代を牽引していた人であることが理解できる。
    ただ、その時代において現在進行形でユーミンを聴いていた当時は深い考察はできなかったことがわかる。著者自身が認めている。

    後付けではどうにでもなる。とは言え、一つ一つの曲の考察は面白い。

    最近のネットでの批判もクレーマー的なものと感じた。

    読了60分

  • 1番聴いていたユーミンのアルバム。1歳違いの酒井氏の切り取り方、すごく近い感覚。うんうん、とうなずいたり、あぁそういうことだったんだ、と気持ちを言語化してもらったり。

  • 刹那の快楽を積み重ねることによって永遠を手に入れることが出来るかもしれないと夢想するようにさせたい罪。

    ユーミンの歌詞からその世界観、世界の切り取り方をこれでもかと説明する。

  • ふむ

  • 第12回ビブリオバトルinいこま テーマ「Anniversary」で紹介した本です。
    チャンプ本。
    2013.12.22

  • 論拠に無理がない。ほんとそう! と首肯。
    自分が松任谷由実になってから聴かなくなった理由もわかった。
    彼氏のスペックが女子のヒエラルキーに直結する現実の気持ち悪さをユーミンの曲(歌詞)から感じたのね。
    りっぱな論文でした。

  • 3.5 松任谷由実の解説本。彼女の功績をアルバムごとに分析している。従属的女性の生き方からの脱却を果たしたというように読める。恋愛が人生の全てではない。そう思う。人生を彩ってくれるものではあるけどね。

  • 曲の深読みは、ちっとも面白くなかった。
    好きな曲もその感じ取り方も人それぞれだからね。

  • 1023

    これユーミン分析本だけどそれと同時に、今を生きる女性達の価値観の変遷も見れてほんとに良かった。例えば、私の60歳の母がユーミン世代なんだけど、その前はお見合い結婚が普通だから恋愛という概念すら無かったに等しかったらしくて、そこに衝撃受けた。

    そのまま提供されたら死ぬような女性の内面の醜さを解毒して除湿して提供してるってわかる。悪いものを見て見ぬふりして綺麗事言わない所がいいよね。

    酒井 順子
    エッセイスト。1966年東京都生まれ。立教大学卒業。2004年『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。『そんなに、変わった?』(講談社)、『泡沫日記』(集英社)、『下に見る人』(角川書店)など著書多数。

    ユーミンの罪 (講談社現代新書)
    by 酒井順子
     それまでの日本の歌にも、死を扱ったものはあります。たとえば、ユーミンのデビューと同じ年にレコード大賞を受賞したのは、ちあきなおみの「 喝采」であるわけですが、こちらもまた死を扱った歌。今なお人々の記憶に残る名曲「喝采」は、昔の恋人の死の後もステージに立ち続ける歌手の心情を歌ったもの。愛する人の死の悲しみを胸に秘めつつステージ上で喝采を浴びる歌手の胸の内が伝わる、哀歌です。  対して「ひこうき雲」が扱う死は、胸の奥に溜るような哀しみを伝えません。死が、軽やかなのです。ほとんどお洒落と言っていいほどに。

    ユーミンは、「瞬間」を歌にする人です。ストーリーやイデオロギーや感情そのものを歌にしていくのではなく、感覚であれ、具体的な事物であれ、一瞬「あ」と思ったこと、一瞬強力に光ったもの、その瞬間を鋭い刃物で切り取り、すくい上げる。そして「あ」という感覚や光の強さやらを薄めないよう、極度の慎重さをもって、歌に仕立てていくのではないか。

    何かを訴えるのでもなく、伝えるのでもなく、ぶつけるのでもなく、シチュエーションをそのまま提示するのが、ユーミンの歌。つまりは面や線ではなく「点」だけを示すそのやり方こそが「ニュー」だったのではないか。

    「日差しがこうだとか、波の具合いがこう」(同) といったシチュエーションは、幸福な人しか切り取ることができないし、また幸福な人しか享受することができないものです。喰うや喰わずの人にとって、日差しとか波とかの具合いなど腹の足しにもならぬでしょうし、健康でない人にとっても 然 り。すなわちユーミンの歌は、平和で満ち足りた世であるからこそ誕生し、そして人々に受け入れられていったものではないでしょうか。

     ユーミン自身も、豊かに育ちました。生まれは、東京・八王子。大正元年に創業された、荒井呉服店という 大店 のお嬢さんです。  八王子市は、都心から見ると、中央線の奥の方という印象がある地です。「中央線で西に向かうと、『じ』がつく駅がくる度に気温が一度ずつ下がる」と言われていますが( 高円寺、 吉祥寺、 国分寺、八王子)、確かに八王子の駅を降りると、近づいてきた山の冷気がひやりと感じられるような気がするもの。

    荒井呉服店は、八王子駅から甲州街道に出た 辺りに今も存在しています。近くには「八日市宿跡」という石碑があり、この辺りはかつて宿場町だった一等地。荒井呉服店の他にも、人形店やお茶屋さん、 鞄 店といった昔ながらの専門店が周囲にはあり、古い町であることがわかるのでした。

    シャンデリアが下がる吹き抜けを見下ろしつつ階段を昇れば、広い座敷があって、 「奥様、こちらなどよくお似合いになりますよ」  などと 反物 を広げたりする場所。実際、私が行った時は、若いお嬢さんが成人式用と思われる振り袖を 誂えていました。今は着物を着る人が少なくなりましたが、きっとかつては多摩中の裕福なご婦人達が、ここで華やかに着物を選んだのでしょう。

    八王子というと、都心から見るとちょっと遠めのベッドタウンという印象があるものですが、実はここは古くから栄えていた町であり、その町の一等地に立つ 老舗 に生まれたのが、ユーミンでした。そして実家のお商売は、呉服店。ファッションに対する感覚も、幼い頃から鍛えられたに違いありません。  大店のお嬢さんは、鋭い感性の持ち主でした。 「子供の頃、春の晴れた日、空気のなかの光のつぶつぶまでが見えていた記憶があります」(「an・an」連載「ユーミンの永遠を探せ!」)  とユーミンは書きましたが、光のつぶつぶを見ながら、少女・ユーミンは、つぶつぶを見ている 刹那 の自分を切り取る客観性をも持っていました。

    「刹那」とともにもう一つ、ユーミンにとってキーワードがあるとしたら、「永遠」ではないかと私は思います。デビューシングルのB面曲「空と海の輝きに向けて」には、 「この人生の青い海原に  おまえはただひとり帆をあげる  遠い波の彼方に金色の光がある  永遠の輝きに命のかじをとろう」  という詞がでてきます。  少女は、永遠の方向に向かって、かじを取っています。たいていの少女が、まだその刹那刹那でしか生きていない年頃に、一人の早熟な少女は、誰よりも刹那の重要性を理解しながらも、遥か彼方にある永遠を夢見ていました。

     刹那を切り取り、積み重ねていくことで、永遠を目指す。そんな意識が込められているような気がする、ユーミンのごく初期の歌。そしてその姿勢は、今もなお精力的に活動を続けるユーミンの中に、生き続けている気がしてなりません。

    ユーミンは女性達にとっての、パンドラの箱を開けてしまったのです。ユーミンという歌手が登場したことによって、成長し続ける日本に生きる女性達は、刹那の快楽を追求する楽しみを知りました。同時に、「刹那の快楽を積み重ねることによって、『永遠』を手に入れることができるかもしれない」とも夢想するようになったのです。

    日本の若い女性達にそのようなうっとりした気持ちを与えたのは、ユーミンの大きな罪です。刹那と永遠、両方を我が手に抱こうとした女性が大量に出現したことは、世の中にも少なくない変化を与えたのだと思う。

    今思えば、ユーミンが見せてくれた刹那の輝きと永遠とは、私達にとって手の届かない夢でした。しかしその時、それらはあまりにも甘く、魅力的に見えたのです。歌の世界に身を委ねることによって、私達は今よりももっと素敵な世界に飛んで行くことができましたし、未来もずっと「今よりもっと素敵な世界」が続いていくように思えたのですから。

    私がユーミンという歌手に目覚めたのは、中学二年か三年の頃でした。私が通っていた学校はユーミンの出身校であり、ユーミンは誰もが敬愛するOG。中学生になると、お姉さんがいる友人からユーミンのカセットテープなど借りて、「お、おしゃれ……っ」と、うっとりしながら聴いたものです。

    「MISSLIM」が出たのは一九七四年ですが、そんなわけで私がこの歌を初めて聴いたのは中学生になってから、つまり一九八〇年くらい。  東京の中学生にとって、横浜方面のどこかにあるらしい「山手」は、未知の場所でした。山も海も無い東京内陸部に住む我々にとって、「海が見える高台にある店」は、夢のように洒落たシチュエーション。「私達も大人になったら、そんな店に行ってみたい」と夢想しつつも、「しかし私はきっと、大人になってもドルフィンに行くことはないだろう」という予感も、持っていました。

    「MISSLIM」は、ユーミンの二枚目のアルバムであると同時に、四枚ある荒井由実名義のアルバムのうちの二枚目ということにもなります。「MISSLIM」とは、「MISS」と「SLIM」を合わせた造語だそうです。今でもユーミンはスタイルが良いわけですが、若い頃も、さぞかししゅっとしていたのでしょう。

    最初のアルバム「ひこうき雲」と二枚目の「MISSLIM」、この辺りは、ユーミンにとってのいわばファースト・ドリップです。ものを作る人間は、ごく初期の作品に、それまでの人生において 溜めていたものを全て出すのであり、そこには「その人らしさ」を形づくる要素が凝縮されているものです。

    ユーミンがここに「ドルフィン」という店の名を出したのは、何故なのでしょう。曲の中に固有名詞を出すのは、この時代極めて珍しい例であったかと思われます。固有名詞はイメージを限定するため、不用意に使用すると詞の世界を狭め、平板化する恐れがありますし、どの固有名詞を選ぶかは、センスが問われるところ。

    その後のキャリアにおいても、絶妙な固有名詞遣いを見せるユーミンは、このアルバムにおいて二つの固有名詞を使用しており、一つが「山手のドルフィン」、そしてもう一つが「フランソワーズ」という人名。「私のフランソワーズ」という曲名にもなっているこの人名は、フランスの歌手であるフランソワーズ・アルディのことなのでした。

    ドルフィンは、ユーミンがよく行っていた店の名です。ユーミンは中学・高校時代からキャンティだの 立川 や 横田 のベースだのへ出入りするという、当時としては最先端の遊び方をしていた人。「MISSLIM」は、ノースリーブのシックなドレスを着たユーミンがグランドピアノの前に座っている写真がジャケットになっていますが、このピアノは「六本木の女王とかいわれてた、キャンティの梶子さん」(キャンティの創業者夫妻の妻)のピアノだし、

    「あなたを思い出す この店に来るたび」  で始まる「海を見ていた午後」は、別れの歌です。「ソーダ水の中を 貨物船がとおる」という歌詞も印象的で、ユーミンゆかりの地を詣でる人々は、この店で必ずソーダ水を頼むわけです。ソーダ水は、「小さなアワも恋のように消えていった」という歌詞、すなわち若き日のうつろいやすい恋の「 泡沫」感を引き出すのに、最も適した飲み物であったということでしょう。

    この歌の中で私にとってもう一つ印象的な歌詞は、 「あのとき目の前で 思い切り泣けたら  今頃二人 ここで海を見ていたはず」  という部分です。普通の女性であったら泣くであろうシチュエーション、おそらくは別れの場面において、この歌の主人公は泣かなかった。その場面で「別れたくない!」とか「死んでやる!」と言って泣いていたら、主人公は一人でソーダ水を飲むことはなかったのです。

    「泣かない女」は、演歌の世界でも好んで歌われてきました。が、演歌の中の泣かない女は、たとえば美空ひばりの「別れの宿」において「倖せでしたと目をとじて甘えてみたい夜明けです 泣かないわ 泣かないわ ひとりでも」と歌われたように、本当は泣きたいのに、意地…

    対してユーミンの歌における泣かない女は、ダサいから泣かないのです。別れの瞬間という、誰もが泣く場面において泣くという当たり前さを、格好悪いと感じる。そこで泣く方が、女としての戦略上は得なことがわかっていても、その得はあえて取らないスマートさを選んだのが、ユーミン世界における泣かない女。  ダサいから泣かないという女は、この時代、新しい存在…

    「自分はおそらく、ドルフィンに行くことはないであろう」という中学時代の予感は的中し、私は山手のドルフィンでデートなどすることのない青春時代を過ごしました。今回、ユーミンの軌跡を辿るために初めて行ってみると、ドルフィンの最寄り駅は、JR根岸駅。  ここは、根岸線の駅であるとともに、貨物駅でもあります。駅南側には製油所があって、石油を運ぶタンク車がたくさん停まっているという、貨物好きにはたまらないだろうけれど、全く情緒的ではない駅。

     ユーミンは、高校卒業後に美大に進学しました。そして「卒業写真」の主人公もまた、高校時代とは全く違う環境に身を置き、夢中で数年間を過ごした女子大生なのだと思います。化粧やお洒落、恋も覚えたことでしょう。大学進学率が急ピッチで上がるのと反比例するかのように、「結婚まで処女は守る」といった考えの女性は激減していった時代なのです。

    「卒業写真のあの人はやさしい目をしてる」  という、「あの人」を主人公は眺めます。おそらく既に処女ではない主人公は、彼を「町でみかけたとき 何も言えなかった」のです。それは、「卒業写真の面影がそのままだったから」。変わっていない彼に対して、自分は色々な意味で変わってしまっていたから、話しかけられなかったのではないか。

    「卒業写真」の主人公を、この時のユーミンと同じ二十一歳だと考えてみると、高校時代を振り返りたくなる感覚は、おおいに理解できます。高校を卒業して新しい環境に入ると、しばらくは慣れるのに必死であったり、モテることに有頂天になったりで、過去などどうでもよくなるのです。が、三年ほど経った時、ふと我にかえって、振り返りたくなる瞬間がある。私達も、高校卒業後に初めての同窓会を開いたのは、大学三年の時だったものです。

    「COBALT HOUR」の最後の曲は、「アフリカへ行きたい」。その名の通り、未だ見ぬ地への憧れを描く曲です。近過去への郷愁や、ちょっとした不幸。そういったほろ苦さをも楽しむことができる大人の味覚を既に持っていたユーミンではありましたが、その視線は若者らしく、さらに遠くの地へと向かっていることがわかります。過去も不幸も、旺盛に 咀嚼 し消化しながら、ユーミンの飛躍は、まだまだ続くのです。

    ユーミンは、家業が呉服店ということのみならず、小学校から中学にかけての頃に 清元 の三味線を習っていたことがあり、江戸の粋な文化に対する親しみを持っていました。だからこそ「小唄っぽい」と感じた台詞に対して「あ、これいいな」と思った。

    歌謡曲であれ演歌であれ、日本の歌における女の姿は、男から選ばれることを欲する女であり、男を待つ女であり、受動的な女でした。「 14 番目の月」の二年前に出た山口百恵「ひと夏の経験」では、「あなたに女の子のいちばん 大切なものをあげるわ」という歌詞があります。「女の子のいちばん大切なもの」とは、当時は処女性を暗示したわけで、「それを自分からあげるとは!」と、その大胆な自主性がおおいに話題になりました。  が、歌詞をよく読んでみると、その処女性は「愛する人に捧げるため守ってきた」もの。「こわれてもいい 捨ててもいい」と、やぶれかぶれの姿勢も見えます。この歌の作詞者は男性なのであり、男性から見た「女の子からこんな風に処女を差し出されたらグッとくるだろうな」という欲望の歌であると言えましょう。

    「月影の道で急に車止めないで  ドキドキするわ」  ということで、ハンドルは男性が握っている。この歌における女性は、自主性は手に入れているけれど、男性が運転する車の助手席に乗っている。つまり、進む方向の決定権は、男性に委ねているわけです。  ユーミンの歌には、車やドライブといったモチーフがよく使用されています。それらの歌は、どれも男性が運転し、女性が助手席に座るというスタイルを想像させる。  この時代、運転という行為は主に男性がするものでした。警察庁の運転免許統計によれば、アルバム「 14 番目の月」が出た一九七六年、運転免許保有者の男女比率は、男性七六・七%に対して、女性は二三・三%。女性の免許保有者は男性の三分の一以下でした。  今、運転は男性の行為ではなくなっています。小さな子供を持つお母さんにとって車は必需品ですし、地方に行けば男女関係なく、車が無くては生きていけない。軽自動車を女の子が運転し、助手席に男の子を乗せているという姿も、しばしば見ます。ちなみに二〇一〇年度の統計では、運転免許保有者の男女比は、男性五六・一%に対して、女性四三・九%。

    その彼」とは、よくパーティーをやっていた「立教の男の子」。そして前章で記した通り、ベレGそれも白というのは当時、相当イケていた車。ユーミンは、「クルマ持ってる子とじゃないとつき合わな」い女子高生であり、白のベレGを親が買い与えるような男の子と、遊んでいたわけです。

    それは、とても贅沢で洒落た青春であるわけですが、しかし「クルマを持ってる子」という選択肢はあっても、「自分で運転する」というところまで、その選択肢は広がっていませんでした。どの助手席を選ぶか、そして助手席から運転席にいる男性にどのような指示を出すかが、当時の女性にとって、選択の幅の限界だったのです。

    そんな〝助手席感〟とでも言うべき感覚を象徴する歌が「 14 番目の月」には入っていて、それが「中央フリーウェイ」。将来の夫である松任谷正隆氏はユーミンのデビューアルバムの頃から共に仕事をする間柄であり、やがて二人は付き合うようになったわけですが、車好きとしても知られる正隆氏は、八王子の家までユーミンを車で送ることがしばしばあり、プロポーズも車の中だったとか。

     この、八王子までの距離というものもまた、ユーミンの世界には大きくかかわっています。都心から距離があったからこそ、ユーミンはきらきらしい都会の風俗を客観視することができた。同時に、都心から距離があったからこそ、若い頃にはシンデレラのように懸命に遊ぶこともできたのではないか。  何かの中心にいる人は、案外とその「何か」を表現しようとは思わないものです。たとえば平安貴族の生活を物語や随筆に描いた紫式部や清少納言は、都の貴族の生まれではあるけれど、時を得た家に生まれたザ・お嬢様ではなく、二流くらいの家の生まれ。中心に所属はしている、けれど彼女達はド真ん中からは一歩離れた所にいたからこそ、 帝 を中心とした貴族の生活の光と影をよく見ることができたのです。

    そしてユーミンも、結婚するまでは東京の西の端である八王子に住んでいたわけで、その中央からの距離感が、もともと 怜悧 であった少女に、客観性とガッツを与えました。ですからユーミンが都会性を表現する巧みさは、その地理的条件によるところも大きいのだと私は思います。一時間くらいかけて渋谷に行ったりするのがとてもうれしかった、と『ルージュの伝言』にはありますが、その十五分でもなければ三時間でもないという渋谷までの距離が、表現力と表現欲求とを 育んだのではないか。

    ユーミンというと、自立した強い女性であり、時代の開拓者というイメージがあります。しかし彼女は、単独でツルハシを握って世を 拓いてきたわけではない。パートナーが常に存在し、 舵取りをするパートナーの助手席にいながら開拓を続けたからこそ、その姿勢は痛々しくならなかったのです。ユーミンファンの中には、その助手席感に共感する女性も多かったのではないでしょうか。

    ユーミンの助手席感は、その名前にも表れています。結婚後、ユーミンは荒井由実から松任谷由実に名前を変えました。「翔んでる女」という言葉が流行したのは「 14 番目の月」が出た翌年ですが、この時代、旧来の家父長制的抑圧から離れ、自由を求める女性像が新しく見えたわけです。そんな中でユーミンはあえて、夫の名字を名乗った。そんなユーミンを見て、「助手席で、いいんだ」と自信を持った女性も、多かったのではないでしょうか。

    翔んでる女が流行る中で、若くして結婚した後に夫の姓を名乗る歌手は、かえって新しく見えたことでしょう。その新しい姓が「重みが ありっぽい」ということはかなり重要なことで、もしも平凡な名字やダサい名字であったら、ユーミンという歌手の行く末は違うものとなっていたのではないか。

    それは、スキーやサーフィンをしている彼が好きというより、スキーやサーフィンをしている彼を持つ自分が好き、という感覚です。スキーやサーフィンのみならず、「スポーツカーに乗る彼を持つ私」でもいいし、「××大学に通う彼を持つ私」でもいいのでしょう。どのような彼を持つかによって自分と自分の青春との価値が決定するが故に、女性達は車種や大学名やスポーツといった、彼に付帯する状況を厳しく選ぶようになってきました。

    強い助手席性を持つ女性達は、無理矢理車に乗せられたわけではありません。自分で車は運転しないにせよ、どの車の助手席に乗るかは、自分で選ぶ権利があった。恋愛と自己愛とが分ちがたくなってきたそんな時代背景を、ユーミンは捉えているのです。

    「埠頭 を渡る風」はやはり「流線形'80」の中の有名な曲ですが、こちらは男女が車で埠頭( 晴海 がイメージされているらしい)に行く、という曲です。風を感じさせるスピード感のある曲調で、出だしは、 「青いとばりが 道の果てに続いてる  悲しい夜は 私をとなりに乗せて」  というもの。  やはりここでも、女は助手席にいます。

    ユーミンの歌う世界が、全てあっさりしているわけではありません。そこには恨みも嫉妬も涙もたくさん登場します。それどころか、「OLIVE」には飛び降り自殺の歌まで入っているのであって、それが「ツバメのように」。 「もう会えない 彼女の最後の旅  サイレンに送られて遠ざかる  誰かが言った あまり美人じゃないと  ハンカチをかけられた白い顔を」  という出だしの歌詞を読むだけで、それはまさに飛び降り自殺の歌。がしかし、 「薔薇のように 舗道に散った 汚点 を  名も知らぬ掃除夫が洗っている」  などという歌詞すらありながら、この曲はお洒落なのです。ほとんど軽快ですらある。そう、ツバメのように。

     フランス語で歌われた「あまり美人ではない女の飛び降り自殺」を、ユーミンは自分の手法で切り取りました。才能豊かなアーティストは、瞬間を切り取る手法に他と異なるセンスを見せるわけですが、ユーミンもまた然り。

    若い女、それも「あまり美人じゃない」女の飛び降り自殺というのは、陰惨な事件です。同じ題材を使用してフォークを作ったとしたら、重くて暗い、どんよりとした歌になることでしょう。社会を、そして女を死に追いやった男性を糾弾するような空気をまとったかもしれません。  対してユーミンは、自死にも「美しいか否か」という観点を持ち込みました。「すごく消極的なきれいな死」「それが飛び降りだと思うわけ」(同) としているのです。

    ユーミンは、「湿度を抜く」ということに対して天才的才能を持っています。人生における最もウェットな出来事である「死」、それも自死という重すぎる状況からも、湿度と重みを取り去り、一幅の絵のような歌として仕上げることができる。

    セックスのベトつきも除去

    この歌は、非常にカラッとした印象をもたらします。日本の海というと、湿度が高いために潮がベタつき磯くさい、というのが実情であるわけですが、そんな感じはみじんもありません。ハワイのようなサラリとした空気感がそこに流れるのは、やはりユーミン独特の除湿機能のせい。  そしてユーミンの除湿マジックが最も効果的に働くのは、性的な部分においてではないかと、私は思います。「稲妻の少女」にしても、彼女は性的に開放的なタイプ、すなわち後世の言葉で云えば「ヤリマン」であるわけです。しかしそこにただれた感じが漂わないのは、「コーラの空びん」とか「スラローム」といった単語により、性的奔放さが薄められているから。「自主的にしているのであって、されているのではありません」(すなわち「ヤリマン」ではあるが「サセ子」ではない)という意志も感じられますし、悪いことだとも思ってない雰囲気も漂います。

    この、あけすけすぎる感覚がかえって、ユーミンの歌から性的な臭いを無くしているような気もします。性的なことがらというのは、あけすけに語られるよりもじっと内に秘めて溜めている方が、かえって濃厚なエロさをしたたらせるのではないか。  衣服にしても、露出度が高かったり身体にぴったり密着した服は、かえってエロくないものです。それよりも、着物姿の人の 脛 がチラ見えした時の方がどきっとしたりするもの。

    それは一つに、ユーミンがとてもスタイルの良い女性だからという理由がありましょう。ひきしまった肉体よりも、どこかだらしない肉体の方が、うんとエロいもの。ユーミンの肉体には、そういった生活感漂うエロさがありません。

    日本の風景、そして文化には、全て湿気がついて回ります。雨上がりの水蒸気がまとわりつく低い山、朝方に霧に覆われる河、などというのはとても日本的な光景だと思う。  ユーミンが住んでいた八王子もまた、霧のかかる場所であったようです。そして初期のユーミンも、グルーミーなすなわち 陰鬱 な空気感を、好んで歌にしていました。  しかしユーミンの歌からは次第に、湿った暗さが消えていくような気がするのであり、そのきっかけの一つが結婚であったのではないかと、私は思います。

     霧を楽しんでいたユーミンは、大人になるにつれ、少しずつ湿度を除去していく技を身につけます。大人になるということは湿度に耐えられなくなることなのかもしれず、ユーミンが作り出した日本には珍しい低湿度の世界を、大衆は喜んで受け入れるのです。

    数年前、上水ぞいの小径で一緒に絵を描いていた友人が、今は個展を開くまでになっている。対して、この歌の主人公は結婚をしたのかもしれません、幸せだけれど平凡な人生を送っている。個展のお知らせの葉書がもたらすものは、祝福の気持ちに混じる、ちょっとした寂しさと 悔恨。  この、「あの頃は皆一緒だったけれど、今はばらばら」とか、「今は一緒にいるけれど、そのうちばらばらになるでしょう」といった感覚は、ユーミンの歌によく見られるものです。「卒業写真」「最後の春休み」にしても然り、「COBALT HOUR」「カンナ8号線」といった元彼ソングも、その系譜に連なるのではないか。

    ユーミン本人は、どこから見ても特別な人ではありますが、心の中には秘かに、「平凡な人」を飼っている気がしてなりません。と言うより、時にアバンギャルドであったりアナーキーであったりという精神的扮装をこなすユーミンではありますが、心の中心にはとても平凡で、という言い方に語弊があるのであれば、常識的で、保守的な芯がある。そうでなければ、どうして普通の女性達の気持ちを捉える歌を、これほど大量につくることができましょうか。外は革新、中は保守。この二層構造が、ユーミンの武器。

    そして今、新しい女にも古い女にもなりきれない二層世代の女性達は、股裂き状態をこじらせています。我々が今、ユーミンの昔の歌を聞いてじーんとするのは、まだ女性の中で二層がぴったりとくっついていた時代に対する郷愁のせいでもあるのでしょう。

    この、祭の終わりの虚脱感や 寂寥 感を表現するのが、ユーミンはすこぶる上手です。その手の感覚は様々な歌になっていますが、「昨晩お会いしましょう」では、特にその感覚が強く表現されているように思います。

    私は、遊び人がいた時代を懐かしく思い出す者です。付属校上がりで受験をしなくて済むので高校時代から遊びを覚え、親も小金を持っているのでお金の苦労をしたことがない。そんな都会の若い遊び人達は、「街角のペシミスト」のようにペシミスティックになることなく、生き生きと祭の中で生きていました。

    自分に自信が無い女の子が主人公なのは、この歌ばかりではありません。ユーミンの歌というと、 颯爽 とした格好いい女性が主人公というイメージがありますが、それぞれをよく聴いていると、歌の主人公達は、自信満々なタイプばかりではない。容姿についても然りで、ユーミンの歌はブスに優しいのです。  その辺りは、ユーミン本人の容姿とも関係があるのでしょう。……というとかなり語弊があるようにも思われますが、これはユーミン本人が言っていること。『ルージュの伝言』には、 「私は本当にブスだったからさ、」  という言葉があるのです。 「まあ、ブスだったからって、今はなんか、顔は精神で作るもんだとか思ってるし、化け方もいっぱいあるから人前に出て恥ずかしくないぐらいには洗練はされたと思うんだけど」  と続くわけですが、既にカリスマ的人気を獲得していたユーミンのブス宣言は、大胆な行為に思えます。しかし、〝ブス性の客観視〟は、ブスに気付かないフリをするよりも、ずっと知的な姿勢でした。ブス性を自ら認めることにより、ユーミンはさらに「格好いい」と女性達から思われたのです。

    このようにユーミンは、女性の外面および内面の醜さに対して、見て見ぬフリをしない人でした。嫉妬心など持ったら負け、とでも言うかのように前向き姿勢が礼讃される今時の歌を見ていると、「スキーって、楽しいよね」という感覚と同じくらいあっけらかんと、「嫉妬って、するよね」と表現するユーミンの歌の存在が、いかに貴重であるかが理解できます。  嫉妬がテーマの歌であっても重苦しくならないのは、メロディーやアレンジのせいのみではないのでしょう。ユーミンは、「嫉妬って、するよね」とは歌っていますが、「嫉妬って、苦しいよね」とは歌っていません。女性達が、 「そうそう」  と軽くうなずくことができたのは、その苦いけれど苦すぎないという、味付けのせい。「醜さ」という感情を扱う時も、まるでフグの 肝 を扱う料理人のように、決してつぶさず 一塊 の物体として扱う職人の技がそこにはあるのですが、「フグの肝って、食べられるのね」と思ってさらに箸を進めた結果、地獄のような苦しみを味わってしまった女性もいたのではないかと、私は思うのです。

    八〇年代は、目に見える世界を豊かにすることが大切、という時代でした。できるだけ素敵なものを、できるだけたくさん所持したい。できるだけ条件の良い素敵な人と、恋愛したい。まさにそれは物質的な時代であり、私達は物質的豊かさが与えてくれる楽しさを、疑うことなく 享受 していたのです。  ユーミンは、そんな物質的に豊かな社会を象徴するようなミュージシャンであると見られていました。スキー、サーフィン、ドライブ……と、ユーミンは若い男女に「素敵!」と思わせるライフスタイルを提示し、消費を牽引すらしたはずです。

     そういえば松田聖子さんが、交際していた郷ひろみとの破局を発表した会見において、 「生まれかわったら、一緒になろうねって……」  と泣き声で語ったのは、一九八五年のことでした。今考えると、もしかすると聖子ちゃんの発言にも、「REINCARNATION」の歌詞は、少なからぬ影響を与えていたのかもしれないと思うのです。

    未婚女性の友情は、誰かが恋におちている最中は、しばしば放置されるもの。その現象を見て、ホモソーシャル的な友情こそが真の友情と信じる男性達はしばしば、「女同士の間に、本当の友情は存在しない」などと言います。  しかし女性の友情は、もっと合理的なものなのでした。異性に夢中になっている時とか、子育てに没頭している時、元々あった女同士の友情がおろそかになりがちなのは事実ですが、女性は、「それはそれで仕方がない」と思うのです。何かに夢中になったり没頭したりする時期はやがて終わるわけで、その時に友情を再構築すればいいのだ、と。

    「男の友情こそ真の友情」と信じる男性達はしばしば、老後に友達がいなくて寂しい思いをするのでした。「真の」友情を求めるあまり彼等は友達を厳選し、異性との恋愛ごときでは揺るがない濃密な付き合いを続けます。しかし厳選した友人が他界してしまうと、一気に「友達がいない」という状況に。  対して女性は、多くの方向にゆるやかな友情の 紐帯 を持っています。恋愛、子育て、介護や 看取りといった「人生の一大事」に直面した時、一時中断する友情もあれば、共通経験を通じて深まる友情もある。そして女性は、自分達の老後には、中断をはさみながらもゆるく交際を続けてきた女友達と共に生きることになるのです。

    「ガールフレンズ」は、人生の前半における友情の再構築を歌っています。「恋愛に没頭するあまり同性との付き合いを無視する友人」が、高校生の時に初めて登場した時は、私も驚きました。「人はこんなにコロッと変わるものなんだ!」と。そんな人のことを「女より男を取るのね」と、腹立たしく見たこともあったもの。  しかし、その手の恋は熱病のようにすぐ終わること、そして自分もそんな熱病状態になることがわかると、「友情より恋愛を優先させる女友達」を、「どうせ病が治まったら戻ってくるし」と、温かく見守ることができるようになったのです。次第に、「男と別れてもまたすぐ…

    そんな中で、「女に好かれる女」のトップランナーとなった、ユーミン。中学・高校と女子校に通ったことによって、女子心の機微と「女子扱い」の手法を学んだということもできましょう。また女性の自立が進む中で、男に頼るだけが生きる道ではない、という気運も生まれてきました。「女同士」という、それまでは人生における 嗜好品 のようなものだと思われていた関係性が、長い人生においては意外に重要であるということに、女性達は気づくようになったのです。

    ユーミンには、異性に 媚びる姿勢が、ありませんでした。早くに結婚していましたので、媚びる理由もなかったし、また外見やファッションも、「かわいい」ではなく「格好いい」。何だかんだ言ったところで、ナチュラルストッキングの女が内股で立っている姿が日本の男性は最も好きなわけですが、ユーミンは常に、モード系ファッションで外股に立っておりました。

    このアルバムが出た頃は、松田聖子さんがアイドルとして大人気であり、「ぶりっ子」という言葉も流行っていました。ふりふりのドレス、引力に逆らうかのような聖子ちゃんカット、そして何かの賞をもらった時の泣き方まで、歌の上手さ(これは本物だった)以外の全てが人工的だった、聖子ちゃん。その人工感こそが、「異性に好かれる」ことを目的とした「ふり」だったから、彼女は「ぶりっ子」と呼ばれたわけです。  対してユーミンは、声の低さも、センスの良さも、容姿も、自然なものに見えました。聖子ちゃん的アイドルに夢中になっていた男子を横目に、「あんなぶりっ子がいいだなんて!」とカリカリきていた女性達は、ユーミンの媚びない格好良さと、女の世界の現実を描く歌に、共感したのです。

    やがて我が国では、女性が生きていく上での道が、「男に好かれる道」と「女に好かれる道」の二つに分かれることになります。男に好かれる道を歩む人は、早いうちに結婚して子供を産んで、専業主婦の道へ。対して、男に好かれるための「ふり」をするのがどうしても上手くできない人は、キャリアを重ねて、晩婚もしくは未婚の道へ。

    結婚しか生きる 術 が無かった時代の女は、あらゆる手を使って結婚をしました。その頃の独身者は、自分で努力しなくとも、親や親戚が相手を見つけてくれたのです。

    しかし恋愛結婚の時代、すなわち「異性にとって都合の良い存在でないと結婚できない時代」になると、人は努力無しでは相手を見つけられなくなりました。その努力のあらわれが、男性で言えばデートマニュアルであり、女性で言えばぶりっ子だったのです。

    競争の時代となると当然、落ちこぼれも出てきます。競争に破れ、疲れた人は、「男に好かれる」よりも「女に好かれる」というセイフティ・ネットに着地しました。何せ同性同士ですから、女友達とつるむのはラクだし、理解し合うのも容易。元々カップル文化が無い日本では、人は放っておくと同性同士で固まる傾向があるわけで、女同士でいても「レズ?」などと思われる心配も無い。さらにはユーミンも「それでいいのだ!」と応援歌を歌ってくれるとあって、大船に乗った気で「女に好かれる」道を進む女性が続出したのです。

    「たとえあなたが去って行っても」には、 「(ずっと)探す  (心の)Golden Treasure  (もっと)遠く  (ひとり)旅をする  そばにあなたがいないとしても」  という歌詞があります。

    この部分は、まさに「男よりも大切なもの」を探しに行った女性達の未来を暗示するかのよう。この歌を聴いて「そうなのよ!」と「Golden Treasure」を探しに旅立った結果、四十代となった今、「もしやGolden Treasureというのは、本当は結婚のことだったのではなかろうか?」と呆然と立ち尽くす人は少なくないのではないか。  もちろん、晩婚化の原因は、ユーミンの歌にだけあるものではありません。女性の高学歴化や社会進出、そして結婚を促進する外圧が無くなったことなど、様々な要素が絡まり合って、日本の晩婚化は進んだのです。

    対してユーミン時代の若者は、たとえ自分が一生メキシコには行かないことが予想されたとしても、「アカプルコのプールサイドでモテている自分」を想像することができました。たぶん我々は「マリアッチ」や「ソンブレロ」がどういうものかを理解していなかったし、ネットで簡単に検索することもできなかったのだけれど、異国情緒あふれるその言葉を耳にしただけで、メキシコにあふれる色彩は想像できたのです。情報が少ない方が、人間の妄想力は発達するのかもしれません。 「土曜日は大キライ」は、アカプルコよりもさらに妄想が容易な額縁ソングです。この歌は、「オレたちひょうきん族」のエンディング・テーマとして使用されたのであり、大ヒットしていたその番組の存在感との相乗効果で、ますますのポップ感が生まれました。

    統計があるわけではありませんが、ユーミンが結婚した辺りから、日本では「処女のまま結婚する」という女性は激減していったのではないかと、私は思っています。

    額縁ソングによる自慰行為

     妄想はまた、自慰行為のように習慣性を持つのです。素敵な舞台の主役として自分が立つ妄想をいくらしても、誰にも迷惑をかけないわけで、それは手軽にできる「気持ちいいこと」。数あるユーミンの額縁ソングは全て、ファンの女性達にとっては、「もしもこんなシチュエーションでこんなことをしちゃったら……、ああ素敵!」と思うための、自慰用ソングだったのです。  しかし妄想という名の自慰行為に浸りすぎると、現実世界に幻滅しやすいのでした。腰も軽いし尻も軽いという世代が、実は日本の晩婚化の道をつけていった世代でもあることを考えると、それは妄想のしすぎが原因だったのかもしれず、現在の少子化にもユーミンの影響は少なからずあるのではないかと、私は秘かに思っているのです。

    彼女達は、企業にとっては花嫁要員でもありました。事務仕事のためのみならず、若手男性社員と結婚したら会社を辞めて家庭で支えてくれるような若くてきれいな女性を供給するため、企業は短大卒の女性を採用していたのです。その辺りは、企業の利害と短大生の利害は完全に一致していたのであり、彼女達は結婚と同時に惜しげも無く会社を辞めていきました。  その後時代は変って、結婚程度のことで、せっかく就職した一流企業を辞める人はいなくなりました。また短大という業態も少子化等の影響で人気がなくなり、廃校になったり、女子大に転換したりするように。そして小倉さんは、この短大生パーソナリティについて、

    「月曜日のロボット」の、 「Rescue 私を Rescue 虚ろな  Rescue 迷宮から 救って」  という歌詞を見れば、彼女は、素敵な異性から「救われる」ことを夢見ていることがわかります。自分の力で状況を打破するのでなく、誰かがたらしてくれる救いのロープを、彼女は待っている。

    「オメデトウ 明日 晴れやかなミセス  名前変わるあなたがヒロインよ」  という歌詞で終わりますが、そこには「仕事も続けるのに名前を変えたくない」とか「なぜ女だけが名前を変えなくてはならないのか」といった、キャリアウーマン的もしくはフェミニスト的な心理はありません。名前が変わることが「ヒロイン」という感覚は、まさに短大生パーソナリティのそれ。

    男女が二人で歩いているだけでもおとがめを受けた時代が日本にはあったわけですが、その時代の男女は交際などせず、出会いがセッティングされたら、さっさと結婚していたのです。一九三〇年代には、約七割の人が見合い結婚だった。  しかしその後、自由恋愛がどんどん盛んになって、見合い結婚と恋愛結婚の割合が逆転するのは、六〇年代。そして「Delight Slight Light KISS」が出たのは一九八八年ですが、八〇年代後半には、恋愛結婚率は八割を超えている。すなわち、「普通は、恋愛結婚だよね」という状態になっていたのです。

    結婚するには恋愛をしなくてはならないとなって、初めて世に出たのが、「恋人」という生き物。誕生日、バレンタイン、そしてクリスマスといった行事は、恋人達を退屈させないために、どんどんカスタマイズされていきました。クリスマスなど、八〇年代になると本来の意義からは遠く離れ、「恋人同士がレストランで食事をしてプレゼントを交換してからセックスする日」になっていたのです。

    「早く身を固めないと一人前と見なされない」というプレッシャーは既に無く、交際相手がいれば、性的な欲求不満も感じずに済む。若者達は、そんなわけで誰かと付き合ったからといってすぐに結婚しなくなったのですが、しかし婚姻関係を結んでいない男女の関係は、大なり小なり、何かイベントが無いと間が持ちません。そのために、誕生日やバレンタインは活用されたわけですが、「誕生日おめでとう」の主人公の女性は、彼の誕生日を祝うことを、例年の習いにしていたようです。

    自由恋愛が盛んな時代とは、自由に別れることができる時代でもあります。若者達は、異性と別れたりくっついたりを繰り返すようになり、有名な「リフレインが叫んでる」をはじめ、このアルバムでも五曲が別離関連の歌。  別れたり、くっついたり。それが簡単にできるが故に、恋愛はどんどん軽くなっていきました。恋愛ばかりではありません。日本という国全体が、気軽に、手軽に、軽佻に……と、ふわふわ路線を歩んだのです。

     そういった歌を聴いていて思うのは、「この時期のユーミンの曲というのは、すなわち『逆演歌』なのだ」ということです。演歌に出てくる女達は、ほぼ百パーセントが不幸です。男に捨てられるか、道ならぬ恋をしているか、その両方か。そして、ユーミンの曲に出てくる女性も、実は不幸な人が多いのでした。しかし演歌の女とユーミンの女とでは、不幸への対処の仕方が、全く異なるのです。

    演歌の女は基本、「泣いて、待つ」のです。泣いたら涙は流しっぱなし、待ったら待ちっぱなし。  八代亜紀「雨の 慕情」では、 「雨雨ふれふれ もっとふれ  私のいいひと つれて来い」  と、女は「情人の来訪」という願いを雨に託して待っているだけで、会いたいからといって自分で電話などはしないのです。  対して〝ユーミン軍歌〟の女は、待たずに自分から出陣していきます。「LOVE WARS」にも、 「早く 涙ふいて  青いサテライトにむかって来る  隕石雲」  という歌詞があるように、涙などおちおち流していたら、隕石にぶつかってしまう。

    一九九〇年にリリースされた、「天国のドア」の、一曲目と二曲目を聴いてわかるのは、「このアルバムには、聖と俗とが、極めて強いコントラストをもって収められている」ということです。  一曲目は、思いきり俗っぽい曲である「Miss BROADCAST」。タイトル通り、放送事業にかかわる女性が主人公です。それも、バリバリのニュースキャスターらしい。

    生まれた子供ではなく、産んだ母を 讃える。この感覚は、少子化が極まり、子供が貴重品となった今の時代にぴったりです。今、出産や子育ては、選ばれた人だけができる「お洒落行為」。出産する側も、「自分にとっても、社会にとっても意義あることをするのだ」という自負を持つことができる時代なのですから。

     子供を産むことの素晴らしさや、ITがもたらす影響の甚大さ。これら「新しさ」を提示したこのアルバム最後の曲は、「9月の蟬しぐれ」です。「9月」という時期が提示されていることからもわかるように、この曲は人生の夏を終えた人の感覚を歌っています。若い頃に別れて傷ついた相手に対して、今はなぜか普通に接することができる……という内容。

    一ユーミンファンとして、ユーミンのアルバムを時代を追って「熟聴」することは、楽しくもあり、また自分の人生を見つめ直すようで、ちょっとテレながらの作業でもありました。そんなわけでユーミンは私にとって「罪な女」ではありましたが、しかし青春時代をユーミンの歌と共に過ごすことができたことは幸せであったと、改めて感じた次第です。

  • 大学先輩、一つ上に辺ります。冒頭からユーミンに対しての愛情が唆ります。

  • この記事を読んでリクエスト
    https://www.asahi.com/articles/ASQDF6KNQQDDUKJH007.html?fbclid=IwAR0knn-RhBIvJcjfoXYks9E95XRelymmXDYoi-SGKo1AtM57wG5zrLjVYnI

    デビューからバブル崩壊時期までのユーミンのアルバムを解説?

    ユーミンは、普通の女性の気持ちに寄り添い、夢を見せて、応援して、励まし…



    「ユーミンの歌とは女性の業の肯定である」

    あ~そうかも。

    というほど、私はユーミンの曲は聞いていませんし、そんなに歌詞をじっくり熟読はしていません。
    今年、ユーミンのコンサートに行きましたが、知らない曲が多いのに驚きました。
    なんとなく彼女の作る音楽が、お洒落な雰囲気、コンサートの演出がお洒落で行ってみたい!と思っていたから…。

    酒井順子さんの解説を読むと…
    確かに、これは、不倫の曲だ。結構、女の情念を歌っている…でも、ユーミンの手にかかると、軽やかになっている!面白いですね。

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著者プロフィール

エッセイスト

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

酒井順子の作品

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