昭和陸軍全史 3 太平洋戦争 (講談社現代新書)

著者 : 川田稔
  • 講談社 (2015年6月18日発売)
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  • レビュー :11
  • Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883191

作品紹介

日本を破滅へと導くことになった陸軍の独断専行はなぜ起きたのか? 彼らはいかなる思想の元に行動したのか? 日本陸軍という日本の歴史上、特異な性質を持った組織がいかに形成され、ついには日本を敗戦という破滅に引きずり込みながら自らも崩壊に至ったのか? 日中戦争未解決のまま勝算なき対米戦へ突入、リーダーなき陸軍は迷走を続け、膨大な数の犠牲者を出し日本は無条件降伏する。全3巻完結!! (講談社現代新書)

昭和陸軍全史 3 太平洋戦争 (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

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  • 日米開戦に至るまでの軌跡のひとつとして、
    陸軍内部でどのような議論が行われたのかが、
    克明に描かれている。

    とりわけ、大きなポイントとして、
    武藤章軍務局長と田中新一作戦部長との意見対立の存在を、
    著者は指摘しているが、いずれも日米開戦回避では一致していたのだ。

    明らかにズルズルと戦争へ引き込まれていっており、
    誰しもが止めねばと思いつつも止められない・・・
    誰かが責任を持つ覚悟で止められればと思わずにはいられない。

  • 自分の言動の細部から、表向きの(派手な、勇ましい)それとは異なる複雑なニュアンスを、以心伝心で読み取って欲しい。でも相手の言動はそのまま受け取るのが当たり前。すべての関係者がこういう風に動けば、破綻するのも当然という気がする。とはいえ、建前と本音を都合良く使い分けて乗り切ろう、やり過ごそうとするのは誰にでも覚えがあるはずで、その意味でまったくひとごとではない。

  •  叙述の重複が多く、時間的な前後関係がわかりにくくて読みにくい。前2著に比べ、より個別の(本書では武藤章と田中新一の)戦略思想の解析に偏り、当該時期の政治構造やその中での陸軍の位置の変容が見えにくい。

  • 現代日本に昭和陸軍性悪説というようなものが定着したのは、司馬遼太郎のような作家の影響なのだろうか。

    昭和陸軍全史と銘打たれているが、三冊の新書を通して描かれるのは昭和陸軍の高級幕僚史である。石原莞爾と永田鉄山が理論的支柱となり立ち上げた一夕会が、やがて陸軍省と参謀本部を牛耳り、さらなる権力闘争を経て武藤章と田中新一に引き継がれる。この第三巻で描かれるのは、太平洋戦争に至るまでの彼らの暗闘である。

    戦略眼と行動力を兼ね備えた彼らは、確かに当時の日本で突出した影響力を放っていた。しかし、この巻で描かれる様は、どこか空しい。それはおそらく、日本が最後のターニングポイントをまわってしまい、対米戦が不可避になっていたからだろう。
    1940年にドイツがフランスを屈服させ、西欧諸国の東南アジア植民地攻略というプランが一気に現実味を増す。昭和の初めに石原や永田が思い描いたのは、中国大陸の資源を囲い込んで世界大戦に備える姿だったが、東南アジアには石油があり、自立自衛の経済圏を本当に実現することができる。しかし最後まで立ちはだかるのはアメリカ。英米不可分論、可分論と高級幕僚たちは議論を闘わせるが、大東亜共栄圏という言葉の魅力に引き寄せられ、何とかなるのではないか、という思いが立ち込めてくる。
    武藤は対米交渉に望みを捨てず、田中は独伊提携継続か英米に付くべきか自問する。彼らはただ単に好戦的に戦争への道を進んだのではない。しかし、1941年6月、ヒトラーが独ソ戦に踏み切ってからはもはや選択の余地はなくなったように見える。その後南部仏印進駐を機にアメリカが石油全面禁輸に踏み切ったのも、きっかけを探していたようにしか見えない。
    何の準備もなく臨んだ日中戦争が泥沼化したのとは対照的に、太平洋戦争の緒戦では陸軍も極めて短期間のうちに、成功裏に東南アジアを攻略する。しかし、やがて武藤と田中は陸軍中央を追われる。最後に権力を握ったのは東条で、彼は昭和戦前最長の政権を維持するが、その政権が終わった時点では、陸軍に思考力は残っていなかった。この時代の歴史を振り返って残念に思うとしたら、昭和17年以降の幕僚達から大胆な発想力が失われ、ただ単に戦死者を積み重ねていったことかもしれない。

  • 日本はなぜ、必敗の戦争へ突入していったのか?
    日本を破滅へと引きずり込んでいった「昭和陸軍」を主導した人物たちにスポットを当て、その破滅への道を辿る・・・
    全3巻の最終巻、太平洋戦争・・・
    満州事変から泥沼の日中全面戦争・・・
    そしてついに太平洋戦争へ・・・

    何であんな無謀な戦争へ突入していったのか?
    勝てるわけないじゃんね?
    まぁ、確かに・・・
    ではなぜか?
    泥沼化した日中戦争の解決が困難になり、その状況を打破するために陸軍が強引に南方に進出し、対米戦へと突入していった、とか・・・
    英米蘭に追い詰められたために戦争を始めた、とか・・・
    いろいろありますが・・・
    とりあえず軍人がアホだった、と・・・
    特に陸軍が実力差を考えずに(または知らずに)、精神論で暴走して開戦、破滅をもたらした、と・・・
    こんな具合の話をよく耳にします・・・
    が、しかし・・・
    本書を読むと、よく聞く話と違う様相が見えてくる・・・
    対米戦は当時の日本のトップの方々のほとんどは回避したがっていた・・・
    実力差を考えれば対米戦の結果、大日本帝国が傾くことはわかっていた・・・
    ええ、陸海軍共にね・・・
    それなのに!
    結局開戦に至ったわけです・・・
    その経緯を・・・
    主に陸軍内の主要な人物にスポットを当てて辿っていく・・・

    さて最終巻は・・・
    満州事変以来、陸軍内の権力闘争を勝ち抜き、陸軍中央の実権を握った統制派の面々・・・
    中でも永田鉄山の後継者と自他共に認める武藤章陸軍省軍務局長と、基本は永田の影響を受けつつも、さらに石原莞爾の影響も受けた田中新一参謀本部作戦部長が主役・・・
    で、その武藤ら陸軍中央は何も考えなしに南方に進出したわけではない、という・・・
    次期大戦は必至であり、その大戦で生き残るためには自給自足が可能な総力戦体制(国防国家体制)を構築しなければならない、との考えを持つ武藤は・・・
    これまでの満州や中国だけではなく、南方(東南アジア)の資源も確保する大東亜共栄圏(当初は大東亜協同経済圏とか大東亜生存圏とか)の建設を構想する・・・
    南方進出はそのためであった・・・
    ちなみに武藤や田中らが拡大させていった日中戦争も上記のように同じ理由(詳しくは第2巻ね)・・・
    で、その際、主要な攻撃対象はあくまで英国であり、可分できるか不確実ながらも米国とは極力コトを構えない方針だった・・・
    特に武藤は『米国と戦争するのは不可』との姿勢だった・・・
    欧州情勢を好機として1940年9月にまず北部仏印に進駐し、タイへの影響も強める・・・
    そして欧州大陸をほぼ席巻したドイツとイタリアとの軍事同盟、日独伊三国同盟が締結される・・・
    これは外相の松岡洋右が主導・・・
    武藤も南方武力行使に際して、独伊との軍事同盟が必要と考えていた・・・
    松岡はさらに1941年4月に日ソ中立条約も締結する・・・
    日独伊三国同盟だけでは米国への牽制が足りないという見立てだったので、ソ連がコレに加わるというのは武藤らにとっても大歓迎だった・・・
    三国同盟は対米戦のために、と思ってたけども、必ずしもそうではなく武藤の考えは逆で、米国との戦争阻止のため、という発言をしている・・・
    で、三国同盟にソ連も加わり、これで米国も迂闊に参戦できまいと小躍りしていたら・・・
    日ソ中立条約締結の2ヶ月後にまさかの独ソ開戦・・・
    バルバロッサ作戦ですね・・・
    ヒトラーが気が狂わない限り、そんなことはすまいと思っていた武藤らは衝撃を受ける・・・
    ドイツは英国とソ連と同時に戦争ということに・・・
    独ソ開戦により日独伊ソの4カ国で米国を封じ込めるという構想が破綻する・・・
    で、武藤も田中も大東亜共栄圏を建設するために、南方武力行使によって東南アジアを日本の勢力下に置くという構想は同じだったんだけど・・・
    この独ソ戦への評価と対応を巡って、2人の間に亀裂が生じていく・・・
    そして、それが三国同盟の意味づけや対米認識の相違を浮かび上がらせることになる・・・
    武藤は・・・
    独ソ戦は総力戦となり長期化する・・・
    対ソ武力行使には反対・・・
    三国同盟は英国に対する軍事同盟で、英国打倒のものであり、日米戦を阻止するためのものと位置づけ・・・
    対米交渉の妨げになる三国同盟からの離脱も選択肢としてあり・・・
    大東亜共栄圏の建設を諦めることもあり・・・
    米国は中国問題だけでは日本と開戦はしない、満州国、華北の資源確保とそのための在華駐兵は交渉で認めらさせられる。万が一認めさせられなかったら、最後の最後でそれすら譲歩する余地もあり・・・
    とにかく米国との戦争は国の存在を危うくするものであり、何としても回避する・・・
    という考え・・・
    一方、田中は・・・
    独ソ戦は短期間でドイツの勝利・・・
    ソ連へ武力行使し、東西挟撃によってソ連の崩壊を早めるべき・・・
    対米戦は避けられないのであり、三国同盟はそのためのもので、対米戦にはドイツとの軍事同盟が不可欠・・・・・・
    日本が大東亜共栄圏の建設を進めるということは、英国はアジアの植民地からの資源物資が入らなくなり、対独戦の継続が困難になる。
    米国は自国の安全保障上、英国の崩壊は絶対に許さない構えである。故に、日本が大東亜共栄圏の建設を進めていく限りは、米国との戦争は避けられない・・・
    また米国が独英戦に軍事介入すれば、結局いずれは日米戦となる。ドイツを倒してから、次は日本というわけ・・・
    三国同盟を抜け、大東亜共栄圏の建設を破棄して、今は日米戦を回避しても、欧州大戦が片付いた後、日本はすべて(満州国や華北権益)を吐き出させられる・・・
    対米戦は避けられない!そしてそれは対米戦の主役となる海軍の戦力比率(艦艇比率)からすると今(1941年中)でなければならない!
    という考え・・・
    この考えの相違から2人は対米開戦までの日米交渉中幾度となく怒鳴り合い、激しく対立していく・・・
    武藤は対米戦回避のために奔走し、田中は対米開戦の急先鋒となる・・・
    武藤と田中の差はどこから来たのか?
    著者によると、ドイツ駐在の時代が違ったことと、影響を受けた人物から差が出たのだろうとのこと・・・
    影響を受けた人物である永田鉄山と石原莞爾に関しては1,2巻を・・・
    ちなみに陸相(のち開戦時の首相兼陸相)の東条英機は基本的に武藤の考えに沿っていた・・・

    1940年7月南部仏印進駐・・・
    それを受けて8月に米国は対日石油全面禁輸へ・・・
    追い込まれていく例の流れですが・・・
    一般的に、陸海軍首脳部・幕僚は全面禁輸を全く予期していなかったとされている・・・
    けれども武藤などの発言から陸海軍首脳部は南部仏印進駐が対日全面禁輸を引き起こすだけでなく、それが対英米戦に繋がっていく可能性も念頭においていた、というのがわかる・・・
    え?ではなぜ南部仏印に?
    これは田中ら参謀本部が対ソ戦に逸るのを防ぐために、とある・・・
    著者は『武藤は、南北同時戦争に陥ることを回避するには、彼自身対日禁輸強化を危惧していた南部仏印進駐実施を容認し、まずは対ソ開戦が不可能な状況を選択するしかないと考えていたのではなかろうか』と・・・
    対日石油全面禁輸により日米関係がより一層緊迫なかで対米交渉が進められる・・・
    首相の近衛文麿は日米首脳会談を希望し、対米戦絶対回避を志向していたが、どうにもグズグズで・・・
    海相の及川古志郎は内々には近衛に海軍は協力するとしながらも、表立っての援護はしなかった・・・
    陸相の東条にしたって、陸海相の会談で海相の及川からこの場限りにしておいてくれとしながらも、勝利の自信はない旨を聞いていた・・・
    それに別の日の陸海相会談で及川に「支那事変にて数万の生霊を失い、見す見す之[中国]を去るは何とも忍びず、但し日米戦とならば更に数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えざるべからずも、決し兼ぬる所なり」と述べている・・・
    陸海軍ともにトップは対米戦への自信なし・・・
    そういう中で9月6日、御前会議が開かれ、10月上旬に至っても要求を貫徹する目処がない場合は、ただちに対米英蘭開戦を決意することが、国家意志の最高機関レベルで正式に決定された・・・
    陸軍は東条も武藤も田中ら参謀本部からのプレッシャーに苦しみ、海軍に対米戦自信なしと公言させて、対米戦を回避させたかったが・・・
    しかし海軍はそれは組織内外の状況からできない立場だった・・・
    もちろん陸軍も同じく自分からは言い出せず・・・
    うーむ・・・
    これって・・・
    で、グダグダしている内に宮中や近衛、外務省に海軍の動きを知った東条が態度を硬化・・・
    さらに米国側からの首脳会談への条件が日本が譲ることが極めて難しいもの(中国の撤兵問題)だった・・・
    結果、陸軍が引導を渡す形で近衛内閣が10月16日に総辞職・・・
    木戸幸一内大臣主導で17日に東条内閣が成立・・・
    木戸は東条なら天皇の意向を尊重し、陸軍を統率できる、だけでなく、9月6日の御前会議決定を白紙にできると考えて首相に奏薦した・・・
    実際、東条も木戸の考えと同じで御前会議決定を白紙還元する方向に同調していた・・・
    東条に天皇から白紙還元の優諚があり・・・
    一度御前会議の決定が覆る・・・
    それを受けて再度の(そして最後の)日米交渉が行われる・・・
    東条自身、この時点でもまだ日米戦に踏み切るかどうかかなり迷っている・・・
    しかし、東条内閣で海相となっていた嶋田繁太郎が態度を急変させ戦争決意を示す・・・
    どうした嶋田?どうして嶋田・・・
    海軍次官や、軍務局長、次長、作戦部長などが未だ慎重姿勢の中、海相と軍令部総長が態度を変え、これまで開戦に慎重だった海軍が開戦容認に転換する・・・
    これにより、陸海軍ともに日米開戦やむなしとの意見が大勢となった・・・
    開戦回避の最後の望みであった日本側提案(甲案、乙案)に対して、11月26日いわゆるハル・ノートが提示される・・・
    その内容に、東条や外相の東郷茂徳も愕然とする・・・
    一同、これにて交渉の余地なし・・・
    開戦やむなし、となる・・・
    開戦回避に奔走していた武藤もこれで開戦と受け入れる・・・
    12月1日御前会議で開戦が決定され、8日ハワイ真珠湾攻撃とともに英領マレー半島に上陸を開始、こうして太平洋戦争が始まった・・・

    で、その他・・・
    対米開戦時に、陸軍には戦争終結の見通しを持ってなかった、と思っていたけど・・・
    まずは東アジア・南太平洋の米英蘭の根拠地を覆滅し、長期自給自足の態勢を整える・・・
    その後、適時米国海軍を誘い出し、これを撃滅する・・・
    東亜諸民族を白人から解放し、大東亜共栄圏の建設を呼びかけ、その協力を求める・・・
    独伊と提携して英国を屈服させ、米国の継戦意志を喪失させる・・・
    というものはあったよう・・・
    日本には米国を直接屈服させることはできない・・・
    という、ちゃんとそういう認識はあった・・・
    とにかく英国を潰す、これが終戦の見通しであった・・・
    ちなみに・・・
    東亜諸民族の解放、って言葉からすると素晴らしい大義だけど・・・
    大東亜共栄圏建設のため、当初は日本が占領して、一方的な搾取の形になることは御前会議の時の蔵相や陸軍首脳は認識していたそう・・・

    また・・・
    米国は日本が飲めない条件と分かっていてハル・ノートなど回答してきたわけだけども・・・
    米国は日本と戦争するつもりだったのは間違いなさそう・・・
    中国が原因?
    いや、著者によると中国ではなく、英国こそがその原因だったという・・・
    日本がアジアを席巻し、英国の植民地から資源が入ってこなくなると独英戦が継続不能になる・・・
    日本が南方に進駐し、アジアの英領が危機にさらされる事態は看過できない・・・
    もし英国がドイツに屈服させられると欧州への足がかりがなくなり、太平洋と大西洋の両側から米国が封じ込められてしまう・・・
    英国の存続は米国の安全保障上欠くことのならない問題だった・・・
    なので太平洋、大西洋の同時戦争になることを覚悟してでも、日本の南方進出を放置することはできなかった・・・
    太平洋戦争とはゆえに・・・
    日本にとっても米国にとっても英国を巡る戦争であった、と言える・・・

    あと、それから開戦後の記述は少ないのだけど・・・
    ミッドウェーでの大敗以降、戦局の悪化が続くわけだけど・・・
    戦線を縮小していく過程が酷すぎる・・・
    戦争を始めることより止めることの方が難しい・・・
    の最たる事例だと思う・・・
    本当に酷い・・・
    武藤も田中も陸軍中央を去った(というか東条との確執で飛ばされた)後の陸軍・・・
    東条に明確な戦略はなく、終戦の目処としていた英国の屈服の目もなくなったのに・・・
    少しでも有利な条件での講和を求めつつ、米国の圧倒的な戦力にその機会を逸し続け・・・
    ドンドン犠牲が増えていく・・・
    ドンドン状況は悪化していく・・・
    しかし、方針は変わらず、とにかくどこかでいったん米国を叩き、どうにか!有利な!条件を!
    このせいで日本軍・日本人、もちろん海外の皆々様の犠牲が増えまくっていく・・・
    東条が退陣させられてもあの日を迎えるまで結局変わらなかった・・・
    太平洋戦争中の日本人兵士戦死者230万人の大部分、民間人死者80万人のほとんどは、サイパン陥落以後に犠牲になったんだそう・・・
    何なのそれって、読んでてイライラしましたわ・・・

    太平洋戦争・・・
    まず十中八九負けるだろう・・・
    日本の存亡にかかわる戦争である・・・
    と陸海軍のトップも認識していたのに・・・
    結局、現場や田中新一などの強硬派を抑えきれずに開戦へと雪崩れ込んでいく・・・
    これは満州事変以来の同じパターン・・・
    その時その時の強硬派に引っ張られて事態が拡大し、混迷を深めていくというヤツね・・・
    で、軍人はアホだったかどうか・・・
    これは膨大な犠牲を出し、国を滅ぼしたんだからアホと言わざるを得ない・・・
    ただ、教科書や一般的に言われているように何の考えもなく暴走して戦争に突入して行った、というのではないということが分かる・・・
    後記にあるけど、最近の研究では昭和初期の政党政治は不安定で脆弱で、政党の腐敗や世界恐慌で簡単に崩壊したのではなく、政党政治の体制はかなり強固で、相当の安定性をもっていたそうな・・・
    それにもかかわらず、政党政治は終焉を迎え、軍部が主導権を握ったわけですね・・・
    簡単ではなかったはずなのに・・・
    なぜ?どうやって?
    全3巻と長いけど、どのような戦略構想の下、どのように軍部が日本の主導権を握り、どのように日本が破滅へと向かっていたのか・・・
    戦前の日本を主導した昭和陸軍、さらにその昭和陸軍をリードした一夕会や統制派の主要な人物の構想や行動をもとに辿れる・・・
    参考文献一覧も充実しまくりで、それらを参考に書かれている本書は非常に勉強になる・・・
    このシリーズはハイパーオススメ!
    ゼヒとも!

  • 新書なのにやたらと分厚い(400ページ超)のと、読書をサボり気味になっていたのが重なり、読み終えるのに1ヵ月以上かかってしまいましたがどうにか読了。
    読み応えありました。

    本書は全3巻からなる『昭和陸軍全史』の最終巻であり、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦が開始されてから太平洋戦争に至るまでの陸軍内部の動きを、主に陸軍省軍務局長だった武藤章と、参謀本部作戦部長を務めた田中新一にスポットを当て、検討しています。
    当時の陸軍を主導していたのはこの2人であり、田中は対米戦の開始を最も強硬に主張していました。
    逆に武藤は国力の差から対米戦の回避を主張し、田中と激しく対立。
    結局は紆余曲折を経て田中の主張通り、太平洋戦争開戦に至ります。
    また、彼らは一応、従来の説とは異なり「何をもって戦争終結とするか」という構想も考えてはいました。
    しかし、その前提となる条件が崩れ、武藤や田中も東條英機との対立で陸軍中央を追われ、後任の軍人たちは情勢の変化に対応した新たな戦争終結のための方策を見出すことができないまま、数々の悲劇を生み出すこととなりました。
    そして、武藤は戦犯として訴追され絞首刑、田中は罪に問われることなく、寿命を全うしました。
    武藤自身も南進そのものには反対していなかったため、一概に擁護はできませんが、ある種の不条理さを感じます。

    この他、太平洋戦争は南方確保のためにイギリスを打ち倒す必要のあった日本と、安全保障上、イギリスの崩壊を防ぐ必要のあったアメリカとの戦いであり、すなわち「イギリスをめぐる戦争であった」という説も興味深く感じます。

  • 本書によれば、ナチスドイツとソ連との関係の読み違い、独ソ戦や独英戦の戦況の見通しの甘さ、米国の参戦意志の読み違いなど、太平洋戦争突入に向けた幾つかのキーポイントがあるようだ。しかし実際のところ、よく言われるように暴走した陸軍が米国の国力を無視して無謀な戦争にただただ邁進した、ということでは無さそうだ。一言で言えば、悲観的な見通しを持ちつつも退くに退けなくなってしまった、ということだろうか。
    著者は、その原因が、 陸軍中央のエリートの中でも考え方を一にした小グループ(統制派)が主要ポストを牛耳ってしまったことによる硬直性にある、と考えているようだ。
    これはどの組織でも言える、普遍的なことだろうな。

  • 「3」は太平洋戦争の開戦から終戦まで。
    これを陸軍省の武藤軍務局長、参謀本部田中作戦部長2人の戦略構想を中心に検証する。
    当然、誰もがアメリカと戦って勝てるとは考えていなかった。ならなぜ? どうしてもっと早くに講和できなかったのか? いろんな説がある。どれもが一面の正解なんだと思う。
    ただ国家としての意思を決定するシステムは常に検証されていい。それは現代でも変わらない。
    帝国憲法下では、政府も軍も並列に配置されていて意見をまとめる存在がなかった。そこに陸軍が付けいる隙があった。では日本国憲法は大丈夫なんだろうか?

  • 2015年8月新着

  • 「昭和初期、満洲事変を契機に、陸軍は、それまで国際的な平和協調外交を進め国内的にも比較的安定していた政党政治を打倒した。その推進力は、陸軍中央の中堅幕僚グループ「一夕会」であり、彼らが、いわゆる昭和陸軍の中央を形成することとなる。
     その昭和陸軍が、どのように日中戦争そして対米開戦・太平洋戦争へと進んでいったのか。その間の陸軍をリードした、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一らは、どのような政略構想をもっており、それが実際にどのような役割を果たしたのか。筆者の主要な関心はその点にある。」(410ページ)

     長大な昭和陸軍史全3巻を読み終えて、筆者の問題関心である昭和陸軍中枢の「政略構想」については、よく理解できたと思う。一般に思われているように当時の陸軍が、何の構想も持たずに無謀な戦争に突入していったとの「常識」は覆される。とくに欧州大戦勃発から太平洋戦争突入までを中心に描かれる第3巻は、武藤、田中の政略構想の違いに力点が置かれ、その綿密な叙述がキーになっている。その意味で東條英機は独自の構想を持たない人物として脇に置かれているように思う(それが正しいかどうか私には判断しかねるが、川田氏の書きようではそのように読める)。

     日米開戦以後の日本陸軍は、武藤が更迭され、田中が更迭され、そして最後には東條もいなくなり、「聖戦完遂」の名の下に多く内外の犠牲を生み出していったのである。

     今一度、3巻全体を振り返って読み直すと新たな発見があるかもしれない。

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