ピアニストは語る (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883894

作品紹介・あらすじ

クラシック音楽の「鬼才」として熱狂的なファンを持つヴァレリー・アファナシエフ。本書は、昨年、二〇一五年の来日の折に、東京目白の松尾芭蕉ゆかりの日本庭園、蕉雨園で収録された、世界的ピアニストが初めてこれまでの人生と芸術を振り返った貴重な証言の書籍化です。
ソ連時代の暗鬱な空気の中でのモスクワ音楽院での修業の日々。国際音楽コンクールのプレッシャーと優勝の喜び。国を捨てる決意を固めるまで。そして亡命決定の瞬間のスリル。さらにはベートーベン、フルトヴェングラーを始めとする愛する音楽について。
さまざまな苦難の時を乗り越え、今や「鬼才」から「最後の巨匠」へと変貌を遂げた至高の芸術家が、自らの内面に分け入り、人生の軌跡と芸術哲学を縦横無尽に語ります。

感想・レビュー・書評

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  • 深かったなあ…と述べる感想はすんごい浅はかに聞こえてしまう。でも深いと思ったのだからそれはしかたない。「シェイクスピアを読んでいるとシェイクスピアになり、ベートーヴェンを弾いてるときはベートーヴェンになる」ということが腑に落ちた。楽器を演奏する身として、曲への向き合い方について聞けるのが実に参考になった。というか、音大に行ったわけでもないし、音楽を教わる機会というのが滅法ないから演奏家の話は本当に貴重だ。

    ソ連の生活もなかなかだと思うが、かといって西側の生活が天国かというとそうでもない。情報操作をしようとしている点(特に見せたいものを人に見せようとする点)では東も西も変わらないのかもしれない。その洞察力がすごいと思った。

    「きれいはきたない、きたないはきれい」これも響いた言葉だ。本当にきれいだと思うことを胸張ってきれいだと言えるようになりたい。

  • 2021/11/26

    教師からは必要なものだけを受け取り、あとは後世大事にして磨くだけ
    メノン 想起説 全て知っている個である。本当の知識は外から来るのではない。あなたが外に出て行くのは、再び自分に帰るため。
    自分自身からスタートし、正反対のものまで行き、自分にかえる。これが創造。正反対に行くことで自分を否定して、それを自分の一部と成した上でかえってくる。
    世間的な成功などはこのプロセスを邪魔する。
    芸術行為はこれに抵抗すること。愚かさへの抵抗。
    孤独な時間を持つ時間も大事かも。

    静寂と音楽は繋がっている。ピアノを弾くときには、ただ飛び立つようにするだけでよいのです。音楽はすぐそこにあるのですから、軽く叩くようにして、そっと起こしてやればいい。
    →プラトン の想起説

    ソナタやフーガは私たちの精神を発展させるのに重要な役割
    ベートーヴェンを聞く人はベートーヴェン。

    トスカニーニは金管をわずかに遅く演奏させる。「空間のポリフォニー」→ソロを響かせる
    テンポが早いのではなく、すべねは多くの要因による

  • アファナシエフが、メロディよりもハーモニーを重視していると語る箇所が非常に興味深い。

    「私はメロディーが希望を表すとは考えません。希望はむしろハーモニーに関連づけられるものです。」

    あの極端に遅いテンポ設定は、単に奇を衒っているのではなく、ちゃんと意味があるのだとハラオチした。

    そして随所に見られる「リヒテルディス」に笑ってしまった。

  • 鬼才と呼ばれるアファナシエフが、生い立ちや亡命といった自分史と、音楽について語っている。あまりアファナシエフのピアノは聴いたことがないが、本書における音楽への真摯な態度や、経験を積んでようやく至ったという曲目への理解・解釈を読んでいると、著者の最新のアルバムを聴いてみたくなる。

  • 不勉強にして、名前は知っていたけど聞いたことはなかった。一部で人生、二部で音楽が語られている。ソ連からの亡命という背景を持つアファナシエフの半生は、まるで想像できないものだ。活動に制限のある芸術家というのがよく分からない。一方で、天才を再生産するソ連の教育システムに驚いちゃう。
    二部を読んでから、いくつかの作品を聞いてみた。自分が聞いてこなかったスタイルのピアニストだ。ゆったりめのテンポと踏みすぎないペダリング。ベートーヴェンの31番は好きになれないけど、32番は凄い。ドビュッシーも絶品。ハーモニー優先というアファナシエフの主張がよく分かる。

  • わりと淡々としている。

  • 【「教職員から本学学生に推薦する図書」による紹介】
    貞許礼子 先生の推薦図書です。

    <推薦理由>
    「鬼才」ともいわれるピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフのインタビューをもとにした本です。

    図書館の所蔵状況はこちらから確認できます!
    http://mcatalog.lib.muroran-it.ac.jp/webopac/TW00357006

  • ロシア人ピアニストのヴァレリー・アファナシエフ氏へのインタビューをまとめた作品。

    前半はアファナシエフ氏が亡命するまで過ごしたソ連時代の話、そして後半は自身の音楽に対する考えや向き合い方、といった内容。後半部分の音楽の専門的な話は、正直理解できない部分も多かったが、前半部のエリザベート王妃国際コンクール優勝までのエピソードや、亡命に至るまでの経緯は興味深いものがあった。

    彼のようなベテランピアニストでも、ステージ上で納得できるベストな演奏をするのは難しいらしい。舞台の上で奇跡が起きるのを待ち、時には奇跡が起きないことも受け容れる、そんな言葉がとても印象に残った。

  • 個性的なピアニスト、アファナシェフのインタビュー本。アファナシェフの方からオファーがあって発売に至ったという。正直、現代の職業演奏家は、時間の大半を練習に費やすせいか、目の前の音楽から外の大きな世界から音楽を見る、語るということが少ないように思う。それだけの視野を持つ時間がないということではないか。インタビューを読んでも目の前の楽譜=演奏をどうするか? ということが感心の中心である演奏家は多いように思え、インタビューを読んでもあまり面白くない人も多い。


    アファナシェフはその反対で、知性豊かな思索家であり、その一部に読書家・作家・演奏家としての自分がある、という数少ないタイプだ。だから本書にも期待して読んでみた。本書は人生の回想と、演奏家として(インタビュー時に取り組んでいたベートーヴェン演奏中心)の2部からなり、新書のボリュームでピアニスト、アファナシェフを知るには良い構成。ソ連時代の話、市民の生活についてはいくつか読んでいたので、特別驚きは無い。(ちなみにソ連市民の生活について最も興味深い本は特派員の妻として66年から69年までモスクワに滞在して、当時のモスクワ市民の生活を書いた鈴木俊子著「誰も書かなかったソ連」だった)
    2部の音楽編は個人的には、ここで少し語られたフルトヴェングラーやトスカニーニなどなど、他の演奏家について、さらにもっと広く音楽全般についてもっと聞きたかった。そういった続編があれば読んでみたい。

    ■読んでいて心に残ったこと思ったこと

    ・現代におけるテクニック=ヴィルトゥオージティについて
    「不幸にも今日では速度に限って用いられている」と批判しているのには激しく同意+爆笑。指の動きのスピード感を基本に音楽を組み立ててる奏者が現代は多く、ゆったりテンポを取った叙情味に浸れる名演奏が評価されにくい世の中。縦も横も揺らぐコルトーなんて、実はほんとうの超絶テクニックだろう。

    ・この本を読むと主観的な個性派ピアニストと思われているアファナシェフが、そうではなく曲の世界そのものを表現しようとが考えているのがわかる。これを読んで彼の演奏を思い出すと確かにそう思う。ただしアファナシェフという強烈な主観を通しての客観で、この主観の透過に納得いかない人もいるだろう。(これを書きながらアファナシェフのシューベルトの後期ソナタの演奏を聴いていて、特に思う)

    ・最後に。21世紀後半の最大のピアニスト、同郷でもあるリヒテルについて批判的な話が幾度となく出て来る。アファナシェフ流「客観的」演奏とはリヒテルの演奏は確かに違うだろう。
    リヒテルの演奏は曲のシモベというより、曲と対話しているように感じる。いいときのリヒテルはこの対話が余人の及ばぬ高みに登っていき、誰も入れない隔絶したところで、息を呑む瞬間を生み出す。これはリヒテルだけが聴かせる特殊で奇跡的な音楽体験で、アファナシェフと次元の違うアートをつくっているのは紛れもない。

  • 亡命時の回想にはかなりハラハラした。

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著者プロフィール

Valery Afanassiev

「2009年 『乾いた沈黙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ヴァレリー・アファナシエフの作品

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