日米開戦と情報戦 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883986

作品紹介・あらすじ

真珠湾攻撃から75年。戦争に至る不毛な現実を描く、決定版!

1日に20通以上の外交暗号を解読しあう熾烈な日米英インテリジェンス戦争。ローズヴェルト、チャーチルら指導者が生の情報に触れることで強まる対日対決姿勢。松岡洋右外相に翻弄され、陸軍・海軍内の組織利害対立で指導力を発揮できない日本の中枢部――。エリートたちはなぜ最悪の決定を選んだのか?

・日米間に具体的な争点がなかったにもかかわらず、なぜ戦争に突入したのか?
・南部仏印進駐が選択された経緯とは?
・アメリカの対日輸出管理策はなぜ全面禁輸になったのか?
・日本の玉虫色の政策決定システムとは?
・陸海軍を翻弄した松岡の戦略の弱点とは?
・官僚制の序列を無視しがちなアメリカ・ローズヴェルト大統領下の政策決定システムとは?
・イギリス商船オートメドン号の機密文書、ハルビン情報は日本でいかに利用されたか?
・日本の「国策要綱」が解読された最悪のタイミングとは?
・ハルは暫定協定案をなぜ諦めたのか?
・アメリカは真珠湾攻撃を知っていたのか?・・・・・・

話題作『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』の著者が、日米英の情報戦と政策決定の実態を丁寧に追い、日米戦争の謎に迫る!

感想・レビュー・書評

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  • 本書は「情報戦の観点も入れながら、南部仏印進駐そして日米開戦を検討」した著作。

    仏印とタイの国境紛争に乗じた1941年1月30日決定の国策(「対仏印、泰施策要綱」)関連では、陸海軍が一方的に強気だったのではなく松岡洋右外務大臣が議論をかき回す様子が描かれる。
    1941年7月2日決定「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」以前には陸海軍にシンガポール攻撃の意思はなかったが、またしても外務大臣の松岡洋右が執拗にそれを主張して陸海軍を困らせる。なぜ松岡はこのような大言壮語をするかと言えば、外交権のイニシアチブを取ろうとしていたからと論じられている。
    「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」に関しては、北進(対ソ連)、南進(南方進出)両論併記の国策とよく言われるが「両論どころか(日中戦争を加えた)三つの方向性が併存」との指摘。「対英米戦ヲ辞セス」の文言も入り、これによって南部仏印進駐が現実のものになった。
    日本の南部仏印進駐を受けてなされた対日全面禁輸の決定過程についてはいまだに「歴史の謎」であること、ローズヴェルトの考えは日本の南進や北進への牽制のみならず独ソ戦やイギリスの情勢をも考慮した「世界戦略」だったとの説が紹介されている。
    参謀本部第二十班は全面禁輸は行われないとの憶測だったが、全面禁輸後には第二十班、参謀本部、陸軍省の判断に誤算があったと記述。一方、ある海軍軍人の日記に目を向けると「油の禁輸は到底米としてこれを断行し得ず」との記述があり、筆者は「海軍の強硬派が全面禁輸から対米戦へと向かう道筋を承知のうえで南部仏印進駐を推進したという評価には無理がある」との判断。また、筆者は米国の行動は常識を超えていたため、英国を含め敵味方問わず予測がつかなかったとの指摘。
    しかしながら、歴史の結果からすると陸海軍ともに甘い情勢判断があったと言わざるを得ない。松岡洋右外務大臣は大暴れし、陸海軍は結果として南部仏印進駐後に起こってしまった対日全面禁輸に対し事前的には楽観主義が目立っていた。
    1941年10月、第三次近衛内閣が倒れて東条英機が組閣。イギリスは「不吉な兆候」と受け取ったものの、アメリカは「必ずしも戦争内閣と考えられていたわけではなかった」との説が紹介されている。対米英戦に歩を進めることになった国策、「帝国国策遂行要領」も御前会議で決定。

    タイトルにもある「情報戦」という観点からすると、例えば幣原喜重郎やグルー、クレイギーといった解読された暗号などの情報に触れていなかった者の方がより「正しい判断」をしていたとの指摘。全体を通しては、「情報戦」という側面がやや弱い印象があるものの、一次史料からの引用や批判的な史料読解、先行研究の成果が取り入れられていることなど、手堅いものが感じられた。

    (雑感)
    日米開戦(太平洋戦争開戦)の point of no return は日本の南部仏印進駐とそれを受けてのアメリカの対日全面禁輸というのが通説になっているように思うし、自分自身もそう思う。ではインテリジェンスに触れていた日本側の人たちはなぜ対日全面禁輸を予測できなかったか。改めてこれは大きな課題だと思う。

  •  よく日本は情報音痴であり、情報戦に優れた英米に戦争に引き込まれた、とすらも聞き及ぶ。

     では、実際にはどのように扱って開戦に至ったのか?を記載したのが本書である。
     
     情報の取捨選択と判断という“インテリジェンス”の流通を鍵に、日本の対応、英米と比較をし、本書は書かれている。
     
     イギリスは、いくつかのルートが情報を収集、首相の元に一元化していた。インテリジェンスは首相の元にのみ存在し、国家方針を決定していたようだ。

     アメリカは、陸軍、海軍等が独自に情報収集を行い、インテリジェンスまで作っていたようだ。ただし、最終的にはそのインテリジェンスを含めて、大統領は収集し、新たにインテリジェンスを作って国家方針を作成した。そして議会・世論の同意が得られれば、決定となった。
     
     日本も、陸軍、海軍、外務省が独自に情報収集を行い、インテリジェンスまで作っていた。インテリジェンスをもとに国家方針を作成し、天皇臨席の御前会議で同意が得て決定となった。
     
     一見アメリカに似ているが、日本の場合、御前会議の前段階、つまり各ルートで作ったインテリジェンスからの国家方針策定の機関が不安定だったようだ。

     当時の日本は総理、外務大臣ほか数名と陸海軍などで構成される大本営政府連絡懇談会が国家方針決定の最高機関だったようだが、法制化もされておらず、議長もあいまいなようだった。そして、各部門も内部はバラバラだった。

     様々な部署が、様々な方面のバランスを取りつつ苦悩、迷走していく日本。これ、当時の現場の人たちも何がどうなっているのか、わかってなかったんじゃない?とにかく、戦前はそれだけ迷走していたのだろう。

     ではイギリス、アメリカはどうだっただろう?うまくいっていたのだろうか?

     アメリカは大統領の権限が強いが、結局は日本の意図を正確にはとらえることができなかった。そのため真珠湾攻撃と緒戦の敗北を招いた。

     イギリスはうまくいきそうであるが、それでも過度に日本を恐れるばかりに、やりすぎと思われた経済制裁を発動したりして結局は日本を追い詰めた。そして戦争には勝ったが、アジアの植民地はほとんどを失った。
    結局、第二次世界大戦勃発は、日米英双方の情報の取り扱いの過誤の連鎖だった、そして、勝者はなかったのでは?というのが著者の意見。

     じゃあ、どうしたら一番よかったのだろうかね?方針を決める時には、以下に先入観を省いて決めるか、ということだろうか。情報を収集する部局は情報収集に徹底、集めた情報からインテリジェンスを形成する部局、インテリジェンスを集めて意思決定部門に上げる部局。そして意思決定部門で意思決定とするしかないのだろうか?まあ、今は企業、国家ともこのようにやっているのだろう。

     そして、本書の各国の失敗を見て、僕たちはどのように行動べきだろうか?自分はひとりなんで、部局をたくさん作ることはできない。自分が今、情報収集を行っているのか、インテリジェンスを作っているのか、方針を決めているのかを明確に分けることが大切なのではないか?

  • 情報の利活用になぜ失敗するのかを学びたいと思い手に取りました。実際、情報過多になる中で自分の見たいものを見てしまう、意思決定に至るまでに割愛され歪んでしまう、全体を見ず確度の低い情報に頼ってしまう等、失敗のパターンが色々出てきて学びはありました。
    トピックスの絞りこまれた本であり、歴史を学ぼうと思うと自分にとってはもうすこし前後の知識が必要だと感じました。

  • インフォーメーションとインテリジェンスの違いについて論じたのち米英との戦争を誘引した南部仏印進駐についての意思決定過程を時系列的に解説していく.日米両国で相手側の暗号が解読されてその情報をいかに活用したかを調査しているが,資料は失われていて不明な点も多いようだ.
    いずれにしも日米両国および関連国家の意思決定過程はまさにカオス的でどちらに転ぶんだかは些細なことで決まってしまったように感じる.「戦争責任」と軽く言ってしまうが,戦争に至る過程はかなり複雑で誰の責任なのかという問題は解が無いのかもしれない.

    日本がドイツに送ったリップサービス的な暗号文書がアメリカのトップに直接知らされた結果,日本政府の考えが曲解された面があるというのは驚きであった.著者はトップが直接インフォーメーションにアクセスすることの危険性を指摘している.これは自分にとって逆説的で全く新しい視点であった.

  • 【由来】


    【期待したもの】
    ・小谷賢の「イギリスの情報外交」を参照しながら読むと立体的な理解が得られるカモと思った。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • 歴史学の立場から客観的に日米の意思決定プロセスや諜報について見ていく。今まで自分を捉えていた認識の枠組みを意識させてくれる。
    日本の国策を決定するにあたっての寄り合い世帯的な、両論併記と非決定の概念が常につきまとっていた。松岡洋右が外相としてイニシアチブを発揮しようとする中でいかに日本を振り回したのかがわかる。
    陸海軍もそれぞれの中で一枚岩ではなかったし、天皇も全く飾り物だったわけではなく、その意向は陸海軍に影響を与えていた。
    蘭印や仏印の動き、独ソ戦に向かう中での日本の動き(渋柿主義と熟柿主義)、タイとの関係なども本書を通して細かく知ることができた。
    南部仏印進駐からエスカレーションの歯車が噛み合ってしまい戦争が止められなくなってしまった事情がよくわかった。
    オートメドン号事件、ハルビン情報も初めて知った。オープンソースのみに触れていた幣原やグルー、クレイギーなどの方が正しく情勢を分析できていたことも教訓だし、政策決定者がインテリジェンスでなくインフォメーションに直接触れ、その中から自分の見たいものしか見なくなる危険からも学ばなければならない。

  • 引用省略

  •  日米開戦に至るまでの事実関係が詳細に書かれており、全て把握しようとすると、新書ながら相当の予備知識を必要とする。が、そうでなくとも本書のポイントはいくつかつかむことができた。
     英米の政策担当者が文脈や背景の十分な理解なしに直接個別の生情報(インテリジェンスに加工される前のインフォメーション)に触れた危うさ。公開情報にしか接していなかった幣原が却って南部仏印進駐は戦争を招くと断言したり、日本を理解していた英米の駐日大使の警告が本国では省みられなかったりしたことは象徴的である。日本の各種政策文書の「両論併記」と「非(避)決定」。日米交渉の過程での両国のボタンの掛け違い、パーセプション・ギャップ。
     歴史を後世から見ると、各国の合理的な国益追求の結果としてその状況(ここでは日米戦争)に至ったとつい思いがちだが、実際はそうではないこと、また機密情報の使い方次第で却って誤った政策判断をしてしまうこと。現在進行中の事象も、後世からはそう見えるのだろうか。

  • 著者の前作、日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」と読んだ。
    本書はインテリジェンスの観点から、日米開戦に至る両国の意思決定を描いたもの。
    実情は、ちまたに言われる、日本はマジック情報で丸裸にされ、アメリカの手のひらで踊っていた、とは異なる。行き違い、思い込み、両国内でも様々な見方が交錯する中、開戦へと落ちて行ったのだ。
    まことに罪深いこと。

  • 図書館で借りた。ボタンの掛け違い

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著者プロフィール

一九六二年福岡県生まれ。西南学院大学文学部卒業、九州大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。現在、静岡県立大学国際関係学部准教授。専門は日本近現代史・日本外交史・インテリジェンス研究。著書に『日米開戦の政治過程』(吉川弘文館)、『日本はなぜ開戦に踏み切ったか――「両論併記」と「非決定」』(新潮選書)、『昭和史講義』(共著、ちくま新書)などがある。

「2016年 『日米開戦と情報戦』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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