昭和陸軍全史 2 日中戦争 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882897

作品紹介・あらすじ

日本を破滅へと導くことになった陸軍の独断専行という事態はなぜおこったのか?彼らはいかなる思想の元に行動していたのか?日本陸軍という日本の歴史上、特異な性質を持った組織がいかに形成され、そしてついには日本を敗戦という破滅に引きずり込みながら自らも崩壊に至ったかのプロセスを描く3部作の第2巻。統制派と皇道派の抗争と統制派の勝利、勝利を得た統制派の指導の下、日本が泥沼の日中戦争へと突入する過程を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 満州事変から始まる所謂15年戦争の過程を日本陸軍から検証するシリーズの第2弾。
    川田氏の著作は何冊か読んでいるが、共通項として丁寧に組織だけでなく各個人の考え方、そこから繋がっていく決定プロセスも説明してくれるので非常にわかりやすい。
    今作も永田vs小畑にはじまり、永田vs石原、石原vs武藤といった陸軍中枢部の戦略論による政策の決定過程は一読に値する。
    一般的に陸軍は戦略論がなく、強硬論の行き当たりばったりという見方をされがちであるが、本書を読む限り、それぞれにそれ相応の説得力がある。結果として見込みが外れ、複雑怪奇な国際情勢に引きずられ最悪の結末を迎えることになるが、結果論から逆算した見方とは違う、決定プロセスに対する視座は大事にしたい。

  • 日中戦争以前の陸軍における派閥対立(統制派と皇道派)から対米戦争開戦前までの陸軍の動向を概観する本。
    日中戦争に至る過程やその中の派閥抗争の全容、盧溝橋事件の後なぜ戦線が拡大してしまったのか、なぜ泥沼化してしまったのかなど、様々な知見を得たり、様々な疑問を解消することができる。

  •  永田ら統制派系 vs. 小畑ら皇道派系に始まり、皇道派衰退と永田の死に続き、中国をめぐり武藤(+田中) vs. 石原、石原失脚後は武藤の構想、との構図で語る。この時期、宇垣系は陸軍中央には復帰できなかった。二・二六事件や盧溝橋事件、南京事件など個別事件の記述は少なめ。また永田の死後も武藤らにその構想はしっかり受け継がれていたことが分かる。
     次期世界大戦に備え資源確保や国家総動員に考える統制派系と、対ソ戦重視で中国本土への介入には慎重な皇道派系という政策の違いはあれど、後者には独自ヴィジョンが必ずしも明確ではないことから、著者は両者の対立は権力闘争の性格が強かったとする。後の武藤 vs. 石原は構想の違いが根底にあるが。
     永田らが進め武藤も続けた華北分離工作に対し戦争指導課長の石原は軌道修正を図り、1937年1〜4月にはこの政策は中止される。その背景には、対ソ戦を念頭に置いた米英への考慮や、中国ナショナリズムの高まりがあった。また石原は内蒙工作にも否定的で、武藤と対立。
     林内閣組閣時の板垣陸相擁立の失敗が石原凋落の始まりで、日中戦争勃発後は、部下の作戦課長武藤(+軍事課長田中)と拡大・不拡大をめぐり対立。武藤は永田の戦略構想を受け継ぎ中国の市場と資源確保が必要と考えていたが、石原は対ソ防備のため国力充実、対中関係の自制が必要としていた。
     石原が陸軍中央を去った後は拡大派が統制派主流となり、日中戦争は次第に行き詰まる。近衛内閣も対中講和工作打ち切りを主張し東亜新秩序声明を出し、また後には近衛の支持の下で松岡主導により三国同盟を結んだので、拡大の責任を武藤らにのみ負わせるのは適当ではないだろうが。
     欧州大戦開始頃には武藤も対中和平を望むようになる。また同時に、国防国家体制確立のため、自給自足経済建設のため南方に目を向け「大東亜生存圏」の建設を考えるようになる。

  • 陸軍長州閥と一夕会の派閥争いから発生した満州事変。其の後あの泥沼の日中戦争に突入したのはなぜか?本書でもその原因を陸軍内部の派閥争いと考えている。陸軍内部の主導権を握りつつあった一夕会内部に亀裂が入り、統制派と皇道派の対立が深まる。華北分離工作をめぐっての統制派の台頭、領袖永田鉄山の暗殺、二・二六事件以降の皇道派の衰退。盧溝橋事件の扱いを巡っての統制派内部の対立から、出口を無くした日中戦争に突入。そして太平洋戦争。

    しかし、そもそも何故こんなにも内部の覇権争いが繰り返されていたのだろうか?中央の指示を派遣軍が従わないとか、挙句の果てには石原莞爾と武藤章の対立は同じ部局内での上司の決定を部下が従わないという構図だ。実際の情報収集→上申→総合判断というプロセスの鍵は、その都度決まっていたのだろうか?軍法会議などは機能していたのだろうか?読めば読むほど理解ができなくなる。

  • ◆内容メモ◆
    陸軍内部の派閥対立(統制派のリーダー・永田鉄山と、皇道派のリーダー・小畑敏四郎の対立)かつての一夕会の盟友は対中国戦略を巡り対立・袂を分かつ

    永田は同じ一夕会出身で皇道派であった真崎甚三郎教育総監を罷免する。このような陸軍内部での派閥抗争が激化した結果、皇道派の隊付青年将校らの手によって、永田軍務局長は暗殺され、その翌年、二・二六事件が起こる。
    隊付青年将校国家改造グループの一部が、兵約千五百名を率いてクーデターを起こした事件である。この時、木戸幸一内大臣秘書官庁が事態収拾に一役買った。

    永田が居なくなった後、陸軍省のトップに武藤章、参謀本部のトップに石原莞爾が立つことになった。2人とも永田の部下である。事件後、皇道派は陸軍中央から一掃された。が、この武藤・石原の間にも後々、“華北分離政策”に関する意見の相違を巡って対立が発生する。この対立が、日中戦争勃発時の拡大・不拡大を巡る対立の伏線となってゆく。

    昭和12年・盧溝橋事件発生。この衝突の事態についての対処法で、拡大派の武藤と不拡大派の石原が対立する。石原は、今は対ソ戦備充実のために全力をあげるべきで、中国との軍事紛争は極力避けるべきという見解だった。石原の思想も空しく戦線は苦境に陥り、武藤の指示で動員派兵が決定され、戦争は泥沼化してゆく。
    こうして日中戦争は、宣戦布告のないまま、全面戦争になっていった。

    上海への三個師団増派が決定したのち、石原莞爾は作戦部長を辞任した。こうして石原は失脚。参謀本部を去る時、「とうとう追い出されたよ」と語ったらしい。
    石原失脚によって統制派の武藤章参謀本部作戦課長と、それに繋がる田中新一陸軍省軍事課長が、陸軍中央で強い影響力を持つことになった。

    昭和12年12月・南京進行作戦が開始される。日本軍は、中国軍との激しい戦闘のすえ、南京を占領した。日本側は、駐華ドイツ大使トラウトマンを介して、南京政府に和平交渉を持ちかけるも、蒋介石によって拒否され、トラウトマン和平工作は失敗に終わり、戦線は膠着する。このような戦況の中、近衛文麿内閣は『東亜新秩序』なる声明を発表。中国国民政府のみならず、米英からも批判を浴びることになる。さらに、この後アメリカによって日米修好通商条約の破棄も起こってしまう。一方で、日本は、日独伊三国同盟を締結した。これは、武藤の意見によると“英米仏”に支配されていた「旧世界秩序」を転覆し、「世界の新秩序」を構築するためにあるものと認識されていた。日独伊三国同盟とソ連の連携による圧力で、アメリカ参戦を阻止し、日米戦を回避しながら大東亜共存圏の建設を実現しようと考えていた。この、武藤による“大東亜共存圏”の構想は、のちの“大東亜共栄圏”の原型として、太平洋戦争への重要な動因となっていく。

    ◆感想◆
    2巻は陸軍内抗争と日中戦争について。そしてその延長にある太平洋戦争に至るまでの、流れ・・・って感じですね。日中戦争が泥沼化していなければ…石原莞爾が失脚していなければ…近衛内閣が変な声名だしていなければ…太平洋戦争で日本は甚大な被害を受けなかったかもしれない、と、歴史 if なんて語るも愚かなことですが、そう思わずにいられないのも悲しいことであります…

  • 一冊目に引き続き、きわめてわかりやすい。
    こんなにも頁を繰るペースが速くなったのは久方ぶり。

    日中戦争は泥沼化せざるをえなかったけれども、
    それは後世に身を置くからこそ、わかること。
    しかしながら、当時においても、
    反対論者がおり、
    それが満州事変の首謀者、石原莞爾だったことに驚いた。

  • 満州事変の石原完爾は、勝てる戦しかしない。しかし、石原の部下であった武藤は、日中戦争を敢えて拡大することで石原を追い落とし、権力の中枢に立とうとした。戦火が燃え広がろうとするタイミングでは、それを消そうとする者より、煽る者に支持が集まる。ましてや近衛のようなオポチュニストの下では尚更だろう。一般に戦争への道を主導したのは陸軍であるというが、トップの責任は重い。
    それにしても、常備15個師団しか持たない日本が北京や南京を占領したとて、何ができるというのか。二年後からの第二次世界大戦では、ドイツ軍は戦車と飛行機で重武装し、欧州を席巻した。歩兵てわ勝る日本軍は一つ一つ都市を占領していくが、蒋介石も一つ一つの拠点で頑強に抵抗する。

  • 戦後70年を向かえた今、読むべき作品の1つである。
    本書は陸軍軍人に焦点を当てて、陸軍の政策当局者によってどのように、日中戦争にはまっていたかを明らかにしている。

    本書を読めば、日本が中国との戦争に勝っていたとはとてもじゃないが、言えないことが分かる。
    (もちろん、局所ごとでの戦闘では圧倒していただろうが、結局物量・資源の点でジリ貧になっていただろう)

    だからこそ、対米開戦に踏み切ったときに一部民衆の間に高揚感が沸き立ったのだろう。

  • 皇道派と統制派の抗争、石原と武藤の激しい対立など、常に派閥・権力抗争に明け暮れる陸軍中央の数々の判断ミス。これに現場指揮官の勝手な行動が加わって、泥沼の日中戦争へと墜ちていく。エリート軍人の傲慢さがその原因か。一方、対中政策に関し近衛内閣が強硬論でむしろ参謀本部が慎重論だった時期もあるとのこと。驚いた。

  • 陸軍内部が全く一枚岩でなく、いずれもが敵を知らず自分も知らない。

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著者プロフィール

1947年生まれ。名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得。現在、日本福祉大学教授、名古屋大学名誉教授。法学博士。専門は政治外交史、政治思想史。『原敬 転換期の構造』(未来社)、『浜口雄幸』(ミネルヴァ書房)、『浜口雄幸と永田鉄山』、『満州事変と政党政治』(ともに講談社選書メチエ)、『昭和陸軍全史1~3』(講談社現代新書)、『石原莞爾の世界戦略構想』(祥伝社新書)など著書多数。

「2017年 『永田鉄山軍事戦略論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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