海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062884143

作品紹介・あらすじ

倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も、従来は、すでに国が存在するものとして語られてきました。強力な権力を有する中央(倭の場合にはヤマト王権)が鉄などの必需品の対外交易を一手に掌握し、地方の権力者に分配していたというイメージです。
 しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりももっと複雑だったことが明らかになってきました。
 日本の古墳からは朝鮮系の遺物が、朝鮮半島の古墳からは倭系遺物が数多く出土しています。のみならず、朝鮮半島南西部には倭独自の古墳である前方後円墳が築かれた時期さえありました。両者の交易は多様で、その中心をになったのは「中央」ではなく、むしろ大小様々な地方の勢力だったのです。
 対外交易ルートをヤマト王権が手中に収めたのは通説よりもかなり遅い六世紀の前半で、北九州の「君主」だった磐井を倒したことによって、ようやくその長いプロセスは完成した、そう著者は考えます。
 倭一国の中だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目を使うことによって見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 海の向こうから見た倭国 | 古代歴史文化賞
    http://kodaibunkasho.jp/5th_award/5-02.html

    高田 貫太|研究者紹介|研究|国立歴史民俗博物館
    https://www.rekihaku.ac.jp/research/researcher/takata_kanta/

    『海の向こうから見た倭国』(高田 貫太):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210900

  • 3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島と倭との間でどのような交渉があったのかについての研究をまとめた本。
    高句麗、新羅、加耶、百済、栄山江流域といった社会が割拠する中で、それぞれの対外戦略として倭との通行があった。
    倭は倭で様々な地域集団が存在し、吉備の反乱や磐井の乱といった、倭王権が外交権を接収するにあたって生起した戦いもあった。
    古代の歴史はよくわかっていない分ロマンもあるし興味をそそる。新羅が倭の出兵を抑えるために…という件とか。

  • 2017年73冊目
    参加している読書会 3Bの7月度のテーマ本。
    読書会はもう終わったのですが、ようやく読了。
    著者は40代前半の日朝関係史の研究者。
    本書では日本人が書いた朝鮮から見た倭国というのが面白い。
    4世紀から6世紀の朝鮮と日本。その両者を結びつける様々な遺跡や出土品
    たとえば、朝鮮でも前方後円墳が見つかったりなど。
    当時の両国はどのような船で海を渡り、交流していたのであろうか。
    それぞれがお互いの必要性を認め交流していた日々。
    当時の様子を想像させてくれる一冊でした。

  • 著者は岡大史学科大学院を出た後に韓国の慶北大学を出ている。日韓両方の目から古代を見ることが出来る若い研究者である。ここまで突っ込んでわかりやすく、日朝関係特に朝鮮半島の考古学成果を描写した本を私は初めて読んだ。私の興味関心は、弥生後期なので、そこに絞って学んだことをメモする。

    ◯魏志東夷伝韓条では、3C、弁韓では鉄を生産し、朝鮮東北部と共に倭国が鉄を求めてやってきていたとある。また、楽浪郡と帯方郡にも供給していた。このルートは、楽浪郡ー弁韓ー倭国ルートにもなっただろう。
    ◯魏志倭人伝の対馬・壱岐記述でも「南北市てき」(北九州と朝鮮と交易)。
    ◯鉄交易は弥生中頃(朝鮮初期鉄器時代)から始まる。トンネネソン遺跡(釜山)では鉄さいや鉄片共に多くの土器が弥生土器かそれを真似たものだった。勒島(ヌクト)遺跡(弥生前期末ー後期初)でも全体の一割が弥生系土器。ここでも鉄器製作の跡あり。
    ◯蔚山達川(タルチョン)遺跡では、弥生人が鉄鉱石を採掘した所に来た痕跡がある。達川遺跡は初期鉄器時代の住居、穴、壕、柵などが確認。採掘場から一部北九州弥生系土器確認。他にも楽浪郡系土器、鉄鉱石が出土。
    ◯以上の弥生系土器は、BC4-AD1前半かBC2中頃-AD1前半か、まだ決着ついていない。
    ◯勒島はAD1より衰退して、AD2には役割を終える。AD1後半より、弁韓や辰韓の有力者の墓に北九州の青銅器が副葬される。特に金海。楽浪郡からもたらされた文物も、AD1後半には金海(狗邪国)に集中する。衰退期には、北九州だけでなく、中部九州や瀬戸内、山陰などの土器も出土するようになっていた。
    ◯金海良洞里(ヤンドンニ)遺跡は、AD3まではこの国の中心地だった。この頃、奴国や伊都国が、壱岐や対馬をコントロールするようになり、楽浪郡や朝鮮半島との交易を主導。勒島はそのルートから外れたから衰退したのか。
    ◯海人たちの交易ルートが最初にあり、それを有力な国が取り込んでゆくように金海ー北部九州ルートが整備され、それを西日本もそのまま使うようになった(←北部九州にとり、西日本は国ではなく、個人だったのだろうか)。このネットワークは神奈川や長野まで続いていた痕がある。そしてこれが魏志倭人伝の「南北に市てき」に記録された。
    ◯古墳時代を迎えたAD3後半になると、福岡市西新町で大きな港ができる。住居は竈(列島への普及よりも1世紀以上早い)をもち、多量の朝鮮半島系土器出土、列島各地の土器出土。渡来人は多量にいただろう。
    ◯西新町の周りには、大規模な集落(比恵・那珂遺跡群)、鍛治工房(博多遺跡群)、
    玉作工房(潤地頭給遺跡)が展開。
    ◯背景にAD3中頃に成立するヤマトの倭王権の展開があった(かもしれない)。
    ◯AD3後半に金海は、国際貿易港を整備(金海官洞里、新文里遺跡)。既に遺跡公園みたいなものが出来ているらしい。行って見たい。港(桟橋、道路、倉庫、井戸)と、それを管理する生活場所があった。馬韓土器と北九州・山陰の土師器があった。そこから中央に向けて鉄関連の遺跡・工房が分布。中央には王宮(鳳凰台遺跡)、王族墓地(大成洞古墳群)、近くにも港はあり船の部品は出土。AD4には、鉄生産と海上貿易が一体で運営。この頃には倭王権と金官国が重要なパートナーになっていただろう。
    ◯西新町は、意外にもAD4になると、急速に衰退し、AD4後半に消滅。それと連動するように、沖ノ島で祭祀が始まる。金海は更に栄える。
    ◯266年以降、倭国が中国に派遣した記録はなくなる。AD4以降、楽浪・帯方が高句麗に滅ぼされると、おそらく中国との直接関係は絶たれる。それもあって、金海との交易は重要だった。

    2011年と2012年の夏に、私は生涯最長の韓国旅行をした。特に、弁辰をよく歩き、例えばここでも扱われている金海の鳳凰台や大成洞古墳群、勒島遺跡などを訪ねた(金海良洞里も後に訪ねる)。釜山大学博物館など、さらには普州慶尚大学では、大学の先生たちからも情報を頂いたりもした。また、有名な古墳群はたいてい歩いた。考古学の先生かとよく聞かれたけど、実際は単なる考古学ファンに過ぎない。単なる素人がここまで来るのが珍しかったのだと思う。この本は、そこから得た情報を上書きし、さらには新しい視点を貰うものであった。話題の中心は古墳時代なので、私のここでの引用は序章にすぎない。しかしほとんど空白の紀元前後の日朝関係を埋めるものは、これから出てくる遺跡でしかあり得ないのであるから、著者には積極的に速くこれらの成果のわかりやすい紹介を期待したいと思う。

    2017年4月26日読了

  • 3世紀から6世紀の倭と朝鮮半島の関係を朝鮮の視点から、日韓の考古学上の成果をふんだんに活用して分析している。特に、朝鮮半島側の古墳の状況や研究者の視点を紹介してくれているのが新鮮。

    これによると、「倭という一つの強大国があって中央集権的に朝鮮半島と対峙していた」というステレオタイプの世界観では全く不十分であることがわかる。特に、時代が遡れば遡るほど、朝鮮半島(新羅、伽耶地域、百済、栄山江地域)と倭(九州北部、吉備、大和)が輻輳的に関係を築いていた。

    時代が5世紀に下ると、朝鮮半島側は高句麗の南下に対して百済や新羅が周辺を統合しつつ、倭と友好関係を結ぶことを思考し、倭も先進技術の取り込みのため、関係を構築していく中で、吉備や九州を統合した形で倭王権が交易を独占する形になってきたというもの。また、今と比べて国の概念も曖昧だったのだろうが、筆者は後書きにおいて以下のとおり指摘する。

    ・古墳時代(3世紀後半〜6世紀前半)の倭では、倭王権を核としながらそれぞれの地域社会も拠点となる、錯綜した可変的なネットワークが広がっていた。それは、朝鮮半島(少なくとも中南部)にまでのびていて、そこでも同じようなネットワークが広がっていた。その環海地域を取り巻くネットワークを活用しながら、倭王権と地域社会は時には協調して時には競合して、朝鮮半島のさまざまな社会と政治経済的な交渉を重ねた。

     ↑の好例が6世紀前半の磐井の乱であろう。筆者は、倭王権が北部九州の港を直轄化するとともに、新羅の圧迫を受ける伽耶を助けようとしたことに対し、新羅は磐井に賂を送って倭を牽制させ、磐井も港の直轄化に反応して倭を見限ったと見ている。まさにこのような『錯綜して可変的な』ネットワークが、(今のような厳密な国境意識なしに)日本でも朝鮮でも広がっていたということであろう。

    古墳の考古学的な解説の部分を読むのがやや苦痛だったが、全体として極めて説得的な本だった。

  • 三世紀後半から六世紀前半の期間、朝鮮半島の国々、百済、加耶、新羅、金官などと倭の国々との交流を見る。倭も大和政権だけでなく、吉備、磐井、九州などの地方勢力との交流もあり、朝鮮半島の国々は北からの高句麗の攻勢に対抗する意味もあって、倭との交流を求めたようだ。

  • 2017年刊行。著者は国立歴史民俗博物館研究部准教授・総合政策大学院大学准教授。


     邪馬台国論争を見れば理解できるだろうが、もはや文献史学だけでは、古代日本を巡る交易・外交関係を理解することは不可能である。

     本書は、紀元~6世紀の、日本列島と朝鮮半島の関係性を、双方の考古学的遺跡・遺物の対照・分析を通じて解読しようと試みる書である。

     細かな部分は兎も角、叙述される内容の骨格については、左程の意外性はなかった。しかし、日本の古代国家形成と半島との関係性を簡明に理解しようとするならば、本書読破の価値はある。
     また、倭権力や百済・新羅といった権力機構側の関係性だけでなく、対馬海峡などを股に駆ける交易ネットワークの構成員「海民」とその交易物産に注目している点は、現代的と言えそうだ。

     しかも、本書は時期区分に意を払うだけでない。時代相に即応しつつ、半島の諸勢力毎に峻別して倭との関係性に言及しており、倭は親百済、反高句麗、反新羅であるなどと単純には論じてはいない。
     例えば、磐井の乱の前史における、新羅の反倭政策に関し、時期による親疎の度合いの違いなどを踏まえて叙述している。こういう点が本書の買いの部分である。


     また個人的には、特に第四章の内容。すなわち、朝鮮半島(栄山江流域)に築造された前方後円墳の持つ意味に関する解説が目を引いたところだ。


     ところで、本書の内容とは関係がないが、本書執筆の動機で気になる点がある。「書紀」に書いているだけで、考古学的に到底実証性のない「任那日本府」。この点は教科書の記載からも外れて久しい。
     にも拘らず、一般書にはこの実在を前提する記述が横行し、これを是正しないと誤謬が世間に流布してしまい、これを改めるべきと考えたことにあるというもの。
     かような動機を著者が持たざるを得なかった現実・実態。どちらかというと、そちらの方に驚かされてしまったところである。

  • 古代日韓関係史に全く詳しくない読者からすると、本書の主張の重要性や信頼度は評価不能だ。

    任那(本書で「加耶(かや)」)の日本(著者がいう「倭」)支配がなかったことを主張するのであれば、日本支配論の根拠とされるものを批判的に再評価し、逆に日本支配がなかったことの根拠を批判可能な形で示すべきだろう。

    半島南岸と倭との海峡を隔てた交流は当然にあったのだろうし、相互に影響は及ぼしたのだろうが、本書は日韓の古墳の紹介が中心になっており、「海の向こうから見た倭国」がいかなるものであったかを描いているようには思えない。

  • 朝鮮半島の4〜6世紀から見える倭国はどのようなものだったか?という、切り口で朝鮮半島、倭国を描く。
    私の記憶にある最古の歴史は「百済」から仏教が伝わった、程度だったが、実際にはもっといろんなことが起こっていたようだ。本書で描かれるのは、朝鮮に林立している国々である高句麗、百済、新羅、伽耶などと倭国及び日本国内の地方勢力(特に北九州と吉備地方)がどう関係したかである。主に各地の古墳の様子から鮮明に過去を、当時の様子を浮き彫っていく様子は考古学者ならでは。日朝関係を正しく理解するためにも有用な一冊だと感じた。

  • 考古学から。
    「海の向こう」はおもに南朝鮮。倭列島側から海の向こうを見る視点も忘れていなくてバランスが取れていると思う。

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著者プロフィール

国立歴史民俗博物館教授(考古学) 【著書】『アクセサリーの考古学 倭と古代朝鮮の交渉史』(吉川弘文館、2021年)、『異形の古墳 朝鮮半島の前方後円墳』(KADOKAWA、2019年)、『海の向こうから見た倭国』(講談社、2017年) 【趣味・特技】息子と一緒にマインクラフト、韓国語

「2022年 『REKIHAKU 特集・歴史の「匂い」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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