- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062882934
作品紹介・あらすじ
「なぜ人を殺してはいけないのですか?」──従来は当たり前だと思われていたことにまで、その理由を説明しなければならない時代。「常識」の底が抜け、すべてのものごとに、根拠がなくなってしまった時代。「善きこと」に対する信頼が、すっかり失われてしまった時代──そんな現代だからこそ、今一度、「よいこと」すなわち「善」とは何なのか、その根拠は何なのかを考えてみることが必要とされているのではないでしょうか? 人間という、限界あるか弱い存在の内に、善を求める態度、すなわち本当の意味での「倫理」が立ち上がるために必要な条件は何か? 本書は、恐山を主な舞台にして積極的な活動を展開する気鋭の禅僧が、仏教者としての立場から、現代における難問中の難問に果敢に挑む問題作です。根拠なき不毛の時代にこそ必読!
感想・レビュー・書評
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面白いんだけど解説がノッてきたところで次のセンテンスに移っちゃうから物足りなさが少々。
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縁起説とすべての物は空だという仏教の教義を公理として、加えてこれらの教義を受け入れて仏門に入る事が善(の源泉)であるという確信に基づいて、善について整理しようとしたもの。
結果的にあまり上手く行ってない。というのは著者が言うとおり、あらゆる物が空だとした瞬間に善悪が成立しなくなるから。
仏教の戒律についてこの考え方に基づいて解釈を試みてもいるが、常識に合致するように論理を設計している印象があり、結構つらい。
この本で学んだことは、下記のようなこと。
1.哲学的思索は思索する個人にとって腹落ちした公理に基づいて展開されるので、その公理に共感できないとその思索に全然同意できない。
2.諸行無常、一切皆苦、解脱といった考えは、生を肯定しないので、現代において仏教が幅広い共感を得て、社会の規範となることはかなり難しそう。
3.アートマン(不変の自己の本質)の否定を、自己は存在しない(無我)へと繋げたことも仏教が普遍性を獲得しにくくしている。変わってしまう自分であっても、今の自分は確かに存在するんだという、生き物としての確信と合致しないため。 -
再読。初回は素直に受けとめましたが、さすがに今回は二部構成で後半は対話編という希釈された内容にガッカリ。普通の禅僧ではない南直哉師には、論を走らせることより只管打坐に徹して考えてほしいと思います。
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著者は曹洞宗の僧侶。
しかし,僧侶としてではなく,「仏教の立場から」(仏教思想を道具として)善悪の根拠を明らかにしようと試みる。
本書は,まず,「自己」とは何かを論じる。
「自己」には,それ単独で存立する実体はない(「諸行無常」「諸法無我」「空」)。
「自己」は,「他者」との関係(縁起)によって存在する。
「自己」と「他者」との関係(縁起)が各々の存在に先立つ。
「自己」は,「他者」によって自己の在り方が決定されてしまうという矛盾を抱えてしか存在できない。
その上で,「自己」を受容する態度を「善」,拒絶する態度を「悪」と捉える。
よって,善(悪)の根拠は,他者依存の「自己の在り方」を受容(拒絶)する「決断」ということになる。
本書の最も難解なところは冒頭の部分。
『なぜ,「自己」の受容を「善」とするのか。』という部分である。
この点は,簡明には述べられていない。
おそらく「仏教の立場から」考えるので,「自己」の受容が「善」になるのだと思われる。
ゴーダマ・ブッダは,「一切皆苦」であるとしながらも,あえて生きることを選択した(「死んだら楽になるかも」とは考えなかった。)。
つまり,「仏教の立場」とは,苦しくとも悟りを得るまでは生き抜くということである。
そして,生き抜くということは,「自己」を引き受けることである。
よって,自己を受容することが,「仏教の立場」からは「善」となる。
本書は,この考えを前提にして仏教の「戒」を思考実験の材料として,この考え方の応用方法を見せていく。
ただし,著者は,演習問題として「戒」を持ち出してみただけで,「戒」に関する解説を意図していないことを繰り返し断っている。
あくまで,思考実験である,と。
著者は,ナーガールジュナ(龍樹)の空・縁起の思想を土台に道元を理解し,それを応用する。
そして,おおよその問題は「自己」の捉え方(「自己」が存在するとはどういう意味か)に帰着するという考えを基礎に置いている。
こうした考え方は従前の著作から一貫している。
なお,仏教の立場から倫理問題に言及した著作として,中村元『原始仏教 その思想と生活』(NHK出版)がある。 -
2015年3月新着
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読了。
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禅僧が書いた本。大乗仏教とはこのように考えているのかが解った。
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悪は常に罰する者が、善には常に課するものがいる。
人は何なのかわからないものを愛することができない。
死ぬ気になれば何でもできる。
著者プロフィール
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