幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062884068

作品紹介・あらすじ

本当の幸福とは何か? どうすれば、人は幸福になれるのか? 母親の突然の死、父との不和、自身の死の淵からの生還の体験など、生と死をめぐる様々な体験を契機に、著者の岸見一郎氏はこの問題について、永らく考えをめぐらせてきました。もともとギリシア哲学の研究者であった著者がアドラー心理学に出会ったのも、この問題の追求の途上のことでした。

 本書は、そのような著者の個人的な体験と、ギリシア哲学、アドラー心理学など、人間の幸福に関する歴史上の深い考察を総合した結論としての本格的な幸福論です。

 さまざまな哲学書を渉猟した結果、哲学者で幸福な生涯を送った者は、ほぼ皆無であることに著者は気づきます。そして思いました「よし、では自分が幸福な哲学者になろう」その結果については、ぜひ本書をお読み頂きたいと思います。

 幸福であることを願わない人はいないはずなのに、なぜ、ほとんどの人は幸福感を得ることができないのでしょうか? この問題について長く、深く考え抜いた上で、あるとき、ふと著者は気づきました、幸福になるための鍵は、ちょっとした気づき、視点の転換にあるのではないか、と。著者の考えの道筋をたどりながら本書を読みすすんでいけば、あなたにも、幸福はどこか遠くに探しに行かなくても、初めからここにあったことがわかるでしょう。

感想・レビュー・書評

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  • ベストセラー「嫌われる勇気」の作者の1人、岸見一郎氏による幸福についての評論。
    副題に『アドラー×古代ギリシアの智恵』とあるけどほぼほぼメインはアドラー心理学。古代ギリシアもほぼプラトンだけだし、それも味付け程度にしか触れられていない。
    内容は「嫌われる勇気」とほぼ同じ、アドラー心理学の紹介と説明。あっちの方が読み物であった分読みやすいしスッと入ってくる。評論、特に新書は小段ごとに話が切れるので全体を通してのつながりが見えにくい。

    同じ内容を知りたいなら「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を読んだ方がいいな。
    でもその2冊を既に読んでたら、いいおさらいにはなると思った。

  • アドラーの哲学は私にとって手厳しい。痛いところをついてくるから、読んでいて気持ちが萎えることもあるが、それだけ真実を突いている。岸見一郎さんの文章も時に厳しさがあるが、その厳しさは昔、小学校で出会った先生や看護師になって出会った師長をはじめとする先輩方に通じる懐かしさを感じる愛ある厳しさだ。ただ厳しいだけでなく、希望を感じさせる。希望を感じるから、もう少し頑張ろう、より良い人になろうと思える。
    幸福は今、ここにある。
    それを感じるために、ありのままの自分を認め、自分を愛し人を愛する。他者を敵ではなく、仲間ととらえることができる。私にとって、それは希望に通じる。まだまだ足りない所もたくさんある。だけど、その自分で生きていて、そんな自分に幸福はちゃんとある。そんなことを感じた。

  • 岸見一郎さんの言葉はどれも突き刺さります。
    あらゆる悩みは対人関係の悩みだというアドラーの哲学は嫌われる勇気で有名になりました。
    幸福や生きる喜びは対人関係の中でしか得ることはできない。著者のこのお考えは一貫してどの本にも書かれていて強い信念を感じます。
    わたし自身もこの言葉を自分に言い聞かせています。

  • 思っていたより良い内容だった。インターネットを通して誰かの幸福が以前より見える化している現代で、幸福難民になっている人の気持ちが楽になる一冊かもしれない。幸福はあるもので、幸福を持つとは言わない、言えないという考え方を覚えておくだけでも、誰かと自分を比べて幸せかどうかを考えてしまうような夜は少なくなるのではないかな。

  • アドラー心理学に関する本は最近よく書店で目にするが、実際に読んだのは初めてだった。アドラーについては、人生を生きやすくする自己啓発本などで引き合いに出されることが多いと感じていただけに、自己責任論ともとれるシビアな記述に意外な思いも抱いた。

    アドラーは「患者を依存と無責任の地位にに置いてはいけない」といっている(
    『人生の意味の心理学』)。患者を無責任の地位に置いてはならないのは、自分の選択以外のことに生きづらさや不幸の原因を見れば、患者自身の責任が見えなくなってしまうからである。(p106-107)

    これは自己責任論ともとれそうだが、一方でこうも言っている。

    自己責任論の名の下に「あなたの不幸はあなた自身が選んだものだ」「病んだのは本人のせいだ」という人がいる。
    しかし、本来、「責任は選ぶ者にある」という時、その意味は自分の行為について、その選択の責任は自分にあるということだ。「あなたが選択したのだから、その選択に伴う責任はあなたにある」と、選択したことで窮地に陥った人を責めたり、そのような人を自己責任だとして、救済しないことの理由にするのは間違いである。(p112-113)

    ちょっと分かりづらい。いったいどっちなんだ、と言いたくなる。選択の責任は本人にあるが、それを責めるべきではないし、救済しない理由にもしてはならない、ということか。
    ただ貧困状況にある人にとって人生の選択肢は限定されて見えることも事実だろう。それを「選んだ責任はあなたにある」と言うことが本当に正しいのか、と思う。

    本全体としてそれほど新しい知見は得られなかった。哲学そのものの特性もあるだろうが、筆者の闘病経験や親子関係がたびたび引かれ、分かりやすくはあった一方、いずれも人生観を変える経験としてはありがちというか、もっと厳しい人生を歩んでいる人はたくさんいるわけで、その人たちに対する説得力はどれほどのものだろうかとも考えた。またエッセーとしての色が濃く感じられ、期待していた方向性とはやや違っていたことは反省。

    気になった点は時間ができたら追記する。

  • ●アドラーとプラトンは何が善なのかを知ることが、幸福になるためには必要であると考えた。しかし、プラトンには具体性が欠けていると思われた。それでアドラーがこの知の内実を対人関係に求め、目的論を教育や臨床の場面で実践的に応用している点に興味を覚えたのだった。
    ●人は何かの出来事を経験するから、不幸になるのでも幸福になる男でもない。目的論を採ることで、不幸に、そして幸福の原因になるのではないかと考える。人は幸福になるのではなく、もともと幸福であるのだ。
    ●「人生の意味はない」「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」
    ●木の枝に五羽の雀が止まっている。そのうちの1羽を撃ち落とした場合、後に雀が何羽残るかと言う問いに対して、算数は5 − 1で四羽。実際は音に驚いて一羽も残らない。このように具体的に考えるのが哲学。一面だけを切り取って抽象的に考えるのが数学。
    ●「人生は限りのあるものだが、生きるに値するものであるには十分長い」
    ●三木清によれば、幸福は質的なものであり、成功は量的なものである。お金を得ることや出世をすると言うことであれば、イメージするのはたやすい。ところが幸福は質的なものであり、しかもその幸福は「各自においてオリジナルのもの」なので、他者には理解されないことがある。成功が一般的であるとすれば、幸福は個別的である。
    ●一時的に親子の間に軋轢が生じることになったとしても、最終的にあなたが幸福になれば、それが究極の親孝行だと。子供が親を喜ばせるために犠牲になる必要は無い。親は子供の選択によって心が折れるような思いをすることがあっても、その事は親が自分で解決するしかない。

  • アドラーで有名な岸見一郎氏の本。基本路線はアドラーの今までの本と同じ。いい意味でブレがない。

  •  私は、自分に対して誠実に生きることができることが「幸せ」なのではないかと思います。心安らかに生きるため、悪夢に苛まれず眠るためには、自分に対して誠実であることが不可欠なのではないかと思うからです。 

     >人間の価値を生産性で見るようになったのは、人をものと見るようになったからである。「ものと見る」というのは、人を何かのものを生産する機械のように見なすことだ…岸見先生の言葉に、幸福感を感じにくい現代社会の病が見え隠れする。傍から見たら恵まれているようにしか見えない人でも「今より豊かに、より幸せに」と、他者との関係の中で常に競争を強いられ続けているような時間の中で暮らしているのではないだろうか?たとえどんな状況にあっても、ささやかな幸福以外に幸福はない。どうしたらそれを素直に感じることができるのだろうか?

     岸見一郎先生、根本橘夫先生、アービンジャー・インスティチュートの本を読んできて、私の心を不安定にしてのは、私の嫉妬心であったり、その嫉妬心からくる競争心なのではないかと考えています。今は、他者がどうであろうと、自分自身の夢や目標に邁進することや、目の前の他者と決着のつかない競争をするよりも過去の自分を越えて行こうとする努力が、結果として自分を鍛えてくれるのではないかと思っています。まだ、岸見先生と根本先生の本が数冊残っているので、楽しみです。

  • 結局のところ、幸福とは自らの歩んできた道の中にこそ「ある」ように感じる。著者自身の歴史、その語りが添えられていることで、ただの哲学書ではない生きた知が描き出されている。
    我ら思う故に我らありを実践するには、やはり語りを相互に行う対話が必要なのではないか。

    学び、気付き→パラダイムシフト
    対話とはこのための触媒だろう。

  • ■■評価■■
    ★★★✬☆

    ■■概要・感想■■
    ○アドラー心理学をもとに、学術的になりすぎずに実用性のある形で考え方を示した本。

    ○他の本とも同じ様に、幸福とは他人と比べてどうか、順位がどうか、比較的に恵まれているものを掴みに行くなどという話ではない。幸福は他と比べず、自分の中にすでにあるもので、外に見つけに行くことではない。幸福に”なる”という言葉がそもそも違くて、幸福”である”というだけである。

    ○成功することを目指さないで幸福であれ、と言っているわけではない。この2つは次元が違う話で、対立でも同一視でもするものではないのだといっていると感じる。

    ○未来のために我慢する今という価値観や、過去のせいで〇〇になってしまった。という今につながらない後悔はしない。今ここだけに意識を向けて日々を充実したものにしたい。

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著者プロフィール

1956年生まれ。共著書に『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)、訳書にプラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)ほか。

「2020年 『自然と精神/出会いと決断』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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