ニッポンの文学 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 271
レビュー : 32
  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883566

作品紹介・あらすじ

批評家・佐々木敦氏による『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』から連なる待望の3冊目。
今回のテーマは「文学」。各主要文芸誌でも精力的にすぐれた論考を発表している著者が、あらためて「日本」の「文学」を解き明かします。

戦後、とりわけ70年代末からの日本の文学シーンにはどのようなことがあり、どのような歴史があるのか。つまり、ニッポンの小説はどのような歴史=物語を持っているのか。前2冊と同じく、80年代(70年代末)から始まるディケイド論で論じていきます。

「文学」と呼ばれている小説と、一般的には「文学」と見なされていない小説とを、全く同等に扱うという視点で日本の小説史をたどり直す試みは、今までなされて来ませんでした。

狭義の「文学」と他のジャンル小説を同一平面上で語ってゆくことで、「芥川賞/直木賞」という制度によって今なお維持されている「文学」の聖性を相対化しようとするのが本書の目的です。

感想・レビュー・書評

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  • 純文学、SF、ミステリ、ラノベと、守備範囲が広い文学論で興味深かった!村上春樹は「日本語で書く英語作家」であり、「日本語で書かれたアメリカ文学」という指摘にはミョ〜に納得!

  • 文学

  • 内容も面白かったがブックガイドとしても有益。食わず嫌いしていた作品たちに手を伸ばしたくなった。

  • 文学といいながら、いわゆるエンタメ(ミステリやらSFやら)にまで踏み込んだ内容で、とても読み応えあり。最初に書かれているように、純文学も一つのジャンルと考えての論考で、こういう切り口も断然アリだと思えた。どちらが優れているかっていう不毛なやり取りよりも、どちらも同列に扱う方が、寧ろ双方に対するリスペクトの証左とも思えるし。何よりも、ジャンル横断的に重要作家が網羅されているのも見どころ。読書ガイドとしても高品質な側面を持つ。他の著作:ニッポンの思想も手に取りたくなりました。

  •  著者が講談社現代新書で刊行してきた『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』の続編。著者は「三部作」と位置づけている。
     私は『ニッポンの音楽』は読んだが、『ニッポンの思想』は現時点で未読である。

     「ニッポンの」と冠されてはいるが、俎上に載るのは1970年代以降の文学であり、「日本文学史」のたぐいではない。

     著者は「あとがき」で、三部作について「私にとって紛れもない個人史の試みであった」と書いている。つまり、自身が少年時代から読んできた本、聴いてきた音楽を、改めて振り返る内容なのだ。
     私は著者と同い年だから、読書経験もかなり重なっており、共感するところが多かった。

     本書は、70年代から現在までの日本文学(といっても、SFやミステリにそれぞれ一章が割かれるなど、扱う範囲は広い)の概説書としては、大変よくできている。

     私小説についての言及が皆無に近い(西村賢太は完全に無視されている)など、著者の好みに合わせて内容が偏ってはいる。が、新書一冊分の限られた紙数で半世紀近い年月を見渡すには、これくらいざっくりしたまとめ方が最適解かな、という気もする。

     ただ、前作『ニッポンの音楽』が批評としても優れていたのに比べ、本書は批評性が薄い印象だ。「こういう小説が売れました・◯◯賞を取りました」などという、たんなる事実の羅列に終わっている部分が目立つのである。
     「やはり、佐々木敦の本領は音楽評論にある」との感を深くした。

  • 『ニッポンの思想』および『ニッポンの音楽』(ともに講談社現代新書)とならぶ三部作の第三弾です。いわゆる日本文学史とは異なり、ミステリやSF、ライトノベルなど「文学」に接するジャンルにも立ち入ることで、日本の「文学」という制度を問いなおし、その境界が溶解しつつある現状を明らかにする試みともいうべき内容になっています。

    本書では、各年代ごとの代表的な人物をとりあげて時代的な変遷を大胆にえがきだす試みがおこなわれていた前著とは異なり、ミステリやSFといったジャンルごとにそれぞれの代表的な作家を紹介しています。ただそのぶん、著者自身の独自の観点が示されているわけではなく、比較的簡潔な概要を紹介するにとどまっているのではないかという不満もおぼえました。

    同様の問題意識を独特の観点からくり返し論じている批評家に大塚英志がおり、本書でも彼の『サブカルチャー文学論』(朝日文庫)での議論や、笙野頼子とのあいだでなされた論争にも言及されているのですが、大塚のばあいには、サブカルチャーが相対するメイン・カルチャーがいまや一つのジャンルにしかすぎなくなってしまった現状に対する彼自身の屈折した批判意識を梃子にして、メイン・カルチャーがいまや放棄してしまった責任のありかを逆説的に浮きあがらせるという、ある意味で悲劇的な試みがなされています。しかし本書では、「文学」が一つのジャンルにすぎなくなった現状をそのまま受け入れることで、本書のような文学についてのガイド・マップが成立していることに対する反省が欠如しているように感じられます。

    そうした批評意識がもはや時代遅れのものになってしまったことを承知しつつも、すくなくとも一度くらいはそのことを顧みておく必要があるのではないでしょうか。

  • 2018/5/25購入
    2018/6/26読了

  • -

  • 20180115

  •  プロローグによると「『文学』と呼ばれている小説と『文学』とは見なされてはいない小説を、同じ視座のもとにあつかう」「『文学』と『文学以外』という区別を越えた『日本現代小説史』を提示する」とある。
     そして「文学」「文学以外」は「芥川賞」に絡むか、絡まないか、で区別している。
     つまり本書でいう「文学」とは「純文学」とイコールである、と明記してある。
    「純文学」以外の小説は「文学」ではない、と日本では見なされている、と筆者は断定しているのだが、僕はこの考えに凄く違和感を覚える。
     確かに「芥川賞」の影響力は小さくはないだろうし、最近では(著者も指摘しているように)一種のお祭り騒ぎ的なイヴェントになっている感もある。
     でも、それだけで「純文学」以外の小説は「文学」ではない、と言えるかどうか。
     突き詰めてしまえば「じゃ、「文学」って何? 「小説」って何? 「純粋な文学」ってどういうこと?」という面倒臭いことにもなりそうだけれど。
     著者は「純文学」も「ミステリ」や「SF」のように「ジャンル小説」の一つと見なせばどうか」と提案しているが、僕は最初から「『純文学』ってジャンルの一つだよな」と思ってきたのだから、何をいまさらって気もするし、「純文学」がそんなに偉い存在だとも思っていないし、そもそも「純文学」なんてそんなに面白いジャンルでもないじゃんとも思っている(勿論、凄く面白い「純文学」もあるが)。
     まぁ、それはそれとして、違和感を覚えながらも、本書は割と面白く読み進めることが出来た。
     好きな作家が多く取り上げられてもいるし、今まで知らなかったけれど面白そうな作家や作品を紹介してくれてもいるし、難しいことを語っている訳でもない。
     帯に書かれている「『文学』がわかる! 『日本』がわかる!」「本当におもしろい小説とは何かを問う」という宣伝文句には疑問だけれど、ある程度の歴史を顧みることは出来ると思う。
     それにしても、本書で紹介されている本の中には、既に絶版になっているものがかなりある。
     それだけ本が売れていないのだろうな、と淋しい思いに駆られたりもした。

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著者プロフィール

1964生まれ。批評家。HEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画、美術などの広範な領域で批評活動を行う。著書に『ゴダール・レッスン』(フィルムアート社)、『ゴダール原論』『批評時空間』(新潮社)、『新しい小説のために』(講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『筒井康隆入門』『未知との遭遇(完全版)』(星海社新書)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『ex-music(L/R)』(アルテスパブリッシング)、『「4分33秒」論』(ele-king books)、『テクノイズ・マテリアリズム』『(H)EAR』『即興の解体/懐胎』『文学拡張マニュアル』(青土社)など。

「2019年 『私は小説である』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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