ハイデガー哲学入門──『存在と時間』を読む (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883412

作品紹介・あらすじ

『存在と時間』は20世紀に大きな波紋を投げかけ、現在も広く読まれている書物である。その世界概念の重要性。 「不安」を引き受け、「実存を遂行」する「現存在」という言葉。「存在」と「時間」の関係など哲学の意味を原点から問う本書は、入門書であり決定版である。ハイデガーの哲学界での重要性も探る。
ハイデガーの主著『存在と時間』は、サルトル、レヴィナス、デリダ等のフランス現代思想や、アメリカのネオ・プラグマティズムに大きな影響を与え、ドイツのフランクフルト学派からは克服すべきドイツ的な思考の象徴と見なされてきた。この著作についてはこれまで多くの解説書が出されてきたが、そのほとんどは、アリストテレスや中世スコラ哲学、新カント学派、フッサール現象学、ユクスキュルの生物学等からの影響や相関関係をめぐる専門的な問題に集中しすぎるきらいがあった。それがどうして当時のドイツやフランスの若者を引き付けたのか、どうして現在でも多くの哲学者を魅了しているのか、彼の思考の枠組みは従来の哲学とどう違うのか、「実存」や「存在」に関する彼の問いかけや「ひと」に対する批判は、普通の人の人生にとってどういう意味があるのか、最も知りたいことについてストレートな説明を与える入門書は少ない。本書は、影響関係や他のテクストに関する記述はできるだけコンパクトにして、『存在と時間』の主要な――専門家でない哲学学習者にとっても興味深い――箇所を細かく読解しながら、このテクストがそもそも何を問題にしているか明らかにすることを試みる。

感想・レビュー・書評

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  • 自分の在り方とは何か、、、存在とは、、

    「共に現に存在すること=共現存在Mitdasein」他者たちがあってこそ、「誰」という問いに対する答えの方向が決まってくる。他者との関係で「適所性」が割り当てられていること、「現存在」同士で相互的に作用する「顧慮的気遣い」は生活の中で実感として理解できた。

    この本の中で最も励ましになり、自分の問いに対するヒントになったのは、「死への先駆」は「自由」に繋がるという考え。死と向かい合った時の「単独化Vereinzelung」を通して、各「現存在」の本来的存在が、開示されるということ。以下抜粋。
    〜「配慮的気遣い」や「顧慮的気遣い」の既存の連関に無自覚に縛り付けられるのではなく、自己の本来的存在を起点として、それらの連関を"積極的"に意味付けし直し、それらに対する自己の関わり方を"主体的"に変更しようとする。自分らしくあるために、周囲の事物や他者に能動的に関わろうとするようになるのである〜 

    哲学を勉強してこなかった人も、この本を通じて自分の在り方について考えを深めることができると思う。言葉が難しいためか、理解しようとしている間に感情的になっている心が落ち着いてきたのは驚きだった(笑)。

  • ハイデガーの『存在と時間』の入門的解説書です。

    著者は「はじめに―ハイデガーは何故重要なのか?」で、「日本でも多々出版されてきたハイデガー入門書・解説書にしばしば見られるような、哲学史的な過度の拘りは避けるつもりである」と述べて、ハイデガーの「存在史」の構想から『存在と時間』を位置づけるような議論にあまり踏み込まないと断っています。

    新書形式の入門書としては、木田元の『ハイデガーの思想』(岩波新書)が、実存哲学としてハイデガーの思想を捉える見方を否定して、正当なハイデガー解釈を打ち出しており、細川亮一の『ハイデガー入門』(ちくま新書)も同じ路線で、よりマニアックな議論を展開しています。一方、本書と同じ講談社現代新書から刊行されている古東哲明の『ハイデガー=存在神秘の哲学』は、ハイデガーの秘教的な側面への偏愛と明晰な議論の展開を両立させた名著だと思うのですが、本書はこれらの入門書とは違う特徴をもっています。

    著者は、「『存在と時間』の“実存主義=ヒューマニズム”的な側面を切り捨ててしまうのは惜しいような気がする」とも述べており、じっさい『存在と時間』の実存哲学的な部分についてていねいな解説をおこなっています。こうした性格の入門書としては、竹田青嗣の『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)がありますが、竹田が自身の欲望論の土俵にハイデガーを引っぱり込んでいるのに対して、著者はもっとハイデガー自身の思索にそくしたかたちで解説をおこなっているといえそうです。竹田がほとんどハイデガーを離れてみずからの哲学を開陳している「先駆的覚悟生」や「良心の呼び声」についても、ドイツ思想史の背景を紹介しながら解き明かしており、勉強になりました。

  • いつの間にか溜まったTポイントで購入。なかなか挑戦的で面白そう。

    これは「存在と時間」の解説に徹した好著であるように思う。しかし、原本を読まずにこれを手にした人が最後まで読み終えることができるかは、甚だ疑問であり「入門書」と看板を付けるのは不適切であるかもしれない。しかし、一度読んだ人が原本を読み直すのは面倒なときに、思い出すためにはたいへん助かる本であることは間違いない。さらに言えば、よくわからないながらこの本を読み通し、そのあとこの本で引用されている岩波文庫の熊野訳で読んで、該当ページに来たときに、この本を傍らにおいて読めば、きっと途中で挫折することはなくなるだろう。岩波文庫とのコラボ本という位置づけもできる。

  • まだしっくりとこない。ハイデガーはしばらく置いとく。

  • ハイデガーがドイツ語の単語に込めた、細やかなニュアンスも知ることができて、おすすめです!

  • 初読だと思い読了したが既読なことを忘れていた.3年前に読んでいたとは.とても良い入門書だと思う.

  • 入門書だが個人的にはかなり難しく感じた。アーレントやナチズムとの文脈も読解したかったが、結局理解できずに終わったので、後ほど再読。

  • ハイデガー『存在と時間』について、ある程度距離を取りつつ、現存在、実存、世界内存在、適所性、配慮・顧慮的気遣い、ひと、死に向かう存在、命運・歴運などの主要概念を解きほぐす。元々神学者志向であったハイデガーがヤスパース、キルケゴールの影響を受け、フッサール現象学経由で存在論を基礎付けるなど、背景知識も含め、日常的理解に引き付けて読解する入門書。わかりやすく、導入に最適。
    以下メモ。
    ひと、頽落、本来性がマルクスの疎外、革命に近い。決意性のメッセージや、より普遍的で文学的であるため若者に支持された。
    「道具」との実践的な関係を軸にして、「現存在」の現実の在り方(=実存)を理解しようとするハイデガーのアプローチは、一般的に彼について抱かれている神秘主義的・神学的なイメージと違って、むしろ、暗黙知(tacit knowledge)や身体知(body knowledge)をめぐる現代的な議論に繫がっている。
    本来/非本来」の区別をめぐる議論は、一定の価値観・人間観に基づいて、生き方を変えるように示唆するメッセージを含んでいるように見える。
    認識論的な諸問題を厳密に定式化することに力を入れてきた──現象学を含む──従来の哲学に物足りなかったドイツの若者たちが、ハイデガーに惹きつけられるゆえんだろう。
    私たちは、日々の行動の一挙手一投足にどんな意味があるのかいちいち意識しないし、本気で考えることもないが、指示連関を辿っていくと、何がしかの人間らしい意味が見出されるであろう、と漠然と思っているふしがあるが、それは単なる思い込みかもしれない。動物的な反応と単なる習慣の連鎖の中で生きているだけで、その背後には、別に何の意味もないかもしれない。しかし、その内部の存在者の中にいかなる意義も見出せないにもかかわらず、「世界」は私たちを囚え続け、決して消滅しない。
    「気遣い(憂鬱)Cura」をめぐる寓話を引き合いに出している。寓話自体は、共和制末期のローマ時代の著述家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス(前六四頃─後一七)の創作。気遣いが作った粘土に、ジュピターが精神を与え、大地と名付けについて争う。時の神サトゥルヌス=クロノスが裁定し、死んだ時にジュピターに精神、大地に身体、気遣いは生きてる間の所有、大地humusから生まれたこの存在を人間homoと名付けた。
    「現存在」は、たとえ「ひと」に同調していたとしても、周囲の存在者のことを絶えず気遣い、その気遣いの中でふと感じる「不安」から、自己自身の「存在」をも気遣う=関心を持つようになる。一度「存在」への問いに囚われると、そこから完全に逃げ出すことはできなくなり、「存在」を気遣い続けることになる。「気遣」っているからこそ、「現存在」は「実存」として「存在」しているのであり、「気遣い」しなくなった時、「現存在」はもはや「存在」しない。
    「誰」であるか(=「実存」)が、時間によって規定されているということは、「気遣い」としての「現存在」が、「時間性」によって規定されていることを暗示している。
    アウグスティヌス、キルケゴールの「神」の代わりに、万人が対峙せざるを得ない絶対他者としての「死」を置き、「回心」や「絶対者との対峙」の代わりに、「本来的な存在への投企」を置くことで、宗教色を抜いて、あらゆる人が共有し得る経験として再定式化した。
    現存在がさまざまな可能性からじぶんを理解し、そのようにみずからを理解しながら、被投的な存在者であることによってじぶんの根拠なのである。或る可能性あるいはべつの可能性のなかに立っており、不断に現存在はその他の可能性であるのではなく、その他のさまざまな可能性を実存的な投企にさいして放棄してしまっている、ということだ。
    「先駆」によって見出した自己に固有の存在可能から、どこに着眼するかを決めているということ。
    一生取り組むべき仕事が見つかると、日常のうちにヒントが見つかったり、生き方にとっての重要な意味に気づく。
    歴史的伝統の中に、自己実現の目標を見出す。歴史は、(善き)自己実現のイメージを引き出してくることのできる源泉。

  • デカルト以降の自我中心の哲学が課題とした我思うゆえに我ありの我が存在する根拠に対して、死という固有の経験から自分に固有の生き方や責任を考えて主体的に将来に向かって投企していくポジティブな人間というハイデガーが出した解がわかった

  • ■988, 2020.01.02
    言葉遣いを自分で再設定しないと気が済まないという哲学の特徴のひとつが押し出されている。

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著者プロフィール

哲学者、金沢大学法学類教授。
1963年、広島県呉市に生まれる。東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻研究博士課程修了(学術博士)。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。難解な哲学害を分かりやすく読み解くことに定評がある。
著書に、『危機の詩学─へルダリン、存在と言語』(作品社)、『歴史と正義』(御 茶の水書房)、『今こそア ーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『集中講義! 日本の現代思想』(N‌H‌K出版)、『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)など多数。
訳書に、ハンナ・アーレント『完訳 カント政治哲学講義録』(明月堂書店)など多数。

「2021年 『哲学JAM[白版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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